カテゴリ:希望社会( 117 )

癒着と平等

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ありきたりな癒着と平等、ってことを改めて整理して言ってみたいんだけどね。ま、そこは現実、結構難しいわけだよ。
貧乏だと餌には弱いし、孤独なら優しい言葉に弱いし。信念を持ったつもりでも子供の学費とか家族の病気とか、目の前の何を優先するかって段になったら搾取される側は何かと脆いよね。

状況にもよるけれど、私は信念のために子供を病死させる親と、子供のいのちのために信念を捨てる親、どっちが立派かさえ決めれない。
特権階級同士の癒着ってのも多いわけだけど、数の上で言えば、財や権力、豊富な人脈、コネなど自身は多くのものを持っていない一般人が、段違いな有利な条件下で生きている人達に飼い慣らされている現実がほとんどでしょう。

労働者の社会で見ても面倒見のいい水道屋の社長が右翼寄りだったら、十分な教育の機会や思想的なことを考える余裕もなく目の前の暮らしだけ追ってきた底辺の人々は、簡単に太鼓持ちになるし、気前のいい親分の受け売りをそのまましがちなもの。
癒着記者たちが生きるか死ぬかの瀬戸際で暮らしているとは別に思わないものの、記者の彼女いたこともあるけど、貧乏だったしね。

人間なんてみんな同じだからね。条件が違うだけ。
貧しくとも互いに支え合って生きている人達もいるけれど、それもそうした環境を必ずしも誰もが自分の意思で100%選べるわけじゃない。

生活保護基準以下の収入で働いてお母さん過労死しちゃった、って家の子に個人的に非行に走らない指導をするより、格差のある分断された社会のあり方をどうにかした方が本質的な解決が早いに決まっているでしょ。労働者だろうが自営業者だろうが、税金払って収入を得ている人間が自殺行為に等しい暮らしをして、その家庭の子がボロボロの服を着ていたら別世界のこと過ぎて理解も出来ず嘲笑っちゃう人達が出てくるような世の中が変わらなかったら、非行なんて減るもんか。
一個や二個の特例を盛んに取り上げて、個人的努力による平等な成功の可能性を喧伝していても、そんなのは本末転倒、構造上の問題なんだよ。

みんなが平等な世の中になればいいんだよ。
努力した人が報われる社会、って言うけど、そんなの一人の人間が十人分の腕力があるわけでも知能があるわけでもなくて、その人がある人の千倍万倍儲けていて、地球の裏側のほとんどの人間が知らない情報に精通していたとしても、それは人間の巨大な社会構造上の恩恵が特定の人々に集中しているから起きる差であって、本質的には個人に帰する才能でもないわけだ。

だから本来なら貧富の差もせいぜい十対一くらいで十分、たまに家族が大勢いて養うのが大変とかいう人で一般の庶民の二十倍の財産を持ってよし、とかね。単純に言えばそんなことだよ。
私は馬鹿だからこんなふうにしか言えないわけだけど、何が本当に大切なのかを繰り返し何度でも分かりやすい言葉で叫んで、力の弱くとも無数の人々が励まし合っていけるよう、声を上げ続けていくことは大切だと思う。

二つの国の中で同じ量の資源や文化的財産があったとして、それを一部の限られたエリートだけがほとんど保持している社会と、みんながある程度公平に支え合いながら暮らしている社会を想定したら、どっちの方が豊かか?

ある一人の人が百億円の資産を持っていても使い切れないんだよ。
みんなが百万円ずつ持っていて、十円で買える小さなお菓子を喜んでいる社会、誰かが病気になったらみんなで助けてあげれるようにちょっとずつ貯金をしておいて、隣近所だけじゃ助けれない時にもなんとか出来る仕組みを社会で作っておいて、競争もないから自分の家の醤油が今日切れたら隣の家から借りれるような、そんな社会を豊かって言うんだと思うな。

安倍首相や大金持ちの財界人・高級官僚の一回の食事分の病院代、真冬の光熱費が払えなくて一家心中したり、病気で働けないのに食費もストーブ代もなくて孤独死したり、そんな人生は嫌だからって若い娘が身を売ったり、底辺の肉体労働だけでは夢も希望もないから犯罪に走る若者がいるような、そんな世界自体を憎んで闘うべきなんだよ。

貧乏も辛いし、差別されるのも辛い、社会から見捨てられるのはもっと辛い。
そんな現実を知ろうともしない連中に騙されてついていってはダメだし、引き摺り下ろさなきゃいけないって、ただそれだけだよね。
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by catalyticmonk | 2017-09-07 00:12 | 希望社会 | Comments(0)

既存の左翼文化・自称リベラル派は本当にリベラルなのか

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テレビ報道で、10代の子どもたちほどお墓参りに行くべきと答える傾向があり、その理由としては「義務を果たすべき」と思っている人が多いという結果だったそうです。
それに対して、「若者の保守化の現れ」「右傾化は貧困の現れ」等の言説が報道番組内やSNS上の論議であるようですが、それは一面的で完全に間違っています。

何より社会の中の共同体が破壊され、殺伐とした世界が広がっているから、伝統的な絆に回帰したい庶民感情が発生するのです。そうした性向自体は、卑しい誤った感覚であるかのように唾棄すべきでなく、そう感じる人々の実態に即して何を訴えかけていけるかこそが大切な点であるはずです。

そもそも「お墓参り」なんて、個々の宗教観・信奉する信仰形態によっても差が生まれる箇所で、そこで以てして保守化や右傾化を論じてはいけないのです。個人の価値観毎の好悪の差は出るものでしょうが、社会的公論として主張すべき話ではない。
こうした反応が時折起きる事からも、私は既存の左翼の人々が、本当に思想信条や信教の自由、といったものの重要性を理解しているのかなあ、と甚だ疑問に感じるところです。

10代の子どもたちほどお墓参りへの親近感を増幅させた背景に、市場主義が家族や地域共同体の枠組みを駆逐してきた帰結があるにせよ、だからと言って左翼的政治観歴史観で現実を二極化して捉え、独善的な傲慢さで大衆の自然な感覚を一刀両断する硬直性が改まらない限り、そのような認識と姿勢を維持・助長するような形での左翼文化は滅ぶべきだと感じます。

もちろん、本来的な左翼思想はそのようなものでない、という見方も可能ですが、従来的な右翼・左翼といった対立項の概念はもはや完全に時代遅れだ、と私が強く感じる理由はこの辺りにあります。
市民運動や「意識高い系」の人々の底無し沼のような愚挙と横暴の数々を現実に見てくると、こうした発想的な独善性の毒の程を実感するのです。

もう右翼か左翼か、などといった冷戦時代の対立項のイメージで捉えていると不正確で、時代にそぐわなくなっているのだと思います。共生社会か搾取構造か、といったところにこそより本質があるのであって、そこを現実に即していない形で分断する意識でしかないなら、そんな看板にこだわる事自体考え直した方がいい。
既存の「リベラル」とされる人たちの、従来的な「伝統」がそのような狭量な思い込みを発生させるのならば、いったい何が「リベラル」なのか。自由と民主主義を守らない「自由民主党」という名前の政党と何が違うのか。

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by catalyticmonk | 2017-08-08 00:40 | 希望社会 | Comments(0)

他人の不幸は蜜の味、という言葉の実際

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ま、日本社会の病んでいる加減と言うか、ホスピタリティの低さを実感する機会は残念ながら多い。人が具合悪くて冷や汗だくだくで歩いている時に限って、見知らぬ他人から意味不明の小馬鹿にされた扱いを受ける。お腹が苦しくて身を捩りながら必死で外を歩いている時に、すれ違いざまに若い女性二人組に大げさに形態模写されて笑われる、とかね。
具合の悪そうな人間=どこか様子が奇妙で滑稽な馬鹿にしたい存在、という認識と思われる。競争社会に毒され過ぎ。

歴然としていても、言い逃れがいくらでも出来るような陰湿な意地悪をするんだよね。たくさんあるから、気付いている全部が自分の思い込みや勘違いとも思えないし。
ああいうので中にはキレて怒ってしまって、逆に警察に「暴漢に突然襲われた」とか訴えられて捕まっているおっちゃんも絶対いると思うんだよな。

そういう図式がまた何重にも歪んだ悪循環を広げて、混乱した殺伐とした社会にしている、というのが現実だと思う。
だけど、表面的な次元でしか対応しないのは、やはり、社会全体が病み過ぎていて十分に問題を掘り下げるモチベーションが足りないからなんだよ。

そこの微妙さがたくさん存在している例として、もう一つ具体例を挙げておく。
翌日の手術のために入院するのに自分で電車で移動している時だった。優先座席に座っていたら、目の前を年長者のグループに囲まれて、大声で非難がましい当てこすりにしか聞こえない話をされた。
「嫌な気分になりながら具合が悪い中をやせ我慢して座っていることない」と思って立ち上がって移動したのだけれど、あの時も立ち上がって移動するなり背後から「ま~っ」というかましい感じの嘲笑的な声がその年長者女性らから上がった。

とにかく、建前があって、はっきり言えないような状況や場合に、濃密にそうした出来事が頻発するね。つまりは、ああいう事をする人達も、顔見知りや親しい間柄の人間関係では多分結構普通の人なんだろう。
そういう「関係性」に支えられた人の好さや礼儀正しさであって、道徳としてこうであるべき、という観念が日本人には極端に薄い、と私は日頃から感じている。

別に、私も自分の住んでいる近所では結構快適だ。府中の大國魂神社の境内なんて、普段からメンタルに問題を抱えていそうな人が憩いを求めてか闊歩していて、なんか弱者や流れ者労働者などに優しい、という風土が府中にはある。
でも公平に言って、住めば都ということは他の地域にもあるのだろうし。

自分が元気なうちはまだ我慢出来るレベルに感じているかも知れないけど、一旦病気や障害を抱えてみると、日本て、人間社会として相当マズイ段階に入っているよなあ、と実感する事が増える。
お年寄りなんかもみんな結構そういう思いをしているんじゃない?
近所の顔見知りや家族、お金、といったものが、世の世知辛さからその人を守るいくらかのバリヤーになるんだろうけどね。

やっぱり、健康で元気な者、お金や権力のある人間のための、そういう人達優先の競争社会なんだよ。
しかも、そうでない人達もそれに憧れて、蹴落とされている人達の立場は余裕がない、暇がないと言って結局見過ごされがちだから、詰まる所、社会全体が福祉型の共生社会を目指さないと、どうしようもないと思うな。

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by catalyticmonk | 2017-08-04 00:02 | 希望社会 | Comments(0)

民主主義未満

例えば、最近なら森友学園問題で刑事告発するのは政治戦略として良かったか悪かったか、吉祥寺で反天皇制デモを行なうのは有効か否か、野党が共謀罪に対抗するのに審議拒否をすべき・すべきでない、といった議論がありました。どれも、何が合理的な手法か、といったところで意見が近しい者同士で割れていました。

ですが、その3つだけ取ってさえ、全部の判断がきっちり同じになる市民の割合なんて少しずつで、みんなそれぞれ一個一個は違う判断なんですよ。

そういう手法の違いで相手をすぐに感情的に、または関係のない人格攻撃も含めて対立し合う、という、極めて荒んだ空気がずっと存在しています。

みんな、その現実を分かっているから、市民運動に参加しつつ、自分の意見は言わない、と決めている人が長い人でも結構います。あと、いつもどこか特定の政党や活動団体の判断について行く、とか、どうしても、そういう人の方が長く安定して幅広く活動しやすい空気があります。

でも、個人個人が自分の意思と判断で動いていかなければ、結局別の次元と枠組みで権力闘争や利権構造が生じるだけで、民主主義社会を求めていく根本が成り立たない。

手法の見解の相違はどうしても出てくるものです。
ただ、それをやられたらみんなが困る、というテーマは確かにあります。
民主主義社会なら反天皇制デモも含めていろんな意見があって然るべきで、そこを出した上で議論するのが筋です。
でも逆に吉祥寺の街の人に、地元と関係ないのに、右翼の街宣車や機動隊が集まってきて暴力的な空気になって怖かった、地元の活動団体は平和的に活動して親しみを持ってもらおうとしていたのが台無しになった、みたいな言葉を言うな、とはもっと言えない。仮にそう主張するとしたらそれも無理があるでしょう。

森友学園問題の刑事告発や国会の審議拒否は、高度に政治的で、法律や議会運営の知識・専門情報がないと、素人には即判断が付かなかったりします。ところが、それが支持している政党や仲のいい人物の激しい煽りがあると、微妙で複雑な判断であるはずの事で、もうバトルが始まって、お前はどっちなんだ、みたいに聞かれる。

日本人は合わせるのが得意ですが、個人の意見を尊重するという考えがまだ育っていないですよね。
個人が自分でしっかり考えていない割に、明らかに不釣り合いなほどの対立をすぐに始める。ここの意識を変えないと始まらないでしょう。
それ、そもそも社会運動の正常なスタンスでも民主主義の正道でもないから、と。

民主主義や個人の自由をもっと理解していかなければ、ただの言い争いで終わって勿体無いですよね。子供のケンカと同じで。
そういう雰囲気だと社会運動がますます非日常的になってしまいます。

共謀罪などのように民主主義社会を根底から揺るがしかねない、かなり重篤な危機が迫っているからこそ、みんな余計に意見対立する、というのもあるようですが、もっと身近な問題として誰もが参加できると良いのに残念に感じます。
本来は、自主的に考える勇気、間違える勇気があれば十分なはずです。
でも言えない社会があるから、そこから変わらないと日本人はロボットになってしまいますね。国の思い通りで、今の日本人は凄い危機なんだと思います。


別に思想信条の問題じゃなくて、左翼臭い毒々しさって実際にありますよね。右翼臭さでも政党臭でも一緒です。自民党はもとより野党でも政党臭さってあるじゃないですか、キナ臭い独特の。

いや、どんなスタイルだって自由なんですよ。でも、ただ税金払ってこんな社会制度じゃ嫌だとか、原発事故怖いからやめて欲しいとか、そういうシンプルで当然の権利である願いを普通の人が意思表示したかった時に、政治の世界はこういうものですから、って顔で、デーンと構えてね、かなり多くの人が嗅ぐのも苦痛な何ものかで待ち受けている、みたいな現実は事実あるんですよ。
それで、皆それぞれに「俺の所に参加しろ」と実質言っている。

なんか、それってフェアじゃないじゃん、詐欺みたいなもんじゃないの、と感じている人が大勢いるのに、「なんで声を上げないんだ、国民として、有権者として、民主主義社会に生きる一人の人間として無責任だ!」と来る。

他の喩えで言うならですね、ビジュアル系も入ったグラム・ロックとか、ヘヴィーメタルとかの音楽とド派手な格好が好きな人は、それが個人の趣味趣向だからそれでいいんですよ。
でも、それで、ヘッドバンキングしない奴は非国民だ!とか、意見があるなら大音量でヘヴィーメタルがかかった集会に来てギターもライトハンド奏法くらい出来なきゃ発言権はない、でも集会に来ない奴は民主主義社会の一員としての義務を放棄しているに等しいから、何をされても文句は言えないぞ!なんて言われたら、どうでしょう?
やっぱりそれって違うだろう、と多くの人が思うのは仕方ないでしょう?私はクラシック音楽が好きだし、収入が減っているのに勝手に増税されては困るから、当然の主張をしたいだけなのに、ライトハンド奏法の練習をする時間なんてないよ、と。

あと、動く奴が一番偉い、来ない奴は能書きだけ垂れるな、みたいな言葉が多い訳です。ですが、ここ最近ずっと癌闘病をしていた私からすると、はっきり言ってそれ、意図しなくとも相当な障害者差別・病人差別なんだよな、と感じる場面が多々ありました。

もちろん、そこも半分は分かるし、正当な主張である場合も多いんです。自分では何もしないで他人に文句ばかり言う、そういう無責任なマスに頑張っている人達が無益に疲弊させられる、という重大な弊害がありますから。

けれども、だから少ししか動けない人間は感じている事柄も口に出すな、というのでもやはり違うと思うんです。半分は同じ言葉と主張がある種の傲慢さである場合も多くて。
活動している人間が政治の主役、みたいなのって、忙しい人間や貧乏人も蔑視している、という、その程度の道理も分からない連中が人権とか民主主義とか言うのは矛盾じゃないか、と徐々に病状が悪化している最中にも行っていて何回感じたか分かりゃしませんよ。

だから、何かそういう次元でね、「政治の世界」の常識みたいなのが出来上がっていて、そこに乗るか反るかを前提に政治参加云々と言うのが少しおかしいし、今やっている人達が自分達の行動を広げていきたいなら、少なくとも後から来た人がこれって胡散臭い、とっつきにくい、と言っても怒っちゃダメだと思うんですよ。

結局、「オレ達のやり方に黙って付いて来い。でも、これが民主主義なんだ」なんておかしな理屈をずっと言っている面がある気がします。また、無責任に文句だけ言って主体性のない「お任せ民主主義」の風潮が、頑張っている人達をそういう所に自然と追いやってしまうという堂々巡り。
ここはやはり民主主義や個人の自由・尊厳が何なのか、一人一人が実質的に見つめて意識改革していかなければ、またそちらの方向に互いに声を掛け合って啓蒙し合わなければ、ずっと並行線のままなのが道理でしょう。

政治や運動に上も下もないはずで、それぞれの人がその人の身の丈なりに社会に関わり、各人の意見を言えるようにしていくのが民主主義の本来の姿なのではないですかね。

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by catalyticmonk | 2017-06-19 01:29 | 希望社会 | Comments(0)

市民共闘

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共産党支持者の多くは民進党なんて自民補完勢力だ、と思っているし、民進党も共産党には出しゃばらせたくない。
自由党や社民党は直近の都議選では大勝負がなく、無党派層でアンチ安倍政権寄りの人達も政党支持者同士の党派ごとにバチバチやっている感じに近寄りがたいものを感じて、白票を投じないまでも選挙応援を積極的にしにくい状況に置かれている。

党派対立が激しい局面で敢えて投票行為以上に能動的に選択する、ということは、その特定の党派に自身が組み込まれる形になるのだから、どっちにつくか、という空気は、結局最大多数派の無党派層を与党に対抗する勢力に取り込めなくする。
幅広い価値観の人々を緩やかに吸収出来なくなるのは自然な道理。

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私がこういう事を言うのは、自身の体験上の至って自然な実感がある。
私は去年から手術や入退院に明け暮れていて、選挙応援どころではなくなった。その前の年の2015年、戦争法案反対の抗議運動が終わった秋口くらいから具合が悪化したので、私があちこちの選挙運動に参加していたのはその前までだ。

その頃、私自身は何人かの特定政党候補の応援を末端でした。共産党候補の応援もしたし、同時に社民党や緑の党の候補の応援もした。
そういう事を現に多くの無党派市民層がしていたし、「野党共闘」という言葉が現実的な形を取り出す以前から、私が二度の都知事選挙で宇都宮健児さんの支持・応援をしていた事もあって、幅広い支持層と横のつながりが生まれた影響も大きかった。

宇都宮健児さんを支持した者同士が、互いにそれぞれ緑の党や共産党、社民党、生活者ネットワーク等々の候補者を応援し、宇都宮さんご自身も自分を都知事選で支持してくれた人々や野党の選挙応援に方々を回られていた。

ただ、実際にはその当時から政党間毎の様々な軋轢はあって、当初はその難局も緩やかな市民層のネットワークが互いを励まし合うような形で支え合っていたのだけれど、段々とその歪みが積み重なり大きくなっていく一方で、仲間であった人々がバラバラになり、あるいはどこか特定の政党の強固な支持者に収まっていく、という過程がどんどん進行していった。

SEALDsが野党共闘を呼び掛けて飛び回っている頃には、私はすでに手術台の上だった。
手術後間もなく少しだけ都知事選挙の街頭宣伝にも参加したが、野党統一候補をめぐって宇都宮健児さんが出馬を辞退される、という出来事が起きていて、以後、それでも宇都宮さんを支持し続ける人々と、かつては宇都宮さんを支持していたけれどどこか特定の野党についていく人との間に決定的な溝が生まれ、また宇都宮さんご自身も、以前のように野党共闘の看板としていろんな選挙に呼ばれる、といった機会がなくなっていったようだ。

私自身は宇都宮さんを都知事選挙で支持する事が市民運動参加の大きなきっかけとなった人間で、それ以前に311直後から反原発運動には度々参加していたものの、がん告知や諸々の個人的事情でそれどころでなくなっていた期間も長くて、あくまで病気の小康期に都知事選挙関連で徐々に広がっていった面が強い。

それでも独立独歩でものを考え行動する人間なので、自分を単なる宇都宮信者とか山本太郎信者みたいな分類に入れられる気はさらさらなくて、候補者や政党の支持もその時々の状況や具体的な政策を見て選んでいる。

ただ、この安倍政権が長らく高い支持率と議席率の中で盤石に続き、特定秘密保護法や安保法制、共謀罪といった重大な法案が数の力で強行採決されまくる難局の中で、そこに対抗している市民はまとまった力になるべきところを、ひたすら分裂していく一方だった。

e0296801_07542019.jpg何か結局のところ、ずっと昔から続く日本の市民運動の図式の流れそのものであって、それが変わるかも知れない、という空気が高まった時、311以降にも、特定秘密保護法や安保法制反対の頃にも、新しい積極的な政治参画層が一般社会から流入して、一部は既存の特定政治勢力に吸収され、大半は去り、ごく一部の人々がそれでも新しい流れを模索する、といった繰り返しが成されているのは間違いない。

だけれども、全体としては緩慢をつけながら弱体化する一方であったのも確かで、ただ昔から変わらない当然の流れだ、と受け入れていてもいけない気がする。
今、野党共闘という言葉は継続しているけれども、それが本当の意味での寛容な空気や多様な価値観・政治信条の融和性を示しているのだろうか。

一般人が、例えば民進党候補や共産党候補を同時に積極的に応援しながら、複雑な党派対立に巻き込まれ後ずさりしないで済むような、そうした空気作りがないままならば、ますます与党と既成権力の看板の架け替えでしかない勢力が、庶民置き去りの横暴な政治を続けることは疑うべくもない。

e0296801_08061295.jpgだから、現実的には既に「野党共闘」という言葉もほころびを見せ始めているのだと思う。
「野党共闘」と言った場合、それが「市民共闘」の象徴として正しく機能するのであれば健全なのだけれど、実際にはそれの意味する「野党」とは、既存の「国政政党」である民進党、共産党、自由党、社民党の四つを指しているに過ぎない。国政参加を目指しているその他の政党支持層や独自の政治見解を持つ人々にも息苦しいものを感じさせる。

それがどんなに合理的な判断と思えても、異なる価値観の人々への過剰なごり押しは禁物だ。それは安倍政権に対抗する市民層の分裂を招くだけでなく、政府に不満を抱きつつ政治参加には消極的な層に連帯の輪を広げていく事を困難にする。

「野党共闘」という言葉で括られている各党の支持者は、当然元々自勢力の拡大を政治集団の原則として持っているのだから、「野党共闘」の大義と共に、どんどん謙虚さを失い、野党四党支持層以外の有権者に以前よりも声高にごり押しをしている面がある。「野党共闘」という言葉を使って自党への勧誘を必死でしていて、それでますます全体としては安倍政権に対抗する仲間を増やしていけなくなる負け試合に向かっている。

いや、各党が頑張ればいい。出来る事なら野党共闘も無党派層やその他の政治勢力の取り込みも行なえるような融和的な形で行なって、与党打倒後の受け皿を健全に模索していって欲しい。
だけれども肝心な目的は、たった四つの「野党」が連帯し合うところに焦点がある訳ではなく、市民が、有権者が共闘するところにあるのだ、という点を今一度忘れないでもらいたい、と願っているのは私一人だけなのだろうか。
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by catalyticmonk | 2017-06-18 06:07 | 希望社会 | Comments(2)

私が病気をしてから日本の政治運動や社会運動について気付いた事柄

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単に病気になっていろんな所へ顔を頻繁に出せなくなり、市民運動も選挙活動も、物理的に遠ざからざるを得ない立場に長くなってみると、如何にそれが普通の人が関わり辛いものなのか、改めて障壁の大きさを痛感するところが増えていきます。
絶えず揉めて錯綜とした人間関係の市民運動界隈にたまに行くと、公平に振る舞っているだけのこちらが、ギクシャクしたイヤ〜な空気の緊張感を味わなければいけなかったり、どこの誰が選挙の候補者としていいのか、一般人にとって定かな情報は調べなければ伝わってこない状態なのに、こことそこを応援して!という段階からの勧めばかりが飛び交っていたり。
こんなのじゃ今関心のない外側の人達なら尚更関わりたくなくなるに決まっているし、広がらなくてむしろ当然だ、という決定的な印象を受けるのです。

じゃあ、代案を出せよ、ではなくて、それが外側の人の実感だ、という部分での話に恫喝したって始まらないでしょう。全体的に押し売り的な倒錯した論理の蔓延を感じてしまう。

例えば、デモだけやっていても政治は変わらない、選挙の時だけ野党に投票しようとだけ唱えていても都合が良過ぎる、もっと普段から地域のつながりを大切にして、選挙事務所とかでボランティアしたり、ビラ配りしろ、そういう横のつながりを自民党はしっかりやっているから勝つんだ、といった話も従来からどこの政党支持者でも熱心に主張するところで、全部正論なのですがね。
でも、そういう主張が出る団体や政党支持者は、大概同時に「こうしなければ無責任だ」くらいの強い調子の事までボロボロ発言しているところがあって。

そんなに押し売り的に二者択一でものを言ったら、「こちらは本心、政党はどこも言う事と立場がコロコロ変わるし、そこまで応援したいところなんかないんだよ」とその人なりな正当な理由があって積極的に支持する所がない人達を、端から侮辱しているのと変わらないですから、そういう事を言っている人達の活動全部に好意を抱けなくなるのも当然です。

いや、それでも、その時その場その状況で考えて具体的な候補者や一定枠内の政党を応援するのは大切だし、見ていても政治熱のある市民はすでにもうみんなガンガンそういう事をしている訳ですが、そこも点でしか関われない病人や、ニュースやネットもじっくり見ていられない忙しい人達は、それをしろと言われても正直ついていけないのです。

やはりどこの政党も運動も、それぞれに自分ところの活動を事業として大きくするといったところに熱心で、その引き入れを必死でするのですが、それに関われない立場の人が賛同しやすい姿勢ではないし、引き込むのに熱心過ぎて相手に傲慢になっている部分への無自覚が、さらに一般人を政治から遠ざけている、という視点が薄いままだと厳しい気がします。
相手のペースや立場も尊重しながら、その人が純粋な気持ちで意欲関心を持ったものを欲張って潰さないスマートさが必要なのだと思います。

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by catalyticmonk | 2017-05-23 23:37 | 希望社会 | Comments(0)

手法の相違と大同団結

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うーん、今日、衆議院本会議で共謀罪法案が可決されたわけだけど、社民党や自由党本会議強硬に抗議欠席、共産党や民進党は出席して牛歩もしなかった、と一部から非難轟々だ。
森友告発プロジェクトが安倍昭恵夫人含めての刑事告発状を東京地検特捜部に提出した話でも、そんな事したら戦法としてダメだ、バーカ、とかまで言葉が飛び交っていて。

いや、手法として一番効果的な正しい判断を見極めていかなければいけないのは当然の話なのだけれど、手法の判断がいろんな意見が出るのは当然のことでしょう。
そこで、共謀罪成立を阻止させたい、森友問題などの疑惑がうやむやにされるのはおかしい、だから安倍政権を退陣させたい、と大筋では願うところが同じ人々が、憎悪も露わに罵倒し合うという行為が何につながるのか。

私なんて素人だから、そういう手法の是非の判断がつかない場合は多いし、私よりも現状日本の有権者の大半は選挙に行かないくらい政治への関心が薄い。
そこで、なんとなく、「え~、そんなものも自由に言えなくなる法案なんじゃないの?テロのためって本当?」とか素朴な疑問や関心を抱いた人が、自分よりも詳しくて先に行動している人同士で辛らつな激しい言葉の応酬で言い争っている市民運動の人達のやり取りを見ると、「なんか気になるんだけど、よく分からないのにどちらかにつかないといけない」みたいな様子に行き当たった時点で、大概は脱落しちゃうんだ。
そういうの、本当にもったいないよ。

実際、自分も病気してから、それでもずっとそういうトーンで激しくやり合う市民運動の世界にガチで関わり続けたら、もう体が持たない、と実感する瞬間が何度もあった。
命がなければ、自分たちの暮らしを続けていけれなければ、もう政治への関心以前だからね。
多くの人が、暮らしや健康を維持しながら、なおかつ自分達よりも全面的に関わっている人達の活動に関わっていける、という形でなければ、手法をめぐっていがみ合っても、本質的なところではもっと負けてしまうんだと思う。

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by catalyticmonk | 2017-05-23 22:27 | 希望社会 | Comments(0)

外づらのいい日本人と共生社会

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市民運動関係者から何やらどこかから排除された、とか、吊るし上げられた、なんて話は定期的に耳にします。
まー、各人と運動体・組織毎の思惑はありますからね。そこが合わなければ考えが違うんだという事でしょう。

そういうのは、大概当人達から直接聞くと、どっちの話も「なるほど、そんな感じだったのか」となる場合が多いし、一番重要なポイントが当事者同士しか確認しようのない話だったりもするので、私は八方美人とかでもなく、簡単にどちらか一方だけの肩を持つという判断はしないようにしています。安易な決めつけや思い込みこそが、最も理不尽に相手を苦しめる事だ、というのも痛感しているからです。
でも、そこも自分との付き合いの浅い・深いだけで安易に決めてしまう人がとても多い気がします。それでは理不尽な差別や偏見は一向に減らないのも道理なのですが。

悔しい事も多いでしょうがね。例えば私も本人に許可を得て撮った写真を他の人達から削除しろ、と言われて、最初「構わない」と再度言っていた相手が、後から「色々と考えるところがあったから、過去のものも遡れる範囲でいいから消してくれ」と言われたり。そんなの、当人に頼まれたら消しますけどね、裏で圧力をかけたのが分かり切っているじゃないですか。
あれは胸が抉られるくらいに悔しかったなあ。何日間も、夜も眠れなくなるほど他人から集団で絡まれて筋を通すために粘っていたのに、そんな卑怯な手を使われたら、こっちが何も表立って反論出来ないまま、「あいつはトラブルメイカーだ」なんて形になって、不愉快な反響が後々まで続く。でも、そうと分かっていても、一回一回「待ってくれ、実はこういう話なんだ」なんて言う訳にも行きませんから強力な重圧です。

もっと露骨にデマを吹聴する人間もいますしね。
でも、びっくりするのは、そういう行為を結構評判のいい人物がしている、という現実に度々遭遇する事です。評判がいいからこそ、そういう思い切った事も出来るし、自分のメンツを守るのに必死だからデマでも言ってしまう、という話なのかも知れませんね。

だから、楽にやりたければ目立っちゃいけない。昔から左翼やリベラル派と日本で呼ばれている人達の世界は、集団主義の恫喝集団みたいな負の側面があるようです。
特殊なクレイマーだけの話ではなくて、大きな組織や運動体ほどそういう事が増えがちなんです、日本の市民運動の傾向として。
自分が「これではいけない」「こういう願いを叶えたい」と純粋な動機で関わったのに、そんな事ばかりで疲弊していたら願いや希望以前のところで空回りする訳ですから、馬鹿馬鹿しくなって消えていく人が多いのも無理ないんです。実際、そういう風になったら意味が薄れていきますからね。

また、その中で上手く立ち回って行こうとポジション確保に囚われていく人も多い。政治の世界が汚い、と言うのも、目の前にある現実なりに生き残っていけるように妥協や権謀術数を重ねるからでしょう。

そういう事にほとんど遭遇しない人もいます。
でも、私が見てきた限りでは、自分自身の判断で行動したり、意見をはっきり言う人ほど、かなり明白にそういう酷い目に始終遭っています。
何が違うのでしょうね?
みんな、自分のところのイエスマンを欲しているのですよ。余計な事を言わないで、裏方を黙々としてくれるか、自分達の活動をひたすら礼賛してくれる人だけが欲しい。活動が大きくなるほど、その傾向が集団の中で高まっていく。

日本人は元々、違う意見を言う相手ともゆるくまとまっていく、という事が苦手なんです。違う宗教や民族の人達と、同じ生活空間で日常的に暮らしている、という環境が薄かったからこそ、意見や価値観の異なる人達と互いの多様性を認め合ってマネージしていくという行為が上手く出来ない。
むしろ阿吽の呼吸とか忖度、「だよね」の精神で、みんなで空気を乱さないようにしていくのが社会と人間としての美徳だと思い込んでいる。

だから、実際、日本人が他文化の環境へ行くと酷く自信なさげにオドオドして、よく分からない相手と話し合っていくよりも、ニコニコと愛想笑いを絶やさす礼儀正しい日本人を演じて好かれようとする。
これで騙されて「日本人は素晴らしい理想の国民だ!」とある意味憧れて、日本に来てから「外で会った時の日本人はあんなにいい人ばかりだったのに、日本にいる日本人は全然違う。どうしてなんだ!」と言う外国人にいったい何人出会ったんだか。

でも、その集団毎の、事業的な部分に賛同してくれる人ばかりを求めがちになると、総体的な部分では多様性を認め合った寛容な共生社会に近付いて行きません。
そうした非民主主義的な性質が改まらないと、いつでも経っても同じ事を繰り返すのだろう、と私なんかは思っていますよ。
どちらを多くの人が望むか次第なのですが、集団の忖度で和やかな世界が実現出来るか、と言ったら、実際には権力を手にした人達の腐敗をまるで止めていけないので、社会の大部分の人達がますます横暴に耐え殺伐としていくばかりなのは間違いない気がします。
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by catalyticmonk | 2017-05-09 00:07 | 希望社会 | Comments(0)

個人の自由と公共性の間にあるもの

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私の友人の知り合いが、ゴールデンウィークの家族との休暇をFacebookに投稿したら、「休み取れて羨ましい」とか「自分は仕事」みたいな、なんとなく感じが悪いコメントがあって、「人の楽しい姿や、充実してる様子って見たくない」感がコメントから伝わってきてげんなりした、という話を聞いた。そして、その後、知り合いの人も休んで申し訳ないようなコメントを返していたという。

e0296801_10553957.jpgよくある話だ。
「リア充」という言葉にもつながるところで、要するに日本人はひがみや妬みが多い。それこそ恥ずべき事だ、という意識が不思議なほど弱い。
楽しそうにしておいた方が他人は関心持つものなのだけれど、同時に妬みも付いてくる、と。

そういう変な批判は政治家の豪遊にでもぶつければいいところだが、結局、政治家は遠い存在だと思って免罪にしているんだろう。
また、前述の例なら、SNSの性質の問題もあって、本当に気の合う人とだけのSNSにしたいのが本心であっても、そうすると不特定多数から情報を集められないので、広く開かれた世界への窓口、というSNSの利点が失われてしまう。千の無為の中から一の中身を取るのがSNSだ。

e0296801_11213830.jpgだから、例えば私なら、お金と異性関係に関しては言葉が重くなる。
それを個人名で知られると相手に迷惑がかかるかも知れない話や、セキュリティー上の問題が生じる事情は、あまり具体的に話したくないのだけれど、「ちょっとくらいいいじゃないか、水臭いな」なんて食い下がられて教えた結果、物凄く大変な目に遭った経験が何度もある。他人の事を訊かれて話したら、回り回ってその人の耳に入った時には全く違う話にもなっていたりもする。
そこで怒ったところで、たいてい相手は構わないし、何が不可抗力でそうなるかも極めて雑にしか理解していない場合が大半なので、自分自身で事前に厳格な線を引くしかない。
プライバシーとは、気分の問題だけではなくて、現実的にはそういう問題であったりもする。だけれど、特定の共同体の中でどっぷり生きている人間ほど、こうした事情に疎かったりするので、余計に自分とは異なる相手への想像力が乏しくなる。

私個人は瞑想センターなどインドで、同じベッドに男3人でゴロ寝していたくらい超の付く集団生活も経験してきたので、別に閉鎖的な風でもない。だけれど、日本だと何かと用心深くならざるを得ない面がある。反面、本来の性質は開放的なので、機会があると無造作に話しかけるから、結構謎の人扱いかも知れない。

e0296801_10524850.jpg結局、みんな、それぞれのゲームのルールに則って行なっている訳だ。サラリーマンならサラリーマンの、政治家なら政治家の、学者なら学者、医者なら医者、政党関係者なら政党関係者の、それぞれのネットワークの中の常識で測ってやっている。
そして、他のゲームのルールが存在してそうなネットワークへは滅多に越境していかない。記号表意作用のようなもので、「必然性がないにもかかわらず、それが了解される体系の中では必然とされているもの」に強く依拠して日本人は暮らしている。

だから、自分の周りに仲間が大勢いて、そこの流れに乗ってやっている分には楽だとも言えるし、ネットワークの中のルールには合わせていかなければ嫌味を言われたり、吊し上げられる恐怖を気にしなければいけなかったりもする。
そういう人目を気にしないといけない、個人主義的でない不自由さが、日本には色濃くついて回る。

e0296801_10583046.jpg個人行動で、あまり仲間を引き連れないで動いているタイプの人物は、いろんな憶測の的になるし、守られるクッションの役割を果たすものが少ないから、非常にこの社会では生き辛い。必然的に一人では対処し切れなくなって、ますます影のようにひっそりと行動せざるを得なくなる。
じゃあ、仲間をたくさん作ればいい、となった時に、すぐに出来上がったネットワークの中で非個人主義的な過干渉の日本文化が顕在化してしまうので、ずっとそことの兼ね合い・都合の話になる。

e0296801_21194176.jpg従来の日本的な妬み文化と過干渉な社会関係のあり方は、個人個人がその人の個性と能力を最大限にのびやかに活かしながら、幸福に、そして建設的にゆるやかに広い社会とつながっていく上でとても不都合だ。
ありもしない、緊密に他人と自分が同じ価値観や感覚だという前提を、みんなが「普通」に合わせて忖度し合っていく「普通教」という日本型カルト信仰の中に築いて、自分とは異なる人々と社会の中で共生していく不安感を日本人は払拭しようと必死でいるようだ。最近なら、「私、日本人でよかった」とかいうポスターを街中に貼りまくって、なんだか排他的な優越感込みのナショナリズム精神の鼓舞という形でそこを煽ろうとする動きが強まっている。

だけれど、それはいつか来た道、全体主義の、ファシズムへの袋小路に他ならない。
やはり人間が自由で平等に生き生きと人生を謳歌し、真の意味で建設的な社会で暮らしていきたいのであれば、個人主義を受け入れつつも、自己を確立してゆるやかに他の多様な人々とつながっていくという、多様性を受容した共生社会、民主主義の世界という方向に脱皮せざるを得ないのだと思う。

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by catalyticmonk | 2017-05-04 10:38 | 希望社会 | Comments(0)

陰謀論と社会運動

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「小沢一郎前幹事長は、原子力潜水艦でやってきたマイケル・ジョナサン・グリーンに米国債購入を懇願された」とか書くガセネタを有料でばらまく稀代の詐欺師とさえ呼ばれた板垣英憲氏が、今さら最近またたまにSNS上で持て囃されていて、ちょっと気になります。

ガセネタ連発している人の情報でも、結構市民派の人が反応しているんで、あまりにも真偽不明のものを内容の刺激性から持て囃す姿勢には、もっと慎重になっていいと思うんですよね。
もちろん、私も知り得ない事柄は山ほどあり、驚くような内容が真実である場合も世の中にはたくさんあります。そして、いつも正しい判断なんて人間は誰も出来ないのです。
ですが、期待と情報の確証性、そこはきちんと分けて考えないと、社会的なメッセージそのものが信頼度の薄いものになるリスクがあります。

板垣英憲氏に限らず、確認可能な情報だけでも明白にデタラメを垂れ流し続けて、それが持て囃される人種というのが結構います。それでは、何か人の注目を集められるようなデマを発信して、なんでも言った者勝ちという事になります。
反面、原発は危険であるとか、内部被ばくのリスクとか、公正に危険性が明らかにされなければいけない情報や、安倍政権の税制がどういう風に一般人にとって負担増となるか、といった訴えが、雑な情報を多用する事により、今現在関心を抱いていない人にとって混ぜて語られているメッセージ全体が「怪しいもの」と捉えられがちになります。

実際、言う事の大半がいつもデマだったり、的外れな見識である人があなたのそばにいたら、その人の意見を話半分にしか聞かないでしょう?
それは当然の反応なんです。だいたいが、すべての人の意見を公平に聞こうにも、誰しも時間にも気力にも限度があります。
何か耳慣れない変わった主張ばかりする、というような印象だった人でも、言っていた内容が事実に裏付けられたものだった、現実的に参考になる頻度が高い、と感じられる人の意見は徐々に信頼するようになるでしょう。

人はコマーシャルな耳障りの良さや態度に引き寄せられやすくて、それは必要な場合もあります。
ですが、特に今自分とは異なる意見の相手の人に、「安倍政権はこれまでの歴代自民党とは違うんだ」とか「男女の役割分担と簡単に言っても、人間は千差万別なのだから、それを個人が自由に選択していけるようにすべきだ」などといった主張を伝えていく時には、面白おかしいだけではない中身のある「信頼性」といったものが重要になってきます。

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by catalyticmonk | 2017-05-01 00:38 | 希望社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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