カテゴリ:地球人( 4 )

エコロジーと人間存在

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https://www.facebook.com/hakanmenguc/videos/10153378732672510/?pnref=story


この上掲動画のようなトーンで人間界を感じている人もいるだろうから、そういう人の感じていることの風刺にも感じました。
本当のところとしても、他の生態系にとっても人間てやりたい放題の騒がしいならず者だったのでしょうしね。悔い改めなければいけませんね、実際。
地球さん、まだあなたの中に置いてくれて、海の幸、山の幸を恵んでくれてありがとうございます。そして、ごめんなさい。


ところで、私は西洋人のエコロジストを自認するような人々とも何度か会っていて、その一般傾向とまでは言わないのですが、逆に彼らからこのアニメーションで戯画化されている人間像のような印象を受けたことが少なくもない頻度であります。
尊大なんですね、自分が地球意識を代弁しているかの如く振る舞って。

実体験のうちでいくらか話すと、例えば私が日本人だというだけで、マレー半島の山奥の密林のバンガローで、グルグル眼鏡のフランス人の酔っ払いのおじさんが他の西洋人家族を集めて日本人は如何にアジアの環境破壊をしているかブラブラ演説したりするんですけど、「地球意識なんて高尚なことを言う前に、あんた、ただの人種差別主義者だろう!」と(笑)。
また、インドで私にとって身近なようで遠い人種であるヒッピー風な外国人のライフスタイルを横目で見ていたりしても同様なことを感じたことはあって。

エコロジー云々以前に、ストレスから解放された環境で爆発して、そのまま単に粗野になっちゃうような人種というのも、一つの典型的パターンとして存在するんだなあ、と時折感じました。
私自身も不器用者ですから、大きなことは言えません。「外篭り」と言うかね、そんな心情も分かるんです。一人で何かしら生きる方法を見つけてサバイバルすることには変に器用なところもあったので、海外放浪とか留学とか色々しましたけれど、あれこそまさに「外篭り」でしたから。
だけれど、やっぱりそれで了見が狭くなって空威張りし出したら、自分が嫌な思いをしてきたものと同じ行為をすることになるんじゃないか、と感じる面があったのも素直な気持ちで。

なんと言うか、普通に人間社会にも適応できないならず者や変質者みたいなのが、自分が大きな顔をできる居場所を作りたい、というような動機の比重が大きいと、偏狭な楽園防衛義勇軍・楽園防衛義賊みたいになるんでしょう。
ですが、ここにエコロジーと人間存在の関係を見ていく上での本質が含まれている気がしないでもありません。


人間て、それほど希少なタイプでなくとも、威張れる場所を見つけては横柄な振る舞いをするということを、大概は際限なく繰り返す生き物のようです。
我が物顔でのさばりやすい習性があるみたいで、謙虚さや感謝の気持ち、といったものが文明社会の人間ほど薄いようです。
だけれども、結局は私たち人間も、母なる自然の内側で命を養われ、喜びを与えられている側なんですね。そういうのは、やっぱりたまに南の小島とか熱帯雨林のジャングルの中に出掛けてみるとか、ヒマラヤの山奥で暮らしてみるとかすると理屈抜きに痛感します。

でも、同時に大概の地域で、そこに住んでいる人の半分以上は、当たり前のように目の前に広がっている自然を大切にすることよりも、今より便利な暮らしがしたい、もっと外の世界に広がって行きたい、といった方向で人生を夢見ているようでした。
それも当然だけれども地球の環境資源と生態系の持続可能な許容量には限界があって、人類はとうとうそれを超え始めていて、でも人間同士の平等という観点から考えたら、すでに開発された文明社会の恩恵を受けて育ってきた自分たちが、まだそういう選択肢がない状況下で暮らしている同じ人間に対して指図する権利があるのか、という道義的な問題もあります。
そうかと思えば、一度も海を見たこともないようなインドの内陸部の田舎町の理容師男性が、深遠な哲学を持っていたりする人間の不可思議さ。世界の現状なんて知らなくても、人間の欲が深過ぎると大地との絆を失って天罰が下る、そういう次元の理解で全部分かっているんです。

自然の恵みに深く感謝して、他の生態系も持続可能な形で守りながら共存する、というのは、人間に都合のいい開発、という意味での文明が進んでいるかいないかに関わらず、結局はその人やその共同体内で共有される意識として、どれだけ強欲さに基づかない精神文化があるかどうかにかかっているようです。
そうした文化やムーブメントを、広く人類社会で興隆させていくことが、これからの時代の課題なはずです。

そして、その観点からすれば開発至上主義や経済至上主義といった価値観や政治姿勢は時代遅れもいいところなのですが、悲しいかな現実はあべこべです。今、そうした価値観の政府や為政者、権力者たちが世界的に台頭してきています。
それは要するに資本主義経済が行き詰まってきているからです。つまり、市場原理主義の動力源である経済成長が、世界規模で資源的にも人口バランス的にも限界に達しつつあるのは明らかなので、支配層・富裕層が従来の既得権益を失わないように社会の階級化を固定することに知力と策謀の限りを尽くし特権強化に躍起になっているからなのですが、これを野放しにすると私たち人間社会は確実に滅びます。
低成長でも持続可能な「分散型経済」のほうが、より多くの人々にとっても良いに決まっています。
人間社会が、自身の貪欲さとどう向き合い理性的な解答を見出していくのか、そこに大変な迷惑をかけている他の生態系の今後と共に、私たち自身の未来もかかっています。
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by catalyticmonk | 2015-12-13 16:20 | 地球人 | Comments(0)

タイの小島での人種差別体験と差別・暴力・憎しみ合いの連鎖の回避について

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電車の中で泥酔したイギリス人男性が日本人女性に悪態の限りをついて差別発言を連発、
「第二次世界大戦時に、クウェー川で自分の叔父が殺されたんだよ。日本兵たちに拷問されたんだ。俺?俺は英国人だ。あんたらは嫌な奴らだよ、嫌な奴等らだ」
「お前等は第二次世界大戦で負けたじゃねえか!列車から降りろ。さっさと降りろよ!俺の国から出て行け!」
「俺の親戚を二人殺されたんだよ!」
等々と暴言を吐いている動画をYouTubeで観ました。

e0296801_00313565.jpgその動画自体はすでに削除されているのですが、タイの某島でああいう目に遭ったことあるなあ。リゾートに来ているオーストラリア人とフランス人、ダイビングのインストラクターをしているニュージーランド人等の集団に。
まあ、私もそこにリゾートで行ったんですけどね、病中の静養で。
最初のうちに仲良くなったドイツ人のインストラクターとスウェーデン人の若い女の子二人組みの旅行者も、後からはバツの悪そうな顔をしながらだんまりを決め込んでいました。小さな島の、そのまた陸の孤島みたいな小さなビーチでしたからね。

e0296801_00132472.jpgタイなのに、私がツーリスト向けの中途半端なサンドウィッチなどには見向きもせずにタイ料理ばかり注文して食べているという冷やかしや、日本人の癖に英語を話せるのをプラウドしているとかいう、どういう被害妄想なんだかもよく分からない内容でからかわれ始めたのが事の始まり。
もちろん私の性格だからその場で「何が言いたいの?」と一、二度突っ込み返したら、その相手が日本人に英語でぴしゃっと反撃されるのを想像していないような世界の狭い若い白人インストラクターや中高年ヨーロッパ人観光客だったらしく、その都度、呆気に取られたような表情をされて、なんだか少し大げさに感じるくらいナイーブな感じで謝罪されました。別にそんなにきつい感じで言い返したわけではないんですけどね。

ところが基本、スキューバダイビングの免許を取りに来ている観光客が多いエリアだったものだから、そうした講習でボートツアーに日中インストラクター達と出掛けている間に西洋人同士の有色人種への差別意識に火がついたらしく(狭い隔離されたビーチなので、それ以外の彼らのレストランや宿での行動はほぼ丸分かりだった)、集団ヒステリー的な誹謗中傷の猛攻撃を受けることに。
私は病み上がりの静養に静かなビーチに秘島気分を味わうために来ていたつもりでしたから、ビーチの前にある珊瑚礁を素潜りして観賞するくらいで、スキューバツアーへの参加を考えるほどアクティブではなかったのも状況を悪くしていたと思われます。
もう具体的な内容なんてあったもんじゃない。まさにあの動画のような状態。私が宿のフロントにあるPCでメールを打っていたことや注文した料理の内容、寝ている時間が長いこと(病後なので当然だった)、レストランでみんなと喋らないこと(あからさまに悪態をつかれているから、段々どこのグループにも近寄りがたい雰囲気になっただけのこと)等々、もうなんでもいいから集団で一人の生意気なアジア人に弱音を吐かしてやろう、という感じで。

e0296801_00151581.jpg一人二人の男が言っているのなら言い返したけれど、家族連れのフランス人とかもお母さんが幼い娘と一緒になって便乗するふうで、悪態に参加していないドイツ人の老夫婦もレストランで私が話しかけると巻き込まれたくないのか席を移って行ってしまうような有様だったし、最初のうちに仲良く会話したドイツ人インストラクターやスウェーデン人からも避けられるようになったので、隔離された地理の狭いリゾート地で集団ヒステリーみたいな心理が小規模に働いている様子でした。
これはもう喧嘩するとか張り合うといった次元の状況ではない、という判断がつかないほど馬鹿じゃなかったし、身の危険を感じましたから、さすがの私でもそれから二三日でそのビーチを出ていったな~。

多分、煽るコアになっていた何人かに、たまたま選りすぐりの人種差別主義者が揃っていたのかも知れません。
そして、南国の離島のリゾート地という閉鎖的な環境で、そこの一番のお客様が西洋人の家族連れだった、つまり白人が殿様気分に浸りやすい環境でもあったわけです。
そこに一人で迷い込んできた日本人旅行者がいて、彼らを恭しく扱ってくれる同じアジア人であるタイ人の地元観光業者のようではなかった。対等に人間味丸出しで応対してくる。目障りだ、そういう感じだったのだと想像します。
この話を初めにSNS上の記事に書いたところ、ある女性の方が非常に聡明かつ的確に感じるコメントをくださいました。「アジアの秘境って日本人ほぼ行かないから白人コミュニティーが出来てるんですよね。彼ら長いバケーションでその間に一種の共同体になっている。個だと出来ないことが共同体になると出来てしまう。人間ってそんなものかもです...」と。


e0296801_00552241.jpgあそこまで露骨な体験は幸い他には記憶にありませんが、敢えて挙げるのなら、ずっと以前にバリのウブドでも近い経験がありました。
けれど、いっぺんに数十人単位の相手につるし上げにされるとかではなくて、スノッブなレイシストが入れ代わり立ち代わり登場する、という状況でしたから、その時は私が若気に至りで相手をかなり荒々しく脅してしまいました。
要するに外の世界を知らなくて勘違いしている連中の、アジア人に対する無知蒙昧故の偏見ですから、そこを逆手に取って私が堅気のアジア人でない物凄くやばい人間だと思い込ませれば過剰に危険意識を持たせるのも割合簡単で、相手は仔犬のように卑屈になるわけです。
私も今だったら絶対に同じことはしません。ただ、その時は女性連れだったから余計粋がってしまった(笑)。
そういう個人の軽挙妄動の積み重ねが世の中に争いの種をばら撒くのですから、そこまで意識せず、自分がやられたらやり返すとしか考えていなかった若い頃の恥ずべき過ちだと今は反省しています。

e0296801_00212475.jpgどちらの環境も、少なくともその周辺までは海外慣れしていない日本人が大勢来ていて、お金はばら撒いていくんだけど西洋人には妙にへこへこしてしまう、みたいな状況が多い地域だったと思います。
逆に日本人が普段から私しかいない、という環境で差別されたことはまずありません。
インドで暮らしていた頃は一般の外国人旅行者が来ないような場所に滞在していることが多かったので、そういうパターンも必然的に増えたのですが、日本人と向き合って会話するのは生まれて初めてだ、なんて言うドイツ人やイスラエル人相手なら、当然その場では私そのものが日本人というもののイメージの源泉であり窓口になるわけです。その場合には私の個性が比較的有利に作用するようです。


e0296801_00432255.jpgこうした被差別体験はもちろん気持ちのよい思い出ではありませんが、平和の国日本に住んでいて、マイノリティーへの迫害を日常さして意識もせずに行なってしまうような社会に生まれた自分にとっては、ある一つの教訓を与えてくれています。

やはり人種差別は人間性の問題そのものでもあるんですよね。人間の社会的精神の成熟度合いが試されるというか...。まあ、成熟していない私がこんなこと言ってもおこがましいんですが。
ああいう人種差別的な処遇を白人などから受けた瞬間は、思い出してみると、その場では「このオージーめ!」とか「ナチスの犬め!」とか、相手の国全体を罵倒するような言葉をついつい短絡的に叫びたい衝動に駆られたものでした。自分がそんな差別意識は当時も今も一切持っていないんですけどね。

「大小関係なく虐められたり虐めたりの経験(トラウマ)を持っていた人が大人になり気持ちの中では解消しているのに、何かあると加担してしまうというのもある」、と先述のSNS上のコメントと同じ女性の方が再び書き込んでくださったのですが、そういう要素は当然自分の中にもあると感じます。
ただ恐らく言えるだろうことは、自分に欠けたものがある、とはっきり自覚出来ている人はまだ歯止めの利く面があるのではないか、ということです。自身が社会のオーソリティーの側であると安心していて「自分はまともだ」としか思えない人間が一番歯止めが利かないんだと思います(笑)。

単純な話、誰しもいきなり見知らぬ誰かから殴りつけられたら、とりあえず条件反射で相手に殴り返すものでしょう。相手が機関銃を持っていて自分が丸腰である、パンチパーマにサングラス、ジャージ、刺青姿のヤクザに対して自分がコルセットをつけたヘルニア持ちの中高年であるなど、瞬時に互いの力の差が判別出来る場合はこの例のうちではありませんが。
言葉の暴力であっても、それが圧倒的な勢いであればとりあえず反撃してしまうのが一般的な人間の防衛反応ではあると思います。

e0296801_00245324.jpgですから、実際に自分の仲間や愛する人が、テロや空爆や戦場での戦闘で目の前で殺されたら、さぞかし人間は歯止めが利きにくくなるんだろうなあ、と簡単に連想出来る気が私はするのです。
頭を冷やす暇もない喧嘩の現場に至る前に、争いの種は摘まなければならないのでしょう。
私はインドではヨガや瞑想のインストラクターだったり、ニューエイジ系の著作を書いたユダヤ人作家の方などとも等身大の人間付き合いをさせていただいていましたが、自分の知る限り、凄く知的な人物でも取っ組み合いや掴み合いが起きている現場では普通の人とそんなに大差ありません。大体が元々繊細でナイーブな感性の人のほうが精神的な事柄に関心を持ちやすいみたいですしね。

ですから、人間の知性は直接の争いの場からは一歩退いた場所や状態でないと本領を発揮出来ないんです。
教育とか文化とか政治の場でこそ、非暴力や反戦、平和主義というものを実現していかなければならない。
つまり、例えば日本は今はまだ武器輸出し始めて憲法が解釈改憲で侵されてはいても実際に国民が直接戦場に行って人殺しをしている訳ではありませんが、「だから、まだ大丈夫」、ではなくて、暴力の連鎖や憎しみ合い、戦争を止めたいのなら本当の本当に「今」、やるしかないんですよね。

戦争や暴力、って、単に概念で考えているとなぜいけないのかがイメージし切れない面があると思います。そして、そういう緊張感のなさが平和の中で差別や虐待といった形で、徐々に人間の中の危うい性質を育ててしまうところがある。
だから、こういう私個人のくだらない体験談でも、何かリアリティーとして捉えるきっかけになれば、と考えます。
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by catalyticmonk | 2015-08-20 05:04 | 地球人 | Comments(0)

インドのカルトヴェリ

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https://m.youtube.com/watch?v=YH262xCtKHQ

グルジア人の男の友達なら一人とても仲のいいのがいたけど、グルジアの歌ってこんな感じなんだ!(◎_◎;)
地中海人種っぽいなあ。でもロシアというか、スラブ民族の雰囲気にも近いし(スラブ系ではないのですが)、お、お、面白い!
因みに、グルジアというのはロシア語読みなので、彼らにはどちらかと言うと英語読みで「ジョージア」と呼んだ方が好まれるようです。自分達のことを「カルトヴェリ」と呼びます。

e0296801_01193425.jpge0296801_16350490.jpg先述の仲の良かったカルトヴェリの友人の名はダビド、通称デイヴィッドと言って、何事にも動じない誠実で友達思いの男で、おまけに超のつく美青年でした。インド滞在中、瞑想センターなどの施設が北部の山側では全部閉鎖されてしまう冬の時期の越冬で南インドに行った際に、モルジン・ビーチという所のロシア人が経営するカフェの従業員として働いていた彼と知り合い、仲良くなったのでした。
「もしお前がロシアに生まれてモスクワに住んでいたら、それはとてもとてもラッキーなんだ。ジョージアは物凄く貧しいから、物価の安いインドで働いてバイクに乗ったり、好きな時に海へ行き、友達と会い、飲食も自由に出来る、そんな自由があるここの暮らしの方が俺の人生に取っちゃ素晴らしいのさ。そんな暮らし、ジョージアで一生働いていたって出来ないよ。お金を稼いで生活を向上させる望みがあるのは星粒のようにわずかな恵まれた家庭環境の奴らだけだ。
ロシア人やジョージアの仲間だってここに旅行に来た連中と会って話も出来るから寂しくもないし、こうやって生まれた場所は違えど肩を並べて心置きなく一緒に飲めるお前だって仲間だ。人種も生きる場所も関係ないんだ。自由だよ。それを選ぶのは俺達なんだ」
そう彼は語っていました。

e0296801_06505292.jpge0296801_01445030.jpgそんなふうにこのジョージアの歌の動画を観た機会に日本では馴染みの薄いカルトヴェリの友だちのことを思い出したら、異民族と接する際に感じる皮膚感覚としてかなりリアルな部分の記憶まで色々とフラッシュバックして来ました。自分の生まれ育った生活環境の範囲内でなら言い辛いから感じているのに話題にせず抑圧されてしまうような感覚に避け難く直面するのが異文化交流の面白いところだったりします。自分の内側で眠っていた何かまで意識の表層に掘り出されてくるんですね。なので、この機会に大真面目に生々しいこともいくらか書いてみようと思います。

e0296801_01413111.jpge0296801_14461730.jpgまず前置きとして私は普段あまり男臭い感じが好きでないのです。どうやら子どもの頃に父親から虐待を受けていた過去と関係しているようです。
潜在意識として、男に気安く触られたくない、という刷り込みがあったらしく、同性に触られることと自分の父親から暴力で屈服させられていた屈辱的な幼い頃の体験がどうしても自動的にリンクしてしまうので、こういう習性が身のついたようです。
もっと若い頃は冗談で頭をポンと叩かれただけでついカッとなって、本気で相手に殴り返してしまう、というようなトラブルも時折ありましたが、今はそんなボロ切れみたいな無茶をするほど若くありません。
やや話は横道に逸れますが、過去の被虐体験が暴力の連鎖を引き起こしやすくなる、というのは、第二次世界大戦中にホロコーストでの大虐殺を受けたはずのユダヤ民族の子孫であるイスラエル人が、現在パレスチナ人に行っている虐殺行為を見聞きしても簡単に起こり得ることなんだなあ、と感じます。そこはやはり体験したことを意識化して成熟するしかないわけです。

話を戻します。
が、そのカルトヴェリの友人のデイヴィッドも、あとロシア人の友人達も、少なくとも仲のいい友人に限って言えばみんなギトギトしていなかったんですね。だから生理的に彼らとは長時間そばにいても苦になりませんでした。そう、なんでかまた、ロシア人の男友達ともそんな感じだったんですよねえ。息苦しくならないという感じ。
デイヴィッドは何かむさっ苦しい感じが一切しないと言うか、それでお互い相手を見つけては大喜びしていましたから、今考えると日本でなら相当ホモっぽく見えていたことでしょう。男臭い空気に浸かるのが好きでない私にしては珍しかったわけです。
しかし、LGBTの方々を差別する気はないのですが、私のジェンダー観が誤認されても無用の混乱を招くので一応弁明させていただきますと、デイヴィッドも普通に女性が好きな20代の若者でしたし、なかなかいなせな男でした。威勢が良くさっぱりとしたきっぷの男が美青年なのだから無敵ですよ。私も当時はまだいろんなことがありました。

ところがそれがドイツ人やイタリア人やイギリス人の男友達となるとですね、仲良くなる友達はたくさんいるのですけど、何かが違うわけです。
好き嫌いや理屈とは関係なしに、下手すると日本人男性よりも身体間隔を空けたくなるのです(笑)。あくまで私個人が生理的に感じた部分での感想で悪意はない点をご理解願いたいのですが、男同士の正常なテリトリー意識の発生の頻度が増えてくる、とでも表現すればかなり語弊も減るでしょう?
人間同士は基本、個人対個人の関係が一番肝心で、そこに人種・民族は関係ないと思うのですが、それにしても歴然と感じる傾向というものはありまして、ああいう生理感覚の差というものはどこから来るのか、未だに謎です。
単純に民族や人種ごとに体温や発汗量が違う、なんて種類の理由だったりしてな〜^_^;
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by catalyticmonk | 2014-09-16 00:06 | 地球人 | Comments(0)

国籍:地球人、生まれは日本地方。ってくらいがいいな。

e0296801_1341626.jpg生活を人質に取られているようなもので、何かに従属しないとこの国で生きていくのは難しいです。それで開発独裁の政府の手先になったり、企業の汚職や不正を手伝うことを組織内の同調圧で余儀なくされたり等々、自分なりの規範や正義感のある人間にとっては、躓くことだらけの世の中です。
そうした状況はもちろん世界中に満ち満ちているわけですが、現在の日本社会は、バブル期まで55年体制下で社会党や革新勢力が自民党政権が続く中でも一定の影響力を持ってまだ保守派の露骨な暴走を止めていた時代以上に、息苦しい監視社会・権力の高圧的支配へと変貌しつつあるんじゃないでしょうか?

例えばインドネシア社会は今でも戦前の大日本帝国時代の日本人から受けた負の記憶を色濃く受け継いでいます。ジャワ人、スンダ人、バリ人、ブギス人等々、それぞれ宗教も生活慣習も違いますが、旅行客としてだけでなく個人的にいくらか心を許してもらえるようになるほど、彼らアジアの隣人が簒奪者として日本を見ている現実を知る機会も増えます。
確かに、材木や石油などの資源をめぐる日本との共同開発やその貿易で発生する商業効果、観光客として訪れてくれる日本人からの収益など、日本との関係が彼らを経済的に利する部分も多大なはずですが、そのことによる副産物として無計画な森林伐採や生態系破壊など様々な環境汚染、治安・風俗の悪化や貧困層の増大といった問題も起きているし、開発至上主義的な観光業の生み出す利権が伝統文化や地域共同体の破壊を呼んでいる面もあって、彼らは日本人を商売相手としては笑顔で接してくれていても、内心戦前の日本軍と変わらぬ簒奪者と見なしてもいます。
ですから、私は日本へ帰ってくると複雑な気持ちになります。昨今、日本では日の丸や君が代を教員に強制し出しているけれども、この国は戦後、戦時中の侵略行為を一度もきちんと総括してきていません。

団塊世代ジュニアである1971年生まれの私は、戦争に行った世代の身内から子供の頃に生の話が聞けたギリギリ最後の世代でしょうが、幼い私が「なんで日本は戦争したの?」と聞いて彼らから聞けたのは、曖昧な返答ばかりでした。
「資源面でも国土の大きさでも大差のあるアメリカなんかに勝てるわけなかったんだよ。」
という説明が祖父から聞けた言葉だったし、他の大人達もたいてい似たような表現で、なんとなく負けたから現実を受け入れたといった感じの曖昧な答えばかりでした。あたかも「負けちゃったから仕方ないけれど、勝ってくれていたらもっと良かった」と言外に言っているようでさえあって、子供ながらに、学校で受ける「戦争はいけない」という表面的な戦後教育を肉付けしてくれるだけの実感のこもった言葉が周囲に見当たらないことを不自然に感じました。
別に私は自分の祖父母やそれ以前の世代の人達にすべての罪を押し付けて非難する気など毛頭ありません。
ですが、翻って考えるに、日本の戦争への総括はどのようなものだったのでしょうか?
「あの戦争はこういう原因とこのような誤った考えによって行われ、その結果、悲惨な敗戦を迎えた。だからこそ我々は自発的に真の民主主義国家を作り国際貢献していくために、同じ失敗を繰り返さないよう過去とはこういうふうに違った国の姿勢を持つんだ。」
e0296801_1311652.jpg…などというような国家としての具体的かつ真摯な総括は一度もされないまま現在に至っている気がします。新しい平和憲法がお題目のみに終わってしまわないだけの国民の間での広範な議論も為されたことがないまま、皮相的な態度で民主主義を受容した印象も拭い去れません。
あの日本国憲法はアメリカから押しつけられたばかりではなく、戦争の悲惨な経験がまだ新しかった時代に平和を切に願う国民によっても熱心に支持されたものだった、とは聞きます。また、一部の政治的宣言の中にそうした主旨・方向付けのものもあるのだろうけれど、それらを埋れさすほどの質と量の他の様々な矛盾する国の態度があったし、国民感情の中に未だファシズムと親和性の高いお上意識が色濃く残存しています。何が明白な国家としての統一見解なのか実質限りなくあやふやにされてきているので、やはり総括があったと言うには程遠い現実だと思います。

そうやって、きちんとした総括もされてきていないからこそ、日本の国家体質と日本人の潜在意識の中には未だに全体主義的な資質・大日本帝国時代の亡霊のようなものが生き残ってしまっていて、時折眠っていた休火山が突如噴火するように、思ってもいなかった場所に予想外の勢いと速度で大きな揺り返しやねじれが発生します。
それが無反省のまま簒奪者的な態度を国際経済活動の局面で行うことを助長している側面もあるはずだし、近年のように国力が落ちてきたり行き詰まり感が高まれば再び右傾化する、ということともつながっているのでしょう。
国家に帰属する意識を強めることによって空虚感を持つ自分達の自尊心を満たそうとする心理構造もあるようで、自分達の国の優位性を感じ取りたいがために近隣諸国や他民族を見下たり否定する衝動も強まります。だからこそ、さらに国家という幻想装置に盲従するようになるし、それに従わない同胞を厳しく相互監視し協調圧力を強めるような流れにもなるのでしょう。

国家という共同体意識は当然のことながら生理的・自然発生的なものではありません。社会的・文化的・政治的な幻想によって作られている因果であり、大いに作為的なものでもあると思うのですが、それでも人が自ら生まれ育った環境を愛するのは自然なことだとも思います。大集団で社会を形成し知的活動を発展させているのが人間の特色でもあるのですから、そういう素朴な感情がやがて必然的に概念上の組織枠に拡大されていくのも当然だ、という解釈が出来ないわけでもありません。
でも、私は脆弱な自我の投影のような形での愛国心など偽物だと思うし、それがもし自分の心の隙間の穴埋めのためだけに立脚しているとしたならば、あまりに安っぽいとも感じます。
少なくとも私の気持ちとしては、他の地域や民族と比較し何らかの優越感を感じることによって成立するような誇りならいらないし、増してやこの国家の一員として認められるために個々人の価値観や多様性を圧殺することへの加担をどうしても要求されるようであるなら、そんな会員カードは辞退したいです。

ですから私の国籍は日本人だし、この国の文化や自然を愛してもいるのだけれど、まず何より地球人でありたい。
自分が帰属する地球の中に生まれた土地があって、慣れ親しんだ言語や文化があるのであって、単に政治的な都合で作られた肩書きである国籍に基づいて自国の領土や文化・歴史・民族を他国より優れたものと見なす気はありません。
それがベターな道だと私は考えるのですが、どうでしょう。
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by catalyticmonk | 2014-03-11 02:07 | 地球人 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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