陰謀論と社会運動

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「小沢一郎前幹事長は、原子力潜水艦でやってきたマイケル・ジョナサン・グリーンに米国債購入を懇願された」とか書くガセネタを有料でばらまく稀代の詐欺師とさえ呼ばれた板垣英憲氏が、今さら最近またたまにSNS上で持て囃されていて、ちょっと気になります。

ガセネタ連発している人の情報でも、結構市民派の人が反応しているんで、あまりにも真偽不明のものを内容の刺激性から持て囃す姿勢には、もっと慎重になっていいと思うんですよね。
もちろん、私も知り得ない事柄は山ほどあり、驚くような内容が真実である場合も世の中にはたくさんあります。そして、いつも正しい判断なんて人間は誰も出来ないのです。
ですが、期待と情報の確証性、そこはきちんと分けて考えないと、社会的なメッセージそのものが信頼度の薄いものになるリスクがあります。

板垣英憲氏に限らず、明らかに確認可能な情報だけでも明白にデタラメを垂れ流し続けて、それが持て囃される人種というのが結構います。それでは、何か人の注目を集められるようなデマを発信して、なんでも言った者勝ちという事になります。
反面、原発は危険であるとか、内部被ばくのリスクとか、公正に危険性が明らかにされなければいけない情報や、安倍政権の税制がどういう風に一般人にとって負担増となるか、といった訴えが、雑な情報を多用する事により、今現在関心を抱いていない人にとって混ぜて語られているメッセージ全体が「怪しいもの」と捉えられがちになります。

実際、言う事の大半がいつもデマだったり、的外れな見識である人があなたのそばにいたら、その人の意見を話半分にしか聞かないでしょう?
それは当然の反応なんです。だいたいが、すべての人の意見を公平に聞こうにも、誰しも時間にも気力にも限度があります。
何か耳慣れない変わった主張ばかりする、というような印象だった人でも、言っていた内容が事実に裏付けられたものだった、現実的に参考になる頻度が高い、と感じられる人の意見は徐々に信頼するようになるでしょう。

人はコマーシャルな耳障りの良さや態度に引き寄せられやすくて、それは必要な場合もあります。
ですが、特に今自分とは異なる意見の相手の人に、「安倍政権はこれまでの歴代自民党とは違うんだ」とか「男女の役割分担と簡単に言っても、人間は千差万別なのだから、それを個人が自由に選択していけるようにすべきだ」などといった主張を伝えていく時には、面白おかしいだけではない中身のある「信頼性」といったものが重要になってきます。

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# by catalyticmonk | 2017-05-01 00:38 | 希望社会 | Comments(0)

多様性と共生社会

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パリの家にはカーテンがない、とか、知らない人と話す事が多様性を認め合う社会になる、みたいな内容の記事があり、SNS上でシェアしたら、いろんな意見が出ていて。
ただ、それらがかなり微妙な話である気もして、私自身がフランス通な訳でもないのですが、現代の日本人の他人との距離を俯瞰する上でも、あまりいい加減なコメントはしない方がいいな、と思ったので、別途、いくらか書いてみようと思った次第です。

他の方も書いておられましたが、海外に行くと気軽に挨拶されるのでほっとします。これは、翻って今の日本の、特に都会の事情をよく表している気がします。
逆に、日本のように表面上の愛想を重んじる社会も少ない。もちろん、一定の社交辞令や礼儀は存在するのだけれど、それを日本人ほど強い意識で維持しようとする世界は極めて稀です。

気に入らない相手には挨拶されても堂々と無視するような距離感は日本では珍しい訳ですが、そうすれば無視された側は無理しなくても、そういうところには近づかない方が無難だと知るサインにもなります。インドでも西洋社会でも、基本、多種多様な価値観や異なる人種、共同体の人がいますからね、日本みたいに一々相手に頑張って合わせようとする方が無理なんです。だから、その分、もっと割り切った面も大きくなる。

相手側の多様性を認めつつも、同じ空間に共生している、という、程々の距離が気持ちいい訳ですが、これは相手も自分と大きくは異らず、互いに気遣ったり忖度で協調性を図っていこうとする文化が根強い日本人には、体験しないとなかなか理解出来ない感覚かも知れません。

私が垣間見て知っただけでも、フランス人は相当特殊かつ複雑で、矛盾に満ちた興味深い人々でした。アジア的な共生社会の尺度とはまるで違うので簡単には言えないでしょうね。
私がフランス語が全く話せないのに、フランス人の彼女がいただけで超仲間扱いされたり、その私よりもドイツ語圏の人間を毛嫌いしていたり。複雑かと思えばアイコンタクトや微妙な動作だけでテレパティックに自分の感情や意思を伝える能力に長けていたり。

シャンペン職人のおじさんとも仲良くなりましたが、彼がなぜインドやムスリム圏が好きなのかという理由が「ムスリムの人達はとても親切で礼儀正しく温かい。インドでも年長者だというだけで、みんなホスピタリティが高くて丁寧に扱ってくれるし、気さくだ。でも、もし君がフランスにいたら、誰も君を助けてくれないだろうよ!」という事でした。
他の仲良くなった体育教師の夫婦も同じような事を言っていて、「フランス人は何かを信じているんだよ。もし、俺の庭をかき乱したら、俺はお前をぶっ殺す、うん、これだな!」と言っていました。

多分、それぞれのプライバシーを守る、自分達の家の空間を大切にする、というところを重視しているみたいなんですね。その代わり、その生活圏内部の同胞にはムチャクチャ開放的だし、気が利いている、といった感じで、日本人とまるで違う物差しな気がします。

でも、私もそれに近いところはあります。まず、知らない相手に話しかけるのは平気。ただ、気取ったよそよそしい雰囲気の連中とは、もう5分と一緒に居たくない気分になります。
ずっと一人暮らしだし、日本の学校が大嫌いだったので、集団生活は苦手なんだろう、と思っていたら、インドの瞑想センターとか、韓国人のルームメイトと共同生活する前にも韓国人集団の中に紛れ込むとか、病院生活が結構快適とか、どうにも毎回人一倍集団生活に順応が早くて。

なんでかなあ、と不思議だったんですが、よくよく思い返してみると、まず私は最初に母の実家の農家で育っていて、そこが大家族で、人の出入りが多く、私には自分の部屋がなかった。その影響は絶大な気がします。
反面、母の実家にもきちんと所属していない外孫という居候の立場、と位置付けられていて、そこに根を張って生きられない、というのも分かっていました。
また母の実家自体が蔵や納屋、田んぼや畑、川が周辺に並んでいるかなり独立した空間で、母の実家が一族の本家である旧家だったので親戚は大勢出入りする一方で、隣の別の農家とは長年仲が悪くて行き来がない、といった感じで、家風としてもまさにフランス人の「もし俺の庭をかき乱したら、俺はお前をぶっ殺す」の精神に近かったのかも知れません。

多様性と共生のバランスは国や地域だけでなく、一つの社会の中でも家庭環境や成育環境毎にも多種多様だ、というところでしょう。ですが程よい距離と緩やかな共存・協力関係を築く、という綱渡りを人間社会は模索するより他ないのではないでしょうか。


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# by catalyticmonk | 2017-04-24 12:53 | ゲマインシャフト | Comments(0)

民主社会と内輪ノリ

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なんか、みんなの代弁者として頑張ってくれそうな人を議会に送るために応援するのはいいんだけど、基本的に政治家が偉いとか1ミリたりとも思っていないんで、「議員さん、スゴイ!!」みたいに持ち上げる世界が、どうにも生理的に受け付けない。
どうもフランクな感じじゃないとね、芸能人スゴイ!とか学者先生スゴイ!とか、どうしてもわざとらしい虚飾の世界に見えちゃうんだな。

それをやっている人をダメだ、なんて言う気はないけど、政治的に何か希望があって行動に参加する人が、イヤイヤ好きでもないノリに合わせていかないと、イコール政治や社会問題に無関心だ、と決めつけるに等しい態度や行動の人がたくさんいる。
別に人気者がいて、みんなで盛り上がり楽しみながらやっていくのも全然いいと思うんだけど、築いたり訴えたりしていく中身が大切なんであって、そういうノリが苦手な人も結構世の中にたくさんいるのに、そこまで巻き込んでいくつもりはあるのかな、とはよく疑問に感じている。

生活に関するテーマ、消費増税とか年金問題とかに関心があって、戦争は嫌だ、大企業や一部の特権層ばかりが得する世の中はおかしいじゃないか、と思っている人は普通にそこらじゅうにいるんだよ。
その辺の飲み屋や公園で知らない人と話し込むのは露天商なんかもしていたから得意な方なんだけど、日本人が何も考えていない訳でもないの。
だけど、ある意味まともな感覚があるからこそ、政治や市民運動のわざとらしさや権威ぶったところ、毒々しさや特異な専門家達の流儀・雰囲気のある世界には、そこを察知して近付かないんだな。
それで、選挙とかデモとかに参加するのは冗談じゃない、知った事じゃない、遠くの特殊な世界だ、と思って何も行動を起こさないから、結局、踏み込んだ情報にも疎いままになって、棄権したり自民党になんとなく投票する人が大勢いるようなんだ。

いや、スゴイ人はいっぱいいるよ。尊敬したくなる人もたくさんいる。で、みんなで盛り上がるのが好きな人もいる。でも、いつも無理に持ち上げなきゃいけない話でもないし、それを民主主義の拡大と同質に見做すのはまた話が違う。

それが票田を固めなければいけない政治家や議員を志す者、政党にとっては現状必須なのも分かるよ。それでも、そんなのが趣味じゃない、って感覚の人達がまるっきり馬鹿な訳でも愚かな訳でもなく、彼らなりの正当な理由や仕方のない事情があるんだな、と最近ますます痛感している。
それをザックリ無関心だとか、なんでこっちに参加してくれないんだ、という視点の論調で言っていても、時として有害ですらある、という話。
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# by catalyticmonk | 2017-04-24 01:43 | 希望社会 | Comments(0)

便利で華やかな貧しさについて

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どんな表現でも言える事だと思うんだけど、雄弁な脚色は、かえって想像力の範囲を小さくしてしまう気がして、例えば往年の名曲に、妙にきらびやかで豪華な演出の映像を添えてアップロードされている動画を観ると、よく首を捻りたくなる事がある。
また、活字の読書よりもスマホでインターネット上の情報を追う方が標準化している今の時代が、便利な反面、心豊かとも言い難い方向に向かってきてはいないか、と度々考えさせられる。

それでも人間は、一旦手にした便利さを簡単には手放さない。フィルム式カメラがどんなに味わい深くても、バッテリーが続く限り何度でも撮影出来て現像費用も要らないデジタルカメラが手離せなくなる。
でも、文化・技術や文明の進歩が、人間の想像力を奪っていったとしたら、それは文明の袋小路、衰退にしか結びつかないのは明白だと思う。多少不便でも、想像力の豊かさと心の幸福が優先される時代に人間社会が進むように願っている。

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# by catalyticmonk | 2017-04-24 01:30 | 忘れ物 | Comments(0)

バンコクの屋台排除の動きとグローバリズム・新自由主義・貧困格差

タイの首都バンコクは衛生面や町の美化を理由に、2017年内にもバンコクの路上からすべての屋台を撤去させる計画なのだそうです。


これ、国際的な流れとして見ても、アジアの一部地域の限定的事情にとどまらない大変危険なサインだと思っています。

まず、バンコクのストリートの屋台は、非常に安価においしい食べ物が買えることから、世界中の観光客から人気を集めているのみならず、地元の住民にも利用される「庶民の味」として支持されており、バンコクの町には部屋にキッチンがない所も多いと聞くので、現状、そもそも基本的なライフラインなのです。

それをバンコクのスワンディー・ワンロップ知事は、2017年4月18日に地元紙The Nationに対して「バンコクにある50地区すべての路上販売者を除去し、道路を歩行者に取り戻すよう取り組んでいます」と述べ、2017年内に路上のすべての屋台を排除する予定であることを明らかにしました。

バンコクの屋台は許可を得ることなく少ない元手で始められる商売で、地方からバンコクに出てきた貧しい人達が一番最初に始めるビジネスだ、とも言われています。バンコク当局は、許可なく通りを占拠する屋台には店舗へ移動するように働きかけていますが、家賃を払えないため事実上、店舗に移行できない実情です。

屋台はタイ経済の15%を占めるという統計もあるそうで、それを破壊したい理由を真剣に見つめる必要があります。

私は26年前からバンコクの屋台は利用しています。単純に1991年にバンコクのチャイナタウンやカオサンの屋台で食べた味と、2010年くらいのバンコク各エリアで食べた屋台の味のアベレージは、随分違う印象があるのは事実です。残念ながら、以前の方が繊細なタイ料理の味わいが屋台でも多分に味わえ、質が高かったのです。

その26年の間にタイの経済規模は大きく拡大しました。数が増えて、商業規模と回転する金額が大きくなったので、より素人でも屋台を始めやすい環境にはなっていったのかも知れません。

1993〜4年頃に私が訪れた時にはアジアの秘島だったタオ島やナンユアン島が、今ではバンコクで直通便の広告が並び、日本の旅行代理店のスキューバダイビング資格取得のためのツアー広告がインターネットでも数多く躍り、ナンユアン島に至っては世界の絶景100選に選ばれてしまうくらいリゾート地としての知名度を上げました。

開発、って何なのでしょうね。
バンコクでもマクドナルドやコンビニが近年やたら増えていましたが、それも外資が地域経済を侵食し始めるサインだった訳です。昔より若干まともに冷えたビールを飲めるようになったくらいなもので、それが地域の人々の暮らしを本当に豊かにし、観光産業の魅力をアップさせたとも思えません。
より大きなお金が回り、設備投資が為され経済開発が進みましたが、その一方でさらに貧富の差が広がり、富める者の懐にはより多く転がり込み、貧しい者はより貧しくなったのです。
なんか日本で起きている事ともそっくり同じ構造だと思いませんか?

屋台はせっかくの観光の売りなんだから、一掃とかではなくて、きちんとした料理を提供してるのか内容を規制する方向に動けばいいのに、という声もありましたが、そういう手間と人件費をかける気は毛頭ない気がします。こんな強硬な手法を取ろうとしているのですからね。

それにしても、なんか庶民的な風情のある文化が世界中で排除されていく一方なのが、とても気がかりです。
そう、こうした現象が暴力的なまでの強引さで、世界中で起きているのです。

まあ、いくら忙しく働いていて自炊する時間的余裕がなく、部屋にキッチンもない貧困層でも、例えばチャイナタウンの食堂とかなら屋台と大差ない値段の所もありますから、いきなり食生活がコンビニに全移行する訳でもないでしょう。
ですが、それでも必然的に屋台がなくなった分だけ、高めのレストランや大資本のコンビニ・商業施設は今よりも潤う訳です。

そこをもっと儲けさせたいし、そうすれば外資ももっと入ってきて既得権益のマージンが増えたり、政財界が喜ぶ、イコール発展だ、と勘違いしているのでしょうね。結果、もっと生活が苦しくなる人々が増え、本質的な観光資源も失われていくのに。

つまり、それが新自由主義の、グローバリズムの、多国籍企業と金融業界が支配する世界の、罠。

経済的な数字の物差しだけで計っていれば、そこに人間の実際的な生活上の都合や環境への負荷などが度外視されていきますから、必然的にどんどん本末顛倒な事態になっていく訳です。
そして多国籍企業は法人です。法人の利益が増えていけばいいし、その理念で全体として動く仕組みなので、個人個人の人間の良心や節度、感情とも無関係なのです。

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# by catalyticmonk | 2017-04-24 01:16 | 支配構造 | Comments(0)

カルトとマイノリティー

ロシア最高裁判所は4月20日、キリスト教団体「エホバの証人(Jehovah's Witnesses)」の活動を禁止し、資産を押収する判決を下したそうです。最高裁は、ロシアは「エホバの証人の本部と傘下の地方組織」の閉鎖と「資産の没収」を決めたとしました。

「資産の没収」って、普通なら大規模な宗教弾圧そのものですが、まあ、カルトなのは事実だし、でもカルトなら弾圧してもいいのか、という問題でもあります。
実際にはどのような実態で、どれだけのパブリックへの悪影響があったか、については、目にした短いニュースの文面の中ではなかったのですが、やはりカルトなので制裁は仕方ない、という感想は日本でもあるようです。

そういう断定性に対してエホバの証人を擁護したい訳ではないのですが、私にとっては、そんなに簡単に白か黒かを断定的に言って済ましていい問題のように思えません。
カルトに巻き込まれた被害者だ、と感じる立場の人の気持ちも分かる反面、思想信条や信仰の自由に社会が公共の装いを纏ってどこまで干渉していいかは、やはり個別に慎重な姿勢で吟味する必要のある話だと思います。

前にも書いているのですが、私の幼い頃、実母はエホバの証人に一時期入信していました。近所にエホバのコミューンがあって、その影響と、実母自身が膠原病という免疫不全の病気だったためです。
私が覚えているのは、そのコミューンの古い日本家屋で、聖書の物語を紙芝居で教えられた事くらいで、周囲の大人を変な人達だと特に感じる事もありませんでした。優し気な人達しかいない印象でしたが、それは小さい子どもにとっての話ですから、全然定かではないでしょう。
ま、私が宗教と聞くと仏教ではなくて、まず神がいて、という発想を当然のものとして連想して、仏教の観念は総じてピンと来ないのは確かに影響があったかも知れないけれど、それ以上のものでもないのです。

ただ、私の母が勧誘した事で母以上に熱心な信者になった人物に私の幼なじみの女児である「かよちゃん」の母親である「かよママ」がいたのですが、その彼女がバイク事故を起こした際に、教団の輸血拒否の教義に従って大変だった、という話は当時も聞きました。
彼女は一命は取り留めたものの、やはり信仰の問題も手伝い夫婦の仲が難しくなって夫と離婚し、私が小学校に入る前に同い年のかよちゃんを連れて隣接する名古屋市に引っ越して行きました。

エホバの証人が一般社会の常識から逸脱していると扱われる場面が多い理由は、ある意味、特異で原理主義的でもある聖書解釈や進化論さえ否定する独自の世界観の影響が大きいのですが、その中の一つとして有名な輸血拒否も、それほど珍しい事例ではなく、頻繁に発生している、という現実だったのでしょう。
個々人の内面的な信仰の自由と見做すか、カルトであるとして、輸血拒否などの判断をする集団に圧力をかけるかは、実は境界線の曖昧な難しい問題でもあります。

母にそれほど決然とした宗教的覚悟があったとはまるで思えません。ちょっと東京などの都会の感覚では理解しにくいかも知れないのですが、なんか田舎社会の、とんでもなくゆるい宗教感覚だったのだと思います。
母がその時期に私の養育を大部分任せていたのは、地元の地主農家で、浄土宗である母の実家だったのですが、そこと母の間で、宗教的な事柄で対立している空気なんて一切ありませんでした。
母は私が小学校に入る前にエホバをあっさり止めているので、本当のところは分かりませんが、まず父も母も宗教道徳云々なんて真摯なモラルを持ち合わせている部類の人種では到底なかったのです。
父は、右翼的な折衷主義の宗教観の持ち主で、でも結局のところ選民思想と言ってもいいくらいに極端な先祖崇拝を自身のプライドに結びつけている感じでしたから、もっとなんだかよく分かりませんでした。

そういう精神性の茫洋とした人達の現世利益的な願望を吸い寄せやすい宗教というのはある気がします。コアな人達はかなり本気で信仰していたとしても、です。
例えば、チベット仏教のお坊さんとか、プロテスタントの学者の方とか、自身の信仰心と乖離しない精神で物凄く高度で緻密な思弁を繰り広げたりする方が大勢いらっしゃいますが、同時に日本の明治維新以降の新宗教系の家庭に育った人が、私から見て極端な主張や飛躍した発想に聞こえるニューエイジ思想・ヒッピー文化に傾倒する例もたくさん見てきていて、明らかに通常以上の比率なんですよね。
どちらが上か下かという話ではなくて、社会的に安定した地位を自身の所属する宗教共同体が占めていない場合、そうしたバックボーンが出発点にある人は多かれ少なかれ、独自な思索や発想を持つようになるパターンも多い気がします。
なんかぶっ壊れている人物が多い印象は否めないのですが。

現在の日本の新宗教の大教団の多くは1920年から1950年に成立し、それなりの共同体の規模と歴史がある訳ですが、独自の世界を持っているからこそ、そこの中の成員はマイノリティーとして育つ、という現実が、自ずとそういう結果に繋がっていくのでしょう。

元々安定していない家庭が特にカルト的なものにも抵抗薄く近づいていきやすいのも事実なんですね。
平凡という名の既定路線から一旦外れると、一定の家族の間ではとことんアブノーマルな要素が高密度で折り重なっていく、というね。
ある種、ユダヤ人もそんなものだと思うのです。だから、彼らは独創的な才能を持つ人材をその緊張感の中で高い頻度で輩出したし、反面、精神疾患の発症率が高い事でも知られています。
それは遺伝なんて優生学的な事象ではなく、社会学的・心理学的次元の要因が大きい話です。

カルトなら社会的制裁を加えていいのだとしたら、その線引きや程度はどこにあるのか。誰が決められるのか。
とても難しいテーマだと思ったからこそ、全体としては私の実体験や見聞きしてきた具体的な現実から感じたものを軸にして、いくらか書き出してみました。
答えは一人一人の方に考えてみて頂きたいところです。

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# by catalyticmonk | 2017-04-22 03:49 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

今、死にたい人達へ

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死にたい、って言っている人に死ぬな、なんて他人が簡単に言えないけどね。でも、SNSのタイムラインを見ていると同時進行で何人も「もう死にたい」って毎日書いてあるからさ。だから、そんな気分だったり、心のどこかにそういう思いがある人に向けて書くんだけど。

今、そこそこ調子良く健闘出来ている人達は、ここに書く事を別に読んでくれなくていい。
でも、死にたい、死にたい、ってSNSに書いている人達がゴロゴロいる世の中って、やっぱりその人達個人以上の何かがあるんだとも思う。

ぶっちゃけね、こう思うんだ。
去年から3回癌の手術をして5回入院して見舞い客は一人も来ず、それでも何ら具体的な中身のない憶測や事柄ですぐにボロボロ叩かれて、ある意味、子供の頃から一貫していじめられっ子のままで生きているような私が、絶望する事もなくまだしぶとく生きるつもりなんだよ。
だから、みんな色々悩みはあるだろうけど、自信持って生きていていいと思うな。

もうすぐ6度目の入院もする私から、救いの手を差し伸べてあげる事も出来ないし、もちろん、そんな、悩むな、って一言呪文を唱えたら悩みが消えてなくなるものだとも思ってないよ。自分が強いんだ、って言いたい訳でもない。
この世には辛い事や、あまりにも理不尽と思う出来事がたくさんさ。さらに、それを人に言えなかったり、理解されなかったりさえする。本当に汚ない、卑劣で無慈悲な事だらけだよ。

なのに、人間関係も、社会的成功も、結果がすべてみたいに言われがちだから、余計にやる気を失くすんだよね。そんな、誰と結婚して、たまたま入った会社で出世するかリストラされるか、なんて紙一重の運なのにね。
そんなにみんながたまたま出会ってときめいた異性の内実や、将来の希望を賭け、生きていくためにすったもんだして、どうにか潜り込んだ進学先や就職先で起きてくる事柄を、堅実に想定出来ているのかね。誰にとっても、ほとんどギャンブルみたいなものなのでは。

そりゃあ、その人その人の努力の成果もあるから頑張りたいだけ頑張ればいいんだけどさ。
結果はいつもたまたまの巡り合わせと時の運でね、必ず上手くいく方法なんて何もない。国家のトップになった人でさえ、最後は収賄事件で失脚したり牢屋に入ったり、暗殺されてしまう事すらある。

だから、たまたま今のところ恵まれていて順調な人が、「あいつはダメ人間だ」なんて簡単に他人を決めつける方がおかしいんだからね。
そんな、仮にそうだったとしても、弱り目の人間に言っても仕方のない誹謗中傷を偉そうに言っている人物を見ると、「この人は心底人間として残念な人だなあ」と私なら感じるだけで。

人の不幸は蜜の味なんだよ。
でも、今死にたい程苦しんでいるあなたは、決して他人の事をそう思わないはずだ。その時点で、あなたはあなたを嘲笑う人々より確実に人間として素晴らしい。
だから、そこで傷付いたとしても、実際、傷付かなくてもいいのさ。

プライドがあるのに、自分が大悪人みたいに言われて吊るし上げられたり無視されているから、言い分はあるのに、それをまともに聞いてももらえなかったりするから、一人で切羽詰まったり、悔しくなって死にたくなるんだよね。

不器用な人だと、特に不器用じゃなくても運や相手次第で、相手に何をされて、どういう経過でそうなったか、なんて一々申し開きしないうちに、すっかり孤立してしまって、自分でその相手に尽くしたり信頼していたりしていたならいた程に、その事に骨身を削って打ち込んで頑張っていたらいた程に、深い失望を覚える、ってのはさ、自分も苦い経験が過去にあったからよく分かるんだよ。

でも、その失望したものの外にも世界はあって、別の人生の時間と新しい出会いの可能性があるんだよね。
失望し続けているとしたら、そこにまだ忘れられない程の希望を抱いているという事だろうけど、少なくともそれで自分が幸せになっちゃいけない理由にはならない。
特にヤケになって死にたくなるくらいならね。死んだつもりになって一からやり直せばいいのさ。自分で、幸せになればいい。
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# by catalyticmonk | 2017-04-16 17:34 | 忘れ物 | Comments(0)

世の中は偉い人が治めてくれる

以前、どこかの飲食店でこんな会話をしているスーツ姿のおじさんがいました。
「仮にもこの日本国の代表を務められている、賢くて家柄もいい紳士の方々を、けちょんけちょんにマスコミ如きがいい加減な噂で書き立てるなんて、とんでもない話だ。
あの人たちは、いわば日本国の社長様であり、重役なんだから。ヒラ社員が自社の重役を外に向けて小馬鹿にするんじゃなくて、一丸となって頑張る事が社会には大切な事なんだ」
この人は何を言っているんだ、と呆気に取られましたが、仲間の人たちも特に違和感なく会話を続けている様子でした。

議会制民主主義の意味を全く理解していない、封建時代さながらの価値観ではないですか。ですが、似通ったトーンの言説を耳にしたのは一度二度の話じゃありません。
これが石原元都知事が暴言を吐きまくり、国が年金を蒸発させちゃったり、原発事故の後に計画停電を電気は足りているのにパフォーマンスで強行して、それでも大企業や政府・行政の内実が徹底糾弾されない、この国の大衆意識の実態です。最初から腰砕けでいるんですね。
ちょっと批判する以上にやってはいけなくて、自分たちは既存の社会に、親や学校の延長で居場所を与えられ、暮らしを多分に受け身で貰っている社員か従僕のつもりでいる。

だから、お茶の間の話題的に森友学園問題のように民間人を叩くのは盛り上がっても、なぜ検察は政府内部の関係者をもっと追及しないんだ、と国民の声が自発的に高まっていく事もない。
このメンタリティが大きく変わらない限りは、世論の流れも簡単に操作され続けます。マスコミなどが大々的に叩いて、具体的な動きが出てきたら、乗り遅れないように一斉に同じ方向を向くだけ。
そんな、いつまでも従順な考えでいては、やられたい放題です。目を覚まさなければ、何も守れない。
ですが私たちは主権者として、この場所に存在する者として、主体的に自らの希望を建設していけるのです。
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# by catalyticmonk | 2017-04-12 01:31 | 希望社会 | Comments(2)

先祖供養と強迫観念

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別にいろんな宗教思想や信仰の形・価値観があっていいと思っているので、相手が自分のそれを語るのも自由だと考えているのです。ですが、こういう風に信じなさい、とか言われると、自分の宗教観・信念が相手より優っているという前提が言外にある訳です。だから、もうお互いの多様性を認め合う事にならない。
そういう次元の視点が、日本人の宗教家は幼い人が多い気がします。

一般人でも、特に仏教系の先祖崇拝を信じている人などにそういう価値観の押しつけをする人が多いです。墓供養とかしないから病気になるんだ、とかね。
そんな家庭の事情はまちまちなんだから、信仰にしても一律に他人の病気に対してそういうこと言うのは失礼でしょう。

あなたがガンやてんかんになったのは祖先に罪を犯した人がいるから、とかいう論旨も、世界中の先祖信仰で見られますが、儒教道徳の根強い東アジアにおいて特に強い発想です。

輪廻転生を信じるインドでは、実は一部の特殊な層や地域信仰を除き、基本はお墓を作りません。死んだら火葬して灰を川に流すのです。
生きとし生ける者はつながっていて、来世で何に転生してもおかしくないので、現世での家族が絶対的な絆なのではなくて、それを司っている宇宙の理法を重んじる。

だから、日本の葬式仏教というのは、仏教や輪廻転生信仰の源流からも外れていて、また多分に途中の中国や日本自体に古来からある祖先信仰の影響を受けたミックスなのです。
それも、純粋に亡くなった近親者に思いを込めて敬虔な気持ちで向き合う人々の心情も存在する訳ですから、否定も非難もする気はありません。

ですが少なくとも、そうした価値観で自分の家族の罪を償わなければいけない、なんてプレッシャーや強迫観念を個人が感じる必要は全くないし、そうした価値観を他者に強要するのは近代民主主義社会においては無しです。
それだけは信仰云々以前に、人権や個人の尊厳の見地から明言しておきたいですね。

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# by catalyticmonk | 2017-04-12 01:28 | 宗教の救済性と排他性 | Comments(0)

世知辛き時代

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最近、園児がうるさいから近所に保育園を作るな、とか、地元の小学校で運動会の音楽禁止になった、なんて類いの過剰な社会の管理体制が激化しているようです。卒業式後に校門付近で皆が写真撮ったりして別れを惜しむのも禁止、在校生と先生達が卒業生を拍手で送り出す伝統も廃止、年一の行事に伴う音やひとの声さえ騒音扱いして得られる静寂、それがどれほどありがたいんだか。
そう言って怒っている人のツイッターの投稿が話題になっていたそうですが、まったくです。
全部うるさいという苦情への配慮からだと言いますが、うるさいと苦情を入れた人は、学生時代にこのような行事ごとをやって来なかったのか、自分が無邪気に騒ぐ子供時代がなかったのか、本当によくそんな事が言えたものだと感じます。

このような小学校への苦情は、全国的に広がりを見せているらしく、ある小学校では、授業の開始や終業を知らせるためのチャイムを、うるさいという理由で鳴らせなくなった、とか、何かの冗談か、という印象です。もう私には狂っているとしか思えないのですが。
常に時計を見て動く癖はついたとしても、非常に不便だし、理不尽です。

でも、こういう流れが日本では長い間ずっと続いている気がします。
私が主に育った母の実家も、愛知県尾張地方南部に古くからある農家で、でも名古屋市の隣町にあったものですから、名古屋市内の湾岸部の工場に土地を貸して経済面では得するところもあったようですが、高度経済成長期以降、特に70年代後半に大規模な開発があって、その影響を被るようになりました。
名古屋市の工場などで働く労働者の家族が大量に流入してきて新興の団地なんかに住んでいて、数の上では昔から地元に住む農家の家庭の子息の方が少数派で、数の力に押されて地域の伝統文化がズタズタにされていく過程を目にしていました。
団地の子供たちは粗野な子が多かったし、その割に親は塾だ町内会の仕切りだ、と何かと声高な人たちが多くて、一言で言うとあまりにも著しく「嫌な感じ」でした。

別に流入者もそれで糧を得ようと必死だった訳ですから、彼ら自身を悪く言うつもりはありませんが、構造の問題ですよね。文化意識も何もなく、お金だけの物差しで開発主義で野放図な開発主義をやるから、それでいろんな歪みが生じるんです。
結局はどちらも俗な欲望に基づいた屈折と軋轢、対立なのでしょう。
自分たちが何かの利権と結びついてただお金が儲かればいい、有利に便宜を図ってもらうために裏で談合する、対して労働者の立場で組合だ、学界の叡智によって優れた社会を築くんだ、と鼻息が荒い人たちも、そういう狭い身内主義や日本的な集団主義の原理で動いている部分が現実的には大きいので、一人一人の人権とか地域毎の文化と多様性の尊重なんて本気では考えていなくて、堂々巡りな騒動が継続してしまうのです。

彼ら・彼女らの親や、そうやって流動化して不安定化した地域社会全体が、新しい秩序を求めて、愛知県で全国に先駆けた管理教育を始めて、正直、今の安倍政権級に横暴で管理主義的な指導を私たちの義務教育期に押し付けてきました。
だから、なんだか学校の先生も同級生の親も、大人はみんなクソッタレだ、というのが少年時代の私の感覚でしたね。
そういう社会の正義や大人たちの言い分は信じられないのだけれど、力でいつも圧倒される成長期だった管理教育を受けて育った私と同じ団塊ジュニアの世代には、その場限りで上手く立ち回ればいい、という感覚の人間が多いのですが、そうなった理由も、なんとなくは分かる気がします。
私は今でもその少年時代に団地の流入者家族から察知した「嫌な感じ」と同じトーンを市民運動層の空気に感じる時があって、正直不快な時が度々あります。でも、表立った主張とは別の、人間的な振る舞いの実際の部分の話だから、なかなか言いにくかったりするのですが。

祖父母はいい人たちでしたが、私が団地の同級生を家に連れて来るのを嫌がりました。私も学校が嫌いだったから、小学校の夏休みなんか、ずっと同世代の子供たちと会わずに母の実家の親類縁者といった大人としか会話しなかったりしました。
私も、ある種、そうした形でナショナリズムの土台になるものが少し感覚的に分かる部分があるのです。

そして、利己的な経済競争と嘘くさいコマーシャリズム、プロパガンダ、腐敗や欺瞞だらけの姿で叫ばれる正義の言葉の狭間で、その両方に冷めて無関心になってしまう人たちも大勢います。
彼らは、乗りたくても乗り切れないもどかしさを感じるだけの感性を持つ、本来一番冷静で理知的に物事を眺めている人々であったりもします。
ですが、双方の軋轢と弊害があまりにも高く、あまりにも数が多いので、その人たち自身の疑問や違和感が独自の声に育ち、具体的な動きになる前に潰されていく、こういう一連の図式が日本の社会的な悪循環と政治の麻痺状態へと繋がっています。
了見が狭く世知辛い監視社会、全体主義的な管理国家、そういった形態になればなるほど自分たちの首を絞めるだけなのだ、とどうしたら日本人は気付けるのでしょうか。
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# by catalyticmonk | 2017-04-12 01:24 | 希望社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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