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コマーシャリズムと想像力

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まあ、口の上手い奴が嘘を付くんですね。
言ってはいけない話や都合の悪いことをはぐらかすくらいなら誰でもするし、そうしないと生きていけないのだけれど、所謂「嘘つき」って、ネトウヨみたいに虚偽の噂を流したり、気に入らない相手を困らせるためにデマを吹聴したり、周囲を上手く「操る」ために嘘を付くのだと思います。
で、それは口の上手い奴じゃないとできない。

でも、現実には口が上手くないと本当のことを話していても嘘つき扱いされるんですよね。ところが現実を相手が理解しやすいように改造することはできないから、それって相手が想像できるかどうかにもよる。

私は若い頃に最初の海外放浪から戻ってきて、世田谷区東松原のボロアパートに住んでいて、友人を呼んで歓談し生い立ちや過去の旅行などでの体験を話していたら、アパートの壁が安普請で、結構隣部屋の劇団員に聞こえていたようです。後日、隣部屋から声が聞こえてきて、
「インドに行ったとか、ヒマラヤで転落死した氷漬けの修行僧の死体を見たとか、どうにも言っとることが信じられへんのやな。そのうちに宇宙にも行くんとちゃうか?」
みたいな感じで話しているのが聞こえてきてしまって、非常に気分が悪くなった思い出があります。実際、類似の出来事はたくさん経験しています。

好奇心旺盛な人はともかく、私も含めて結構世の中みんな世界が狭いものなので、自分の知らない世界の話題や、想像力のいる話は嫌がるんですよね。
だから、相手を自分の都合よく操りたいのなら、むしろ相手が想像しやすいような、そして卑しい期待を叶えるような方向のデタラメな話を、自分がいつでも言い逃れできるように短く散発的にサブリミナルに吹聴することが一番効くのだと思います。

でも、それって、病院の功利主義による医療の質と信頼の劣化とか、政治がプロパガンダによって意識誘導されてファシズムに向かっていくとか、そういった構造の中の手口ともまるっきり一緒ですよね。個々の人間関係の次元から社会レベルに至るまで、それはとても危険な要素です。

分かりやすい、口の上手いやり方が、一時は戦略的に効率がいい、というのは商売でも基本ですが、それは資本主義の流儀であり、さらに言えば資本主義の仕組み自体が嘘つきに都合のいい流儀でもあるわけです。
社会の中でも本当の弱者や少数者は、絶えず個々人の広く共有され得ない切迫した事情を抱えてあまり理解されない側に立ち、嘘つき同然の扱いをされながら社会から分断されるので、なかなか大きな声を上げていけません。

ですが、社会の仄暗い底から世を眺めないことは、総中流社会を維持するのにつながるのではなくて、上からの、一部の限られた人々に支配される、人が人によって虐げられ抑圧される世界にしか向かっていかないのだと思います。
少しずつであっても、自分が知らない、想像力を使わなければいけない、そういうことにも一人一人が自発的に考える風潮を高めて、もっと「コマーシャル」なものに惑わされない目を養っていく必要もあるのではないでしょうか。
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by catalyticmonk | 2015-12-13 17:17 | 皆影響され翻弄される | Comments(0)

タレント戦略でファシズムを招かないために

上戸彩が「マイナンバー」をPR! 内閣府CM
https://www.youtube.com/watch?v=Iq3g3iSKczc

上戸彩さんがマイナンバー通知のキャンペーンのイメージを務めると、全国民を番号で管理することも、善意に基づいたとっても素晴らしい公益性の高い配慮に見えてくる男性の方は多そうですね〜。
女性にも、こういう嫌味のない雰囲気のキャラクターならかなり好感度が高いのではないでしょうか?
ですが、騙されてはいけません。マイナンバーは監視社会の強化・徹底を招来する危険なもので、国民の側こそがこうした政府の暴走を「監視」し、ストップさせ、民主主義を守って行かなければなりません。

e0296801_1422190.jpg人間は顔でなんか何も分からないということですね。
でも、みんなイメージに弱い。
例えばタレントの本格的な参加が限られている脱原発運動の現場に、彼女くらいの若くて人気の有名タレントが来てスピーチしたとしましょう。一躍市民運動のスーパースター間違いなし。
だけれど、それが仕組まれた罠だったら?簡単に運動に深刻な打撃を与えられてしまうでしょう。

顔やイメージは大切ですし、人々の最初の注目を引く上で重要なのですが、関心を持ったら個々人が語られている中身の内容を精査し、自分で考えるようにならなければどうしようもありません。

相手を視覚的に「美しい」と感じる理由を科学的に考証すると、それは「子孫を残す」ということと根底でつながっています。
若くて健康で端整な顔立ちであれば良質な遺伝子を持っていそうだ、とか、性的な対象でなくとも自分が保護したいと感じるような愛らしい子供らしさを感じるから、自分の子供を育てているようなつもりで犬や猫を飼ったりもします。後者は、どちらかと言うと「可愛い」と感ずる感覚に通じるものですね。

いやいやいや、「美しさ」は、その人の内面や文化的・精神的な気品でも生まれるものだ。それもそうなのですが、それはもう少し副次的な作用であって、相手が素晴らしい人格を持った精神的な高貴さに溢れた清廉な人物であるかどうか、という部分までは分からない訳です。
そういうこともあるかも知れませんが、問題は、美しければ性格や考え方も素晴らしい、なんてイコールで成立するものではまったくないのに、皆、その人の実際の行ない以上に見かけの印象だけで釣られていってしまう、そういったイメージが一人歩きをする恐ろしさです。

嘗て、ドイツのナチスもビジュアル的なイメージ戦略には大変長けていました。
ナチスの軍服や旗、戦車のデザイン、ヒトラーの演説スタイル、どれも非常にビジュアル的に優れていてカッコ良かった。
安倍首相もAKB48だのEXILEだの、自分にヒトラーのようなカッコ良さがない分、タレントへの根回しや大衆戦略にはかなり力を入れています。今、民主主義社会を揺るがす様々な悪法を次々と進める安倍政権のイメージ戦略が、そうした部分でも現代日本の大衆文化をきっちり踏襲している点を、私たち市民はもっと注意喚起しようではありませんか。
彼らが向かっている先もナチスと似通ったものであることは、もう大げさでもなく明白なのですから。
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by catalyticmonk | 2015-04-07 20:00 | 皆影響され翻弄される | Comments(0)

人を操ろうとする者と、人を信じることの狭間に

人間は、基本的に相手のことを信じたい生き物だと私は思います。
相手の良心や優しさの存在を信じたい。

だから、相手の行ないや人間性に度々疑問が発生しても、
その人がほんのちょっとだけ自分に可愛げのある部分を見せたり、
反省とは別次元の人間的な脆さを見せただけで、
ついつい自分一人で抱えて、
相手との一対一の人間関係において、
その見知った過失や問題ある振る舞いを諭して行こう、
などと思ってしまいがちなものです。

しかし、それこそが、本能的にそういう人物の行なっている
自己防衛策であったかも知れない、と思うことさえ、
後から知った自分へのあまりにも悪意に満ちた罠の存在を知った時には
感じざるを得ないような残念な体験が、
この世には実在します。

人間が、基本的に人の善意を信じたい社会的動物であるという性質上、
こうしたことを語るのは
決して快い印象を与えるものではない、と私もよく理解しています。
だけれど、知り過ぎた上に自身の意に従わない相手は、
誰にとっても目障りなものなのかも知れません。
人間には程度の大小はあれど、
魔がさす、ということもあります。

誰かを陥れ抑圧する弾圧者も、
その弾圧者が徹底した作為を用いる人物であればあるほどに、
自らの悪事が露呈し立場が危うくなり出した時に、
弾圧されたという言葉を使うでしょう。
人間として最低の恐ろしい行為を裏で仕出かす者であっても、
自らのか弱さをひけらかせば、
百の事実の前にもなお人の心を動かし得るかも知れません。
あなたの手を握って優しく微笑みかけて来ただけで、
もう諸肌を脱いで味方してその人を守ってあげよう、
と思うような人の良さを、
人間は本質的に持っているのです。

要するに、そのような人物であっても、
その人が口が上手かったり、容姿に恵まれていたり、
人の気を引く情熱や哀愁を漂わせていると、
若しくは自分個人を引き立ててくれるような餌を投げられると、
人間は皆その人が多くの危険信号を発し続けていても、
ついつい信じてしまいやすく、
悪魔のような心の人間が簡単に脚光を浴びたり、
権力を手にしてしまうことがあるということです。
そのことを私たちは本気で考えなければならない。

ある種の関係には、
相手があまりにも痛々しい雰囲気を放っている場合があって、
「そんなに取り乱し憔悴するくらいなら、
なんで自分にあんな馬鹿な真似をしたんだ」、と
胸痛めるようなものが最後まで付き纏います。
それには、まさに催眠術か魔法のような力があります。

それは社会規模でも言えます。
民主主義社会において、最大の番狂わせと混乱の源は、
そのような魔性の存在に他ならなりません。
個人間の心理において起きることは、
規模を大きくしてそのまま社会でも起きるのです。

コマーシャル性に弱い社会では、
絶えずそうした番狂わせによる民主主義の伸張の停滞が頻発します。
それを防ぐには、やはり民度そのものを強化するような教育と
意識改革といった内実に力が注がれなければいけないはずです。
決して目の前の効果だけに飛びついてはいけないのです。

そうした何らかの人心掌握術の才能を持つ人物を、
上手く活用しよう、と考える方もおられるでしょう。
それは人間的な中身が伴っているのであれば魔法でも催眠術でもない、
その人の実力ですから、
注目を浴びようが、称賛されようが構わないのです。
しかし、少なくともその人の中身がそれに釣り合っていない状態のままで
力や権限を与えたなら、
麻原彰晃やヒトラーのように、
多くの人に大変な危害を及ぼすように間違いなくなる、ということです。
そのことを決して甘く見くびってはいけない。

私も器用な人間ではありませんが、何が本質かを見失わなければ
それなりに歩んで行けるものだと信じています。
本来的に信頼関係は、相手の「人間性に惚れる」部分がないと
健全には成立しないのではないかと思われます。

憐憫の情によって親しくなる関係もありますが、
たいていそればかりが主たる交流は
厄介なことにしかならないと思います。
かわいそうだ、私を頼りにしてくれている、と感じる相手であっても、
彼・彼女の人間性を信頼出来ないなら、
みんなが無防備に眠る場所の扉の鍵を
容易く渡してはならない、ということです。
その人の持っている「人間的な中身」に好意を抱くことこそ、
良好な関係性の基礎なはずです。

信じたい、助けてあげたい、と願っても、
その結果、おかしなトラブルが起こり続け、
それに耐え切れず自分がジタバタしたことによって引き起こされた悪弊、
或いは家族や友人・知人・職場、
下手をすると産まれてきた子供といった
周囲へ及ぼされてしまう悪影響の大きさを考えると、
憐れみの気持ちさえ捨て去らなければいけない日が
そのうちやって来るのが、
相手の人間性を尊敬出来ていないのに
引き摺られ過ぎた関係の行く末なのかも知れません。

中途半端に穏便に済ませようとし続けた結果、
事が大きくなって、
どうにも個人間の出来事でなくなるまで放置してしまうと、
結局、自分一人が破滅して
そのような人をかどわかす危険人物の跋扈を
野放しにしてしまう結末を迎えるか、
いたいけな人間的な哀愁を放つその人物に、
心を鬼にして鉄槌を下すしかなくなってしまうでしょう。

それは、やはり悲劇です。

火が大きくなる前に消し止められれば、
その人にも穏やかな人生が訪れるかも知れません。
私たちがそういった人物に人間的な思いやりは持ちつつも、
人の安全に関わる責任を不用意に任せたり、
影響力の大きな立場に引き立て過ぎずに、
時間をかけて人間同士の対話を行ない、
その人自身も平穏な環境の中で
自分自身と向き合う時間と人間的出会いが十分に恵まれるなら、
その人の人心掌握術は中身と見合ったものとなって、
真に世に良き影響力を与えるかも知れません。

やはり、目指すなら、そちらの方の選択肢のはずです。
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by catalyticmonk | 2015-02-24 00:03 | 皆影響され翻弄される | Comments(0)

カリスマ性と民主主義

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ヒトラーを考えよう。スターリンを考えよう。大量破壊兵器があると言いがかりをつけて多くの罪もないイラクの民衆を虐殺したブッシュを考えよう。
要するに、最低最悪の、思いやりも誠意の欠片もないような人物であっても、その人が口が上手かったり、容姿に恵まれていたり、人の気を引く情熱や哀愁を漂わせていると、人間は皆その人が多くの危険信号を発し続けていても、ついつい信じてしまいやすく、そんなとんでもない悪魔のような心の人間が、簡単に脚光を浴びたり、権力を手にしてしまうことがあるということです。
そのことを私たちは本気で考えなければならない。

それは、まさに催眠術か魔法のような力があるのです。
ですから、その才能を上手く活用しよう、と考える方もおられると思いますが、それは人間的な中身が伴っているのであれば魔法でも催眠術でもない、その人の実力ですから、注目を浴びようが、称賛されようが構わないのです。
しかし、少なくともその人の中身がそれに釣り合っていない状態のままで力や権限を与えたなら、麻原彰晃やスターリンのように、多くの人に大変な危害を及ぼすように間違いなくなる、ということです。そのことを決して甘く見くびってはいけない。
民主主義社会において、最大の番狂わせと混乱の源は、そのような魔性の存在に他ならないからです。コマーシャル性に弱い社会では、絶えずそうした番狂わせによる民主主義の伸張の停滞が頻発します。
それを防ぐには、やはり民度そのものを強化するような教育と意識改革といった内実に力が注がれなければいけないはずです。決して目の前の効果だけに飛びついてはいけないのです。


e0296801_1126610.jpgそのような人物が、過大な権力を手にしないで、自分自身と向き合うだけの人生の時間を得られれば、内実共に素晴らしい人物になれた可能性があったかも知れないのに、表層的な影響力・宣伝性を優先して大きな権限を与え過ぎてしまったがために、大きな混乱を招いたとしたら、どうでしょう?
その人物を引き立てた人は分からなかったこととは言え、その人物が多くの人から恨まれる未来を用意し、社会に害悪を広めたことに他ならなくなってしまうでしょう。
ヒトラーだって、スターリンだって、無数の善良な心根の人が支持したに違いないのです。
今現在、たまたま誰かを引き立てる力を持っている方は、是非ともそのことを心して、大きな権限を与える前に、その人のカリスマ性以外の、等身大の人間性の成長度合いも見定めて頂きたいものです。

偽物がやがて淘汰されて行くという原理もある程度は真実だと思いますが、同時にこの社会は、まだそうした健全性に到達していない社会風潮的・システム的な問題点も多々あると思います。
それは、コマーシャリズムが自由競争による自然淘汰だけでは人間性にとって健全なものにはなり得ない、という、一つの真理だとも思います。


発達した商品生産社会である資本主義社会においては、社会的分業は時空を超えて広がっていて、個々の人間にはその全体を見通すことは出来ません。人々は直接目前に商品として現れる成果にのみ関心を集中させざるを得なくなります。
この結果、これらの性質は、商品が自然に備えている性質として人々に取り扱われることになります。商品が交換可能であるのは、つまり「売れる」のは、商品自身の自然な属性だと受け取られます。
このような幻想を抱く態度をマルクスは「物神崇拝」と呼びました。

社会関係によって与えられながらそのようなものには見えないという奇妙な性格、それが物神性とされるところの姿ですが、コマーシャリズムは、その演出と、その演出に乗る人物・マイケル・ジャクソンのようなスーパースターの創出も含めて、実体とかけ離れたプロパガンダを容易に生み出し得るものだと私は考えます。
ですから、その効果を利用する場合には、本質を見極める私たち市民の熱意が十分に熟していないのならなおのこと、その素材を演出し送り出す人々が、慎重な態度で臨まなければならない側面があるはずなのではないでしょうか。


私は、特にヒトラーに関しては、紳士であり、独特のタナトスの美学に貫かれて生きた人物、という印象を調べれば調べるほど感じます。
やはり、そのような人間は、自分が敵対しない立場で直接対すればカリスマ性や人間的な魅力を感じたのではないかと思います。きっと心を鷲掴みにされるような人間的な哀愁を放っていたのではないかと思えるのです。

ただ政治と人道上の歴史的結果が、多くの人に彼が疑う余地のない人間性そのものへの敵対者であったことを歴然としたものにしているだけです。
だから、ドイツ国民は、決して国会審議で野党議員が農相の献金問題について追求している質問最中に「日教組、日教組!」とヤジを飛ばす安倍晋三氏のような品行と言動の人間を、再び自らの国の元首に留まらせ続けることはしないでしょう。
安倍首相に、ヒトラーほどの魅力やカリスマ性があるとも私には思えないのですが。


近年で言えば日本でも小泉元首相や石原慎太郎元都知事も大きなカリスマ性を持った人物で、世の中の動きを一気に動かしたと思えますし、未だ私たちは自分たちの中から代表を選ぶにあたって、ハッタリ性に弱い側面があるとも感じます。
衝動的な反動性を注意深く避けることが、正論をじっくり培っていくことにつながり、理知的な正気の社会をつくるはずです。

広告代理店や音楽業界などコマーシャリズムに関連する職種の人間か、実際にこうした人を操ることに長けたカリスマ的な人物を身近で体験された方には感覚的に「ストンと来る」話かも知れませんね。
読む人が読んだら容易に現実をイメージ出来る内容のはずですが、政治の世界で、若しくはメディアを通して拡散される選挙などへの影響の局面において、こうした現象が度々起きていることも疑いようがなく、それに対して私たち市民が自覚し賢明になる必要も間違いなくあるはずです。

こうした社会の空気として存在する「操られやすさ」に対抗するには、やはり一人一人の人間が一般の人にそのウソについて、様々な角度から語りかけて行くことが大切だと思います。
なので、私も何の特別な力もありませんが地道にこうしたことを書いてみています。こうすること自体が希望なんだ、という信念とともに。
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by catalyticmonk | 2015-02-21 08:24 | 皆影響され翻弄される | Comments(0)

後から気付く影響というものについての雑感

私は1992年から2000年頃まで新代田のラーメン店「なんでんかんでん」の近くに住んでいて、あのお店にはいろんな思い出がある。いろんな思い出が(笑)。
昨年、その青春の思い出の店が閉店した。関西へ仕事で移り住んだり海外へ行ったりして十年くらいの空白を空けてから最後の頃あそこへ行くと、時代の移り変わりについて、毎度いろんなことを感じさせられた。 それだけ、自分が今、自分自身の過去の生活とスパッと切り離され断絶した暮らしをしてるということなんだろう、とも思った。
「あの」なんでんかんでんが、相変わらず、ラーメンからツマミに至るまで、素直に料理の満足水準でいったら、美味しいイタリアンと比べたってなかなか勝てる店はないレベルを低価格で出してるのに、ブームが去ってガラガラなのは本当に内容に不釣り合いで訳が分からなかった。
私はインドの食事が自分の口に合ったので、三年間のインド滞在中も一度も日本料理が恋しくならなかったほどだが、青春の刷り込みというものなのか、それでもたまになんでんかんでんのラーメンだけは夢に出てきた。本当に唯一それだけだった。

この店が流行っていた時代はまだバブルの残り香があって、それが既に世界の十分の一の富を手にし、これから少子高齢化を迎える日本にとっては、結局、歴史上最も栄えた時代ってことに後世なっていくんだろうなあ、って十五年くらい経って気付いてる自分もいて…。
日本史上、最も若者の数が多くて良くも悪くも世の中が一番溌剌としていた時代が私たちの親の世代、団塊世代であって、その人達が日本社会の舵取りをするようになったバブルの時期が、金融市場における日本の絶頂期だったわけだ。 そして、その絶頂期はもう未来永劫再び来ない確率が高い。
日本の経済力だけでなく、人口の面でも、三年前から減少に転じ、ピークを超えたようだ。 日本の歴史上からいっても、本当に特別で特殊な時代に青春を送っていたンだなあ、なんて今更しみじみ気付く。


e0296801_11315339.jpg話は変わるが、たまに自分の故郷に帰ったり田舎のほうへ行くと、日本の地方こそオタク度がぐっと濃厚になるような印象を持つことが多い。
そもそもオタク文化とは、直接的な創造性やオリジナリティーによって成立したものではなく、既に成立している文化の消費を謳歌する派生文化の姿勢によって現れてきた現象だ。地方がオタク色が強くなる理由は、画一的な中央集権国家の文化的な周縁部にあって、独自な生きた文化が育ちにくく、その活力に欠けているからだ。だから彼らの中に少なからず存在する文化的・社会的な劣等感を含めて、互いに類似するし、双方が歩み寄ったりしやすい関係にある。
対して、生きた文化のある町・風土、例えば東京下町や大阪、京都、福岡などといった場所に育った者は、土地柄が自分の安定して揺るがないアイデンティティーになりやすい。
中央集権国家の文化的な周縁部は、文化面の環境としては自発性の弱さ、受け身な消費者的態度が現れやすい面がある。別に田舎を馬鹿にしているわけではない。どんなに中央から離れていようとそこに独自の文化が根付いている場所は、その土地が自分達の文化の中心なのであって、にも拘らずそこに活気がないとしたら、それは行き過ぎた中央集権体制というシステムのほうの問題であり弊害だ。

もちろん、生まれ育った環境がその人の性質の決定要因であるかのように思い込むのはまったくのナンセンスだと思う。人は後からいくらでも変わる。それでも生育過程の影響も大きいというだけの話だ。
ただ、個人的な印象としては、家庭環境とのミックスというものも重大な要素である気がする。

自分も19や20の頃は、ただの反抗心旺盛な若者に過ぎなかった。
世の中に金持ちや貧乏人がいて、田舎者・都会育ちの違いや、それぞれ育ちの違いがあって、日本の環境とアジアの発展途上国や西洋社会などがそれぞれ異なった価値観・社会の環境でまわっているという現実がまるで理解出来ていなかった。e0296801_11374687.jpgそもそも今だって自分の目と肌で確かめて知れる世界はほんの僅かで、色々よく分からないままだ。市場原理主義に翻弄される人々の価値観・生きざまというもの、資本主義でまわってる世の中のトリックやその中の洗脳、そういう様々な問題の存在は、全部後から20年くらいかけて気付いていった。

特に子供時代、まず先に意識にあったのは、自分の生まれ育った土地柄や時代性、社会の仕組みなどよりも、自分の家庭環境との相克、及び通っている学校や近所の友達との関係くらいまでがせいぜいのところすべてで、それで手一杯だった。
しかし、実はもっと他の大きな流れや仕組みにも影響され翻弄されているというね、誰にとってもそうしたところなんだろうなあ、とよく思う。
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by catalyticmonk | 2013-03-06 23:58 | 皆影響され翻弄される | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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