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繰り返さないために忘れてはならない戦争の記憶




韓国の映画コンテンツ専門大学院キム・ジュンギ教授が旧日本軍の蛮行を広く知らせるために制作した映像だそうだ。
CGだからこそ可能だった表現だろうが、あまりにも生々しく衝撃的。全編日本語で語られているので日本人にも分かりやすい。


私がインドの文化学校に留学していた時、ルームメイトはキーフンという韓国人だった。彼から聞いたのは、若い韓国人はみんな日本人を憎んでいる、と。それは学校教育で、日本軍や日本人が統治時代に如何に酷い行為をしたか教えるからだ、と直截に言っていた。

そうは言っても、見知らぬ私にルームシェアしようと声をかけてきたのは彼の方だったし、彼を通して短期旅行者の若い韓国人集団と仲良くなって、ヒマラヤ地方をトレッキングしたりしていたから、私の実感としては若い韓国人は相当日本人に親近感を持っていると思う。

いずれにしても、そんな彼らであっても、親しくなったからこそ端的に本心の一端を強調して伝えてきたのだと思う。私は一人で異文化の集団に紛れ込むという種類の体験を好むところがあった。そうやって、ある程度相手の懐に入らないと聞けない言葉や感情というものもある。

色々と文化や民族性は違っても、親しくなれば、誰も等身大の生身の人間でしかない。個人として接する時には生身の人間と生身の人間でしかない。
それが異なる集団と集団に分かれて対峙し合った時に、違う生き物や血の通っていないモノのように感じてしまう事が起きてくる。

私は、ズバリ言ってしまうが、日本人はチームワークや管理能力に優れていて人間の集団としてとても能力優秀だが、ある意味で一番「人でなし」な卑しい性質も抱えている人々だと思っている。
ドイツ人などにも言えるが、集団主義的な文化や社会風潮が強いからこそ、とても排他的で、時として非人間的な冷酷な行動を取ってしまいやすい集団なのだ。

ナチス・ドイツのアイヒマンも「私の最大の罪は命令に忠実であった事だ」と言っていたように、企業や官僚、政治家などが行なう大規模な不正や国家による大量虐殺は、集団に依拠し過ぎて自分個人の人間性が希薄になったところに発生する。

ドイツ人は、戦後、その事を社会単位や教育活動の現場で直視して、思慮深い政治性を進歩させた。
しかし、日本人はそういう事をしてきただろうか?
戦前の戦争を起こした特権階級の子孫がそのまま国政を牛耳る政界の中心に居座って、従軍慰安婦問題一つをとってもドイツのような誠実かつ内省的な反省を国家が積極的にしてきた事などない。

国家という最大規模の集団の意思によって為される戦争行為は、人間が同じ人間を人間として見られなくなる極限の麻痺を引き起こす。人を人でなくしてしまう究極的な悪なのだと思うし、だから、それをしてはいけないのだ。


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by catalyticmonk | 2017-07-26 00:42 | 反戦 | Comments(0)

暴力を憎む暴力

暴力では何も解決できない。
単純明解な道理だけれど、
暴力の連鎖が始まってしまった場所ではこれが難しい時もある。

私の捨ててきた家族は特殊な世界の人々だったから、
私はシャレじゃなく自分の肉親に殺されそうになった体験があって。
だから私は暴力の問題に関しては
大概の普通の日本人よりも現実味を感じていると思う。
自分が争いごとが大嫌いなのに、
何故かずっと暴力的なことが人生について回ってきた、
そういう因果もある。

兵役のあるイスラエルに生まれて、
敵兵がいるかも知れない建物に突入して、
泣き叫ぶ母子を銃で殴りつけて床に伏せさせたりしてきた、
或いは爆弾を落としてきたという20歳そこそこの若者たちと、
インドの瞑想センターでは文字通り寝食を共にして、
そういう若者も深く傷付いていて、
一人一人は普通に人間味のあるいい連中なんだと知った。

私は昨年のイスラエル軍のガザ空爆の際には、
多くの友人がいるイスラエルへの抗議運動に参加した。
でも、イスラエル人がテロの脅威と隣り合わせで暮らしていて、
兵役がある彼らも犠牲者だとも知っていて。
やっぱり人の命に軽いも重いもないし、
犠牲者の数だけで考えるべきことでもない。
やっぱり私たちが最も闘うべきなのは、
戦争をする国家権力、
それによって利権を得れると考えているような者たち。
今回のパリのテロだって同じ話だ。
ISに空爆で報復したってテロ自体は消えるどころか増えるはず。
またテロとは関係のない、
多くの罪もない一般人が巻き添えで殺されてしまう。

自分の愛する人々の住む町に
ミサイルを撃ち込もうとしている相手が目の前にいたら、
そういう抜き差しならない状態の世界で生きてきた人なら
飛びかかって目玉を抉り出すくらいすると思う。
穏当な話ではないけれど、
そういうことが平穏無事に暮らしている人には
なかなか想像できないのも事実。
分からないと簡単に正義と悪を決めつけて、
結局争いごとの連鎖が解かれない、
そんなところもあると思う。

私は自分の風変わりな半生を通して、
もう誰かを殺してしまった人間であっても、
それで人間として終わりでも何でもなくて、
人と人との温かい、
いや熱い友情というものだって生まれ得るんだと知った。
それって人間の持っている愛だ。
愛に高尚も低俗もない、すべての愛が尊いもののはず。
愛に上や下の区別を付けたなら、
その分だけ、それはその人のエゴと欲望になるんだ。

暴力で相手を屈服させようとするのを
一人一人がやめなければならないのだけれど、
一人一人が自分の内面だけ見つめていても
なかなか変わらなくて、
だから私はインドでの暮らしで、
精神的な事柄に関心のある人々が
様々な自己矛盾や葛藤に遭遇する様もたくさん見た。

精神的な修練は、確かに個人には役に立って、
特に隔離された環境で集中的に行なえば
短期間に劇的な心理作用も起こる。
だけれど、それがスーパーマンを作る訳じゃないし、
仮に何らかの意味で凄い精神状態に個人がなれても、
それだけで世界が変えれると信じるのは
ナイーブ過ぎる、と私個人は捉えていて。

私は育ちの問題もあって、
全然人間が特別高尚な人格になる、ということへの憧れとか
期待を持っていない種類の人間だったので、
そういうのを横目で観察していたのだけれど。
そもそも伝統的な模範人格とされるものが多くの場合、
単に固定観念や偏見、
教条主義などに大いに支配されている点に即気付いてしまって、
私の個性の規格とはまるで合わない気がしたので、
真面目に取り合う気になれなかった。

大体、その瞑想センター自体が、
宗教の種類や信仰の有無を問わない
犯罪者や様々な依存症の更生機関で、
刑務所から修養コース参加希望者を集めて
直接囚人が送られて来て、
一定期間共に暮らすような場所だったから、
私の生い立ちから来るある種のセンスが役立つようだった。

私の人生の中で最も社交的な時期は、
実際、犯罪者や殺人経験者にずらり取り囲まれていた訳だから、
結局自分の出自なりで、
如何にもだ、と言われてしまうだろうという自覚もあって、
現に帰国直後は素直にペラペラ話していたら
ずいぶん嫌な思いもしたので、
結構今でもポツリポツリと
端的にしか話す気になれないというのが本音。

大半の人は平和に暮らしていて、
だからたまたま交通事故で刑務所に入ったような人も含め、
何か犯罪者や前科者と少しでも関わり合いのある
危うい事柄は極力避けたい、
そういう感じなのだろうけれども、
犯罪もね、
ある種経済の収奪がもたらす貧困という名の暴力によって
多々生み出されている面があると思う。

誰もが平和であれたらいいのだけれど、
私はまず痛くも痒くもない場所にいて、
他人に命令して暴力を働かせている連中に一番言ってやりたいな。
だから基地も戦争も要らないんだよ、と。
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by catalyticmonk | 2015-11-28 23:58 | 反戦 | Comments(0)

戦争と人間の性質

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私は暴力的な環境で育ったし、内戦国などに滞在して戦争の空気も多少は感じているので、例えば戦争経験者が何十年経っても飛行機の音を聞いただけでゾッとする、戦慄を覚える、という感覚が起こるのはある程度理解出来ます。明日も明後日も、自分が安心して生きられる、という日常感の外にある別の緊張感は知っています。
また、人間が「殺したい」欲求を持っている生き物だということも実感しています。殺したいんですよ、敵は。
それは特別でも野蛮な感覚でもない自然なものです。それが本能だからこそ、拡大した社会においては抑制されなければならないのです。
そうでなければ社会規模の拡大は戦争とイコールになってしまう。だからこそシステムとして遠ざけなければ止まらないものだと思います。

こういう意見を言うと私が大変な人間不信のペシミストだ、と誤解を受けることも度々あるのですが、私は別にそういう性善説でも性悪説でもないのです。
人間は善にも悪にも、どういうふうにでもなり得る存在で、友愛と寛容を育む方向も、種と自己保存の本質に基づいて攻撃的になる性質も、双方向とも本能的に備えていて、ある条件下ではそれらが意識的・無意識的に力を持つ、と考えているのです。

必ずしもすべての局面においてではないのでしょうが、人間の脳は攻撃本能を司る部位と性的興奮を喚起させられる部位が隣り合っていて、一方の刺激信号が他方の部位の脳活動を互いに刺激し合う関係にあることが脳科学では知られています。
つまり、暴力を振るった後には性的興奮を釣られて起こしやすく、性行為が暴力的・攻撃的な衝動を強化する場合もある、ということです。
それが暴力と性犯罪、戦争とレイプが結びつきやすい一つの理由だとも考えられています。

人間なんてみんな一緒ですからね。大抵はそんなに中身の違いはない。特別に立派な強い信念の持ち主である平和主義者ならともかく、ほとんどの人間がどこかで気分転換をすることで暴力的な衝動を解消しているのだと思います。
つまりガス抜きが必要なんです。そういうガス抜きをする余裕のない環境に居たり、社会的に自分がホッと出来る仲間や貯めにつながる趣味や経済力などがない人ほどカリカリすることになります。
暴力や争いの連鎖が止まらない場所には、必ずそうしたガス抜き・気分転換の図り難い、窒息気味な環境や要素があるわけです。

ですから、そのどちらにでも転び得る性質のうちの破壊的な側面が社会の状態次第でマスの力となると、もはや容易にはコントロール出来ません。
互いに共有する文化・財産・経済活動等が巨大化された社会にあっては、システムへのそれなりの知恵や工夫も必要とされる、そういう考えでいます。


昨年の夏頃、ある日本人男性と結婚し離婚協議中というイスラエル人の女性と私の友人が知り合いだったので、三人で飲みに行きました。
最近、自分が日本でそうした付き合いがあるかと言ったら全然ですし、健康上の都合でお酒もあまり飲めなかったのですが、私の友人と彼女が少し惹かれ合っているようでして、自分はまあそういうテンションの二人に相当強引に駆り出されたような格好でした。

彼女は兵役拒否した、と言っていました。
聞いたところ、イスラエルで兵隊に行っていない人間というのは「物凄いヤバい奴」扱いなのだそうです。どういうふうにヤバいのか聞いても言う話の主張が話すイスラエル人毎に各々違って、正直よく分からないのですが、要はイスラエルへ戻って一旦社会の大きな枠組みの中に入ると、公的機関とか保守層とかいった権力からゴリゴリ締め上げられる、ということなのだろうな、と想像しています。

彼女はまた、十年間日本ではイスラエル人とは極力交流しないようにしていた、とも話していました。それもかなり徹底した態度で避けていたようです。イスラエル人というのは仲間と連む性質が通常際立って強い人たちなので、その話には私はびっくりしてしまいました。
兵役拒否しても同胞と仲良くしているイスラエル人も知っているので、それは彼女の個人的な主義もあるのでしょうが、やっぱり兵役に行っていないのもどこかでは関係あるのかな、と少し思いました。

e0296801_1613794.jpg彼女は母国の現状を非常に憂いていました。
ガザ空爆が行われていた当時、ガザ地区への爆撃を花火みたいに観賞しているイスラエル人の若者たちがいる画像が出回っていたので、それについても話題に上りました。
そうした行為はイスラエル人同士の間でも特に兵役を終えて母国を出ているような層からは大体非難轟々だったようで、彼女も憤懣やる方ないといった感じで、段々絡み上戸気味になってきてやや困りました。
「あいつら、要するに馬鹿なんでしょ?!
外の世界も全然知らなくて、まだ自分達の国の中の環境しか知らなくて無知なのよ。でも、こういうので私達イスラエル人、ユダヤ教徒はまた世界中から笑いものにされるんだわ、ナチスと一緒だって!」

イスラエル人は兵役を終えると一旦は母国を出てみる、というのが社会のスタンダード・コースというか、大衆文化としてある一つの通過儀礼のようなのですが、まだ、それも体験していない若者や、自ら好んで外の世界を知ろうとしない層は、イスラエル社会の保守層や宗教組織、一部の大金持ちに牛耳られた世界の中にいて、彼らの青年世代の一般感覚から言っても価値観が全然洗練されていない傾向にあるそうです。
日本人だったら「好んで外の世界を知ろうとしない層」がもっと多いのでしょう。
ですから、とりあえず彼女には「やはりこういう日本が戦争出来る国になったら絶対にマズイよね」、と答えておきました。

彼女は、「平和の国・日本」を愛している、と語っていました。この国に自分の人生を託したいんだ、と。
母国を捨ててまでそれなりに世知辛くもある日本に夢を託すというのは、先述の彼女が母国民と日本でほとんど交流しないという話と合わせて聞いていると、随分悲壮な決意がそこに含まれている気がしました。
彼女の視点から語られ称賛される日本の文化の感想の色々も聞いていたら、可愛らしい女の子のファッションとか、通俗で馬鹿馬鹿しい様々な娯楽といった平和に暮らしている日本ならではの文化のすべてが、イスラエルの現実が厳しいからこそより一層甘美に感じられ愛おしくなるのだろうな、ともつくづく感じさせられました。

実のところ、他にもロシア人であれドイツ人であれ、そういった要因で日本好きになる外国人は多いのです。
ドイツなら結構経済的にも豊かで社会も安定しているんじゃないか、と思われる方もいらっしゃるようですが、そう簡単な話でもないようです。
ドイツも東西ドイツで経済格差が激しい上に移民も多くて、例えばポーランドで生まれたドイツ系の家庭の子が、後から家族でドイツに戻っていっても社会交流面ではかなり差別される、などという、島国の日本ではなかなか想像もつかないような複雑な状況が多種多様にあるようです(それも私の友人のドイツ人青年から直接聞いた体験談)。

第二次世界大戦以降の世界史の流れの中で、日本ほど安穏と平和と経済の豊かさを併存させた暮らし・文化を享受出来る国も珍しかった訳です。それが今、徐々に破壊されようとして、危機に瀕しているのです。

最初は無理矢理その場である下北沢の「駅」という焼き鳥屋に引っ張り出されやや辟易していた私も、そういう彼女のささやかなな望みを知るにつれ、なんだか少しかわいそうな気持ちになりました。
「きっとこの子もただ平和に楽しく生きたいだけなんだろうなあ。だけれど、そのためには人生の賭けをいくらかしなければいけない前提が彼らには自分たち日本人よりもっとあって、で、実際今もそれほど上手くはいかずに葛藤しているんだな」
そう勝手なことを考えたりしました。

日本が戦争をする国になったら、そういったかわいそうな心持ちで生きていく人々がどんどん増えていくことになる訳ですよね。


e0296801_15381867.jpg元日弁連会長の弁護士、宇都宮けんじさんは以前、こんなようなことを仰っていました。
「政治とは要するに福祉なんだよ。みんなが共に暮らす社会で助け合えるようにみんなで知恵を出し合い、協力出来る方法を考えていくことが政治の根本なんだ」

互いを支え合う気持ちも獣の本能も、人間の本質としてはしばらく両方持ったままなのだと思います。
進化は何千年~何十万年という時間の単位がかかる事柄なので、社会の在り方・構造・教育が、人間の性質から友愛の素養を引き出し、良い方向に仕向けていく必要があるのではないでしょうか。

ダメな人間を権力で抑えつけ果てしなく管理していく、ということではなくて、互いが幸せに共存共栄していける方法を相談し合い、合議で決めていく、ということが大切なのだと思います。
集団的自衛権で自国を攻撃した訳でもない他国の戦争に関わって、テロの脅威を招き寄せ、多くの自衛隊員を生命の危険にさらし、外交努力で平和共存出来たかも知れない他国の人を傷つけ殺してしまうなど、とんでもない話です。
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by catalyticmonk | 2015-08-17 00:39 | 反戦

武器はあったら使いたくなる

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あの、私はアメリカにもいたことがあって、しかも日本食レストランで働いてニューヨークやロサンゼルスの治安の悪いエリアにいたから余計に思うんですけど、まず忘れちゃいけないのは、人間て誰でも間違いや勘違いがある、という現実です。また、誰しも生きている間にはいろんな出来事がある。大概の人が自棄になることの一度や二度ある訳です。

だから銃社会のアメリカでは子供が銃を触っての事故が後を絶たないし、両親の喧嘩を仲裁しようとしたマーヴィン・ゲイが激昂した牧師の父親から射殺されちゃったりする。交通違反で車を止められたおばさんが警察に抗議しようとしただけで丸腰なのに射殺されてしまう。
それで結局社会全体の治安が悪くなって一家に一丁、護身用の拳銃が必要、なんて風潮になって、さらに暴発的な事故・事件が多発する。だから得体の知れない相手には引き金を引くのが早くなる、ってこういう無限ループの悪循環なのですね。
開拓時代からの伝統とかフロンティアスピリットとか、またいろんな議論にそこが誤魔化されたりするんですけど。

銃社会も軍隊も戦争も、全部おんなじ話なんですよ。
銃や武器や軍隊は、あったら使いたくなるんです。人間なんてその程度の生き物で、精巧な管理が可能な機械じゃないんです。

憲法9条の理念は正しいんですよ。人間存在の理に適っているんです。そのおかげで戦後70年間も日本は戦争しないで済んでいる。
そして、これが集団的自衛権の閣議決定や戦争法案、その先の与党が進めようとしている改憲によって、どんどん切り崩されていったら、その先にあるものは今より多くの血が流れ、暴力と憎しみの連鎖が止まらなくなる地獄であることは間違いないんです。
絶対に安倍政権を、日米同盟ファシスト党を、倒さなければなりません。
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by catalyticmonk | 2015-08-11 00:58 | 反戦 | Comments(0)

未だ野蛮なこの世界の中で

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ナイジェリアで女性・子どもの自爆テロ増加
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150527-00000044-jnn-int


e0296801_14342980.jpg子供はきっと自爆させられるのも分からず爆弾を抱えて突っ込まされているのでしょうね。もう、どんな理由があろうと、そんなことをする連中は人間の心を持っているとは言えない。
でも、人間の心を麻痺させるのは、結局環境なんでしょう。

ナイジェリアじゃなくても90年のロサンゼルスでも、私がダウンタウンを歩いていたら通りの真ん中でいきなり警官6、7人が膝突きの姿勢で拳銃を構えて向かいの建物内の誰かを狙撃しようとしていました。警戒線も張られず、みんな、普通にブロードウェイストリートを歩いていて、ただ警官を避けて反対側の端に寄って通り抜けるだけ。
あんな銃社会の環境で育った国の人々が「世界の警察」を自認しながら地球の裏側まで行って他国に爆弾を落としていますが、アメリカ原住民をライフル銃で追いかけ回して虐殺していた西部劇の世界の頭のまま「世界の警察」を気取ったって、安全になる訳がない。だからテロが増えるんだよ、という話です。

e0296801_1442214.jpg基本的にはアフリカ方面の内戦での暴力行為の規模の方が深刻な傾向のようですが、私も成り行きでネパールやスリランカなど、アジアで内戦中の国には行きました。
スリランカの第4次イーラム戦争時は最後政府軍に人間の盾とされたタミル人避難民ら非戦闘員の住人が4万人も虐殺されて、それが国際的にはテロ撲滅のモデルケースとか言われているので、「戦争が出来る普通の国」なんて私は1ミリたりとも信じません。
世界は未だ野蛮極まりない場所なのです。そっちに合わせていったって仕方ない。

人間は棒を持ったらそれを振り下ろしたくなる。銃を持ったら撃ちたくなる。戦争が出来るようになったら戦争をしてしまう。
そして、その結果、終わりなき暴力の連鎖が始まって、誰のどこが始まりとも本当の責任ともつかない状況に簡単に陥ってしまいます。
この国の政府は今、国民をそういう世界へ近づけようとしています。

未だ野蛮なこの世界の中で、世界で初めて原爆を投下され、平和憲法を持った日本人が向かうべき先は、「戦争が出来る普通の国」になることでも、かつて侵略したアジアの隣国に横柄な態度を取って、誰かどこかを見下すことでつまらない自尊心を持つことでもないはずです。違いますか?
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by catalyticmonk | 2015-05-27 23:54 | 反戦 | Comments(0)

暴力を利用する大きな力にどう適切に怒り、立ち向かうのか

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政府は4月3日、自衛隊を「わが軍」と表現した安倍晋三首相の発言に関連して「(自衛隊は)国際法上、一般的には軍隊と取り扱われる」とする答弁書を閣議決定しました。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6058.html?sp

e0296801_126421.jpg昨晩もこの件に関する官邸前の抗議行動に少し参加して、Facebookの個人投稿欄にも書いたのですが、今一話題になっていないので不安になって来ました。
議論に感情的な罵倒は良くないとされていますが、これはもう「どアホ!」「わりゃ、この落とし前、どうつけてくれんねん」レベルの大迷惑です。
国際的に日本は軍隊を持った、と認識され、戦後の平和外交の実績がこの男のせいで台無しにされたのですから。

でも、暴力は絶対にダメです。例え、相手が暴力を肯定する人物でも。
いざという時のための緊張感を、最後には命を張るだけの覚悟を、一瞬一秒忘れずに持ち続けるしかありません。でも、それって、とても効率の悪いことですよね。
暴力は効率が悪いんです。ほんの一握りの勝った人間にだけ利益をもたらしますが、それがいつまで続くかさえ分からない。

私は、「暴力」というものと密接な家庭に生まれました。
ですから私は、人間の憎しみとは何か、平穏に暮らして来た人々よりは実感のこもった洞察があるつもりです。
暴力的な抑圧は、人間の心の中に本能的な恐怖を生み出します。
それは、はっきり言って怖くて怖くて仕方がないから、それを乗り越えるために猛烈な憎しみを作る心の作用を発生させます。
人間が度を超えた恐怖と隣り合わせで生きなければならなくなった時には、憎しみは不安を軽減する役目を果たしてしまうのです。
個人的に海外生活でテロ爆破事件の現場に遭遇したり、兵役を終えたばかりのイスラエルの若者と瞑想センターで共同生活をした体験も私に皮膚感覚としての反戦意識を多少なりとも植え付けたのですが、自身の成育過程での実感としても、戦争状態に陥った国の人々が互いに憎み合うのは、ある意味で仕方のないことだと容易に理解出来ます。
ですから「暴力」や「戦争行為」は、まず可能な限り避けなくてはならないのであって、防衛ですらない他国の紛争または同盟国の戦争のために集団的自衛権を行使するなどもってのほかです!

私は「暴力」や「虐待」「いじめ」というものが大嫌いでした。
だけれど、私の半生は、そうしたものに彩られています。義理人情や周囲への責任、自己防衛の意味でも言えないことだらけです。
この国の迷走ぶりの深さもさることながら、個人的にも何もかもぶちまけたいカオスが色々あって、なのにがんじがらめになる面は生きていて多々あります。はっきり言ってもうウンザリ、といった気分になることもあります。

でも、昨日はまた私の脳味噌に一生刻印されそうなキメ台詞を人からもらいました。
聞き上手で、私が何もかも吐露するのを待ち構えているような知人女性の雰囲気に、つい2時間も胸の内で積もり積もったものを話してしまってから、彼女はきっぱりとこう言いました。

「だからこそ続けていくしかないんだよ。河元さんの行動がいずれすべてを証明する。
続けることだけが解決の方法だと思うな。」

別に出来る範囲のことを訥々としているだけの砂粒のように微力な身ですが、それでもそう意義付けを与えられると勇気付けられるものです。
なんで、ああいう時に女性はいつも自信たっぷりに意味深なことが言えて、やたらと偉大に見えるんでしょう。きっと私があまりにも不器用で、頼りないので、ある種の女性が「やれやれ」と思い、母心を喚起してしまうせいかも知れません。
でも、そういう時には私は普段は結構涙脆い性格の癖に、どういう訳だか絶対に泣きません。励まされたらそれに応えるために頑張ろう、と素直に思えるからです。

何が言いたいかと言うと、結局人間に必要なものは「暴力的威圧」や「他国を圧倒出来る武力」などでは決してない、という当たり前なことの再確認です。必要なのは「温もり」や「優しさ」、「思いやり」、そしてそうしたものに力付けられた上での「勇気」だということです。
そうした健全な勇気をみんなで育み助け合い、「暴力」や「非民主的な国家権力の暴走」といったものと立ち向かい、暴力や恐怖による抑圧といった非効率なものから民主主義を、私たちの主権と命の尊厳を守って行きましょう。

それは原理的に必ず自己破綻していく暴力よりも強いのですから、人間的な信頼関係や実感に即した適切な怒りの声には、いつまでも抗い切れるものではありません。どんな暴力的で横暴な権力者でも、産み育ててくれる母なる存在抜きには存在し得ないのですから。
ただ、私たちが母なる温もりを受け身で享受するだけでなく、自ら考え自ら行動する自覚的な勇気を持って連帯して行かなければ、悪知恵の働く連中になかなか勝てない、ただそれだけのことのはずだ、そう私は自分にも言い聞かせたいと思います。
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by catalyticmonk | 2015-04-04 21:49 | 反戦 | Comments(0)

空爆で手足を失ったガザの教師の姿から学ぶ「社会教育」

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空爆で両腕と左腕を失うも、教壇に立ち続けるガザの教師の姿です。
http://jp.reuters.com/news/oddlyEnough/rpSlideshows?articleId=JPRTR4TV8L#a=1

ある日突然両脚と片腕を失ったらどれほどショックなのでしょう?それでも教壇に立って教育をする、凄いなあ。

結局、戦争や差別のない世界をつくるのは、教育(大人や社会そのものへの社会教育を含めて)ですものね。

一点、戦争と差別の関係について言えば、戦争とは究極の人間存在への侮辱であり、差別です。それは何としてでも止めなければならないものですが、目の前の社会や日常にある差別をなくす努力なくして、一足飛びに「戦争」という究極の差別を観念的な平和主義だけでなくすことも出来ません。
ガザの空爆も、国際政治の場に真の人権思想が不足しているところに起きたのです。差別と戦争は、特に社会教育の意味合いで考えた場合には直列でつながっています。

この視点がないと、戦争は喧嘩両成敗だ、だから過ぎたことは仕方ない、と言ったご都合主義も生まれます。
例えば、3月20日の閣議で、アジア諸国に対する植民地支配と侵略への反省、おわびを表明した1995年の村山富市首相談話について「『植民地支配』及び『侵略』の定義は様々な議論があり、答えることは困難だ」とする答弁書を決定した、安倍内閣のような発想が出てきてしまいます。

これがどれだけとんでもない意味か、お分かりでしょうか。
村山談話に対して「植民地支配と侵略の定義は様々ある」、としている訳ですから、大日本帝国が行なった侵略行為に対する責任、認めるべき反省のボーダーライン、責任範疇と反省点の判別を日本国として放棄する、と言っているようなものです。
誰かを集団でリンチに掛けたとして、捕まった犯人が自分は何発ぶん殴ったか分からないから、相手への責任を問われても知らねえぞ、と踏ん反り返っているようなものです。
そのような態度で過去を清算し平和共存なんて、誰だって、どこの国の人だって、支配される以外には認める訳がありませんよね。

戦争を根絶するための根本的手段と根拠は、人権教育に掛かっています。そこが曖昧なままでは、各々の立場からの都合に応じて、「こちらの正義」「あちらの正義」が際限なく語られて、戦争という究極の人権蹂躙がこの世から消えてなくなる日は永久に訪れません。
差別意識が、人権軽視の態度があって、侵略行為や大量虐殺は始まります。
「差別はいけないんだ」、とその社会に所属する人間がきちんと理解することによって、経済紛争も含めた侵略行為や戦争を起こそうとする為政者を駆逐することが出来ますし、何が侵略行為であったのかを自覚して再発を防ぐことが可能となるのです。


私はこの教師の方を勇気ある努力家なのだろうと想像するとともに、きっと何が人間に必要で、何が明日への希望なのかを自分なんかの千倍実感を持って理解されている人物なのだろう、と考えます。
それを考えていたら感謝の気持ちでいっぱいになって泣けてきました。

私たちは空爆で体をバラバラにされるまで、そこまで勉強する機会を待っている訳には行きません。また、そんな目に遭ってもなお立ち上がれる人は、試練が人間を強くすることがあったとしても、やはり限られているはずです。強い強い信念を、それ以前の人生の巡り合わせで育めていた人だけです。
ですから、その前に、正しく戦争への恐怖を学び、想像しなければなりません。

安倍首相や、集団的自衛権の閣議決定に反対しなかったすべての国会議員もこれを見て、「社会勉強」してもらいたい写真ですね。
その上で、まず責任を取って国家の要職から身を引いてもらい、なお理解出来ないようなら、「政界」という名の学校から「落第」して頂きたいものです。
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by catalyticmonk | 2015-03-22 17:24 | 反戦 | Comments(0)

人間の人間としての希望を

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国際的な不平等に怒れる武装組織、
テロの犠牲者に憤る人々、愛国主義者、
みんなそれぞれの苦渋や願望があり、
少しずつは正しい言い分や立場も含んでいるに違いありません。
ただ、どこの世界にも
誰かを批判し打ちのめすこと自体を生きがいとし、
正義を唱えつつ
自らは大して人への思いやりも持たないような人間は存在し、
またある時は優しく心強い父母であり息子・娘である人々が
テロリストにも卑劣な虐待者ともなるのでしょう。

人間は矛盾だらけで、力を合わせよう!と叫んでいる人が
一生懸命誰かを裏でねちねち吊るし上げていたり、
平和や正義を説きながら刺々しい排他性と権威主義を剥き出しにし、
新たな被抑圧者、新たなアルカイダ、新たなオウム真理教を用意します。
しかも多くの人々は、
そういうハッタリ性という表面的な分かりやすさに魅かれやすく、
虐げられた者や社会の大きな怒りと悲しみに、
経済搾取や身内びいきが、
テロや平和運動という一見相反した理由さえ使い合って、
人間の人間としての弱さによって争いを続ける。
その中で冷徹に打算だけで動いている大悪党が漁父の利を得続ける。
それがこれまでの、今ある世界の真実です。

だから私の理由とあなたの理由と彼らの理由は互いに衝突し合って、
いつまで経っても堂々めぐりを続ける……
でも、ずっと我慢していればそれで一番平穏無事に済むのだ、
という古い日本風なことなかれ主義でも、
今の複雑化した時代に対処し切れないはずです。
いや、そうであったからこそ、私たちの社会は多くの矛盾と差別を、
スケープゴートという下劣な暗闇を、
自分たちの住む世界に内包することになったのです。

ヒエラルキーを決然とはね除ける「本物」志向を、
私たちは共感を高め、めげずにつながり励まし合って行くための
現実的な分かりやすさとともに、
誠実に求めていく態度も忘れてはならないのでしょうね。きっと。
人間の人間としての希望を、
人間の人間としての弱さを持つ私も夢見ます。
気高い夢を見ましょう。
想像力が迷い多き人間という生き物を崇高にもするはずです。
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by catalyticmonk | 2015-02-11 00:07 | 反戦 | Comments(0)

戦争という権力体制維持に加担しないために戦争をイメージすること

シリアの子供が描いたという一枚の絵があります。
無邪気なタッチの人物や風景の描写の中に、爆弾を落としていく戦闘機や落ちてくる爆弾、瓦礫の山となった町、そして手足や頭が千切れて体がバラバラになった人々が描かれていて、その横で子供たちが泣いている。その、何の飾り気もない描き方に、これは描いた子が見て経験した事実そのものなんだろうな、こんな無邪気な子供の心にこんな記憶を刻み付ける権利がどうしてどんな理由によって正しいことがあろうものか、と絵を見るものに思わせます。
そして、そんなことに加担している国の軍隊を自国の自然と民意を押し潰してまで私たちの政府は受け入れているのです。
平和は、相手も自分も互いに争わない状態にならない限り実現されません。そこに落とす爆弾をつくってお金儲けをし、海の向こうであれはよその国のこと、と高を括っていてもやがてテロに遭う。世界中が平和にならなければ、こんな悲劇は終わりません。

e0296801_1534471.jpg私はこういう世界が地続きで、本当に自分と同じ人間がこういう目に遭っているんだ、とリアルにイメージ出来ます。例えば昔のガールフレンドから、今日モスクワで地下鉄テロがあった、だから仕事を休みにした、いつも通勤に使っている電車で大勢の犠牲者が出てとても恐ろしい、なんて即日メールで知らされたこともあります。
でも、私みたく風変わりな人生を送らずとも、多くの日本人がそうしたものの脅威をぼんやりとしか想像出来ないとしたら、本当にいずれそんな世界になってしまうでしょう。
戦地の人たちだって、一人一人の人間は、別に悪い訳でも、特別おかしい訳でもなくて子供たちがこんな絵を描く状況になっているからです。

私たち日本人があまりこうした悲劇を我が物と感じられないとしたら、それも長い平和の産物です。しかし、その平和とは、語り継がれるべき戦争の負の側面、悲惨さを忘却しようと努めてしまった、そういう平和なのではないでしょうか。
再び平和を失い、テロや戦争で、若者が戦場に行かなければならなくなって、子供や自分の大切な誰かが、この絵を描いた子供たちと同じようになってしまってから戦争の脅威を真に思い出すのでは遅いのです。


私は正直ずっと貧乏暮らしだというのもあって沖縄に一度も行ったことがありません。海外生活はしたことはあるけれど、普通に働いていたりして、優雅な身分であった訳でもあまりないからです。だから知ったようなことを言うと怒られるのかも知れません。
だけれど、そんな私が限られた情報をもとに聞いているだけでも、沖縄が歴史的にも本土との隔たりが大きく、被支配的な境遇を味わってきた地域社会であって、そこの民意で選ばれた県知事の意思を無視して辺野古の海を埋め立てて基地を作る作業を断行するというのは、地域社会への戦争を仕掛けているに等しい暴挙なのではないか、と感じずにはいられません。
差別、弱い者いじめの構造と一緒ですね。
沖縄で起きていることを日本中の市民が正しく知り理解することが、この国の社会構造そのものの矛盾、既成権力のペテン度合いを白日の下に晒すことにつながるはずです。

戦争をイメージし、その悲劇を共感し、また、そうした国づくりを進めようとする権力に対して危機感を持ち民意を沸き起こすことが、私たちと、私たちの世界と地続きの世界の普通の人々の暮らしを守ります。
今こそ正しい想像力を培いましょう。


徳馬ヒロさんという方がおられます。新宿駅地下のベルクというお店で飲んでいたら偶然知り合った方です。
その方がネット上でこう書かれておられました。

「長期的に見れば、『階級社会は貧困と無知の上にのみ可能』なのだ。

つまり、意図的に貧苦の瀬戸際に彼らを置いておくことによって、身近の小さな階級の差異に、彼らの関心が向くようにする。
更に、小さな特権集団ごとにそれぞれの利権や差異を目立たせることで、その小さな集団ごとに対立軸を創出することが出来る。

だからこそ、『貧困と無知』創出に必要な破壊をやってのける戦争は、支配層にとっては有効なツールなのである。

したがって、戦争の目的は、決して領土征服や領土防衛、民を守るためなどではなく、権力体制を安定維持するためなのだ。」

聡明にして簡潔明瞭な、大先達の方らしい、鋭い分析だと感嘆致しました。

内戦状態のスリランカやネパールを少しばかり垣間見た私には、やはり憎しみが憎しみの連鎖を社会に生んでいる姿の印象が強烈過ぎて、逆に「戦争の目的は、決して領土征服や領土防衛、民を守るためなどではなく、権力体制を安定維持するためなのだ」という視点が曖昧でした。
でも、一番の源はそうしたことかも知れません。きっと、そうした愚行の犠牲者ほど、激しい社会混乱の中で本来為政者に向かうべき怒りが「考えられなくさせられる」のでしょうね。


私はテロがもっと頻繁にあり、多様な民族や宗教・政治信条の人たちが棲むインドという国にも住んでいました。
所属していた施設などで中東での戦争を繰り返すイスラエルの兵士だった大勢の若者たちとも文字通り寝食を共にし、血の通った心を持つ若者が、国家の生み出した政治的環境により戦争に行き人を殺し、自分の幼馴染みを真横で殺されたりするんだと知りました。だから、兵役を終えてからインドの瞑想センターに入ってトラウマを消そうとかするんです。
ネパールでは目の前でダンスホールが吹き飛ばされるテロの現場にも遭遇しました。
そこに住んでいた人たちはみんな普通の人たちでしたよ!
でも、スリランカなどへ行くと、長引く内戦で、仏教徒とヒンドゥー教徒の人々が露骨にいがみ合っていました。私は南インドの人たちが大好きなので、スリランカにいるタミル人にも親近感を感じていたのですが、私がスリランカに行った翌年、4万人ものタミル人の民間人が政府軍に虐殺されて、内戦が終わりました。
それが国際的にテロとの戦いに勝ったモデルケースなんて呼ばれている。
戦争なんて勝ってもそんなものなんですよ!戦争をする普通の国の仲間入りなんかしちゃいけないんですよ!

戦争をする普通の国になる必要なんてない。
ぼくらの国は未来の世界をつくる日本国憲法9条を持っている。
それでいいじゃないですか。
e0296801_15455931.jpg


幸運にも未だ戦争のない時代が続いている私達の国日本も、安倍政権による特定秘密保護法や憲法改悪の動きなどによって、貧困と無知の増強による特権階級の維持へと舵を切ろうとしています。

高田健さんも講演会で仰っていたように、彼らはきっと最初はこれなら憲法改正してもいいんじゃないかな、と私たち市民を錯覚させるような、微妙で小狡いテーマで国民投票しようと模索するのでしょう。
ぷちボッタクリ商法と同じですよ。現に安倍内閣の麻生太郎副総理は以前、
「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」
と述べています。ちょっとずつちょっとずつ9条改憲に向けて国民を慣らしていくはずです。私達はそれに騙されちゃいけませんよね。

来年の参議院選挙や、その後に騙されちゃいけないですよ、とやっても間に合わない。
今回のISILの邦人誘拐での安倍内閣の失態でも五月の戦争関連法案でも、とことん大騒ぎして、
「えー?あの安倍政権がまた憲法改正の国民投票なんて言っているよ?とんでもないよね、大ヒンシュクだよねえ~」
「自分たちが戦争に行くわけでもないのに、サイッテイッ!」
と18歳の若者でも口々に話題にするように、一人一人がビッグスピーカーになっていきましょう。

こうした動きに抗して行くためには、1%の特権階級などでない普通の庶民である私達が、真実を知り、社会の意識改革を行ない、教育を変え、上からの刷り込みを塗りかえていくことがまず大切です。

そうした改革は可能なんです。
どれほど絶大な権力が存在しようとも、その権力を支え、この社会の血と肉と骨となっているのは私達庶民だからです。
私達庶民が、真実に目覚めて、自ら腐敗した為政者の血と肉と骨になることをやめてしまえば、その瞬間に悪夢から覚めて、自分達自身のための社会制度改革を着実に進めて行き、自分達自身のための社会を築いていくことが出来るのです。

悪夢から目覚めて良い夢を、希望に満ちた未来を目指して行くために、まず現実の真の実態に気付いて行きましょう。
何度でも言います。それは悪い夢から目覚めて未来へ希望を持って進んで行くためです。
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by catalyticmonk | 2015-02-10 23:13 | 反戦 | Comments(0)

独善的なプロパガンダの深刻さを痛感したある出来事

e0296801_14441612.jpg
なんか、ある親イスラエルの環境保護活動系アメリカ人の方の、私のガザ平和運動参加に対する論駁に今まで何度も答えてきていたのですが、ちょっと平行線過ぎて、もう答える気力が萎えてきましたね。
二日前の夜に新宿で行った「ガザに平和を!」サイレントデモのレポートに対しても彼はこういうことを言うわけです。

「でも、もう平和になっているじゃないか。
そしてパレスチナの一般人は、ハマスをガザの権力から取り除こうとしている。テロリストの恐怖によらず、国際法の下に彼らを引き摺り出さなければならない。
それこそがガザに真の平和をもたらすのだよ!
それがガザの人民が戦争なしに生きるための唯一の道なのです」

私はこう返しました。
「ハマスがあるならば、あなたはイスラエルがパレスチナ人を虐殺出来るんだと思いますか?
イスラエルは、多くの罪のない民間人を虐殺しました。
彼らは、ガザの復興支援を行わなければなりません。それは、補償責任です」

彼はこう答えます。
「もしハマスがなかったのなら、イスラエルはガザの人々を夕食に招くでしょう。
イスラエルには問題はない。
彼らは前回の戦争の後に復興のための資材を送り、ハマスは学校と病院に使われるはずの資材でトンネルを作ったんだ。
問題を解決するためには、もしあなたがそれを望むのであれば、そうした根本的な原因を認識する必要がある」

あのですね。そもそもイスラエルがパレスチナ人の土地を奪って塀の中に住民を押し込めておいて、おまけに外国人ジャーナリストは一人も殺さずに済むくらい精密なハイテク兵器を使って、明らかに殺そうと思って罪のない民間人を殺していたんですよ。国連の施設に避難している一般人さえね。テロリストなのはどっちですか。
それに対して彼は「問題はない」と言っているわけです。
仮に中立的な平和主義の立場を放棄した上でハマスの罪過を認めたとしても、これだけの虐殺行為を行った片方の当事者を無罪放免にして、「ガザの人民が戦争なしに生きるための唯一の道」を説けるつもりでいるというのはどれだけ傲慢なんですか。

私から彼にこれ以上何を言えというのでしょう。もう私なりにこれまでも十分イスラエルを擁護する彼からの議論に応じてきましたが、あまりに実りがない。時間の無駄です。
ただ、彼との討論から得たものもそれなりにあると思います。

それは、リベラル寄りなアメリカ人さえこういう認識に染まってしまうほどの、彼の国に流布している同盟国を正当化するための独善的なプロパガンダの深刻さの再認識です。
私達日本人はそんな政府と集団的自衛権で他国を攻撃することなど逆立ちしたってしてはいけないということです。

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by catalyticmonk | 2014-09-11 01:23 | 反戦 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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