ケーララ

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インド国内でキリスト教徒が割あい多くて飲酒や肉食にも比較的寛容な場所といったら、ゴア州以外ではケーララ州もかなりそうした傾向にあります。もっともヒンドゥー教徒やムスリムも多いので、ゴアほど寛容なわけではないのですが。ケーララではヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教が友好的に混在している、と表現するのが適切でしょう。

伝承ではインドのキリスト教会の成立は、十二使徒の一人使徒トマスがインドに布教して以来とされています。なので、早くからトマス派の布教が始まったケーララやタミル・ナードゥ辺りは、実はカトリック教国ポルトガルによるゴアへの宣教よりキリスト教文化が地域社会に浸透した歴史は遥かに古いのです。
加えて先述のようにイスラム教徒も多いし、ローマ帝国時代から香辛料貿易が盛んでしたから、南インドはベジタリアン中心のインドにあって肉料理も豊富だし、そんなことに留まらないほど文化的基盤も多様です。
特に自然条件に恵まれているケーララには、3000年以上も前からヨーロッパ、中東、中国などから貿易商が香辛料を求めて訪れるなど交易が盛んで、「海のシルクロード」の要港地でもありました。また、教会やヒンドゥー寺院の装飾及び町並み、バックウォーターなどの自然景色に至るまで、純然たるインドらしさを存分に発揮しつつも、なんとなく地中海的な明るさ、開放感さえ漂っている特異な土地柄です。
農民や労働者の顔の生き生きとした輝きを感じれるのもインド随一な気がします。インドでは普通、貧困層の人々の顔には生活の苦渋がにじみ出ているものだからです。

e0296801_13335288.jpgケーララ州はインドの中で「特別な州」と言われ、教育や保健など社会開発分野で突出した成果を上げています。同州の識字率はほぼ100%に達し、先進国レベルの健康管理システムを備えていて、幼児死亡率も先進国並に届き、平均寿命もインド全体の平均と比べて10年ほど長く、男性71.4歳、女性76.3歳です。殺人率も同国内で最も低い州です。
教育分野において、州政府は学校建設、義務教育の無償化、女子教育の促進などを早くから行いました。
ケーララの人々は「ケーララにはカースト制は存在しない」、「みんな平等である」とよく言い、ケーララは特別であるという誇らしげな様子がうかがえます。


ケーララ州政府は1957年に世界初の普通選挙を通じた共産党州政権が発足して以来、共産党が与党になることも多く、インドの中でもリベラルな政治性を持ちます(インド自体が現在は市場経済を導入しているにもかかわらず、『社会主義の国』と今も憲法で謳っているのですが)。
ケーララは西ベンガルと並んで、CPIM(インド共産党マルクス主義派)の牙城の一つとして知られてもいます。ただ、チャンドラ・ボースら名だたる独立の英雄を生んだ西ベンガルの共産党と違い、ケーララのCPIMは個人の強いリーダーシップが確立されるのを回避する傾向にあるようです。
州の有権者の多くは、ケーララのアイディンティティーがCPIMと密接に結びついていることを認めつつも、CPIMが長期政権を維持することは許しませんでした。実際、ここ20年ほどのケーララの政治は、インド中央政府の伝統与党であるインド国民会議派を中心とした中道左派連合であるUDF(連合民主戦線)とCPIMを中心としたLDF(左派民主戦線)による二大政党制の様相を示しています。


ケーララは19世紀の初めごろまでインドの中でもカーストによる差別が強かったそうなのですが、独立以前から、低階層の人びとによる活発な社会改革運動が行われ、主な支持層が中間層である共産党政権によって、カースト制の廃止、土地改革、教育改革、社会サービスの充実などが断行されていきました。
早くから対外との交易が盛んで、閉鎖的ではない風土があった点も大きいのでしょう。藩王国の時代から教育が促進され、西洋から入って来たミッショナリーも男女等しく教育を普及しました。また、母系制をとる家族が多くいたケーララでは、家族の中で女性が重要な位置を占めていたことも女子教育を促進させました。
共産党政権も平等を目指した政策を進め、識字率の上昇とともに、さらに平等性や民主主義への意識が高まりました。州予算の40パーセントを、パンチャヤットと呼ばれる村落議会にゆだねる、という政策の効果も大きかったようです。
この結果、学校や病院といった社会インフラが極めて発達しており、高い識字率と就学率を記録するという現在のケーララ社会が出来上がったと言ってよいのです。

e0296801_22145314.jpgもう一つ、村落開発の現場レベルで高い識字率を支えてきたのが、1962年に設立されたKSSP(Kerala Sastra Sahithya Parishad / Kerala Science Literature Association)の存在です。
左派の科学者や科学ジャーナリストを中心に設立されたこの団体の主要な役割は、科学の普及であり、現在では4万人の会員と200の支部を持ち、マラヤーラム語で3種類の雑誌と800を超える書籍を出版しており、それがケーララ最大の民衆運動の一つとなっています。
また、全インド民衆科学運動(All Iindia People's Science Network)という識字運動ネットワークがありますが、KSSPはこの中核を担う団体として知られています。
基本的には「前衛知識人」に主導された運動でしたが、教条主義的な進歩主義とは無縁であり、70年代にはタミル・ナードゥ州との州境であるSilence Valley(静寂の谷)に計画された巨大ダム計画への反対運動に関わったことから、運動の中心をオルタナティヴ開発に移していきました。
またここでも特別著名な知識人指導者というのが見られないというのも脱中心化の国ケーララの特徴であると言えます。E.M.S.ナンブーディリパッドやP.M.パラメシュワランといった人物が海外でも知られていますが、彼らの思想とリーダーシップがインドの他の地域での社会運動の社会運動のリーダーのようにKSSPの活動の根幹を支えているというわけではないようです。

ケーララの成功の原因として、全世界の共産主義者を支配した思想に逆らって、民衆を信頼し「民主脱集中」を推し進めた共産党、左派的な理想を信じつつも柔軟かつ民主的に方針や戦略を変化させる「前衛」知識人/科学者の団体KSSP、これらに信頼を寄せつつも選挙に際しては厳しく挑み、自らが手綱を握っている状態を維持してきた、バランス感覚ある有権者の存在があげられると言われています。


また、くだらないことも書かせていただくと、リベラル過ぎて思想的にも文化的にもやや突飛な発想が生まれる面もあるようで。
例えば、性のモラルに厳しいはずのインドで、あんなに街中にエロ雑誌が置いてある場所も珍しいです。無論、買って読んでみましたが、日本のその手の雑誌と比べようもないくらいソフトな内容で、こんなものを一生懸命ここのオヤジどもは買っているのか?!と思うと、むしろどこか微笑ましかったですね。1991年の湾岸戦争時にはサダム・フセイン大統領を応援する人々により、サダム・ビーチという変わったところがつくられました。
そういう多様な価値観が生まれることは実に良いことです。感服します。
その上、ご飯がおいしくて、熱帯地方の輝く自然に溢れているのですから、私がケーララが大好きなのは無理もないと分かってもらえるでしょう。私は南インド料理全般が大好きですし、カルナータカもタミル・ナードゥも大好きな場所なのですが、何かと可愛らしくユーモラスなケーララのカラーが格別甘美なものに感じて、とても気に入っています。
e0296801_1332328.jpg一般的に、インドの警官は、民衆に権威をふりかざしていたり、旅行者に難癖をつけては賄賂を要求したり、非常に信用ならないことも多いのですが、ケーララのおまわりさんは見るからにひとの良さそうな人がやっていたりして(タミル・ナードゥの田舎など南インド全般もかなりそうですが)、外国人にも本当に親切にしてくれるので、北インドなどでインドの警察不信に陥った後だとあまりのギャップに面食らうくらいです。
例えばある時、町中で当時交際中の女性とはぐれていたのですが、一人の警官が食堂でとりあえず食事をしていた私の目の前まで突然ひょっこりやってきて、にっこり微笑みながら何を言うのかと思ったら、こうです。
「君の友達がテンプルの門の前で待っているよ!」
そんなことを誰に頼まれもしていないのにわざわざ教えに来てくれたりするのです!心洗われます。

シャイな人も北インドよりずっと多い気がしますが、一般人にも気のいい人が多いです。もちろん、祭りの日の雑踏に紛れて私のガールフレンドに痴漢を働いたり、強欲な商売の仕方をする輩も中にはいましたが、全体としてはやはり純粋で素直な人達が多い、といった印象が強かったです。険しい顔つきの人間が多い北インドに比べるとニコニコした表情の人が実に多いし、一見むつっとした表情をしている相手でも話しかけてみると愛嬌のある気取らない人柄だと分かったりします。
民族そのものが南インドはドラヴィダ人であって北インドと異なるので、そうした民族性の違いも大なり小なりあるのかも知れません。しかし、それがすべてだとも思えません。

e0296801_2284318.jpg同じドラヴィダ人でもお隣の州のタミル・ナードゥ州は貧富の差も激しく、気候風土もケーララよりずっと厳しいんです。そして、南インドの中だけに留まらない、インド全域への影響力を持った様々な宗教・伝統文化の故地でもあります。そのためか人の雰囲気もさらに多様で、総体的な印象としてはかなりハード、重厚な趣きがあります。カルナータカ州もアーンドラ・プラデーシュ州も同じドラヴィダ人ですが、やはりそれぞれ違います。
そもそも同じドラヴィダ語族でもそれぞれ言語が違います。ケーララ州はマラヤーラム語、タミル・ナードゥ州ではタミル語、カルナータカ州ではカンナダ語、 以上は南部ドラヴィダ語派で、アーンドラ・プラデーシュ州は南部ドラヴィダ語派でない中南部ドラヴィダ語派のテルグ語、そして一応すべての州で英語も公用語とされています。また、南部ドラヴィダ語派の言語が使用されているタミル・ナードゥ、ケーララ、カルナータカ辺りが、一番純正なドラヴィダ色が濃いエリアであるようにも思います。

南インド以外でも実はインド中が先住民族のドラヴィダ人とアーリア人その他の混血なのですが、因みにこのドラヴィダ人というのは最近の遺伝学で明らかになってきたところでは、褐色の肌色であってもDNAの観点からは古モンゴロイドに分類されるそうです。
日本人も、近年の研究で従来考えられてきたより古モンゴロイドである縄文人の血を現代まで色濃く受け継いでいると判明してきました。つまり、意外にもドラヴィダ人と日本人は遺伝学的には結構近い関係にあるということのようです。ただし、日本人は弥生時代以降に渡来した新モンゴロイドと古モンゴロイドの混血だし、対してドラヴィダ人はかなり古いモンゴロイドの一派であると考えられます。
それでも私の感覚からしても確かに、ドラヴィダ系の人々の表情の中に日本人と類似したニュアンスを読み取れるように感じる時がままありました。ドラヴィダ人がかなり古いモンゴロイドの一派であるというなら、日本人が南インドへ行くというのは、ある種知らず知らずのうちに遠い昔の祖先のルーツの片鱗に触れるような体験をすることになるのかも知れない......などと思わず司馬遼太郎的な壮大なはったりまでかましてしまって収拾がつかなくなりましたが、そんな意味でも親しみやすい南インド、そしてその中でも愛嬌たっぷりな人達の土地・ケーララなのです。


e0296801_20463031.jpg私が「共産党が」、「共産党州政権が」、と何度も書いたので、なかにはカタブツの唯物論者ばかりが多い土地柄のようにケーララを想像してしまう人もいるかも知れませんが、それは決定的に現実と違うので断っておこうと思います。
彼の地はアーユルヴェーダの発祥の地であって、インド占星術も盛んです。また、私は特にヒンドゥー教の寺院巡りをよくしていました。それは最初かなり興味本位な行動だったにもかかわらず、そこで感じた空気、そうした中で体験した出来事のいくつかは私の宗教に対する考え方をすっかり変えてしまいました。
それがどのような性質のことであったかを簡潔に書くならば、たったこれだけのことです。この世の中に奇跡としか思えないような物事が実際に存在する、ということをそれまでの自分の人生で最も疑いようもなく実感し、以来そうしたものを敬う気持ちを本気で持つようになった、という点に尽きます。
ですが、そうした個人的体験の具体内容についてここで書く気はまったくありません。私自身、体験しなければ分からなかったことですし、大体が体験してみなければ説明しようもない性質のことばかりだからです。
ただ、ケーララではそうした神秘的な出来事・不可思議な体験が驚くほど身近に存在する、という事実だけは明言しておいていいと思います。あくまで唯物史観に基づいて解釈したい方であれば、私が主観的に心理現象としてそう感知する出来事があった、と解釈していただいても結構です。宗教的な環境の場で周囲の空気に呑まれて錯覚を起こした、ということでも構いません。自分自身、そのあたりはどうでもいいからです(笑)。
私はそういった認識を持つまでもすでに二年間ほどインドにいて様々な経験をしていたので、そうした人間が感知し得るもののうちの不可思議な側面をまったく否定していたわけではなかったのですが、最終的に一番はっきりと私の執念深い懐疑精神を粉砕した場所はケーララでした。
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by catalyticmonk | 2014-04-14 02:56 | インド生活 | Comments(0)


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