カテゴリ:ジェンダー( 9 )

ジェンダーの複雑化と親しみ合い、人間性の自由

今から話す内容は、一切ウケ狙いしていないし、今の社会常識に個人の実感から正直な言葉で挑んでいます。ですから、なかなか理解されないかも知れませんが、自由と平等のためにジェンダーにどう向き合い得るのか、私なりに日頃から考えている内容をまとめたものです。
自分の中では本当の意味で革新的なテーマに挑戦して書いたつもりです。百年後には、こんな話はもっと当たり前になっているはずだと信じて。


「片想いとは見続ける事。恋愛とは見つめ合う事。結婚とは同じ方向を見る事。」

ある女性の方の投稿で見つけた言葉ですが、物凄く深い格言だと感じました。
なるほどねえ、結婚とは同じ方向を見る事ねえ。だから同じ方向を見れなくなったら離婚、と。
これも結局、今の時代にあるジェンダー観に大きく左右されているのでしょうが。

相手と自分は人間同士として対等だし、だから自分がこれだけのことを相手のためにしてきたんだから、相手もそれを裏切らないはずと根拠なく思っていても、それは片方の勝手な願望に過ぎなかったりするのが結婚という名の共同作業。
相手はもっと安定した生活で子供を産んで育てたい、とか、他の誰かとだったらこれだけ人生の可能性が広がるとか、親の老後に近くに居られる等々と考えていたりする場合もあります。

理由は何であれ、同じ方向を「これから」の目標として目指していく上で、どちらかがどちらかの足を引っ張るような、あるいは誰かと比べて見劣りするような状態になった、と片方が感じ出せば、結婚という運命共同体を円満に維持することは難しくなります。
今までパートナーが病気の時にこれだけ尽くしたのに、相手が自分のやりたいことの足掛かりを作るためにこれだけ資金提供したのに、なんて言うのは過去の物語であって、それで相手に何かを期待しても始まりません。

同じ方向を見れなくなっていることになかなか気付かなくて、相手とまだ「見つめ合える」と根拠なく信じちゃうのはナイーブな男性の方が多い気がします。女性からしたらそれが男性の幼稚さ、傲慢と映ったりもするでしょう。

好きじゃない相手が自分に目を向けていたら、早めに距離を置かないと、結局最後は逆恨みされる場合が多い、というのも経験値で学ばされました。素直に相手に対応していたら地雷を踏む訳だけど、それで予防線を張ったり、過剰に疑心暗鬼になった結果起きる、本来必要のない人間不和もあります。
だから私は、そういう杓子定規なよそよそしさも好きではなくて、未だに戸惑います。

それで大人の男女関係ってとてもドロドロしていて残念だな、もっと男だの女だの関係なく、フラットに人と接したいな、と思ったことのある人も多いと思います。
だからこそ、もっと性別やジェンダーに関係なく、フラットに人と人とが接することができる、そういう気取りのない人間社会に進化する余地がまだまだこの先にある気がするんですね。
きっと数百年後の世界ではそうなっていて、今の人間のやっていることって、奴隷制が現在では野蛮な制度と扱われているように、なんて「遅れて」いたんだろう、というふうに絶対になっているはずです。

人間を性別やジェンダーに関係なく扱いたい、見たい、と思っても、やはり異性を自分のストレートの男性の感性で感じているし、そこまで否定したら人間に興味が持てなくなってしまう気がするから、私はそういう部分は取り繕って隠したりしないで、極力素直に出しているのですが、同時に、実際は他の人になかなか理解されないほど抽象化している部分もある気がします。

例えば、冒頭に引用した格言で言えば、見続けたい特定の人はずっといないから、ここ10年以上片想いはないな、と感じます。
顰蹙買うのを承知で正直言うと、大体私は単純明快な話で「自分を構ってくれる人が好き」なのですから、基本(笑)。自分に目が向いていないなら自身に関係付けて意識もしないわけです。

また、性別なりジェンダーを強調して、そういう存在として自分を扱いなさいよ、という主張に合わせるのがマナーとされているような価値観があるのも理解しているのですが、やはり私は気取りなく人と接したい気持ちが大きいです。

性別やジェンダーが人間同士の自然な親しみ合いや愛情から分離してしまうと、現在の日本社会のように商品化された性文化、そうした形のセクシズムが氾濫するのを許してしまうことにもつながってきてしまいます。
子孫繁栄のための持続的な信頼性に基づいたパートナーシップや家庭生活といったものが、性やジェンダーの硬直化した対立や複雑化した緊張感の蔓延の中に分断されていってしまうと感じます。
そういう次元でジェンダーをフラットに見る感覚が、不器用な私なりに人生経験で深まってはきました。

あと、男性が男性であることを、女性が女性であることを、異性に無理に意識させようとするアピールみたいなのも、個人的には本当に苦手で、そういうのに遭遇すると本気で走って逃げ出したくなります。
ひとの話を例に引くのは難しい問題だから、リスクを承知で敢えて自分自身の実感で言うのですが、例えば私は自分を女性として扱いなさいよサインを急に出してくる女性は、その人がどんな絶世の美女でも嫌です。そういう緊張感を超えてまで価値のある魅力、というものが自分の中に存在しません。これは20代の頃でさえそうでした。

今の若い世代の男の子たちには、性の無関心層が増えている、と聞くけれども、ひょっとしたら、彼らも草食動物化したとかそんなことではないのかも知れません。自然な親しみ合いのプロセスから乖離した現代文明社会の中のいびつな性やジェンダーの形に辟易しているだけのところもあるのではないか、ともたまに考えます。

いくら、こういうものが現代文明なりの姿なんだ、と言われたところで、人間性の自由は、そんなところでは健全に発露されないのですから、奴隷制が当たり前だった時代から公民権が進んできたように、いずれは社会全体が、自らの性質が本来希求しているものを実現させる方向に必ずや発展していく、私はそう強く信じています。

そのためには私たちが今ここで、何を、どんな姿を望んでいるか、一人一人が率直に見つめ直して、言葉に出してみる必要もあるのではないでしょうか。
なんとなく不満や違和感を持ったまま、不本意な「常識」に飲まれている人は多いと思いますし、ジェンダーや性差に関わる事柄って、やはり願望や衝動や尊厳・プライド・社会的体裁といったことが絡んで来るので、どうしても一番最後まで後回しにされている場合が多いのではないでしょうか。
それは私たちの誰もが抱えているテーマであるのに、当事者感があり過ぎるから他人事として語れなくて、何かしら語ればすぐ自分自身の本心が露呈してしまう、だから怖いのだと思います。
だから。理性と感情のバランスの取れた向き合い方が難しくて、様々な偏見や理不尽が入り込む隙も多いんですよね。
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by catalyticmonk | 2015-11-29 00:02 | ジェンダー | Comments(0)

性差と抑圧

私は固定化されたジェンダー観による安易な女性賛美はしていませんが、私がこの前に書いた記事の内容は、ひょっとしたらある種の女性やLGBTの方には違和感を感じ得るものであったかも知れません。
そこは予め想定していたのですが、私はまず自身の実感を素直に書きました。
それでも私がテーマにした部分は、ある種の相手とは表面的に大きな齟齬が生じるようにも感じます。結構、そこの間にあるものも性差について考える際に、掘り下げて再確認してみる価値のある部分だとも思えるので、より込み入った話にはなりますが、その点についても書いてみようと思います。

まず、ジェンダーと、相対的な生理学的性差の現実というもの自体も不可分な面はありますが、逆にそれをイコールに捉え過ぎても捉え切れない現実は出てくると思います。
男性社会にも女性社会にもコミットできない宙ぶらりんな立場に葛藤するストレートの人々も大勢います。私自身も性差に関するモヤモヤは様々に抱えて生きてきました。
そして、それが女性が男性優位社会から受けたセクシズムの弊害や、LGBTの人々がジェンダー観の押し付けに息苦しさを感じてきた事柄と比して、決して程度の軽い圧迫感であるとも思わないのです。

ただし、社会規模で捉えた場合には、女性全体が受けてきた抑圧の大きさや、性的少数者が社会から受ける押し付けや差別・被虐体験の頻度はずっと高いのは間違いないでしょう。
ですが、差別や抑圧は規模や頻度だけで捉えている限り、本質的な人権意識の向上にはつながらないのも事実なのです。逆DVを受けた男性が単純に女性蔑視になっても解決に向かっていかないし、生理学的な性差を軸として生み出される個人の疎外感といったものはジェンダーの自由を担保にするために除外して無視したり積極的に対立するようであったなら、そこにも新たな圧迫が生まれます。
ジェンダーの社会的拘束といった弊害は性的少数者だけに起きる問題ではありません。

詰まる所、性差は如何なる形態であっても個々人に逃れ難く影響を与えます。
人々がその人らしく生きて社会で共存していくために尊重すべきなのは、それぞれの価値観が適合し合うものの間で圧迫のない関係性と大切にすることと、異なるジェンダーの持ち主同士が互いの多様性を違うと許容して認め合うことです。そうした姿勢を追求していく柔軟性を持つことでしか、対等な相互共存と結びつかないものだと私は思います。
こうした私の意見は一見、煩瑣な指摘・主張に受け止められるかも知れませんが、根っこにあるには、誰かが誰かに支配されたり、その幸福追求を阻まれ虐げられたりしないよう、共存共栄の道を探ることの中にしか「人権」や「尊厳」など実現し得ない、という、単純明解な真実があるだけです。
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by catalyticmonk | 2015-11-01 15:44 | ジェンダー | Comments(0)

ジェンダー差別と偏見の深み

女の子だからピンク色のグッズを選んで身に付ける、ママゴトごっこよりもロボットのオモチャを好んでいると変わっている、変だ、と言われる、男だから白や黒、茶色の服装を選び、スカートをはいたり内股で歩くと笑われる、男だからこうでなければ変態だ、女の癖にその態度はなんだ、男性は太古の昔から狩りに出掛け、女性は家庭を守った、そうした古き秩序に則るのが一番自然なことで、そこから外れたジェンダーのあり方は邪道だ、男だから、女だから……。
そんなことばかり言っていたらがんじがらめになって、人間何も出来なくなってしまいますよね。

ただ、確かにジェンダーは時代や集団に固有の社会通念・文化・イデオロギーに影響を受けて左右されるものなのですが、それでも個々人のジェンダー観は、他者を強制・抑圧しない限り、極力認められるべきである、というのが私個人の考えです。
例えば女性が髪を短くしようが刈り上げようが、そんなのは個人の自由であって、個人の基本的人権の尊重が必須の民主主義社会に於いて他人が文句を言う筋合いではないのですが、髪の長い女性を好む男性と、その価値観に沿った女性の恋愛を外野が前近代的であり封建主義的であってけしからん、と揶揄することもおかしいと思うのです。

連合赤軍の永田洋子のように、母親の形見の指輪をつけていた仲間の女性を、プチブルジョア的であり、階級意識を持って男性を性的に誘惑しようとしているから総括が必要だ、などと主張してリンチ殺人に至らしめた残酷さ、私はそこに通ずる硬直した独善性を未だに多くの左翼系活動家たち、中でもセクト系の人々に時折垣間見るのです。
そうとは知らずに関わったその手の人たちから、かなりウンザリするような目に遭った個人的実体験を持っていますが、百害あって一利もないので具体的に書くのは控えます。彼らはどんなに相手を騙すような卑怯な手口でも、それが自分たちの理想の実現のためには正当化されることだ、と考えているので、本当に最悪です。

私も反階級主義の考えでは相当徹底しているのですが、それは絶対に多様性を否定する形であってはならないと認識しています。そのようであっては結局、特定の人々の恣意的な支配・抑圧の再生産が繰り返されるばかりなので、とにかくいろんな趣味趣向を互いに並存出来るあり方で探求していく必要があると感じています。

こういう話をある種のフェミニストの方々にしてもなかなかすぐには理解されなくて、やや感情的な反応が返ってくることも多いのですが。
もちろんフェミニズムは当然なものです。ただ、女性を守るためなら人間同士として不公平な行為があった場合にでも取り敢えず女性の肩を持つ、みたいな、逆差別的な対応を取る世間の短絡的な反応、というものも多くて、それもまた異なった位相の偏見だと思うのです。

女性が受ける暴力は公言出来る場ではとても同情され守られるのに、男性が女性から長期間様々な責任・しがらみ・心理的な操作などといったもので支配されて逆DVを受けていた場合には、「そんな相手を選んだお前が悪い」「泣き言を言うな、我慢しろ」などと言って、直前まで包丁を振り回され殺されようとしていたのに近所の通報で訪れた警官がそのまま帰っていってしまったりする、といったとんでもない現実があります。
しかし、それを同じ理屈でDVを受けている女性に言ったらどうなるでしょう。

現にそれほど虐待を受けている女性がこの社会には大勢いて、男女の生理学的な体力差もありますから、そこはしっかり守られ擁護されていかなければならないのですが、だからと言って男性がそうした被害を被る例も決して少なくはなく、なのに単純な先入観の問題で圧倒的に理解されなかったりする、私たちの社会の倫理観や人権意識の標準とは、残念ながらまだその程度のものなのです。

ずるい人間は別に男女問わず、まさに対等な人間存在同士だからこそ同じ頻度でいるので、ずるい女性は当然その状況を上手に利用して周囲を操作する訳ですから、そうしたところも公平に精査されないと、看過される差別や虐待被害は大きくなってしまいます。
逆差別は、より多くの女性への差別虐待を隠蔽する働きもしてしまう、という地点まで考えるべきです。

とにかく一面的な態度ではおかしなことになる、という話なのだと思います。
特定のスタイルが先進的なジェンダーの姿でそれ以外が見下され批難されなければならない次元のことでもなく、誰か身近な人物を肉体的・精神的に虐待する人は男性であれ女性であれ大目に見られていいものでもない。単純明快な話で人間同士は平等であって、差別も逆差別もいけない、それだけの話なのです。
私たちがジェンダー差別や偏見の問題と取り組むには、もっともっと幅広い視野の見解が共有されていく必要があるのだと思います。
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by catalyticmonk | 2015-07-26 15:35 | ジェンダー | Comments(0)

男女が相互抑圧から解放されるために

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chihosen15/zen/CK2015040402000293.html

e0296801_1393771.jpg議会の男社会ぶりは国際的に際立つ。既得権がはびこる政治の世界で、「多様な社会の実現」を待つのは悠長過ぎ。
「クオータ制(人数割当制)の導入は必要。世の中の常識や慣習を変えるには制度をつくって、環境を整えることが大切だから。
女性活躍施策では「女にげたを履かせる」と皮肉る向きがあるが「男はみんなはだしで勝負してるんですか」。
なるほどねえ。まったくですね。この小島さんは「公平性」の中身について、お題目に依らずにきちんと内実を見て考えておられる聡明な方のようですね。感服しました。

「外国から俯瞰する日本は『同じじゃないといけないと思って、不安になっている人が多い』と感じる。その不安が、ヘイトスピーチに代表される他者への攻撃となって発散されていないか」という分析には全面的に同感です。
 また、「つらいこと、うれしいことをはばかることなくもっと言っていい。それが軽んじられているから、ものが言えない社会になって実感が政治に反映されない。性差を超えて、異なるつらさや喜びを持つ人が同じ空の下で生きていく。そのための方法を探るのが政治なんだと思う」という言葉もいいですね。

ただ、ジェンダーの公平性を考えれば、男性の「主夫」という考え方もあって然るべきなのですが、物理的な性差を見ると、どうしても女性が妊娠し、子供を産む、という現実があります。
だからと言って、それでこういう男女別の役割分担でなければおかしい、とするのはLGBT差別や多様な人間関係のあり方を結局特定の恣意的な観念・先入観で拘束し合うことになります。
ですから、そこで重要になって来るのは、やはり人間力学に基づいた実際の公平性なのだと私は思います。

例えば、夫婦が共働きで、女性だけに家事を押し付ける、或いは片方だけが家事が苦手であった場合、「こうであるべきだ」という話以上に現実の負担の度合いの相違から人間関係に齟齬が起きやすいものです。
ところが同様のケースでも、男女共に家事が不器用であったなら、その二者間では社会通念上の先入観からある程度自由な関係であれば、公平感が成立し得たりします。
そういった個々の事例の中身毎に、現実的な平等性を見ていくのが、どんな社会通念や男女差別・ジェンダー差別にも振り回されないで、女性も男性も、ストレートだろうが性的少数者だろうが、誰かが抑圧されず公平な人間関係を目指す一つの物差しとなり得るのではないでしょうか。
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by catalyticmonk | 2015-04-04 23:50 | ジェンダー | Comments(0)

ジェンダーにおける美醜の基準というものについて

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私個人の考えとしては、基本的に女性が女性としての容姿の魅力をセルフマネージメントするのは、そんなにおかしいことだとは思いません。
ですが、「美人」の人の活動って、絶対批判が付いて回りますよね。注目も集まるのだけど、中身だけで公平に見てもらえないというか。

例えば私は先日画家でジャーナリストのMさんに偶然お会いして、少しお話もさせていただきました。
聡明で、社会運動に対して非常に啓発的な見識を持つMさんのお話は大変興味深かったのですが、彼女のその確信犯的なセクシー路線だけに目がいって、内容を吟味しない人が絶対にいるし、彼女の発言や活動に興味を持って情報を共有しようとする行為自体が、「へえ、こういうお色気路線が好きなんだ」という色眼鏡が付いて来る。
Mさん自身は、付いて来れない相手は構わず、それでも自己流の表現を続けた方が効果が上がる、という見極めも持っておられる方ではないかな、と感じましたが。

今ある世界の現実としては、とりあえずカッコいいとか美人だとかというものが一番ウケるんだと思います。私もどうせなら楽しげで見栄えのするものを活用したい。
ですが、あまりにも本質と関係ない瑣末な問題が多過ぎたりするのも事実でしょう。

ビジュアルを全面に押し出す、若しくは本人にその気がなくともイケメンだ、美女だ、ということで注目されてしまう人は、それを利用して人脈を作ったり、効率良く伝えたいメッセージを発信することも可能ですが、絶えず中身と関係ないやっかみや低レベルな誹謗中傷の危険にも曝されなければならないでしょう。
特に当人が密度の高い表現者であり思慮深い人物である場合にもっと可哀そうなのは、自分に共感して集まって来てくれているはずの人たちでさえ、本当に伝えたい部分よりはずっと浅い次元で賞賛と批判の判断を押し付けてきがちで、深いところを掘り下げて行く場合には、付きまとうコマーシャルさがいつまでも足手まといになるという、そういった種類の不自由さかも知れません。

とにかく男女問わずある程度ジェンダー的な魅力に基づいたビジュアルで注目される全ての人々にこうした問題は付いて回りますが、相対的に女性の場合はその弊害もより深刻だ、ということは言えそうです。

「美人」の定義は各人のジェンダー観に基づくので、地域差、民族・人種、文化の違い、個人の嗜癖等々で大きく変動し、明らかに固定された基準はありません。ただ、本来的にはそれは繁殖を目的とした本能に発生源を依拠するものです。
自分の子孫を残すのに適したサイン、健康そうで若く、まだ他人の子の母となっておらず、自分自身の子孫を優先的に産み育ててくれそうな女性、若しくは逞しく自分の子供をきちんと養ってくれそうな、豊かな暮らしを提供して安心して子育てして行けると感じられる、情緒的にも安定した男性等々といった、両性の子孫繁栄の基準・都合に基づいた理由により異性に対する「魅力」と感じる部分の原型が作られ、そこに文化や環境、個人の資質の差といったものが無限のバリエーションを形成して行きます。
そこに暫定的ながらも存在する外的美の基準を精神的な美しさが凌駕する、という現象も至極当然のこととして起きて来ます。
結局、人間においては「美人」の基準、ジェンダー観の振幅は無限で、ベースの本能がある程度全体を通した「傾向」を生み出すに過ぎません。

要するに、特定の環境・状況内で「美人」という概念が最大公約数的に形作られ、その中で様々な社会現象的反応が起き、利益・不利益を被る人々もいる、という、それだけの現象です。絶対的な美の基準は存在しないのは厳然たる事実です。

ですから美醜の感覚は自然発生的なものであってその感性自体を否定することは不可能なのですが、それを以ってして差別するのは「俺はお前よりも体が大きいから偉いんだぞ」と言っているのと同次元の、論理性なき抑圧で、社会の公平性を追求する上では否定されなければならない「野蛮」です。
また、本質的にどのような容姿の人も限定的な基準によって劣等感を抱く根拠もないものです。
あるのは、環境毎の「流行り」の差のみなのですから、流行りを凌駕する個性を発揮することこそ、自己肯定してそれぞれの人生を謳歌する道でしょう。差別や不快な偏見に対してははっきりと拒否の意思表示を示して抗いつつ。
それが多様性に富んだ、心豊かな世界を生み出すことにつながっていくはずです。
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by catalyticmonk | 2015-02-08 01:53 | ジェンダー | Comments(0)

ジェンダー問題と傷だらけの天使たち

その① 面倒を避ける

あるLGBTの知人女性の言葉がきっかけで自分自身の体験も含めて広がった考えをまとめてみようと思います。
やはり性別やジェンダー観の相違というのは大きくて、誰にでも公平に、対等にありたい、と願っても、同じ対応をしていること自体で相手に誤解されたりコミュニケーションの齟齬を生じることがよくあります。
「女性にはこう接するのがマナーである」といったような様々な一般論での定義も、相手と自分のジェンダー観が違えばまるで通用しません。「女性はその容姿や女性らしさを褒め称えると喜ぶ」などといった単純な考えによる対応がLGBT女性を不快な気持ちにさせる、といったことも実際あるようですから、それがある種の偏見となる可能性も否定出来ません。
性差やジェンダー観の違いは、対人関係の距離を測る上で、現実として一番厄介なものの一つだと感じます。

例えば私はどこから相手が「そんなつもり」になるものか、いくら学習しても分からない愚鈍な面があって、笑い話で済まない結構えぐいストーキング被害に遭った経験もありますし、自身はストレートなのですがどういう訳か、若い頃には男性からの痴漢に何度も遭遇しています。
ですから本質的にはジェンダーについて語るには一番「鈍い」、センスの悪い人間なのですが、同時にそうした問題をずっと意識して考えて来てもいる、というねじれが私の中には存在する気がします。
そうした場面で異性や異なったジェンダー観の人々と経過が複雑になりやすいのは、私が一旦話し出すと躊躇なくペラペラ喋ってしまう性分であることや、繊細さが欠落しているようなタイプではないと思うのですが、凝り性の余り多くの人と関心を持つ観点が違う(笑)、といった要素も大きいようです。
まあ、それでもバツイチで、女系家族の旧家の母親の実家で育ち、人生で最初についたあだ名が女の子とばかり遊んでいるから「ママごとママ」という侮蔑的なものだった私は、不器用な割に異性との交流も多い人生だった気がします。そして、なんでかその上時折ホモの人にも好まれる、と。私も今さら自分の資質や感覚は変えられません。

なので、そういった場合にはあらかじめ「面倒を避ける」という対応も現実的に重要だったりすると考えています。
人間にはそれぞれ個々人の持ち味や癖があって、口数の少ない人に「ここではもっと喋っておきなさい」、或いはおしゃべりな人に「しばらく誰とも口を聞くな」などと言ってみたところでなかなか容易ではないです。また、スタイルのいい若い女性がクラブハウスなどに行って男性に言い寄られないよう、尖った態度を取っていても結局キリがないように、リアルタイムでは堅実にコントロールし切れないドタバタな状況も多々あります。
しかし面倒を避けたつもりでも、不回避な状況は次から次へと起きるのが現実ですし、避けてばかりもいられない部分も当然あるでしょう。
容姿の見栄えする女性が盛り場など行かずに慎ましく地味に郊外のスーパーのレジ打ちなんかしていても多かれ少なかれ似た状況が起きます。自分がダンスホールで楽んで踊っているわけでもない分、おじさんからパワハラ混じりにセクハラされるのは余計嫌かも知れませんね。


その② 自分自身を愛すると言うことと心に傷を負った者への周囲の対応

また、家庭内の密室環境におけるDV被害、いわゆる「密室の暴力」を、日本は社会環境が増幅させているようにも感じます。
DV被害については、私も思うところがあるのですが、自分からそういう話をすると周囲に嫌がられる、或いはよそよそしくされるから話しにくい、という、事なかれ主義的な社会環境がある気がします。
相手のあることだから全部を話せない、というのも現実ありますが、密室環境であればあるほど当人達の間にはそこに膨大な密度の緊張感と物語内容があって、そうしたプラバシーを隠蔽したがる文化の中では到底素直に出していけない、という面もあるように感じます。

でも、一つ思うのは、DVなどでボロボロになった後で当人が一人で立ち直ろうとする時に大切なのは、まず自分で自分を認めて愛してあげることです。
愛情の定義は様々でしょうが、他者に自分の存在を認めてもらいたい、という承認欲求の部分は恋愛関係において小さくないと私は考えます。
誰かを愛する時、自分の承認欲求は相手の対応に左右されるところが大きくなり、だから誰もが恋をすると不安定な気持ちになるのです。
そして、その対象からDVを受けた人間は、男性であれ、女性であれ、自己存在を否定されたかのような、深い心の傷を負います。
でも、その心の傷を抱えたまま、不安な気持ちで穴埋めになるような新たな恋愛対象を探そうとしてもなかなか上手くいかないでしょう。
承認欲求とは、結局自分で自分の心にくだしているものです。それを追認してくれる生身の存在がいればそれは心強く、喜びも倍増するでしょうが、あなたはすでに心に深手を負っています。
まず、自分で自分を愛して、認めてあげてください。自分を本当に愛することが出来れば、あなたの心の傷は徐々に癒えていきます。そしてきっと、不安から相手を操作して振り回したり、支配・抑圧することなく、真っさらな気持ちで誰かを愛することもやがて出来るはずです。

ストーカー被害に遭った上に自分の恋人がリストカットして、しばらくぐしゃぐしゃになりすっかり女性不信になってしまった青年。離婚調停でくたくたになって、もうしばらく浮かれた話は御免だ!などと思っている中年男性。
そんな設定の男性も世の中には大勢いるのですが、彼らに災難を避けてずっと家に一人で閉じこもっていろ、なんて言えません。
そっとしておくのが大切なのは渦中や直後の時期くらいなもので、人生は長いのです。

本人が諸々の苦悩を忘れられるほど没頭出来る仕事や趣味があれば一番なのですが、だいたいが会社が倒産したとかリストラされたとか、受験勉強をしている浪人生だとか、家庭内の誰かが大きな病気を患ったとか、そういうパッとしない人生の時期にこそ、そういう密室の暴力とか離婚とか恋愛のトラブルといったことも多いわけです。
放っておいても大概どんどん鬱になったり一人で酒浸りになるなど大変な事態になるケースも多いので、友人はむしろ上手くソフトに外に連れ出してあげるのが重要だったりします。


その③ ジェンダー問題の現在・過去・未来

ま、それにつけても性差やジェンダー観の相違は斯様に一筋縄ではいかないですし、特別不器用な人でなくとも対人関係で最も扱いに難渋する、ある種人間理解の肝だとさえ感じます。
「きずな脳」を持つと言われている女性に比べ、男性の方がこういったトラブルの後にすぐに酒や暴力に走りやすくなる、おまけに立ち直りも遅いなど、相対的に弱いので、私は精神分析学風にこんな妄想をしてみたりもします。
ひょっとしたら、長い人類の文明の歴史もそういう要素に多大に引きずられて来たんじゃないか、ジェンダーの問題を上手く扱えなかった男達がヤケを起こして、暴力による共同体運営の手法や経済の仕組みなどによって、ゴリ押しで女性を支配することですべての問題に蓋を被せてしまおうと意識的にも無意識的にも画策し、それで何十世代、何百世代と歴史を積み上げているうちに、こんな理不尽で不公平なことの多い世界を創り上げてきてしまったんじゃないか、と。
で、結局その歪み切った末の現代社会で、男性自身も電車の中で痴漢冤罪に遭ったり、人格障害のパートナーから逆DV被害を受けていたりするのではないのだろうか、と。

性差の次元に限らず総体的に言えることとして、立場や感覚、価値観の異なる人と決定的な溝が生まれた時は、やはり避けているだけではどうしようもないので、結局はどこかの時点で率直に対話して行くしかありません。ただ、それ自体が勝ち負けを競う不毛な争いにしかならないのであれば、なるべくその場での衝突は避けて機会を改めた方が互いのためにも得策ということですよね。
つまり対話とは、本来衝突を回避し、価値観や感覚の違う者同士が、それでもお互いを認め合って共存していく道を探るために行なうものです。
そして対話をするためには、まず公平性が求められなければなりません。

女性による男性の抑圧、LGBTの権力者による少年への性虐待、そういったことも多々歴史上あったでしょうし、そしてそれは現代でも起こっているわけですが、文明社会全体の推移としては、始終男尊女卑という傾向が顕著に続いてきています。そのことを考えると、男性側から自覚して変わらなければいけない点は多いように感じます。
そして、LGBTの人々に対するストレートの人間の差別意識は人権擁護の見地から見たらまさに未だ野蛮のレベルなわけです。
そうした不公平、不平等かつ前近代的なジェンダー観が改善されない限り、主として男性社会と女性社会に別れた文化的断絶の硬直性や融通の利かなさと相互不理解による不利益を、男であれ女であれ、ストレートであれ性的少数者の人であれ、私達みんなが被り続けていってしまうのではないでしょうか。

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by catalyticmonk | 2014-10-17 00:56 | ジェンダー | Comments(0)

男らしさ、女らしさとは?

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男女の脳ってこんなに違う④~生まれる前からこんなに違う~
http://www.seibutsushi.net/blog/2010/05/000971.html


[まず内容のまとめから]
人間の男の胎児では、Y染色体上の精巣決定遺伝子の働きによって作られた精巣から、アンドロゲンという男性ホルモンが大量に分泌され→
→この増加によって、コミュニケーション中枢の細胞の一部が破壊され、性および攻撃中枢の細胞が増えて、それまで性差のなかった脳は、男性の脳に。

一方、女の胎児では、アンドロゲンはほとんど出ないので、母親の女性ホルモンの中で成長。女児の脳では、コミュニケーション中枢や情動をつかさどる部位で細胞がどんどん成長。
生後、1歳半をすぎたあたりから「幼児思春期」と呼ばれるホルモン段階に。
この時期は、男児では9カ月しかないが、女児では24カ月続く。
子宮が成人女性に匹敵する大量のエストロゲンを分泌しはじめ、それが女児の脳を浸す。

この大量のエストロゲンは、ニューロンの成長を促進し、観察やコミュニケーション、体感的直感、世話をしたり可愛がったりすることに関係する女性の脳の回路や中枢をさらに強化する。
対照的に、男は、性的衝動に関与する脳の部分が2倍大きく、行動や攻撃の中枢も大きくなる。


「こうやって、男女の脳が生まれる仕組みを観察してみると、男の脳は、脳の発達を意図的に抑えてるのを感じます。
コミュニケーション中枢の発達を抑えてまで、発動したかったもの。
それは何だったのでしょうか?
それは、やはり、
男の闘争性ではないでしょうか?」

……だって。
うーむ。痛いなあ、それ。
やっぱり男の男たる本質は、結局、性衝動と攻撃性、エロと暴力だ、と言っているようなものだもんなあ、それ。
でも、生物学的な性差の仕組みは、大体現代ではこうしたメカニズムによるとされているようです。

女性の脳の方が、コミュニケーション中枢や情動をつかさどる分野で発達していて、観察やコミュニケーション、体感的直感、世話をしたり可愛がったりすることに関係する脳の回路や中枢が産まれた後にも強化されていく、というのなら、生存競争のためには闘争性が重要でも、どちらの方が生産的かは明白。
結局、男性でも女性でも個人差が大きいから、男性全体としての傾向、女性全体としての傾向といったものが、その個々人の個性を上回るかどうかは怪しいと思うのですが。

e0296801_0214477.jpg個人的な実感として話すと、私は自分が男であってもそんなに暴力的な人間だとは思わないし、結構臆病だったりもします。
ただ、割と直線的な性格なため、引けない状況になったら全力で立ち向かっていきます。もっと相手に媚びてでも穏便に済ませようとする人の方が(特に日本人の男性は)多いような気がします。
そうした個人的経験からしても、普段が乱暴でなければ、その人の闘争性が強いか薄いか、単純に判別出来る訳ではない、というのは分かります。
男性ホルモンが作り出す闘争性とは、何も表面的に短気だったり、いつもカリカリと苛立っているかにとどまるような次元の問題ではなく、もっと生き方に関わる根深い性質なのでしょう。

しかしまた、例えば極端な話、ある人が境界性人格障害や自己愛性人格障害などの人格障害であったとすれば、その場合には女性であっても周囲に対する巧みな操作という形で表れる闘争性の高さを含め、並大抵の男など敵わないほどの攻撃性を発揮することがあるでしょうし、性差による性質の相違など微々たる次元のものにしか感じられなくなるはずです。
個人個人で見ていった場合には、温厚か攻撃的かといった性格の個人差は、大体において性別以上のものがあります。子供や動物などの可愛らしい存在が大好きで、家事や料理が得意な男性もいれば、口下手で、子供の世話に自分の人生が費やされてしまい自己実現の機会が人生の中から大きく損なわれるのは耐え難いという女性もいます。
そのように、男女の性質の差というものは極めて相対的な次元の論議であることを念頭に置いて状況ごとに見ていく必要があると思います。
基本的に「男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方」、という予定調和的なものの見方は、割り切れない現実の多様性を無理矢理その定式に押し込めて理解して安心したい、という人々の(しかも男性優位の社会にあっては大半は男の側の)願望が大いに混入しているものなので、世の中の様々な偏見を生み出す一大基盤なのです。
女性にとっても、男性にとっても、短絡的な決めつけは迷惑千万であることが多いわけです。

そうであっても男ばかりの集団、女性が大勢集まった場面での空気、といったものには、否定し難い圧倒的な違いが現れるから、やはり「男なんてさあ」「まったく女性というものは…」なんて会話も天気の話題と同じくらい世から途切れることがありません。
人間の集合的単位の現実から得られる体験知と、個々人の実情の間には毎回大小の相違があるということを忘れずにいたいものです。人間がたくさん集まった場所では絶えず最大公約数の感覚・主張に大勢が傾きやすく、マイノリティが軽視される、という定式がここでも顕われているわけですが、かつての男性優位の保守社会で結婚しない女性が蔑視されてきたように、そんな理屈は正当なはずもない、と私は思います。
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by catalyticmonk | 2014-08-04 01:23 | ジェンダー | Comments(0)

「女の子らしくしてみて」


「女の子らしくしてみて」の問いに小学生の女の子が見せた意外な行動とは?


「らしく」なければならない、というのは本当に馬鹿げた偏見だと思いますし、世間でよく為されている未婚男女に向かってする「早く結婚しなさい」「早く子どもを作りなさい」といった発言もセクシャル・ハラスメントそのものですよね。
そういう富国強兵政策みたいな性差による役割分担の強調は、結局人間存在の家畜化・侮辱であって、人間の生命を脱脂粉乳みたいに水に溶かして増やせば本物の牛乳と価値が変わらないと言うのと同じくらい粗雑な発想で、それで中身のある人間社会が築かれるはずがありません。

ですから例えば一部の若い女性が女子高生という、自らの性が商品的なブランド化された文化の中に進んで身を置いて、自分自身の存在や人間としての尊厳が何なのかを見つめ直したり、人間としての品性を学ぶことが後回しになって、知らない間に搾取する側にとって都合のいい人間になってしまう。ブラック企業そのものであるAKB48に憧れて自分の純粋な夢や希望をそこに託して主権在民を破壊するような時の政権の広告塔になる。
だとしたら、そうした若者も完全にこうした社会構造の犠牲者なわけで、昨今の日本の女子高生など若い女性の集団の電車や街頭などでの傍若無人かつ横暴な振る舞いを黙認することが男女平等につながるわけでもありません。

ただ、注意したら逆恨みされて痴漢冤罪で逮捕された男性などもいるので、どちらかと言うと私は狭い満員電車の中で毒々しい感じの女子高生のグループに取り囲まれていると途中下車してしまうことがあるほどなのですが(全然ダメですね)。
それでも順当に考えていけば、まず一人一人の個人が公権力や社会風潮によって狡猾に家畜化されている実態に気付かなければ始まらないし、そのからくりを分かりやすく繰り返し指摘して周知していく重要性は、人権意識や男女平等の理念へのリテラシーを高めていく上で当然必須のことだと考えています。
ですから一旦議論になれば私は相手が誰であろうと、何人いようが躊躇しません。

この動画の中でも、そうした社会的な刷り込みを受けていない幼い女の子の方が聡明な意見を述べています。
「“女の子らしい”のは、良いことですか?(Is "Like A Girl" a good thing?)」
「私は実際それが何なのか分からないわ、本当に...。もし、それ[そういう設定や捉え方自体]が悪いものか良いものかと言ったら、なんだか悪いもののように聞こえるわ。(I actually don't know what it really... If it's a bad thing or good thing. It sounds like a bad thing.)」

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by catalyticmonk | 2014-07-23 02:34 | ジェンダー | Comments(0)

光り物とジェンダー

e0296801_23121715.jpg元来、光り物には自分でも呆れるほど弱いのです。

幼い頃に尾張津島天王祭という、花火が盛大な夏祭りに行った際に、祖父か母に夜店で光るブレスレットを買ってもらいました。
その蛍光色に光る腕輪が、耽美的な夏祭りの風情を退屈で無粋な翌日からの日常の中に忘れずに保存しておける魔法の鍵になるような気もしたし、その暗闇で発光する緑がかった光自体が幼い私にはむやみやたらと魅力的だったので、帰ってからも大喜びで毛布に潜り込んで飽きることなく見つめながら眠りました。
しかし、翌朝起きると奇跡のブレスレットが光っていません。何の飾り気もない半透明の白いプラスチック製の管が腕に巻きついているだけです。慌てて何度も毛布に潜り込み直し、暗い所で確認したのですが、やはり気のせいではなく、もう昨夜の魔法の光は消えていました。本当に悲しくて悲しくて、火がついたように泣き出したのを昨日のことのように憶えています。
e0296801_23113250.jpgその喪失感を、簡単には消えない別の何かで埋め合わせして確かにしたい、という衝動は、私の原衝動であり、その後の様々な探究心の動機付けの一つとなりました(まあ、元々私が執念深い性質に生まれついていた、というのも大いにあるでしょうが)。
なので光り物は、その時は悲しかったのですが、純粋な子供の頃の気持ちを思い出せる、瑞々しい記憶のスイッチでもあります。
ですから今でも光り物は大好きです。


e0296801_12151724.jpgまた、こういうことを書いたり喋ったりしていると、たまに「男の癖に」みたいなことを言って笑う人もいます。そういう無粋で性差別意識の塊みたいな相手は極力私に近寄らないで欲しい、と願うばかりです。
でも、私は肉体労働も長くしていたので、そうすると目の前の生活に必死なせいか自然と周りがそういう感性に希薄な人間ばかりになるんですね。彼らがそういうふうになる理由も分かるので、突っぱねる気にもならなかったのですが、やはりそれは私にとっては辛い生活でした。
こんな私でもいっときは筋骨粒々になりましたから、若い時分の男の子が、自分は喧嘩しても簡単には負けない、という感覚になれることはとても気持ちのいいものでした。職場での作業を通じた信頼関係や友情といったものも当然生まれました。
それでもやはり、野球とか競馬とか、付き合い酒でキャバクラに行って騒ぐ、といった類のことは、私にはどれだけ努力してもまるで楽しくならなかったし、なけなしの薄給を叩いて買った高価な画集を笑い飛ばすような人達と、本当の意味での遊び仲間になることも出来なかったのです。

e0296801_23495497.jpg私自身は、自分でもかなり女性的な感性を持っている部類だという自覚があるのですが、実際、男性と女性が互いの感性を馬鹿にしがちなのは、こうした事情もあるのかも知れません。
そこには労働差別の問題もあって、女性が低賃金でしか働けない、或いは結婚して子育てしているなら家に篭っていろ、みたいな風潮が、労働者の中で絶大な勢力を築いているいわゆる「男の世界」と対立、ないし深い溝を形成して、相互理解を困難にしている面がある、と私は感じています。
生活のための労働に追われることは、感性までガサツで貧困にしてしまいがちなのです。自分のような人種でさえ一時期は相当粗野になりましたから。
それが男性の本来の性か、というと、あながちそうとばかりも言えなくて、男性だって社会構造の犠牲者とも見做せる部分があるでしょう。例えばフランス人の男性なんて、花がきれいだ、この絵はエレガントだ、と美しいものを目にするたび素直に声に出して毎回興奮して、大人になってもそういうモード全開ですしね。
結構文化がその社会における男性の性質を作り出している部分も大きいのではないか、と私なんかは考えるのです。

どんな厳ついオッサンでも、つぶらな瞳で花火を眺めて感動していたような子供の頃があるはずなんですよ。
ですから、私も光り物が好きな自分の心をいつまでも失うまい、と思っているわけです。
e0296801_12254280.jpg

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by catalyticmonk | 2014-03-14 03:01 | ジェンダー | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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