カテゴリ:希望社会( 110 )

外づらのいい日本人と共生社会

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市民運動関係者から何やらどこかから排除された、とか、吊るし上げられた、なんて話は定期的に耳にします。
まー、各人と運動体・組織毎の思惑はありますからね。そこが合わなければ考えが違うんだという事でしょう。

そういうのは、大概当人達から直接聞くと、どっちの話も「なるほど、そんな感じだったのか」となる場合が多いし、一番重要なポイントが当事者同士しか確認しようのない話だったりもするので、私は八方美人とかでもなく、簡単にどちらか一方だけの肩を持つという判断はしないようにしています。安易な決めつけや思い込みこそが、最も理不尽に相手を苦しめる事だ、というのも痛感しているからです。
でも、そこも自分との付き合いの浅い・深いだけで安易に決めてしまう人がとても多い気がします。それでは理不尽な差別や偏見は一向に減らないのも道理なのですが。

悔しい事も多いでしょうがね。例えば私も本人に許可を得て撮った写真を他の人達から削除しろ、と言われて、最初「構わない」と再度言っていた相手が、後から「色々と考えるところがあったから、過去のものも遡れる範囲でいいから消してくれ」と言われたり。そんなの、当人に頼まれたら消しますけどね、裏で圧力をかけたのが分かり切っているじゃないですか。
あれは胸が抉られるくらいに悔しかったなあ。何日間も、夜も眠れなくなるほど他人から集団で絡まれて筋を通すために粘っていたのに、そんな卑怯な手を使われたら、こっちが何も表立って反論出来ないまま、「あいつはトラブルメイカーだ」なんて形になって、不愉快な反響が後々まで続く。でも、そうと分かっていても、一回一回「待ってくれ、実はこういう話なんだ」なんて言う訳にも行きませんから強力な重圧です。

もっと露骨にデマを吹聴する人間もいますしね。
でも、びっくりするのは、そういう行為を結構評判のいい人物がしている、という現実に度々遭遇する事です。評判がいいからこそ、そういう思い切った事も出来るし、自分のメンツを守るのに必死だからデマでも言ってしまう、という話なのかも知れませんね。

だから、楽にやりたければ目立っちゃいけない。昔から左翼やリベラル派と日本で呼ばれている人達の世界は、集団主義の恫喝集団みたいな負の側面があるようです。
特殊なクレイマーだけの話ではなくて、大きな組織や運動体ほどそういう事が増えがちなんです、日本の市民運動の傾向として。
自分が「これではいけない」「こういう願いを叶えたい」と純粋な動機で関わったのに、そんな事ばかりで疲弊していたら願いや希望以前のところで空回りする訳ですから、馬鹿馬鹿しくなって消えていく人が多いのも無理ないんです。実際、そういう風になったら意味が薄れていきますからね。

また、その中で上手く立ち回って行こうとポジション確保に囚われていく人も多い。政治の世界が汚い、と言うのも、目の前にある現実なりに生き残っていけるように妥協や権謀術数を重ねるからでしょう。

そういう事にほとんど遭遇しない人もいます。
でも、私が見てきた限りでは、自分自身の判断で行動したり、意見をはっきり言う人ほど、かなり明白にそういう酷い目に始終遭っています。
何が違うのでしょうね?
みんな、自分のところのイエスマンを欲しているのですよ。余計な事を言わないで、裏方を黙々としてくれるか、自分達の活動をひたすら礼賛してくれる人だけが欲しい。活動が大きくなるほど、その傾向が集団の中で高まっていく。

日本人は元々、違う意見を言う相手ともゆるくまとまっていく、という事が苦手なんです。違う宗教や民族の人達と、同じ生活空間で日常的に暮らしている、という環境が薄かったからこそ、意見や価値観の異なる人達と互いの多様性を認め合ってマネージしていくという行為が上手く出来ない。
むしろ阿吽の呼吸とか忖度、「だよね」の精神で、みんなで空気を乱さないようにしていくのが社会と人間としての美徳だと思い込んでいる。

だから、実際、日本人が他文化の環境へ行くと酷く自信なさげにオドオドして、よく分からない相手と話し合っていくよりも、ニコニコと愛想笑いを絶やさす礼儀正しい日本人を演じて好かれようとする。
これで騙されて「日本人は素晴らしい理想の国民だ!」とある意味憧れて、日本に来てから「外で会った時の日本人はあんなにいい人ばかりだったのに、日本にいる日本人は全然違う。どうしてなんだ!」と言う外国人にいったい何人出会ったんだか。

でも、その集団毎の、事業的な部分に賛同してくれる人ばかりを求めがちになると、総体的な部分では多様性を認め合った寛容な共生社会に近付いて行きません。
そうした非民主主義的な性質が改まらないと、いつでも経っても同じ事を繰り返すのだろう、と私なんかは思っていますよ。
どちらを多くの人が望むか次第なのですが、集団の忖度で和やかな世界が実現出来るか、と言ったら、実際には権力を手にした人達の腐敗をまるで止めていけないので、社会の大部分の人達がますます横暴に耐え殺伐としていくばかりなのは間違いない気がします。
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by catalyticmonk | 2017-05-09 00:07 | 希望社会 | Comments(0)

個人の自由と公共性の間にあるもの

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私の友人の知り合いが、ゴールデンウィークの家族との休暇をFacebookに投稿したら、「休み取れて羨ましい」とか「自分は仕事」みたいな、なんとなく感じが悪いコメントがあって、「人の楽しい姿や、充実してる様子って見たくない」感がコメントから伝わってきてげんなりした、という話を聞いた。そして、その後、知り合いの人も休んで申し訳ないようなコメントを返していたという。

e0296801_10553957.jpgよくある話だ。
「リア充」という言葉にもつながるところで、要するに日本人はひがみや妬みが多い。それこそ恥ずべき事だ、という意識が不思議なほど弱い。
楽しそうにしておいた方が他人は関心持つものなのだけれど、同時に妬みも付いてくる、と。

そういう変な批判は政治家の豪遊にでもぶつければいいところだが、結局、政治家は遠い存在だと思って免罪にしているんだろう。
また、前述の例なら、SNSの性質の問題もあって、本当に気の合う人とだけのSNSにしたいのが本心であっても、そうすると不特定多数から情報を集められないので、広く開かれた世界への窓口、というSNSの利点が失われてしまう。千の無為の中から一の中身を取るのがSNSだ。

e0296801_11213830.jpgだから、例えば私なら、お金と異性関係に関しては言葉が重くなる。
それを個人名で知られると相手に迷惑がかかるかも知れない話や、セキュリティー上の問題が生じる事情は、あまり具体的に話したくないのだけれど、「ちょっとくらいいいじゃないか、水臭いな」なんて食い下がられて教えた結果、物凄く大変な目に遭った経験が何度もある。他人の事を訊かれて話したら、回り回ってその人の耳に入った時には全く違う話にもなっていたりもする。
そこで怒ったところで、たいてい相手は構わないし、何が不可抗力でそうなるかも極めて雑にしか理解していない場合が大半なので、自分自身で事前に厳格な線を引くしかない。
プライバシーとは、気分の問題だけではなくて、現実的にはそういう問題であったりもする。だけれど、特定の共同体の中でどっぷり生きている人間ほど、こうした事情に疎かったりするので、余計に自分とは異なる相手への想像力が乏しくなる。

私個人は瞑想センターなどインドで、同じベッドに男3人でゴロ寝していたくらい超の付く集団生活も経験してきたので、別に閉鎖的な風でもない。だけれど、日本だと何かと用心深くならざるを得ない面がある。反面、本来の性質は開放的なので、機会があると無造作に話しかけるから、結構謎の人扱いかも知れない。

e0296801_10524850.jpg結局、みんな、それぞれのゲームのルールに則って行なっている訳だ。サラリーマンならサラリーマンの、政治家なら政治家の、学者なら学者、医者なら医者、政党関係者なら政党関係者の、それぞれのネットワークの中の常識で測ってやっている。
そして、他のゲームのルールが存在してそうなネットワークへは滅多に越境していかない。記号表意作用のようなもので、「必然性がないにもかかわらず、それが了解される体系の中では必然とされているもの」に強く依拠して日本人は暮らしている。

だから、自分の周りに仲間が大勢いて、そこの流れに乗ってやっている分には楽だとも言えるし、ネットワークの中のルールには合わせていかなければ嫌味を言われたり、吊し上げられる恐怖を気にしなければいけなかったりもする。
そういう人目を気にしないといけない、個人主義的でない不自由さが、日本には色濃くついて回る。

e0296801_10583046.jpg個人行動で、あまり仲間を引き連れないで動いているタイプの人物は、いろんな憶測の的になるし、守られるクッションの役割を果たすものが少ないから、非常にこの社会では生き辛い。必然的に一人では対処し切れなくなって、ますます影のようにひっそりと行動せざるを得なくなる。
じゃあ、仲間をたくさん作ればいい、となった時に、すぐに出来上がったネットワークの中で非個人主義的な過干渉の日本文化が顕在化してしまうので、ずっとそことの兼ね合い・都合の話になる。

e0296801_21194176.jpg従来の日本的な妬み文化と過干渉な社会関係のあり方は、個人個人がその人の個性と能力を最大限にのびやかに活かしながら、幸福に、そして建設的にゆるやかに広い社会とつながっていく上でとても不都合だ。
ありもしない、緊密に他人と自分が同じ価値観や感覚だという前提を、みんなが「普通」に合わせて忖度し合っていく「普通教」という日本型カルト信仰の中に築いて、自分とは異なる人々と社会の中で共生していく不安感を日本人は払拭しようと必死でいるようだ。最近なら、「私、日本人でよかった」とかいうポスターを街中に貼りまくって、なんだか排他的な優越感込みのナショナリズム精神の鼓舞という形でそこを煽ろうとする動きが強まっている。

だけれど、それはいつか来た道、全体主義の、ファシズムへの袋小路に他ならない。
やはり人間が自由で平等に生き生きと人生を謳歌し、真の意味で建設的な社会で暮らしていきたいのであれば、個人主義を受け入れつつも、自己を確立してゆるやかに他の多様な人々とつながっていくという、多様性を受容した共生社会、民主主義の世界という方向に脱皮せざるを得ないのだと思う。

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by catalyticmonk | 2017-05-04 10:38 | 希望社会 | Comments(0)

陰謀論と社会運動

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「小沢一郎前幹事長は、原子力潜水艦でやってきたマイケル・ジョナサン・グリーンに米国債購入を懇願された」とか書くガセネタを有料でばらまく稀代の詐欺師とさえ呼ばれた板垣英憲氏が、今さら最近またたまにSNS上で持て囃されていて、ちょっと気になります。

ガセネタ連発している人の情報でも、結構市民派の人が反応しているんで、あまりにも真偽不明のものを内容の刺激性から持て囃す姿勢には、もっと慎重になっていいと思うんですよね。
もちろん、私も知り得ない事柄は山ほどあり、驚くような内容が真実である場合も世の中にはたくさんあります。そして、いつも正しい判断なんて人間は誰も出来ないのです。
ですが、期待と情報の確証性、そこはきちんと分けて考えないと、社会的なメッセージそのものが信頼度の薄いものになるリスクがあります。

板垣英憲氏に限らず、確認可能な情報だけでも明白にデタラメを垂れ流し続けて、それが持て囃される人種というのが結構います。それでは、何か人の注目を集められるようなデマを発信して、なんでも言った者勝ちという事になります。
反面、原発は危険であるとか、内部被ばくのリスクとか、公正に危険性が明らかにされなければいけない情報や、安倍政権の税制がどういう風に一般人にとって負担増となるか、といった訴えが、雑な情報を多用する事により、今現在関心を抱いていない人にとって混ぜて語られているメッセージ全体が「怪しいもの」と捉えられがちになります。

実際、言う事の大半がいつもデマだったり、的外れな見識である人があなたのそばにいたら、その人の意見を話半分にしか聞かないでしょう?
それは当然の反応なんです。だいたいが、すべての人の意見を公平に聞こうにも、誰しも時間にも気力にも限度があります。
何か耳慣れない変わった主張ばかりする、というような印象だった人でも、言っていた内容が事実に裏付けられたものだった、現実的に参考になる頻度が高い、と感じられる人の意見は徐々に信頼するようになるでしょう。

人はコマーシャルな耳障りの良さや態度に引き寄せられやすくて、それは必要な場合もあります。
ですが、特に今自分とは異なる意見の相手の人に、「安倍政権はこれまでの歴代自民党とは違うんだ」とか「男女の役割分担と簡単に言っても、人間は千差万別なのだから、それを個人が自由に選択していけるようにすべきだ」などといった主張を伝えていく時には、面白おかしいだけではない中身のある「信頼性」といったものが重要になってきます。

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by catalyticmonk | 2017-05-01 00:38 | 希望社会 | Comments(0)

民主社会と内輪ノリ

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なんか、みんなの代弁者として頑張ってくれそうな人を議会に送るために応援するのはいいんだけど、基本的に政治家が偉いとか1ミリたりとも思っていないんで、「議員さん、スゴイ!!」みたいに持ち上げる世界が、どうにも生理的に受け付けない。
どうもフランクな感じじゃないとね、芸能人スゴイ!とか学者先生スゴイ!とか、どうしてもわざとらしい虚飾の世界に見えちゃうんだな。

それをやっている人をダメだ、なんて言う気はないけど、政治的に何か希望があって行動に参加する人が、イヤイヤ好きでもないノリに合わせていかないと、イコール政治や社会問題に無関心だ、と決めつけるに等しい態度や行動の人がたくさんいる。
別に人気者がいて、みんなで盛り上がり楽しみながらやっていくのも全然いいと思うんだけど、築いたり訴えたりしていく中身が大切なんであって、そういうノリが苦手な人も結構世の中にたくさんいるのに、そこまで巻き込んでいくつもりはあるのかな、とはよく疑問に感じている。

生活に関するテーマ、消費増税とか年金問題とかに関心があって、戦争は嫌だ、大企業や一部の特権層ばかりが得する世の中はおかしいじゃないか、と思っている人は普通にそこらじゅうにいるんだよ。
その辺の飲み屋や公園で知らない人と話し込むのは露天商なんかもしていたから得意な方なんだけど、日本人が何も考えていない訳でもないの。
だけど、ある意味まともな感覚があるからこそ、政治や市民運動のわざとらしさや権威ぶったところ、毒々しさや特異な専門家達の流儀・雰囲気のある世界には、そこを察知して近付かないんだな。
それで、選挙とかデモとかに参加するのは冗談じゃない、知った事じゃない、遠くの特殊な世界だ、と思って何も行動を起こさないから、結局、踏み込んだ情報にも疎いままになって、棄権したり自民党になんとなく投票する人が大勢いるようなんだ。

いや、スゴイ人はいっぱいいるよ。尊敬したくなる人もたくさんいる。で、みんなで盛り上がるのが好きな人もいる。でも、いつも無理に持ち上げなきゃいけない話でもないし、それを民主主義の拡大と同質に見做すのはまた話が違う。

それが票田を固めなければいけない政治家や議員を志す者、政党にとっては現状必須なのも分かるよ。それでも、そんなのが趣味じゃない、って感覚の人達がまるっきり馬鹿な訳でも愚かな訳でもなく、彼らなりの正当な理由や仕方のない事情があるんだな、と最近ますます痛感している。
それをザックリ無関心だとか、なんでこっちに参加してくれないんだ、という視点の論調で言っていても、時として有害ですらある、という話。
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by catalyticmonk | 2017-04-24 01:43 | 希望社会 | Comments(1)

世の中は偉い人が治めてくれる

以前、どこかの飲食店でこんな会話をしているスーツ姿のおじさんがいました。
「仮にもこの日本国の代表を務められている、賢くて家柄もいい紳士の方々を、けちょんけちょんにマスコミ如きがいい加減な噂で書き立てるなんて、とんでもない話だ。
あの人たちは、いわば日本国の社長様であり、重役なんだから。ヒラ社員が自社の重役を外に向けて小馬鹿にするんじゃなくて、一丸となって頑張る事が社会には大切な事なんだ」
この人は何を言っているんだ、と呆気に取られましたが、仲間の人たちも特に違和感なく会話を続けている様子でした。

議会制民主主義の意味を全く理解していない、封建時代さながらの価値観ではないですか。ですが、似通ったトーンの言説を耳にしたのは一度二度の話じゃありません。
これが石原元都知事が暴言を吐きまくり、国が年金を蒸発させちゃったり、原発事故の後に計画停電を電気は足りているのにパフォーマンスで強行して、それでも大企業や政府・行政の内実が徹底糾弾されない、この国の大衆意識の実態です。最初から腰砕けでいるんですね。
ちょっと批判する以上にやってはいけなくて、自分たちは既存の社会に、親や学校の延長で居場所を与えられ、暮らしを多分に受け身で貰っている社員か従僕のつもりでいる。

だから、お茶の間の話題的に森友学園問題のように民間人を叩くのは盛り上がっても、なぜ検察は政府内部の関係者をもっと追及しないんだ、と国民の声が自発的に高まっていく事もない。
このメンタリティが大きく変わらない限りは、世論の流れも簡単に操作され続けます。マスコミなどが大々的に叩いて、具体的な動きが出てきたら、乗り遅れないように一斉に同じ方向を向くだけ。
そんな、いつまでも従順な考えでいては、やられたい放題です。目を覚まさなければ、何も守れない。
ですが私たちは主権者として、この場所に存在する者として、主体的に自らの希望を建設していけるのです。
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by catalyticmonk | 2017-04-12 01:31 | 希望社会 | Comments(2)

世知辛き時代

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最近、園児がうるさいから近所に保育園を作るな、とか、地元の小学校で運動会の音楽禁止になった、なんて類いの過剰な社会の管理体制が激化しているようです。卒業式後に校門付近で皆が写真撮ったりして別れを惜しむのも禁止、在校生と先生達が卒業生を拍手で送り出す伝統も廃止、年一の行事に伴う音やひとの声さえ騒音扱いして得られる静寂、それがどれほどありがたいんだか。
そう言って怒っている人のツイッターの投稿が話題になっていたそうですが、まったくです。
全部うるさいという苦情への配慮からだと言いますが、うるさいと苦情を入れた人は、学生時代にこのような行事ごとをやって来なかったのか、自分が無邪気に騒ぐ子供時代がなかったのか、本当によくそんな事が言えたものだと感じます。

このような小学校への苦情は、全国的に広がりを見せているらしく、ある小学校では、授業の開始や終業を知らせるためのチャイムを、うるさいという理由で鳴らせなくなった、とか、何かの冗談か、という印象です。もう私には狂っているとしか思えないのですが。
常に時計を見て動く癖はついたとしても、非常に不便だし、理不尽です。

でも、こういう流れが日本では長い間ずっと続いている気がします。
私が主に育った母の実家も、愛知県尾張地方南部に古くからある農家で、でも名古屋市の隣町にあったものですから、名古屋市内の湾岸部の工場に土地を貸して経済面では得するところもあったようですが、高度経済成長期以降、特に70年代後半に大規模な開発があって、その影響を被るようになりました。
名古屋市の工場などで働く労働者の家族が大量に流入してきて新興の団地なんかに住んでいて、数の上では昔から地元に住む農家の家庭の子息の方が少数派で、数の力に押されて地域の伝統文化がズタズタにされていく過程を目にしていました。
団地の子供たちは粗野な子が多かったし、その割に親は塾だ町内会の仕切りだ、と何かと声高な人たちが多くて、一言で言うとあまりにも著しく「嫌な感じ」でした。

別に流入者もそれで糧を得ようと必死だった訳ですから、彼ら自身を悪く言うつもりはありませんが、構造の問題ですよね。文化意識も何もなく、お金だけの物差しで開発主義で野放図な開発主義をやるから、それでいろんな歪みが生じるんです。
結局はどちらも俗な欲望に基づいた屈折と軋轢、対立なのでしょう。
自分たちが何かの利権と結びついてただお金が儲かればいい、有利に便宜を図ってもらうために裏で談合する、対して労働者の立場で組合だ、学界の叡智によって優れた社会を築くんだ、と鼻息が荒い人たちも、そういう狭い身内主義や日本的な集団主義の原理で動いている部分が現実的には大きいので、一人一人の人権とか地域毎の文化と多様性の尊重なんて本気では考えていなくて、堂々巡りな騒動が継続してしまうのです。

彼ら・彼女らの親や、そうやって流動化して不安定化した地域社会全体が、新しい秩序を求めて、愛知県で全国に先駆けた管理教育を始めて、正直、今の安倍政権級に横暴で管理主義的な指導を私たちの義務教育期に押し付けてきました。
だから、なんだか学校の先生も同級生の親も、大人はみんなクソッタレだ、というのが少年時代の私の感覚でしたね。
そういう社会の正義や大人たちの言い分は信じられないのだけれど、力でいつも圧倒される成長期だった管理教育を受けて育った私と同じ団塊ジュニアの世代には、その場限りで上手く立ち回ればいい、という感覚の人間が多いのですが、そうなった理由も、なんとなくは分かる気がします。
私は今でもその少年時代に団地の流入者家族から察知した「嫌な感じ」と同じトーンを市民運動層の空気に感じる時があって、正直不快な時が度々あります。でも、表立った主張とは別の、人間的な振る舞いの実際の部分の話だから、なかなか言いにくかったりするのですが。

祖父母はいい人たちでしたが、私が団地の同級生を家に連れて来るのを嫌がりました。私も学校が嫌いだったから、小学校の夏休みなんか、ずっと同世代の子供たちと会わずに母の実家の親類縁者といった大人としか会話しなかったりしました。
私も、ある種、そうした形でナショナリズムの土台になるものが少し感覚的に分かる部分があるのです。

そして、利己的な経済競争と嘘くさいコマーシャリズム、プロパガンダ、腐敗や欺瞞だらけの姿で叫ばれる正義の言葉の狭間で、その両方に冷めて無関心になってしまう人たちも大勢います。
彼らは、乗りたくても乗り切れないもどかしさを感じるだけの感性を持つ、本来一番冷静で理知的に物事を眺めている人々であったりもします。
ですが、双方の軋轢と弊害があまりにも高く、あまりにも数が多いので、その人たち自身の疑問や違和感が独自の声に育ち、具体的な動きになる前に潰されていく、こういう一連の図式が日本の社会的な悪循環と政治の麻痺状態へと繋がっています。
了見が狭く世知辛い監視社会、全体主義的な管理国家、そういった形態になればなるほど自分たちの首を絞めるだけなのだ、とどうしたら日本人は気付けるのでしょうか。
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by catalyticmonk | 2017-04-12 01:24 | 希望社会 | Comments(0)

公共と個人の幸福

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いきなり急に赤の他人のために尽くしたい、なんて思う訳ないんだよ、誰でも。自分の心に感じている幸福への感謝の気持ちや、同じように辛い思いをしている存在への同情から、本当の公共の精神て生まれるんだし、それ以上は強制しても意味ないんだよ。

ま、人間はみんなこの世に生まれてきた時点で深い孤独と悲しみを抱えているからさ。自分て存在が他の人や存在から分離して存在して、それでも自身はなんとか生き永らえたいんだから、心が引き裂かれるんだよ。
だから、心に穴が空いているから相手のために頑張ることで自分も救われる、という状態もある。みんな、そういう実験を友人や家族、恋人たちとしているのさ。

でも、それは、まだ不確かなギャンブルで、それが裏切りに遭ったりするとやはり深い葛藤や人間不信につながる。
自分自身の幸福を高めていく、って基本が必要な部分でさ。

だけれど、そこに狭い自我への枠のこだわりが強過ぎると、また別の苦しみが生じる訳さ。
その理由は簡単で、人間てどこまで行っても社会的な満足を求める生き物だからさ。どんなに利己的に振る舞おうとしても愛が欲しいし、孤独じゃ嫌なんだよ。

自分自身の健やかな気持ちを求めつつも、狭苦しくも浅ましいエゴの泥沼にはまらないところに、神への想いが存在する。それは、そのように自分を形作った本質であるからだ。
神、と言ってピンと来ない人に向けて言い換えるなら、人間社会の煩わしさに心をさらわれないで、尚且つ寒々とした心持ちにならないよう人間らしく生きる道の中にこそ、形骸化しない公共の精神があるのではないか、と問うておきたい。
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by catalyticmonk | 2017-04-08 00:33 | 希望社会 | Comments(1)

サイコな都市生活と地方分権

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先日、地方出身者の知人女性と話していましたが、やっぱり田舎に帰るとホッとすると言われます。東京は、全部がノイローゼ的な空間に染まっているように感じられて、生きている感覚がしない、と。
自然豊かな田舎へ戻ると、普段、自分が意識しない間に気疲れしていたものが一気になくなるので、そのギャップから改めてそうした部分に気付く、という面はあると思います。

私も田舎と呼べるような場所を失って久しい地方出身者ですが、都市型社会の日本から東南アジアやインドなどの南国に行って感じた開放感や魅力は、そうしたギャップに重なるところが大きい気がします。

ただ、都市空間は人間社会の利便性に基づいて構築されているので、私は一概に都会が嫌なものだとも考えていなくて、むしろ、都会は都会で結構好きです。
それぞれの地域が野菜を作り、美味しい焼酎を造り、また工場で電化製品を生んで、そういった中で都市部も地方も互いに依存し合って存在しているのが社会なのだから、その全体の構造の問題だと思っています。

昨日も電車内でタブレットを見ていたら、目の前に座っている若い女性から監視でもするようにジロジロ見られて、逆にそれまで意識しないでSNSを眺めていたのが急にどちら側に顔を向けていいか落ち着かなくなるような気分でした。
相手の女性も、女性の性が商品化されている歪んだ社会環境の中で、必然的に警戒心を強めざるを得ないのかも知れません。ですが、こうした事柄は、誰のためにもならずお互いがギスギスするばかりの、意味のないストレスと言えます。東京で暮らす男性なら大なり小なり類似した出来事によく出くわすと思います。

類似の出来事は私の東京在住期間に時折ブランクがある分、余計にいろんな部分で実感しています。小泉政権以降の格差拡大や安倍政治の影響も大なんじゃないでしょうか?
都会だから、なおさら世知辛さが増しているという。

先述の現象は2007年に帰国してからずっと感じている現象ですが、少なくとも2001年に関西に仕事で転居する前の東京では感じてなかったのです。
周りの人達の人間関係も、ほんのノミほどのくだらないボタンの掛け違え程度の事で、訳の分からないトラブルに発展していく展開が頻発していて、実体験も含め、総体的には、やはりもうどうかしているとしか思えない訳です。

そうは言っても地方は仕事が少ないし、病院やスーパーマーケットなどの暮らしに必須なものが過疎化で減る一方だったりします。
家や家族などが家庭の事情や時の流れと共になくなってこれば、身寄りのない部外者には住みにくい場所だったりもするでしょう。

結局、行政から地域経済、社会通念や文化意識至るまでの総体的な内実として、しっかりとした地方分権が為されていれば変わっていくのでしょう。そうすれば、無理に高い家賃を払って人混みの中でピリピリしながら暮らさなくても、それぞれの個人が。もっと本来の事情に応じた選択が出来ます。

都会が嫌なら出て行け、という乱暴な主張をする人も多いのですが、そういう理屈でもないはずです。年老いた高齢者や病人が、過疎化し地域社会が空洞化し、気軽に食材や生活必需品を求めらてない、いざ倒れた時にも医療機関が近場にない、では話にならないのですから。

そういう状況を招いているのは国の政策や行政、それを左右出来る大企業や富裕層の有力者達が、自分達で効率よく儲けを得られる方向にばかり意識を偏らせた上で、この中央集権国家を管理してしまっていて、真により多くの人々の暮らしの向上といった公共性を重んじていないところに、庶民生活と人心の荒廃の根源の要因の一端がある点は、もう疑うべくもありません。
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by catalyticmonk | 2017-03-18 19:10 | 希望社会 | Comments(0)

主体的な思弁なき愚鈍さ

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今日は我慢して、ネトウヨ本や右翼雑誌を色々と流し読みしていました。
で、彼らの主張の知性や論理性の低さも多々痛感したものの、反面、感覚的だから、リベラルへの批判が結構的を得ているように感じるところもあって。

e0296801_2314225.jpgずっと思っていることですが、日本人は権威付けと感動ポルノが大好きで、安っぽいコマーシャリズムに毒され過ぎな気がします。
記事の見出しだけで、大した疑惑じゃなくてもスキャンダラスな話題扱いにしてしまうようなことを、リベラルとされる人たちが政府とか富裕層、地位のある存在を攻撃する時にも安易にやるでしょ。
あと、例えば個人レベルの体験としても、誰か女性とツーショット写真を撮る度に、過剰に注目されます。政治家とか何か著名人とでもね。イコールで、その人のシンパ扱いにされがち。そんな、ツーショットくらい誰とでも撮れるだろうに。

主体的に一個一個物事を考える習慣がついていなくて、判断をする時に、受け身でも短時間で分かりやすく頭の中に入ってくる、テレビ的な情報に頼ってしてしまう癖が常態化しているんですよね。
だから当然その判断の中身も、紋切り型で陳腐な了見の狭いものになっていって、例外的な状況や新奇な現象への理解力が拙くなる。
それが、社会ぐるみでズブズブに認められてきちゃっているものだから、ますます自覚もなくなって、ステイタスとか、キャッチャーな噂話のネタにすぐ惹かれていくんですね。

e0296801_23192437.jpgこの国の左翼とかリベラル派の人たちは、社会制度を変えれば全部改善されていくかのような発想をよくしますが、「主体的な思弁なき愚鈍さ」という日本的な大衆性自体が変わらないと堂々巡りな気もするんです。多分、そこが保留されたままでは抜本的な社会改革を行なえるだけの支持を取り付ける地点まで辿り着けないだろうし。

日本人の意識改革を促す情報発信や主張、社会教育も含めた教育、というところで、日本が真に民主的な社会になるために必須なものが何かを、正面から見つめようとはしていない面があります。
それは難しいし、支持も得にくいことではあるのだけれど、だからと言ってそこをずっと後回しにしていたり、おまけの議論扱いにし続けている度合いは、やはりとてもマズい領域に達していて、このままで貧困問題とか平和への不安だけを訴えていけば日本人が民主主義に覚醒するなんて思っていたら大間違いだと思います。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」状態の意識のままで、大きなうねりが生まれる訳ないじゃないですか。
主体的な意思を持つことで自由が生まれる、というその精神的な大切さが納得できるようになり、個人の尊厳といったところを認めていかないと人権なんて守られないし、誰か強い者に従っているだけでそれが守られる道理もないんだ、という認識を互いに高め合っていく。そんな風潮がこの社会に根付いて行った時に、ようやく日本は民主主義社会の入り口に立つはずです。
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by catalyticmonk | 2017-02-18 22:57 | 希望社会 | Comments(0)

日常の中にある談合的恭順

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たまにキレた方がいいのは確実です。バーチャルでも現実でも。
ただ、私が一回キレると破壊力があり過ぎるみたいなんで、結構ギリギリまでいつも我慢しています。

やっぱり虐待家庭で育っているので、一回そこを解放すると濃度が高過ぎるようで、実際に戦争に行っている兵役上がり直後のイスラエル人の若者たちともインドの瞑想センターで寝食を共にしましたが、「レイタローは他の日本人と違う、怖い」と言われるほどでした。彼らの多くが非常に粗野だったので、一緒に暮らす上で、自分のストッパーを取り払って接していたのです。

でも、彼らとはそれで仲良くなれて、彼らの戦争体験までリアルに聞けたので良かったし、彼らが問題を起こした時に地元のマフィアと掛け合ったりして助けたので、集団意識の強いイスラエル人の間で、あっと言う間にヒーロー扱いになって、「ああ、同胞意識が強い人々との関係ってこんなに気持ちのいいものなんだなあ」と、人生で初めて実感したりしました。ま、イスラエル人とは一般的に相性が合わないイタリア人のグループとも私は仲良かったので、そこで変な軋轢が生じた時もありましたがね。
後からガチで「あなたは私たちのヒーローよ」とか、「Only Ray is real good person.(レイタローだけが本当のいい奴だ)」なんて言われたので、単にすっかり気を良くした、という単純な側面も否定しません。馬鹿みたいだ、と思われるかも知れませんが、一度でも真顔で他人にそう言われてみてください。どんなひねくれた人間でも一瞬で人生観が変わりますから。

e0296801_1048153.jpg自分のために怒って、自分のために楽しんで、でもそうした中で本当に中身のある他者との関わり合いをして、議論し、そういった事を通じてお互いの程良い距離や協力関係が生まれてくるのが、本来の社会であり共同体であるはずです。

ですが、日本では表面的に、いわゆる建前やエチケットとして「だけ」、礼儀正しく温厚に振る舞う態度が立派な姿勢とされていて、怒るべき時にも怒りません。
後で親しい者同士で集まって相手の陰口を言ったり、力のある人に根回しをして気に入らない人物を吊るし上げたり日常的にしますが、それを普通の善良な人間が、少しもやましい行為をしているという自覚もなしに、自然とやっていたりします。

だけれど人間同士には思い込みがあるので、そういう手法だと誤解によるフライングが頻発しやすいし、疑心暗鬼になりやすく、実際、日本人はそういうのが普通だと思い込んで暮らしている面があります。
そこは、一旦日本社会の外側で暮らしてみると明瞭に分かります。だから帰国子女の子が日本に帰ってくるとノイローゼになったりするケースが多いんですがね。

最初に「たまにはキレた方がいい」と書きましたが、すべて本音だけで生きていたら、それはそれでボケて理性を失ってしまうのと同じになりかねない、というのも一面の真実としてあるとは思います。
なので、そんな極端から極端を目指す必要もないでしょうが、日本人は自殺率が高いだけの理由があると言うか、やっぱり極端なんですよね。
本来であれば、たまに本気で怒ったりするのもコミュニケーションの一部であって健全な人間のあり方なのだけれど、日本でそういう事をすれば職を失うかも知れない。職を失っても次のスキルが続くとは限らない。そもそもそんな選択の余地もないほどギリギリな線で暮らしている人も大勢いるのです。
だけれど、それが私たち自身の幸福につながっているのか。

ある意味、日本は談合型社会な訳ですが、そういった構造で回っている世界であると、どうしても一方的な押しつけがましい態度を相手にしてしまいやすくなります。やはりこの社会の現実ありのままがそうである通り、あまり人と変わった事を独自な判断ではしないで、数の多いものに合わせて事なかれ主義で生きるのが無難であり、堅実である、という話に向かって行きがちだと感じます。

でも、それで失われるものは、建設的な議論や風通しのいい意見交換と、自身がどうしても「真ん中ら辺の当たり障りのない標準」からこぼれ落ちたり、一般的でない立場や境遇に置かれた時の、周囲の柔軟な理解や相互扶助です。
また、賄賂がなぜいけないか、といった部分ともつながってくる話ですが、こうした仕組みで回っている社会だと、必然的に弱者や少数者が理不尽な搾取や不利益を被りやすくなります。

そういった諸々の現実が、この日本社会を隠蔽体質や封建的ないじめ体質に留め置いて、そこに近代化の波が共同体や家族の枠組みを破壊したのでさらに緩衝材となる部分も薄くなり、このような息苦しい世の中になっているのだと考えられます。
元々、地縁・血縁で回っている封建的談合型社会だったのが、さらにそこに経済至上主義が加わった、といったところでしょう。

だけれど、今でもこの国の本当の支配層は、主に地縁・血縁に基づいて構成されている部分が大きいと考えられます。
政財界、大企業の幹部にもそうした層が多い訳ですが、その層とそれよりは一段下の自由競争的な経済活動で勝ち残ってきた一部の勝ち組だけが、他の大衆と分離した特権的な社会の決定権を握っています。どんどん富と利権がそこに集約される取り決めをして、結果、当然の如く格差と貧困が広がっている、といった非民主的な図式があります。

また、そうした構造が継続し、そんな政治をする為政者が国のトップに立ててしまうのも、すべてこの談合的恭順の姿勢を私たち自身が率先して受け入れてしまっている習性あっての事だ、と社会心理学的な視点からは捉えられると思います。
ですから、私たち一人一人の意識が変わらない限り変化は起きないし、変われば、それは変わるのです。
e0296801_10503285.jpg

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by catalyticmonk | 2017-02-16 00:02 | 希望社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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