カテゴリ:忘れ物( 101 )

自由と命の爪跡

e0296801_02212372.jpg若い頃、よく旅をした。
知らない土地の風情や見知らぬ人々との出会いが、私に明るい解放感を運んできた。
ただ、自分が目にし体験して得たものを、思い出として語るだけでなく、誰かと共有したい、という気持ちにもなった。

それが普通の人なら故郷への望郷の念になったりするのだろう。
ところが、私には異国に何年も住んでも本当にその感情が起きなかった。懐かしく思い出せるほどの甘美な記憶がなかったからだし、目の前の暮らしが充実していたからだろう。
だけれど、喪った過去の日々に想いを寄せるのが望郷心の重要な要素であるのなら、似た感情は体験した記憶もある。

大阪で会社の夜逃げ倒産に遭った後、生活に困って仕方なく三重県の山奥に就職し暮らしていた頃、何年もただお金のために好きでもない事をして、しかも身動きが出来なくなっていた。楽しい事もなく、見知らぬ土地に一人であって、休日に緑豊かな湯の山温泉で絶景を眺めながら温泉に入り、食事をしていても、虚しさはちっとも消える事がなかった。
だから、鈴鹿山脈に沈む夕陽を見つめながら、世界中を自由に飛び回った若き日や東京での暮らしを思い出して、涙が出ないほど切ない気持ちになったのは、とても自然な事だった。

今の私は病気とは向き合っていかなければならないものの、あの頃に比べたらずっと幸福だ。
寂しい気分は、何か無念な気持ちが湧くと一層深くなるものだけれど、やはり社会的な動物である人間として、健康面も含めて社会に爪跡を残したい本能なのかな、と時折思う。

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by catalyticmonk | 2017-06-19 00:11 | 忘れ物 | Comments(0)

忘れ物

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今の日本だと、みんなキャッチーなフックのある短い言葉だけに反応して、相手の言葉の奥を吟味するゆとりがどんどんなくなっている気がする。
情報過多だし、忙しい暮らしだから、必然的にそうなる、という要素も大きい気がするんだけど。

でも、理由や原因が何であれ、個人が自分の心と頭でしっかり物事を感じ取らなければ魂そのものが痩せ細っていってしまう、というのは強く感じていて、何でもかんでもコンパクトにキャッチーに、という文化が危ういとずっと感じているね。
IT文化の負の影響も絶大で、読書をしながらじっくり思索や想像力を膨らますよりも、ツイッターとか、音楽や映画業界が衰退しているのも異常。
なんか利便性が行き過ぎて、ちっとも合理的でない時代に入って来ている気がするんだけど、それが堕落した表現だと思われていたアールヌーボーがまた見直されたみたいに、欠けているものに気付く前触れだったらいいな。臨界点てのもあると思うんだよね。

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by catalyticmonk | 2017-05-23 23:06 | 忘れ物 | Comments(0)

いいじゃんか、ちょっとふっくらしたくらい

別に好みの問題で浜崎あゆみの歌なんて、昔から一ミリも興味なかったけど、それでも公平に言って全然普通に綺麗だと思うんだけど。
なにさ、女子プロレスラーって。女子プロレスラーにも失礼でしょう。いつも思うのは、日本て美の基準が物凄く画一化されているなあ、と。

世界中、いろんな人種や文化、体形の人がいるから、その中で好まれるビジュアルやファッションも幅があるのに、日本だと狭いから、その基準が。
で、流行りが変われば、またどうせ一斉につい数年前まで持て囃していたものが廃れるんだ。

なんで男性も女性も顔や風貌が同じ系統ばっか持て囃されるんだよ。
ちょっと派手めだと「ケバくて頭悪そう」とか、髪の毛が長い中年男性はチンピラか卑しい(という偏見付きの)「貧乏人」だとか、ちょっとふくよかな女性はもう「激太り」だとか、なんだかな、って。
なんで、みんながほっそりして、彫の深い濃い顔じゃない童顔の子ばかり持て囃し、女性自身もそれを必死で追求しているんだか、私には意味不明です。

いや、自分もスラヴ系のほっそりとした顔の系統が好みだな、とか好ましく感じる個人的な傾向はあるんだけど、そういうものの幅って、もっと自由にあっていいじゃん。男が40代になったら、みんな厳つくしてなきゃいけない訳でもない。

インドの伝統的な基準だと、女性はこれくらいふくよかじゃないと魅力的でない、とされている場合が多い。
昔の浜崎あゆみと、この今の写真を並べてどっちがいいか、聞いてみたらいい。大概のインドの庶民は、今の顔の方が魅力的だ、と女性も含めて言うはず。

例えば、パンジャーブ地方はインド人の中でもアーリア人の血が濃くて、そういう血統で現代的なファッションの若者だと、もう何人だか分からない。で、そういうパンジャービーのギリシャ彫刻みたいな精悍な顔の青年が、日本の基準で行ったら純然たる肥満体形のコロンビア人の女の子見てメロメロになっているのを見た時があって。「あ~、やっぱり美の基準て広いなあ」と自分の感覚の限定性を痛感したもんね。

こっちは今抗がん剤治療で一日一食でも太っていくから、ダイエットしたくても空腹が酷くてね。運動しようにも動くと投与間もない期間は具合悪くなるから。薬はまた人工的な行為だから、自然治癒のように適度なバランスを保てる訳ではない。だから、意識的努力も必要となる。どちらにしても治すためなんだから我慢するしかないし。
そういう個人個人の事情があってそれぞれだから、取り敢えず太っていてはダメとか、痩せるのはダメとかいった変なプレッシャー抜きがいい、と言う話だよ。

浜崎さんは突発性難聴で、ステロイド投与をしているのなら副作用で太る場合もある。
結局個人個人の優先順位もある。浜崎さんが抗がん剤投与で太る私と同じようにステロイド投与で太っているのなら、なおのことそれは仕方ない話でしょう。

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by catalyticmonk | 2017-05-23 22:37 | 忘れ物 | Comments(0)

死を忌み嫌うマナー

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5月14日付の朝日新聞の記事に「(声)喪服で飲食店はマナー違反?」と題されて、以下のような記事があった。

〈少し前のことになる。親族に不幸があり、私は愛知県東部の郷里を訪れた。告別式は正午前に終わった。空腹を感じたので、駅ビルの2階にあったすし店に立ち寄った。店長の異様な視線を感じたが、そのまま食事を済ませた。店の外に出た途端、店長が若い店員に怒鳴る声が聞こえた。「塩をまいておけ!」 

どうやら、私が喪服を着ていたのが気に入らなかったらしい。縁起でもないと思ったのか、ほかの客への配慮なのか。うかつだったかもしれないと思いつつ、それなら「申し訳ございませんが、ネクタイだけ外していただけないでしょうか」とひとこと言ってほしかったとも思った。 

以来、喪服で飲食店に入るときは黒ネクタイは外すことにしている。だが、一方で思う。電車やバスなどでは喪服の着用をとがめられたことはない。公共交通機関では許容されることが、なぜ飲食店では許されないのだろうか。 

誰でも、身内や知人の葬儀に駆けつけることはあるはずだ。喪服は、そこまで忌むべきものだろうか。〉


死を忌み嫌う民間風習故の塩まきの儀式だけれど、私の郷里でもある愛知県は全体的にそういう事柄に偏狭なところがある地域性なので、これに類似した変な出来事は多いかも知れない。
ただ、葬式を行なう仏教寺院側の解釈は、死者は仏の修行の旅に出る者だから、それを忌み嫌うのは仏を忌み嫌うことである、として、こうした解釈を取らないよう。あくまで、死を忌み嫌う民間の俗習であって、マナー違反ではない。

そもそもが死を忌み嫌うマナーなどといったもの自体が、死にゆく存在である人間の妄念ではないだろうか。
今、癌闘病の真っ最中の人間の入院先に見舞いに行くのに喪服姿で駆けつけるとか、確かに特定の状況下では非常識とも思える形になる場合もなくはないだろう。だから一定の他人の心情への配慮があってもいい気がするものの、本質的にそれが公共性のある合意として強く他者に強要され得る正当性を持つものとは思えない。

個々人によっても解釈が異なる心理的なものを「マナー」云々と主張して、地元の人同士でも揉めているパターンが愛知県では珍しくなかった。
そうした問題はマナー意識全般にあるような気がする。自分の価値観や感覚・信条を他者に押し付けるのに「マナー」である、という主張が過剰に使われがちなのだ。そして、元々閉鎖的だったり保守的だったりする土地柄や環境だと、こうした問題が多発しやすい、という理屈のようだ。
死を忌み嫌う民間の俗習自体は古くからあるものな訳だが、今の時代は、日本全体がそういう大らかでない方向に進みつつある気が私はしてならない。

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by catalyticmonk | 2017-05-15 00:58 | 忘れ物 | Comments(0)

精神論の適用可能範囲

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先程の会話。
「大切なのは鈍感力!粘らないしなやかさ!」
「鈍感な人が鈍感力鍛えてもなあ。敏捷性はないし」
自分のことね。相手の感情をその場で読み取るのが遅い。

それを補うために相手の行動や発言をじっくり観察する癖がついた。ただし、それはその場その場で即発揮される臨機応変さではなく、事が起きてから物事を観察する非常に反応の遅い方法だ。
これをやらないと、私は人間としてほとんど機能しない。
鈍感力で上手くいくのはいいことだけれど、繊細だったり、掘り下げる性質の人も、それぞれの個性だからね。

私は虐待やいじめを受けて育ったんで、弱者やマイノリティーの人への世の人の差別や横暴って、よく考えていない軽はずみさからたいてい生じる、と感じている。
そこに何かをしっかり言って行こうとしたら、踏ん張って粘らないといけない面もある。

ただ、心が強ければ、その場その場で間隔を空けながらでも、繰り返し少しずつ粘っていけるだろう。
そういう、短絡的でない、地道なアプローチを古今東西の聖賢は語ってきていて、やはり一定の人間の知恵が帰結する道理はその辺りにバランスを見出しているのだとは思う。

でも、私の見てきた限り、人それぞれの持って生まれた性質の差は大きくて、まさに個性なんだな。
このやり方でやると上手く世渡り出来る、と言い切り過ぎても、結局、永遠にある種類の個性の人達の多様性が否定されたままの社会になる。

結局、両方必要なんだと思う。
踏ん張り過ぎたら折れるからしなやかさは大切だし、何かをしっかり言っていこうとしたら、踏ん張って粘らないといけない面もある。
お気楽で行こうとすると、そこをスルーしてしまいがちになる。
また、個人の内面が楽に生きる方法としては、生きている者は色々、欲や執着だから、そこから意識を切り替える軽やかさが肝心だろう。

そして、精神論は、絶えず限定的な仮定でしかない、という点も忘れてはならないと思う。
そうでないと、その人に合わない紋切り型の価値観を押し付けられてとても苦しむ人がいる、というのも私はよく知っている。
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by catalyticmonk | 2017-05-14 01:41 | 忘れ物 | Comments(0)

いじめ社会

本当にそうだよな、と思わされるアメリカの学校で起きた出来事の動画を観ました。

SNS上の掲載なのでリンクは特に貼りませんが、ガンになった祖父を励ますために坊主頭にした11歳のジャクソン君を、同級生がそんな事情も知らないでいじめた問題に学校のティム校長先生がどう対処したか、という話です。
校長が生徒を集めていじめられた生徒に自らの髪をバリカンで刈らせて、いじめた生徒を一人も責め立てる事もなく、人の心や事情も知らないで笑い者にしたり悪口を言う行為の愚かしさを諌めたところ、後でいじめた側の生徒らがジャクソン君に謝りに来た、という内容でした。

でも、アメリカ人なら、直接知りもしない伝聞を根拠に誰かを冷たくあしらったり、悪意のある態度や行動を取るにせよ、まだしも相手がはっきり何をされたか目の前で分かる形でやるでしょう。
露骨と言えば露骨だけれども、だから、一応その気になれば本人が「なんだと、この野郎!」と言い返す事も簡単だし、決着がつくかつかないかは別として、個人で正面から議論を挑み、周囲に賛否を問いかける事も出来る。
ここが日本とは全く話の土台が同じにならない部分です。

日本人は堂々とやらないで裏から手を回しがちです。
相手がその場では即反論や弁明が出来ないような、遠回しな言い方で、相手にだけそうだと伝わるような嫌味を言ったりします。ただ自分との関係が近しいか・遠いかだけで、自身では確認もしていない伝聞の噂話や主張を取り入れる判断を簡単にしてしまう。
だから実際、そもそもはっきり言いようがないのです。雰囲気の中での忖度や恭順で誰かへの評価や判断をしてしまいやすい。
雰囲気の中での空気読みだから、表立った直接的な言い回しや態度を一生懸命に避けて、集団でじわじわと相手を締め上げていく。

これではどんなに勇気ある個人でも、正当な言い分がある人物でも、自分に起きている理不尽な扱いを上手く訴えていく事が難しくなります。
おまけに自分をそうやって吊るし上げている者の大半の顔ははっきり見えないし、やっている側も自分が全体としてはどんなプロセスに関わっているか認識出来ないまま。
結果として、表面的には品行方正な普通のいい人達が多く関わる群衆心理的な状況が発生しやすいので、冒頭に書いたアメリカの校長のような清廉潔白な人の行動がストレートに響く設定は、とても限られている気がします。
日本ではちょっと粗暴だったり、露骨な悪態をつくタイプの人間の方が、まだずっと裏がないくらいです。

私がヨーロッパ人の人達と口論した時に感動したのはそこです。
自分に露骨な悪意ある態度や失礼な真似をした相手に、直接「どうして、そんな不当な態度を取るのか私は納得出来ない」と詰め寄ると、日本の文化で育った者からするとびっくりするくらい率直な返事が返ってきて、お互いのわだかまりが溶ける、という体験を何度もしました。
そんな体験は自分の生まれ育った国ではまずなかったので、私は涙が出るくらいに嬉しく思ったものです。
日本人とでも極親しい間柄ではそういう事もなくはないですが、社会的には大概はまず通用しません。せいぜいが、その場だけヘコヘコと恐縮したり笑顔を見せて、後から全然表面的な態度でしかなかった、と気付かされる場合が多い。

大の大人でも子供みたいないじめをする社会。
そこを自分達に言い訳する材料が、協調性の美徳だとか、忍耐や謙遜だとか、周囲の多くがそうしている現実とか、山のように用意されています。
もし、その人が卑怯者で、他人を都合良く利用出来ればそれでいい、という人達なら、私にはもう何も言う言葉がありません。
だけれど、もしも人としての真っ直ぐな心があるのなら、我々自身の判断と勇気がいつも試されているのだと思います。
どんなに親しい人の言葉でも、周りの空気がどうであっても、そこが受け身なままでは、自立した「自分自身の」良心が活かされて、清々しい思いで人生を送る日は永久に来ないでしょう。
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by catalyticmonk | 2017-05-12 00:18 | 忘れ物 | Comments(0)

手術前日の夢

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自分が今年の1月終わり頃に手術を受ける直前に書いた夢日記を再発見。読んでみて大ウケ。
私自身はテンションの高い際中に勢いで書き残しているので、あまり覚えていなかった。実際、いつこんな事を考えていたんだろう、と不思議に思うような記事までブログには残っている。

今、読み返すと、やっぱり正直心細かったんだろうな、救いを必死で求めていたんだろうな、なんて自身で思わないでもない。
たとえ夢であっても、こういう時の体験は、現実並に心に滋養を与えてくれるものだ。

何が救いを与えてくれるのか。自分自身のための創造行為を無意識が行なっている、とも言えるだろうが、私はそれを神の恩恵と呼ぶ。
そして、ここに出てきた女性は、私の女性的側面の投影・アニマなのだろう。

以下がその記録。


夢。
私は都市郊外の南北に走る幹線道路近くの、木造平屋建ての粗末な長屋に住んでいる。
イメージとしては、私の育った時代の愛知県尾張地方にある尾張中央道周辺の、片田舎に住宅街やスーパーマーケット、飲食店が点在する環境に似ている。
その狭くて暗い長屋に、彼女と同棲しているが、その女性を夢の中では私は昔からよく知っている気でいる。どうもとても危険な女性らしい。

私は毎日の暮らしと環境にとても辟易している。
女性と転居することになる。何か不穏な事情付きで。
今度は、東西に走る幹線道路が平屋の北側を走っている。この道路もおそらく国道1号線が愛知県海部郡の弥富辺りを通っているイメージだ。私はその辺りに住んでいたことはないし、周辺の木々や植物、日の光の感じが現実より随分熱帯地方っぽい。平屋もなんだかオレンジ色の壁で南国風だ。

建物を挟んで幹線道路に面している所とは反対側の庭に出る。
南側は次の住宅地まで広々とした水田が敷地のやや下に開けていて、日当たりも良く開放的な雰囲気に、私の気分は晴れ晴れとしてくる。
小さくても庭木が周囲を囲んでいて、もっと色々植えたなら素敵な和む空間になりそうだ。まだ敷地には芝生も植えていなくて、壁も地面も、目の前にある南インドみたいな家の古井戸も、なんだか全部オレンジ色がかっている。

私は、もう覚悟を決めなければいけないと思って、古井戸の前で彼い女の手を握り、共にずっと暮らしていく決意を伝える。
どうも夢の世界でも私は暗い過去を持ち、そういうことに慎重な男であるようだ。でも、ここまで来たら引き下がれない、言うべきことは言わないと、なんて考えるあたりも現実の私の発想そのまま。
不器用ながら単刀直入な愛の言葉を告げ、彼女と手をつなぎ合う。彼女の方はそれに驚く様子もなく、当然だ、といった感じで淡々と受け止めていて、私はホッとしたが、内心少し物足りなくもない。

彼女は唐突に庭に木を植えようと言い出す。
すぐに彼女に握り合った手をそのまま引かれて、家の西側の細長い通路を抜けて幹線道路沿いの北側の庭に連れて行かれる。
私はこんな場所より南側の井戸の前がいいんじゃないか、と提案するも、彼女は強く確信に満ちた表情で「ううん、ここでいいのよ」 と言う。

見渡せば北側にも庭木はすでにいくらかあって、白いテーブルと椅子もある。そして、懸念事項である幹線道路側も、家の柵の上から見えてくる景色は熱帯地方の明るい雰囲気が満ちていて、ここもまんざらでもない寛ぎの空間になり得そうだ。
道を渡った先には工場か何かの境界木なのか、15メートルほどありそうな立派な木立ちが燦々と緑豊かに輝いて、葉で日光を受けながら聳え立っている。

そうか。私たちは、ここで植えた苗があの木のように大きく育つまで末永く健やかに暮らすんだ。
北側なら植えた木が大きく育ち過ぎて南側の日差しを遮ることもない。そして、そうなるまで長らく健やかに私と暮らすつもりでいる、彼女の静かな強い意志と、意外と慎ましやかな願いがゆっくりと伝わってくる。

なんて調子のいい夢を見た朝に家を出て、明日の手術に向け入院する。
結構素直に感動したので、ただの願望投影以上に内的癒やしがある夢だった気がする。
去年から4回目の入院で、付き添いは毎回誰もいない独り者なんだから、このくらい虫のいい夢を見ても許されるだろう。

天気が良くて、窓から富士山が見える。病棟の中は相変わらずシャツ一枚になっても汗が出てくるほど暖かい。
春にも夏にも秋にも入院したが、これでオールシーズンを通して徹底した温熱療法が、ガン病棟の基本としてあるのが実感できた。
夢の中で見た大木のように、日光をたくさん浴びて葉を実らせたい。
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by catalyticmonk | 2017-05-10 00:34 | 忘れ物 | Comments(0)

ワイドショー的な文化


こういう話こそ、色眼鏡を抜きに考える訓練をした方がいい、とよく思う。

この人は詐欺行為を働いたからこそ、注目を浴びて、なおかつその姿形を悪意に満ちた冷笑の攻撃ポイントとされたのだろう。
確かにタイ人の交際相手に詐欺で集めたお金で豪邸を建てたとかいうところは、被害者からしても腹立たしい部分かも知れないし、交際男性に年齢を大幅に偽っていたというのも下世話な関心は呼ぶ。

だけれど、女性が「若作り」しようが、誰がどういうファッションの嗜好だろうが、それはあくまで自由だ。そこを犯した罪と混ぜて考えてはいけない。
そうやって罪にまぶして笑いものにする人達は、実は高齢の女性が若作りしていると馬鹿にしていい、という価値観を持っている。
犯罪者だから、普段は隠しているそうした考えを、大っぴらに出して笑いものにしましょう!とこのような記事は呼び掛けている形になるので、話題にもなる。でも、そうやって笑う事は、他人のファッションや姿形を自分の基準で嘲笑してもいい、という考え方を確実に助長する。

たとえ笑われた対象が、特定の犯罪者であったとしても、同じように50代60代の女性が、或いは男性やジェンダー観が少数者の人が、自分がしたいような格好をしたい、若しくは現にしている事に対して、そうしているだけで非難されたり嘲笑されるかも知れない、という重圧を抱く事になる。

今の時代、50歳の女性でも本当に無理なく若々しい魅力を持っていたりするし、年なりのオシャレがいいと思う人もいれば他の趣味や考えの人間もいて、それはすべて個人の自由だ。
なぜ、こうでなければ他人から笑われる、というプレッシャーや価値観の押しつけ、集団圧力といったものを、個人が他人や社会から受けなければならないのか。

ワイドショー的な文化と言うか、実際、そういったトーンで芸能人や政治家、有名人のゴシップでも、犯罪に付随したその人の私生活でも口汚く笑いものにされて、それが公共の放送から職場、生活環境に溢れているから、私はそれにいつも辟易している。下賤なワイドショー的な文化こそ、私達はもっと恥ずかしく思うべきなのではないか。
その意味では、日本の市民運動や野党の意識レベルも、大概は落第点で、未だに話にならないほど幼稚だと感じている。

補足すると、私が呆れているのは「男はこういう格好やスタイルでなければいけない」という固定観念や、LGBTの方や単に貧乏である事を笑いのネタにしようとする文化等も含めて全部だ。
とにかく、それが何か他の攻撃材料と抱き合わせになると、普段人権がどうこうと言っている市民運動系の人達や野党系の人々でも堂々とそういう不当な個人叩きを安易に始める。そこが根の深いところだと感じる。

正直、いくら緩やかに多様な価値観の人とつながる事が大切だと分かっていて、他で同じ目的意識を共有出来ている人々だったとしても、そこは共感出来ない。なぜなら、こうした種類の偏見は多様性の否定そのものだから、曖昧なまま流していていい性質の事柄でもないと私は感じるからだ。

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by catalyticmonk | 2017-05-01 02:25 | 忘れ物 | Comments(0)

便利で華やかな貧しさについて

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どんな表現でも言える事だと思うんだけど、雄弁な脚色は、かえって想像力の範囲を小さくしてしまう気がして、例えば往年の名曲に、妙にきらびやかで豪華な演出の映像を添えてアップロードされている動画を観ると、よく首を捻りたくなる事がある。
また、活字の読書よりもスマホでインターネット上の情報を追う方が標準化している今の時代が、便利な反面、心豊かとも言い難い方向に向かってきてはいないか、と度々考えさせられる。

それでも人間は、一旦手にした便利さを簡単には手放さない。フィルム式カメラがどんなに味わい深くても、バッテリーが続く限り何度でも撮影出来て現像費用も要らないデジタルカメラが手離せなくなる。
でも、文化・技術や文明の進歩が、人間の想像力を奪っていったとしたら、それは文明の袋小路、衰退にしか結びつかないのは明白だと思う。多少不便でも、想像力の豊かさと心の幸福が優先される時代に人間社会が進むように願っている。

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by catalyticmonk | 2017-04-24 01:30 | 忘れ物 | Comments(2)

今、死にたい人達へ

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死にたい、って言っている人に死ぬな、なんて他人が簡単に言えないけどね。でも、SNSのタイムラインを見ていると同時進行で何人も「もう死にたい」って毎日書いてあるからさ。だから、そんな気分だったり、心のどこかにそういう思いがある人に向けて書くんだけど。

今、そこそこ調子良く健闘出来ている人達は、ここに書く事を別に読んでくれなくていい。
でも、死にたい、死にたい、ってSNSに書いている人達がゴロゴロいる世の中って、やっぱりその人達個人以上の何かがあるんだとも思う。

ぶっちゃけね、こう思うんだ。
去年から3回癌の手術をして5回入院して見舞い客は一人も来ず、それでも何ら具体的な中身のない憶測や事柄ですぐにボロボロ叩かれて、ある意味、子供の頃から一貫していじめられっ子のままで生きているような私が、絶望する事もなくまだしぶとく生きるつもりなんだよ。
だから、みんな色々悩みはあるだろうけど、自信持って生きていていいと思うな。

もうすぐ6度目の入院もする私から、救いの手を差し伸べてあげる事も出来ないし、もちろん、そんな、悩むな、って一言呪文を唱えたら悩みが消えてなくなるものだとも思ってないよ。自分が強いんだ、って言いたい訳でもない。
この世には辛い事や、あまりにも理不尽と思う出来事がたくさんさ。さらに、それを人に言えなかったり、理解されなかったりさえする。本当に汚ない、卑劣で無慈悲な事だらけだよ。

なのに、人間関係も、社会的成功も、結果がすべてみたいに言われがちだから、余計にやる気を失くすんだよね。そんな、誰と結婚して、たまたま入った会社で出世するかリストラされるか、なんて紙一重の運なのにね。
そんなにみんながたまたま出会ってときめいた異性の内実や、将来の希望を賭け、生きていくためにすったもんだして、どうにか潜り込んだ進学先や就職先で起きてくる事柄を、堅実に想定出来ているのかね。誰にとっても、ほとんどギャンブルみたいなものなのでは。

そりゃあ、その人その人の努力の成果もあるから頑張りたいだけ頑張ればいいんだけどさ。
結果はいつもたまたまの巡り合わせと時の運でね、必ず上手くいく方法なんて何もない。国家のトップになった人でさえ、最後は収賄事件で失脚したり牢屋に入ったり、暗殺されてしまう事すらある。

だから、たまたま今のところ恵まれていて順調な人が、「あいつはダメ人間だ」なんて簡単に他人を決めつける方がおかしいんだからね。
そんな、仮にそうだったとしても、弱り目の人間に言っても仕方のない誹謗中傷を偉そうに言っている人物を見ると、「この人は心底人間として残念な人だなあ」と私なら感じるだけで。

人の不幸は蜜の味なんだよ。
でも、今死にたい程苦しんでいるあなたは、決して他人の事をそう思わないはずだ。その時点で、あなたはあなたを嘲笑う人々より確実に人間として素晴らしい。
だから、そこで傷付いたとしても、実際、傷付かなくてもいいのさ。

プライドがあるのに、自分が大悪人みたいに言われて吊るし上げられたり無視されているから、言い分はあるのに、それをまともに聞いてももらえなかったりするから、一人で切羽詰まったり、悔しくなって死にたくなるんだよね。

不器用な人だと、特に不器用じゃなくても運や相手次第で、相手に何をされて、どういう経過でそうなったか、なんて一々申し開きしないうちに、すっかり孤立してしまって、自分でその相手に尽くしたり信頼していたりしていたならいた程に、その事に骨身を削って打ち込んで頑張っていたらいた程に、深い失望を覚える、ってのはさ、自分も苦い経験が過去にあったからよく分かるんだよ。

でも、その失望したものの外にも世界はあって、別の人生の時間と新しい出会いの可能性があるんだよね。
失望し続けているとしたら、そこにまだ忘れられない程の希望を抱いているという事だろうけど、少なくともそれで自分が幸せになっちゃいけない理由にはならない。
特にヤケになって死にたくなるくらいならね。死んだつもりになって一からやり直せばいいのさ。自分で、幸せになればいい。
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by catalyticmonk | 2017-04-16 17:34 | 忘れ物 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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