カテゴリ:生と死のリテラシー( 2 )

お墓という文化について

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インドでは人が亡くなれば燃やして灰にしてそれを川に流すのが一般的で、インドの有名な観光名所であるタージマハールもお墓ですが、あれはイスラム教徒のもので、一番多いヒンドゥー教徒にはごく一部地域に土葬の習慣もある以外は、基本的にお墓がありません。
そういう墓がない文化の人が例えばインドであれば10億人くらいいるということです。
チベット人も伝統的には鳥葬が主でした。最近は火葬が増えて、火葬炉は各戸にあってお正月にお参りに行ったりしますが、炉は荒野の真ん中にポツンと建てられていて、そんな大層なものではないのですね。
東南アジアなどのテワラーダ仏教(上座仏教)の国々でも、亡くなった方々に追善供養するということはよく行うようですが、お墓にはそれほど拘泥しないようです。
つまりお墓が世界共通の普遍的な文化でもない、ということです。

先祖供養や墓参りをまめにしないと家運が傾くとか言う日本の伝統仏教のお坊さんに会うと、私はそういう話をします。
そうするとたいてい気まずそうな顔をして話題を変えられるのですが、あれはなんでなんでしょうね。まあ、私がインドの文化学校に留学していた、という自分の経歴を言うと、ある種そういう話題を自身の宗教的権威で説き伏せるのが容易でない相手だとも思うみたいです。

ただ、残された人がやはり死者と対峙する場所が欲しいと思う気持ちも分かりますし、そうした死者を振り返る様々な宗教的・伝統文化的な儀式を、しみじみとした気持ちで執り行うのもまた意義のあることだと思います。
それは個々人の亡くなった方への想い、思想・信条・信仰心といったものであって、他人が勝手に冒すことのできないものです。

同時にだからこそ本来は他の人に強要できる性質のものではないはずです。
重いリスクもあるような内容の宗教儀礼の遂行を、家族だから何が何でも従え、と言ってしまっては、「お前は私の娘だから、うちは先祖代々○○教徒だ。宗教の違うクリスチャンのあの男と結婚することは許さん!」などと言っている頑固オヤジと大して変わりないんですね。
このような意見の記事があります。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3562/3.html

「例えば一昨年(2012年)の例でいいますと、一昨年に亡くなった女性のうち、80歳以上で亡くなった方って7割を超えてるんですよね。
そうすると、例えば90で亡くなった方の二十三回忌を誰がするかということを考えてみれば分かりやすいと思いますけれども、もう子どもも亡くなっている可能性が高いわけですよね。
そうすると、90で亡くなった方の二十三回忌をするのは孫ですよね。

ところが3世帯同居が非常に少なくなってきていて、会うのは年に1回という孫とおじいさん、おばあさんの関係になっていると、おじいさん、おばあさんが亡くなって二十何年後に、きちっと法事をしたり、お墓参りをするっていうのは、なかなか考えにくいですよね。
(亡くなった方を覚えている人が本当に少ないということ?)
そういうことですよね。
ですから、長生きをすれば、自分の死後、自分のことを知っていた人がこの世に生きている年数が非常に短いっていうことですよね。
ですからやっぱりお墓参りというのも、来る人なんかも非常に少なくなるということが一ついえると思いますね。」

個々人の信仰に関する問題はひとまず脇に置いてフラットに現実だけ考えても、私はやはりお墓、という制度の社会通念的なレベルでの存続自体に無理があるのだと思います。
高齢化時代に核家族化と信仰心のない墓の機能の形骸化が進む中で、それを一律な制度的なものとして存続させるのは物理的にも精神的にも難しい時代になってきているのではないでしょうか。
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by catalyticmonk | 2016-08-17 00:15 | 生と死のリテラシー | Comments(0)

目を塞いで曲がりくねった尾根道を歩くと

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http://japan.digitaldj-network.com/archives/51858994.html

「『死ぬ』を感じずに『生きる』ことをリスペクトすることは出来ない。『死』を覗き込む欲望は人間にとって食欲や性欲と同じように当たり前のように存在する欲望で、『生きる』という機能にとって不可欠なものだ。死を隔離しながら生を行えというのは、『空腹』を知らずに『食欲』を感じろと言っているかのように馬鹿馬鹿しい。死や死への恐怖心が人生にとってもっとも重要なファクターのうちの一つということに異論がある人はないだろうにもかかわらず、痛ましい事件・事故が起きる度に責任の所在ばかりを言及して、まず一番初めの『死』の議論をしようと手を挙げるメディアも公的機関もない。」


e0296801_1041445.jpg全くもってその通りだと思う。
あと、日本人から死が隠されている、というのも納得出来る話。

インドでは死が日常にありふれていた(__またもやインドの話になって恐縮だが、私の死生観を大きく変えた場所がインドだったのでご容赦願いたい)。
だから悲惨、ということもない。ただ、もっと人生を見つめる目に異なった次元の深みが加わるから、それが彼らの世界観を現生利益のためだけに狂奔するような殺伐とした生き方とは違った豊かなものにしている面は感じた。
どこの土地柄がいい、とかいう次元にとどまる話ではない。「生」の中の豊かさだけを見て人生を送ることも、また別の息苦しさや貧しさ、醜さを生み出してしまう。
また、誰もが死を迎えるのに、直前までそれに対する想像力を削がれて生きては、「生」の中だけで行ってきた人生設計や日常がプツリと急に切れてしまう感じになるから、その人は納得出来ない気持ちで人生を終えることになるだろう。

心の準備が必要だ。


......がんの五年生存率なんてものは、その患者のがんが転移してからでないと正確には進行がんかどうか分からない現状を考えると、早期の段階では脅し以外の何ものでもない。そういうことを言って患者に時限爆弾のような将来に対する過度の不安を与えておいて強引な治療を勧めてくる病院は多い。
しかし、80年代くらいなら普通に広範な病院が患者にがんを告げず、本人に勝手に抗がん剤を投与していたりしたのだから、そこの部分で彼らに正当な主義主張があるとも思えない。あるのは、経営上の合理性と、生命の質への不理解、そう感じられてならない。
未来は、いいことも悪いことも含めて不確実であるからこそ、人間はそこに生きる希望を見出せるんだ。

近代医療自体が、「病気を治療する」という形で生存にしか目を向けていないことが、極端に苦痛に満ちた治療体制に結びついている面は否めない。
斯く言う私自身が、そういう厄介過ぎる問題点を抱えたがん医療について深く考えることを億劫がっていた。
その事実を自分ががんになってみて初めて気が付いた。だから、どこまで病院の医師の方針に従っていいのかさえ突然のことで判然としなかったりして、慌ててがんに関する著書を何冊も読み漁るはめになった。
こういうのが準備不足というのだ。
何も考えず病院に身を任せればいい、と言われても、私は心身ボロボロになってまで延命治療をしたいとは思わない。そうすると、何が妥当な処置でどこからが過剰治療なのかを、素人なりにいくらか自分で検討しなければならない。

e0296801_1055824.jpg調べてみて分かったのは、抗がん剤投与や放射線治療が治療効果上確かでない、というより、少ない可能性でも可能性ゼロではないから、寿命を一日でも延ばしたい人は試す価値があるということ。
QOL(生活の質)や苦痛を考えると、時間軸だけ無理に延ばす価値は怪しい所だけど、そこは最後まで個々人の価値観次第。
e0296801_10372423.jpg個人的に素人ながら様々な知識に触れてみて思うのは、基本的にがんになった人は、生まれ持った寿命が短命だった、と思うほうが素直な解釈だ、という印象。また、がんは現代日本の死亡原因一位であるけど、老化とともに増加することを考慮すると、栄養や衛生状態が良くなった結果として長命になった分だけ必然的に増えたとも言える。
ただ、がんになった人の中にも細く長く生きれる人間はいるし、近代医療によってギャンブルに当たるくらいの確率で延命出来る人はいるということ。
しかし、その比率は圧倒的に低いし、大変な苦痛と引き換えになる場合がほとんど。
それでも生き永らえて幾らかの人物が残された時間の間に何かを成すことは出来るかも知れないけど、問題は、そのように生きれる人は稀なのに、現代社会全体の風潮として「生」の中だけに生命の意義を偏らしているので、生きる時間の延命と生きている間の感じ方や充足感、生死の間にある質の内実といった部分のバランスシートをまったく無視している面が甚だしいというところ。
物質文明に人々の価値が偏った結果なのだと思うが、結局誰も死を逃れられない現実を考えると、私には到底賢明な判断とは思えない。

特に団塊世代以上の人達は、戦後にどんどん寿命が延びてきた時代を見てきているから、現行の医療への信頼が篤い方々も多い。外科手術でも抗がん剤でもワクチンでも出来ることはなんでもやってもらって、痛みに耐えて一日でも長く生きるのが生きる者の勤め、くらいに本気で思っていたりする人達が大勢いて、その考えは彼らほどでない若い世代に対しても当然大きな影響を与えている。
彼らはそういった信念のもとに、善意で私の身を案じて色々言ってくるわけだから、私もただ突っぱねるわけにはいかない。大体、そういう人達に言いくるめられて最愛の伴侶まで言うことが変わってきたりするから放置しようがない。
彼らのすべてを説得など出来ないにせよ、衝突を少しでも和らげて、自分にとって最善と思える選択をした上で周囲の不要な動揺を減らしたいのなら、どうしても勉強せざるを得なくなる。
でも本心を書けば、私自身の判断のために必要な知識以上に誰かを説得するためのデータの暗記なんて、そんな面倒なことはしたくない。
自分の望む選択をして、その上で「自分は生きるんだ」とシンプルに希望を持って毎日を送りたい。
それは誰しも近いところを感じる話なのではないだろうか?

e0296801_1053252.jpgただ、やはりそうなるためには、世の中全体が過剰に死を忌避して、医療も患者本人無視で病気との対決に突っ走るのを良しとするような風潮が少しずつでも変わらないとどうしようもない気がする。社会全体の医学基礎知識や病気の現実に対する認識レベルがアップしないとそういうお医者さんに全部お任せ、ということにもなりやすい。
それが個々人の判断にとどまるだけならまだしも、がん医療は本人に宣告しない場合、胃がんを胃潰瘍だ、なんて本人に言って、こっそり抗がん剤を投与したりしてきた。だから日本では液体状の抗がん剤が主流なのだと言う。点滴に混ぜたりして内緒で投与出来るからね。そんなの犯罪だ、と私は思うんだけど。

当たり前の話だけど、人の命にも自由とか人権とかがある。ただ生かしておけばいい、というものでもないし、そもそも過剰に不安を煽ってしなくてもいい治療を受けさせている場合が多いのは、生命を軽んじてさえいる。命を軽んじる医療なんておかしい。
やはり、「生」の中だけを見ているからこうした倒錯が起こるのだろう、と私は感じる。
実際、我々は生と死の両方に関わる存在なのだから、片方に対しては目を塞いでいたら、曲がりくねった生命の尾根道を躓かずには歩けない。
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by catalyticmonk | 2013-05-20 00:55 | 生と死のリテラシー | Comments(1)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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