私が病気をしてから日本の政治運動や社会運動について気付いた事柄

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単に病気になっていろんな所へ顔を頻繁に出せなくなり、市民運動も選挙活動も、物理的に遠ざからざるを得ない立場に長くなってみると、如何にそれが普通の人が関わり辛いものなのか、改めて障壁の大きさを痛感するところが増えていきます。
絶えず揉めて錯綜とした人間関係の市民運動界隈にたまに行くと、公平に振る舞っているだけのこちらが、ギクシャクしたイヤ〜な空気の緊張感を味わなければいけなかったり、どこの誰が選挙の候補者としていいのか、一般人にとって定かな情報は調べなければ伝わってこない状態なのに、こことそこを応援して!という段階からの勧めばかりが飛び交っていたり。
こんなのじゃ今関心のない外側の人達なら尚更関わりたくなくなるに決まっているし、広がらなくてむしろ当然だ、という決定的な印象を受けるのです。

じゃあ、代案を出せよ、ではなくて、それが外側の人の実感だ、という部分での話に恫喝したって始まらないでしょう。全体的に押し売り的な倒錯した論理の蔓延を感じてしまう。

例えば、デモだけやっていても政治は変わらない、選挙の時だけ野党に投票しようとだけ唱えていても都合が良過ぎる、もっと普段から地域のつながりを大切にして、選挙事務所とかでボランティアしたり、ビラ配りしろ、そういう横のつながりを自民党はしっかりやっているから勝つんだ、といった話も従来からどこの政党支持者でも熱心に主張するところで、全部正論なのですがね。
でも、そういう主張が出る団体や政党支持者は、大概同時に「こうしなければ無責任だ」くらいの強い調子の事までボロボロ発言しているところがあって。

そんなに押し売り的に二者択一でものを言ったら、「こちらは本心、政党はどこも言う事と立場がコロコロ変わるし、そこまで応援したいところなんかないんだよ」とその人なりな正当な理由があって積極的に支持する所がない人達を、端から侮辱しているのと変わらないですから、そういう事を言っている人達の活動全部に好意を抱けなくなるのも当然です。

いや、それでも、その時その場その状況で考えて具体的な候補者や一定枠内の政党を応援するのは大切だし、見ていても政治熱のある市民はすでにもうみんなガンガンそういう事をしている訳ですが、そこも点でしか関われない病人や、ニュースやネットもじっくり見ていられない忙しい人達は、それをしろと言われても正直ついていけないのです。

やはりどこの政党も運動も、それぞれに自分ところの活動を事業として大きくするといったところに熱心で、その引き入れを必死でするのですが、それに関われない立場の人が賛同しやすい姿勢ではないし、引き込むのに熱心過ぎて相手に傲慢になっている部分への無自覚が、さらに一般人を政治から遠ざけている、という視点が薄いままだと厳しい気がします。
相手のペースや立場も尊重しながら、その人が純粋な気持ちで意欲関心を持ったものを欲張って潰さないスマートさが必要なのだと思います。

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# by catalyticmonk | 2017-05-23 23:37 | 希望社会 | Comments(0)

忘れ物

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今の日本だと、みんなキャッチーなフックのある短い言葉だけに反応して、相手の言葉の奥を吟味するゆとりがどんどんなくなっている気がする。
情報過多だし、忙しい暮らしだから、必然的にそうなる、という要素も大きい気がするんだけど。

でも、理由や原因が何であれ、個人が自分の心と頭でしっかり物事を感じ取らなければ魂そのものが痩せ細っていってしまう、というのは強く感じていて、何でもかんでもコンパクトにキャッチーに、という文化が危ういとずっと感じているね。
IT文化の負の影響も絶大で、読書をしながらじっくり思索や想像力を膨らますよりも、ツイッターとか、音楽や映画業界が衰退しているのも異常。
なんか利便性が行き過ぎて、ちっとも合理的でない時代に入って来ている気がするんだけど、それが堕落した表現だと思われていたアールヌーボーがまた見直されたみたいに、欠けているものに気付く前触れだったらいいな。臨界点てのもあると思うんだよね。

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# by catalyticmonk | 2017-05-23 23:06 | 忘れ物 | Comments(0)

いいじゃんか、ちょっとふっくらしたくらい

別に好みの問題で浜崎あゆみの歌なんて、昔から一ミリも興味なかったけど、それでも公平に言って全然普通に綺麗だと思うんだけど。
なにさ、女子プロレスラーって。女子プロレスラーにも失礼でしょう。いつも思うのは、日本て美の基準が物凄く画一化されているなあ、と。

世界中、いろんな人種や文化、体形の人がいるから、その中で好まれるビジュアルやファッションも幅があるのに、日本だと狭いから、その基準が。
で、流行りが変われば、またどうせ一斉につい数年前まで持て囃していたものが廃れるんだ。

なんで男性も女性も顔や風貌が同じ系統ばっか持て囃されるんだよ。
ちょっと派手めだと「ケバくて頭悪そう」とか、髪の毛が長い中年男性はチンピラか卑しい(という偏見付きの)「貧乏人」だとか、ちょっとふくよかな女性はもう「激太り」だとか、なんだかな、って。
なんで、みんながほっそりして、彫の深い濃い顔じゃない童顔の子ばかり持て囃し、女性自身もそれを必死で追求しているんだか、私には意味不明です。

いや、自分もスラヴ系のほっそりとした顔の系統が好みだな、とか好ましく感じる個人的な傾向はあるんだけど、そういうものの幅って、もっと自由にあっていいじゃん。男が40代になったら、みんな厳つくしてなきゃいけない訳でもない。

インドの伝統的な基準だと、女性はこれくらいふくよかじゃないと魅力的でない、とされている場合が多い。
昔の浜崎あゆみと、この今の写真を並べてどっちがいいか、聞いてみたらいい。大概のインドの庶民は、今の顔の方が魅力的だ、と女性も含めて言うはず。

例えば、パンジャーブ地方はインド人の中でもアーリア人の血が濃くて、そういう血統で現代的なファッションの若者だと、もう何人だか分からない。で、そういうパンジャービーのギリシャ彫刻みたいな精悍な顔の青年が、日本の基準で行ったら純然たる肥満体形のコロンビア人の女の子見てメロメロになっているのを見た時があって。「あ~、やっぱり美の基準て広いなあ」と自分の感覚の限定性を痛感したもんね。

こっちは今抗がん剤治療で一日一食でも太っていくから、ダイエットしたくても空腹が酷くてね。運動しようにも動くと投与間もない期間は具合悪くなるから。薬はまた人工的な行為だから、自然治癒のように適度なバランスを保てる訳ではない。だから、意識的努力も必要となる。どちらにしても治すためなんだから我慢するしかないし。
そういう個人個人の事情があってそれぞれだから、取り敢えず太っていてはダメとか、痩せるのはダメとかいった変なプレッシャー抜きがいい、と言う話だよ。

浜崎さんは突発性難聴で、ステロイド投与をしているのなら副作用で太る場合もある。
結局個人個人の優先順位もある。浜崎さんが抗がん剤投与で太る私と同じようにステロイド投与で太っているのなら、なおのことそれは仕方ない話でしょう。

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# by catalyticmonk | 2017-05-23 22:37 | 忘れ物 | Comments(0)

手法の相違と大同団結

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うーん、今日、衆議院本会議で共謀罪法案が可決されたわけだけど、社民党や自由党本会議強硬に抗議欠席、共産党や民進党は出席して牛歩もしなかった、と一部から非難轟々だ。
森友告発プロジェクトが安倍昭恵夫人含めての刑事告発状を東京地検特捜部に提出した話でも、そんな事したら戦法としてダメだ、バーカ、とかまで言葉が飛び交っていて。

いや、手法として一番効果的な正しい判断を見極めていかなければいけないのは当然の話なのだけれど、手法の判断がいろんな意見が出るのは当然のことでしょう。
そこで、共謀罪成立を阻止させたい、森友問題などの疑惑がうやむやにされるのはおかしい、だから安倍政権を退陣させたい、と大筋では願うところが同じ人々が、憎悪も露わに罵倒し合うという行為が何につながるのか。

私なんて素人だから、そういう手法の是非の判断がつかない場合は多いし、私よりも現状日本の有権者の大半は選挙に行かないくらい政治への関心が薄い。
そこで、なんとなく、「え~、そんなものも自由に言えなくなる法案なんじゃないの?テロのためって本当?」とか素朴な疑問や関心を抱いた人が、自分よりも詳しくて先に行動している人同士で辛らつな激しい言葉の応酬で言い争っている市民運動の人達のやり取りを見ると、「なんか気になるんだけど、よく分からないのにどちらかにつかないといけない」みたいな様子に行き当たった時点で、大概は脱落しちゃうんだ。
そういうの、本当にもったいないよ。

実際、自分も病気してから、それでもずっとそういうトーンで激しくやり合う市民運動の世界にガチで関わり続けたら、もう体が持たない、と実感する瞬間が何度もあった。
命がなければ、自分たちの暮らしを続けていけれなければ、もう政治への関心以前だからね。
多くの人が、暮らしや健康を維持しながら、なおかつ自分達よりも全面的に関わっている人達の活動に関わっていける、という形でなければ、手法をめぐっていがみ合っても、本質的なところではもっと負けてしまうんだと思う。

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# by catalyticmonk | 2017-05-23 22:27 | 希望社会 | Comments(0)

差別意識と社会構造

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差別はやはり社会の構造から変わっていかないとなかなか無くならないと思います。
「このオカマ野郎!変態!」
「女々しい奴め!」
「お前、男だろう!」

どの言葉も差別意識に満ち満ちている言い回しなのですが、それが文化として根付いてしまっていると、男がどうのこうの、なんて言わなくても勇気を出せ、とか、メゲてばかりいても仕方ないじゃないか、という他の言い方があることすら分からなくなってしまいがちです。
そういう差別発言が、その人の生きた切実な感情や価値観とさえ結びついてしまうから、なかなか個人間でそういう相手の差別意識を諭そうとしても容易ではなくなるのです。

それでふと思い出すのは、元自衛官の年上の知人が、20年以上昔に若い私にこう言っていた話です。

「……俺たちは散々ソ連や東側諸国の核の脅威を言い聞かせられて来て、自衛隊はアメリカと日米同盟で手を結んで自国民を守っている崇高な使命を持っているんだ、とずっと教えられて来たんだ。
それが冷戦時代はあんなに悪魔のように言っていたのに、ソ連が崩壊した途端に勝った勝った、良かった良かった、だって?ロシアはまだ核を持っているのに!
共産主義のソ連がなくなったからもういいんだ、って。あれはたったそれだけのことのためにやっていたのか?そんな話だったのか!?」

素朴で真面目な彼だからこそ、でしょうが、ソ連がなくなった途端に冷戦に勝利した、とはしゃぐ西側諸国のニュースや自身の過去の同僚の姿を見て、イデオロギーの差で過剰に互いを危険視して煽り合い、軍事対立して来た冷戦の虚しさを痛感したのだそうです。
長年彼は共産主義者や社会主義者の日本人は国賊だ、と思い込むくらい忌み嫌うイデオロギー差別を持っていたのだそうですが、それが、周りの言うトーンが急変したものだから、貧乏労働者としてにわかに労働運動に関心が出てきた、と言っていました。

「もう、世の中、立場が変わると何が正しいか分からないもんだよ」
そうやって西新宿の飲み屋で彼が呟いていたのを思い出します。
彼のあの話は、まさに差別問題と社会構造の関係を、ズバリ20代の私に理解させてくれました。
人は環境によって簡単に差別意識や偏見、先入観を植え付けられてしまうけれど、社会全体の雰囲気が変わればそれもまた大きく変わるものなんだな、と。

差別意識と社会構造の関連で他にも大きなテーマとしてはLGBTへの差別問題も大きいでしょう。
「差別発言は、当事者の気持ちについて勉強しないと、悪気が無く出てきてしまうもの。教科書がLGBTに関する記述を一切しないと、差別発言に満ちた社会になってしまう」、そうやって私に言ってくださった方がいました。

また、ジェンダーに関わる差別問題は根が深いので、法律で制御しようとしたり文章を書いているくらいじゃ簡単には変わらない、という意見もあって、差別をなくすには早期の人権教育が重要だと私も思います。
LGBT問題に関心を持つ以前に、バッドボーイ・カルチャーやマッチョを志向していて、そもそも人権意識という発想自体が軟弱で嫌いだ、という人たちさえいます。

差別発言をなくしていくには教育が重要ですし、差別意識そのものをなくしていくには社会構造そのものが変わらなければなりません。個々人の自覚と文化発信や社会教育という意味も含めて、すべては教育と政治に行き着きます。

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# by catalyticmonk | 2017-05-19 12:43 | マイノリティー差別 | Comments(0)

死を忌み嫌うマナー

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5月14日付の朝日新聞の記事に「(声)喪服で飲食店はマナー違反?」と題されて、以下のような記事があった。

〈少し前のことになる。親族に不幸があり、私は愛知県東部の郷里を訪れた。告別式は正午前に終わった。空腹を感じたので、駅ビルの2階にあったすし店に立ち寄った。店長の異様な視線を感じたが、そのまま食事を済ませた。店の外に出た途端、店長が若い店員に怒鳴る声が聞こえた。「塩をまいておけ!」 

どうやら、私が喪服を着ていたのが気に入らなかったらしい。縁起でもないと思ったのか、ほかの客への配慮なのか。うかつだったかもしれないと思いつつ、それなら「申し訳ございませんが、ネクタイだけ外していただけないでしょうか」とひとこと言ってほしかったとも思った。 

以来、喪服で飲食店に入るときは黒ネクタイは外すことにしている。だが、一方で思う。電車やバスなどでは喪服の着用をとがめられたことはない。公共交通機関では許容されることが、なぜ飲食店では許されないのだろうか。 

誰でも、身内や知人の葬儀に駆けつけることはあるはずだ。喪服は、そこまで忌むべきものだろうか。〉


死を忌み嫌う民間風習故の塩まきの儀式だけれど、私の郷里でもある愛知県は全体的にそういう事柄に偏狭なところがある地域性なので、これに類似した変な出来事は多いかも知れない。
ただ、葬式を行なう仏教寺院側の解釈は、死者は仏の修行の旅に出る者だから、それを忌み嫌うのは仏を忌み嫌うことである、として、こうした解釈を取らないよう。あくまで、死を忌み嫌う民間の俗習であって、マナー違反ではない。

そもそもが死を忌み嫌うマナーなどといったもの自体が、死にゆく存在である人間の妄念ではないだろうか。
今、癌闘病の真っ最中の人間の入院先に見舞いに行くのに喪服姿で駆けつけるとか、確かに特定の状況下では非常識とも思える形になる場合もなくはないだろう。だから一定の他人の心情への配慮があってもいい気がするものの、本質的にそれが公共性のある合意として強く他者に強要され得る正当性を持つものとは思えない。

個々人によっても解釈が異なる心理的なものを「マナー」云々と主張して、地元の人同士でも揉めているパターンが愛知県では珍しくなかった。
そうした問題はマナー意識全般にあるような気がする。自分の価値観や感覚・信条を他者に押し付けるのに「マナー」である、という主張が過剰に使われがちなのだ。そして、元々閉鎖的だったり保守的だったりする土地柄や環境だと、こうした問題が多発しやすい、という理屈のようだ。
死を忌み嫌う民間の俗習自体は古くからあるものな訳だが、今の時代は、日本全体がそういう大らかでない方向に進みつつある気が私はしてならない。

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# by catalyticmonk | 2017-05-15 00:58 | 忘れ物 | Comments(0)

精神論の適用可能範囲

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先程の会話。
「大切なのは鈍感力!粘らないしなやかさ!」
「鈍感な人が鈍感力鍛えてもなあ。敏捷性はないし」
自分のことね。相手の感情をその場で読み取るのが遅い。

それを補うために相手の行動や発言をじっくり観察する癖がついた。ただし、それはその場その場で即発揮される臨機応変さではなく、事が起きてから物事を観察する非常に反応の遅い方法だ。
これをやらないと、私は人間としてほとんど機能しない。
鈍感力で上手くいくのはいいことだけれど、繊細だったり、掘り下げる性質の人も、それぞれの個性だからね。

私は虐待やいじめを受けて育ったんで、弱者やマイノリティーの人への世の人の差別や横暴って、よく考えていない軽はずみさからたいてい生じる、と感じている。
そこに何かをしっかり言って行こうとしたら、踏ん張って粘らないといけない面もある。

ただ、心が強ければ、その場その場で間隔を空けながらでも、繰り返し少しずつ粘っていけるだろう。
そういう、短絡的でない、地道なアプローチを古今東西の聖賢は語ってきていて、やはり一定の人間の知恵が帰結する道理はその辺りにバランスを見出しているのだとは思う。

でも、私の見てきた限り、人それぞれの持って生まれた性質の差は大きくて、まさに個性なんだな。
このやり方でやると上手く世渡り出来る、と言い切り過ぎても、結局、永遠にある種類の個性の人達の多様性が否定されたままの社会になる。

結局、両方必要なんだと思う。
踏ん張り過ぎたら折れるからしなやかさは大切だし、何かをしっかり言っていこうとしたら、踏ん張って粘らないといけない面もある。
お気楽で行こうとすると、そこをスルーしてしまいがちになる。
また、個人の内面が楽に生きる方法としては、生きている者は色々、欲や執着だから、そこから意識を切り替える軽やかさが肝心だろう。

そして、精神論は、絶えず限定的な仮定でしかない、という点も忘れてはならないと思う。
そうでないと、その人に合わない紋切り型の価値観を押し付けられてとても苦しむ人がいる、というのも私はよく知っている。
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# by catalyticmonk | 2017-05-14 01:41 | 忘れ物 | Comments(0)

いじめ社会

本当にそうだよな、と思わされるアメリカの学校で起きた出来事の動画を観ました。

SNS上の掲載なのでリンクは特に貼りませんが、ガンになった祖父を励ますために坊主頭にした11歳のジャクソン君を、同級生がそんな事情も知らないでいじめた問題に学校のティム校長先生がどう対処したか、という話です。
校長が生徒を集めていじめられた生徒に自らの髪をバリカンで刈らせて、いじめた生徒を一人も責め立てる事もなく、人の心や事情も知らないで笑い者にしたり悪口を言う行為の愚かしさを諌めたところ、後でいじめた側の生徒らがジャクソン君に謝りに来た、という内容でした。

でも、アメリカ人なら、直接知りもしない伝聞を根拠に誰かを冷たくあしらったり、悪意のある態度や行動を取るにせよ、まだしも相手がはっきり何をされたか目の前で分かる形でやるでしょう。
露骨と言えば露骨だけれども、だから、一応その気になれば本人が「なんだと、この野郎!」と言い返す事も簡単だし、決着がつくかつかないかは別として、個人で正面から議論を挑み、周囲に賛否を問いかける事も出来る。
ここが日本とは全く話の土台が同じにならない部分です。

日本人は堂々とやらないで裏から手を回しがちです。
相手がその場では即反論や弁明が出来ないような、遠回しな言い方で、相手にだけそうだと伝わるような嫌味を言ったりします。ただ自分との関係が近しいか・遠いかだけで、自身では確認もしていない伝聞の噂話や主張を取り入れる判断を簡単にしてしまう。
だから実際、そもそもはっきり言いようがないのです。雰囲気の中での忖度や恭順で誰かへの評価や判断をしてしまいやすい。
雰囲気の中での空気読みだから、表立った直接的な言い回しや態度を一生懸命に避けて、集団でじわじわと相手を締め上げていく。

これではどんなに勇気ある個人でも、正当な言い分がある人物でも、自分に起きている理不尽な扱いを上手く訴えていく事が難しくなります。
おまけに自分をそうやって吊るし上げている者の大半の顔ははっきり見えないし、やっている側も自分が全体としてはどんなプロセスに関わっているか認識出来ないまま。
結果として、表面的には品行方正な普通のいい人達が多く関わる群衆心理的な状況が発生しやすいので、冒頭に書いたアメリカの校長のような清廉潔白な人の行動がストレートに響く設定は、とても限られている気がします。
日本ではちょっと粗暴だったり、露骨な悪態をつくタイプの人間の方が、まだずっと裏がないくらいです。

私がヨーロッパ人の人達と口論した時に感動したのはそこです。
自分に露骨な悪意ある態度や失礼な真似をした相手に、直接「どうして、そんな不当な態度を取るのか私は納得出来ない」と詰め寄ると、日本の文化で育った者からするとびっくりするくらい率直な返事が返ってきて、お互いのわだかまりが溶ける、という体験を何度もしました。
そんな体験は自分の生まれ育った国ではまずなかったので、私は涙が出るくらいに嬉しく思ったものです。
日本人とでも極親しい間柄ではそういう事もなくはないですが、社会的には大概はまず通用しません。せいぜいが、その場だけヘコヘコと恐縮したり笑顔を見せて、後から全然表面的な態度でしかなかった、と気付かされる場合が多い。

大の大人でも子供みたいないじめをする社会。
そこを自分達に言い訳する材料が、協調性の美徳だとか、忍耐や謙遜だとか、周囲の多くがそうしている現実とか、山のように用意されています。
もし、その人が卑怯者で、他人を都合良く利用出来ればそれでいい、という人達なら、私にはもう何も言う言葉がありません。
だけれど、もしも人としての真っ直ぐな心があるのなら、我々自身の判断と勇気がいつも試されているのだと思います。
どんなに親しい人の言葉でも、周りの空気がどうであっても、そこが受け身なままでは、自立した「自分自身の」良心が活かされて、清々しい思いで人生を送る日は永久に来ないでしょう。
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# by catalyticmonk | 2017-05-12 00:18 | 忘れ物 | Comments(0)

手術前日の夢

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自分が今年の1月終わり頃に手術を受ける直前に書いた夢日記を再発見。読んでみて大ウケ。
私自身はテンションの高い際中に勢いで書き残しているので、あまり覚えていなかった。実際、いつこんな事を考えていたんだろう、と不思議に思うような記事までブログには残っている。

今、読み返すと、やっぱり正直心細かったんだろうな、救いを必死で求めていたんだろうな、なんて自身で思わないでもない。
たとえ夢であっても、こういう時の体験は、現実並に心に滋養を与えてくれるものだ。

何が救いを与えてくれるのか。自分自身のための創造行為を無意識が行なっている、とも言えるだろうが、私はそれを神の恩恵と呼ぶ。
そして、ここに出てきた女性は、私の女性的側面の投影・アニマなのだろう。

以下がその記録。


夢。
私は都市郊外の南北に走る幹線道路近くの、木造平屋建ての粗末な長屋に住んでいる。
イメージとしては、私の育った時代の愛知県尾張地方にある尾張中央道周辺の、片田舎に住宅街やスーパーマーケット、飲食店が点在する環境に似ている。
その狭くて暗い長屋に、彼女と同棲しているが、その女性を夢の中では私は昔からよく知っている気でいる。どうもとても危険な女性らしい。

私は毎日の暮らしと環境にとても辟易している。
女性と転居することになる。何か不穏な事情付きで。
今度は、東西に走る幹線道路が平屋の北側を走っている。この道路もおそらく国道1号線が愛知県海部郡の弥富辺りを通っているイメージだ。私はその辺りに住んでいたことはないし、周辺の木々や植物、日の光の感じが現実より随分熱帯地方っぽい。平屋もなんだかオレンジ色の壁で南国風だ。

建物を挟んで幹線道路に面している所とは反対側の庭に出る。
南側は次の住宅地まで広々とした水田が敷地のやや下に開けていて、日当たりも良く開放的な雰囲気に、私の気分は晴れ晴れとしてくる。
小さくても庭木が周囲を囲んでいて、もっと色々植えたなら素敵な和む空間になりそうだ。まだ敷地には芝生も植えていなくて、壁も地面も、目の前にある南インドみたいな家の古井戸も、なんだか全部オレンジ色がかっている。

私は、もう覚悟を決めなければいけないと思って、古井戸の前で彼い女の手を握り、共にずっと暮らしていく決意を伝える。
どうも夢の世界でも私は暗い過去を持ち、そういうことに慎重な男であるようだ。でも、ここまで来たら引き下がれない、言うべきことは言わないと、なんて考えるあたりも現実の私の発想そのまま。
不器用ながら単刀直入な愛の言葉を告げ、彼女と手をつなぎ合う。彼女の方はそれに驚く様子もなく、当然だ、といった感じで淡々と受け止めていて、私はホッとしたが、内心少し物足りなくもない。

彼女は唐突に庭に木を植えようと言い出す。
すぐに彼女に握り合った手をそのまま引かれて、家の西側の細長い通路を抜けて幹線道路沿いの北側の庭に連れて行かれる。
私はこんな場所より南側の井戸の前がいいんじゃないか、と提案するも、彼女は強く確信に満ちた表情で「ううん、ここでいいのよ」 と言う。

見渡せば北側にも庭木はすでにいくらかあって、白いテーブルと椅子もある。そして、懸念事項である幹線道路側も、家の柵の上から見えてくる景色は熱帯地方の明るい雰囲気が満ちていて、ここもまんざらでもない寛ぎの空間になり得そうだ。
道を渡った先には工場か何かの境界木なのか、15メートルほどありそうな立派な木立ちが燦々と緑豊かに輝いて、葉で日光を受けながら聳え立っている。

そうか。私たちは、ここで植えた苗があの木のように大きく育つまで末永く健やかに暮らすんだ。
北側なら植えた木が大きく育ち過ぎて南側の日差しを遮ることもない。そして、そうなるまで長らく健やかに私と暮らすつもりでいる、彼女の静かな強い意志と、意外と慎ましやかな願いがゆっくりと伝わってくる。

なんて調子のいい夢を見た朝に家を出て、明日の手術に向け入院する。
結構素直に感動したので、ただの願望投影以上に内的癒やしがある夢だった気がする。
去年から4回目の入院で、付き添いは毎回誰もいない独り者なんだから、このくらい虫のいい夢を見ても許されるだろう。

天気が良くて、窓から富士山が見える。病棟の中は相変わらずシャツ一枚になっても汗が出てくるほど暖かい。
春にも夏にも秋にも入院したが、これでオールシーズンを通して徹底した温熱療法が、ガン病棟の基本としてあるのが実感できた。
夢の中で見た大木のように、日光をたくさん浴びて葉を実らせたい。
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# by catalyticmonk | 2017-05-10 00:34 | 忘れ物 | Comments(0)

外づらのいい日本人と共生社会

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市民運動関係者から何やらどこかから排除された、とか、吊るし上げられた、なんて話は定期的に耳にします。
まー、各人と運動体・組織毎の思惑はありますからね。そこが合わなければ考えが違うんだという事でしょう。

そういうのは、大概当人達から直接聞くと、どっちの話も「なるほど、そんな感じだったのか」となる場合が多いし、一番重要なポイントが当事者同士しか確認しようのない話だったりもするので、私は八方美人とかでもなく、簡単にどちらか一方だけの肩を持つという判断はしないようにしています。安易な決めつけや思い込みこそが、最も理不尽に相手を苦しめる事だ、というのも痛感しているからです。
でも、そこも自分との付き合いの浅い・深いだけで安易に決めてしまう人がとても多い気がします。それでは理不尽な差別や偏見は一向に減らないのも道理なのですが。

悔しい事も多いでしょうがね。例えば私も本人に許可を得て撮った写真を他の人達から削除しろ、と言われて、最初「構わない」と再度言っていた相手が、後から「色々と考えるところがあったから、過去のものも遡れる範囲でいいから消してくれ」と言われたり。そんなの、当人に頼まれたら消しますけどね、裏で圧力をかけたのが分かり切っているじゃないですか。
あれは胸が抉られるくらいに悔しかったなあ。何日間も、夜も眠れなくなるほど他人から集団で絡まれて筋を通すために粘っていたのに、そんな卑怯な手を使われたら、こっちが何も表立って反論出来ないまま、「あいつはトラブルメイカーだ」なんて形になって、不愉快な反響が後々まで続く。でも、そうと分かっていても、一回一回「待ってくれ、実はこういう話なんだ」なんて言う訳にも行きませんから強力な重圧です。

もっと露骨にデマを吹聴する人間もいますしね。
でも、びっくりするのは、そういう行為を結構評判のいい人物がしている、という現実に度々遭遇する事です。評判がいいからこそ、そういう思い切った事も出来るし、自分のメンツを守るのに必死だからデマでも言ってしまう、という話なのかも知れませんね。

だから、楽にやりたければ目立っちゃいけない。昔から左翼やリベラル派と日本で呼ばれている人達の世界は、集団主義の恫喝集団みたいな負の側面があるようです。
特殊なクレイマーだけの話ではなくて、大きな組織や運動体ほどそういう事が増えがちなんです、日本の市民運動の傾向として。
自分が「これではいけない」「こういう願いを叶えたい」と純粋な動機で関わったのに、そんな事ばかりで疲弊していたら願いや希望以前のところで空回りする訳ですから、馬鹿馬鹿しくなって消えていく人が多いのも無理ないんです。実際、そういう風になったら意味が薄れていきますからね。

また、その中で上手く立ち回って行こうとポジション確保に囚われていく人も多い。政治の世界が汚い、と言うのも、目の前にある現実なりに生き残っていけるように妥協や権謀術数を重ねるからでしょう。

そういう事にほとんど遭遇しない人もいます。
でも、私が見てきた限りでは、自分自身の判断で行動したり、意見をはっきり言う人ほど、かなり明白にそういう酷い目に始終遭っています。
何が違うのでしょうね?
みんな、自分のところのイエスマンを欲しているのですよ。余計な事を言わないで、裏方を黙々としてくれるか、自分達の活動をひたすら礼賛してくれる人だけが欲しい。活動が大きくなるほど、その傾向が集団の中で高まっていく。

日本人は元々、違う意見を言う相手ともゆるくまとまっていく、という事が苦手なんです。違う宗教や民族の人達と、同じ生活空間で日常的に暮らしている、という環境が薄かったからこそ、意見や価値観の異なる人達と互いの多様性を認め合ってマネージしていくという行為が上手く出来ない。
むしろ阿吽の呼吸とか忖度、「だよね」の精神で、みんなで空気を乱さないようにしていくのが社会と人間としての美徳だと思い込んでいる。

だから、実際、日本人が他文化の環境へ行くと酷く自信なさげにオドオドして、よく分からない相手と話し合っていくよりも、ニコニコと愛想笑いを絶やさす礼儀正しい日本人を演じて好かれようとする。
これで騙されて「日本人は素晴らしい理想の国民だ!」とある意味憧れて、日本に来てから「外で会った時の日本人はあんなにいい人ばかりだったのに、日本にいる日本人は全然違う。どうしてなんだ!」と言う外国人にいったい何人出会ったんだか。

でも、その集団毎の、事業的な部分に賛同してくれる人ばかりを求めがちになると、総体的な部分では多様性を認め合った寛容な共生社会に近付いて行きません。
そうした非民主主義的な性質が改まらないと、いつでも経っても同じ事を繰り返すのだろう、と私なんかは思っていますよ。
どちらを多くの人が望むか次第なのですが、集団の忖度で和やかな世界が実現出来るか、と言ったら、実際には権力を手にした人達の腐敗をまるで止めていけないので、社会の大部分の人達がますます横暴に耐え殺伐としていくばかりなのは間違いない気がします。
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# by catalyticmonk | 2017-05-09 00:07 | 希望社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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