カテゴリ:意思疎通( 12 )

日本的支配と事なかれ主義

本当はダイレクトに思っている事を言い合ってこそ相手の考えも分かるし、お互いに誤解していた部分や歩み寄れる部分にも気付くんだよ。
なのに、そんな事言っちゃ角が立つとか分断される、って言ってさ、結局確かめもしないで近い仲間の意見や自分の思い込みで判断しているから、ただ根回しが上手で仲間の数の多い連中の意見が通っていって、陰湿ないじめか、吊るし上げみたいな行為が後を絶たないんだよ。

卑怯者や姑息な連中ばかりだから、こういう世の中なんだ、って単純な事が分かんないのかな?
それじゃ、今目の前にあるコレコレの証拠から誰それは不正していて、って騒いでも、肝心の根っこの民主主義の意識は育たない。
日本人は、そういう自分達のリアルな価値観の有り様について正面から向き合って来ないで、同じフィールドの中でグルグル堂々巡りを繰り返してきたから、結局一番元から権力やコネのある連中にいいように操られてきたのさ。

そういう根っこの意識をしっかり育てれば、一個二個の互いの考えの差なんて問題にならないんだ。
総体的に、極力お互いの賢明な合意を模索して近付けていく、それ以上の事は民主主義にはないし、そこより先にもっとごり押ししたいのなら、それは権謀術数を用いた専制的な支配だからね。

結構、その辺は日本人、全てのレベルにおいて相当重症だと思う。政治から文化受容・発信のあり方、個人レベルの人間関係の捉え方全部において。
ずーっと、そこをいろんな事を言って器用にスルーし続けてきているけどさ、絶対、そこからは逃れられないよ。
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by catalyticmonk | 2017-03-18 18:56 | 意思疎通 | Comments(0)

「政治と宗教」の話はタブーか

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酒の席の付き合いで政治と宗教の話はタブー、って日本ではずっとなっていて、馬鹿みたいだなあ、と感じる反面、半分はなぜこうなっているか分からないでもない気がします。

「政治と宗教」の話もお互いの考えを自然に言って語り合う分には、それを変にタブー視する方が別の日本版カルト宗教「普通教」なんではないかと思っています。
話し方にもよるでしょうがね。西洋人でもガンガンに自分の宗教の話をする人は少ないですから。
ただ、日本人だとそういうレベルでさえなくて、インドの瞑想センターにいました、とか、ただヨガをやっているよ、という話だけで数光年くらい彼方に後ずさりする人種もいる。そんなの、普通に俺の家庭環境や経歴だよ、という次元の話まで引かれても困る、みたいな形のマイノリティー差別はあったりして、逆に無知で極端な反応があるんですよね。

ですが、本当にカルトな人もいます。
明らかに相手と考えが違う、とはっきりこちらが表明しているのに延々と押しつけがましく同じ話をしてきて、挙句の果てに「お前はこっちの話を真面目に聞いていない。傲慢だ」と来たりする。
それこそ、酒が入っていると聞かされている側も「ぶん殴ってやろうか、てめえ、何様のつもりだ!」みたいになったりするし、事実、そんなことがあちこちで際限なく起きてきたんでしょう。

日本社会全体の病んだ空気にもつながる話ですが、心病みやすい人とか、内紛でグチャグチャになりやすい市民運動がそうなる理由って、要するに、ある意味「くどい」からですよ。
それが、理性で整理されて追求されていれば長く追っていっても構わないのですが、それには訓練と能力が要求されるし、よく教育されて知的な人物でも、長い舌戦や議論の中で疲れたり、感情的になったり、その人の苦手な何かにぶち当たると、歪みが生じてきます。

なんか日本人て、そういうスマートさが欠けているところがあるから、余計に「付き合いで政治と宗教の話はタブー」ってことになっちゃったんじゃないですかね。
きっと終戦直後とか、そういうのがひっくり返るチャンスはあったんじゃないか、みたいなニュアンスの話を、高齢の活動家の方から何度か伺ったような気がします。

あと、個々人の心理レベルでの問題として言うと、他人に対してくどい、という性質が顕著な場合は、その人の利己性だったり、執着心の強さだったりしますから、それが狂気を運んできてしまうのも自明のこと。

ここに、研究者や知的活動をしている人間が、立派な実績を残している人々も多い反面、精神を病んだり、自殺する人が異様に多い現実につながる一因があると思います。

自分でもそうですからね。虐待問題とかをテーマに長く話し込んでいると、過去のトラウマが口を突いて出やすくなります。
元から異様にナーバスだとか、下着盗難癖のある変質者だとかいった本当におかしな人も、さっぱりと接している分にはおかしくなっていかないのですが、何かで話し込む機会があると、徐々にその人の闇が出てきます。

いろんな考えがあって当たり前、だけれど自分とは違う他人なんだから引き際というものが大切です。最初から引いたままだったり、話し出すと押し付けがましかったり、やはり基本的に許容範囲の狭い人が多いのだろうなあ、とよく感じます。
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by catalyticmonk | 2016-11-30 00:47 | 意思疎通 | Comments(0)

双方向な独善と排除を超克する視点

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160817-00000101-sasahi-sci

この記事で指摘されている現象は私にもとてもよく分かる。なんか勘違いさんて、コマーシャルな大衆文化の影響もあって多い。
反面、私自身も特異な個性と独自な価値観の持ち主なので、誰かと絡むとコンパクトな説明は不可能で、そうした際に、自分がこういう人種と一緒くたにされ引かれているのだろうな、と薄々察する機会も多い。

なんて言うのかな、「相手を勘違いさんだと早とちりする勘違い人間」も増えていて、何重にも混線していて闇が深いんだけど、その根っこにあるのは、自主独立した思索・判断力の欠如・不足に他ならない。それらが同調圧力や協調性の名を借りた付和雷同の精神、及びその押し付けをする姑息な大人の有害な先導のために蔓延している。

全体的に思い込みでフライングする疑心暗鬼な人間の多い時代環境だから、堂々巡りなんだ。社会全体が相互不信の湯船にどっぷり浸かってしまっていて、疎外と逸脱行動の両方向を増産してしまっているのだと思う。

思い違いや先入観による思い込みは、意見や感覚が相互に異なれば誰しもあるものだけれど、それで自分の感覚はメジャーだと信じて困ったちゃん中高年のように押し付けがましい迷惑行為に走ってしまう場合もあれば、正義を気取っている人たちこそが、相手が何かおかしなことをしているんだと思い込んで個人を数と力で吊るし上げ、取り返しのつかないいじめ・パワハラ行為を働いてしまうこともある。

事実上、すべての種類の運動、組織、政党団体が長年の間にはそうした罪を犯してきている。そのことは、私が知る狭い範囲から類推しただけでもあまりにも明白で、だけれど、そこまで認めた上で総括した集団もいない。
大概は失敗を犯すとそれを取り繕い隠そうとして、結果的に罪の上塗りをしてしまう場合がほとんどだ。

どれほど潜在的に良心的な集団でも、自ら率先して罪を公表するほどお人好しになってしまったら生き残ってこれないような現実もあったのだと思う。
自己の組織・仲間内が一方的に袋叩きに遭ってしまうから、それを回避するために一定の環境内である程度毒にまみれてしまい、突き抜けた改革を先導するに至らない状況があると、今度はその結果だけ見て批判するライバル集団が現れて対立する、きっとずっと昔からそういう繰り返しだったんだろうな、と個人的に実感するところがある。

異端者排除のファッショな精神と、大量消費型社会におけるコマーシャリズムの偽善に対する批判が、中途半端な形で融合してしまう傾向は、何十年も前から若者文化の中で繰り返されてきた。
私が知らない100年200年前の世代でもそうした義憤と独善の結果としての不毛が繰り返される現象自体はあったはずだ。
正義に燃えているはずの若者や大人が、同時にほとんどただの粗野な狼藉者か弱い者いじめをする卑劣漢と変わらない場合がある、という現象は、フランス革命や明治維新の昔からあって、その反動として秩序立った既成の階級社会や固定化された支配への肯定・回帰、といった形の保守層再生産が為されて、社会改革を度々遅延させてきた点も忘れてはならない。

だけれど粗雑な批判精神と、怒りを反知性的な形で安易な何かの排除に向ける性向は、まさにドイツやイタリア、日本でファシズムを生み出してきた原動力であり、特に日本人が個人の尊厳や基本的人権の尊重、といった民主主義の基本が根付いてきていない故に酷く歪な混乱が存在している点は、直視して改善していかなければ始まらない部分だとも思う。
双方向な独善と排除を超克する視点の模索と確立は、今の時代こそさらに一層の急務だという心象を持っているのは、私ばかりではないはず。
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by catalyticmonk | 2016-08-20 11:17 | 意思疎通 | Comments(0)

「アベすぎる」 新語と世代文化

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難関有名女子高校発で、安倍首相の国会での答弁やその他での言行の数々から導き出されたらしい印象によって「アベすぎる」という言葉が生み出され、女子高生の間で流行っているとか。流行っている規模や範囲は知りませんが。
意味は「馬鹿すぎる、他人の話が聞けない、聞かれたことに答えない&ごまかす」だそうですが、どんどん新語が出てくるのですね。

新語、と言えば私は昔からそういうものに疎くて、「オタク」とか「イケてる」「萌える」「ウザい」「キモい」という言葉も随分遅れて知りました。
同世代の若者の文化とずっと隔絶して生きてきたからです。そもそも流行り出した時期に日本にいなかったりもしたのですが。
そんな自分なりの視点で、新語と世代文化について感じるところをいくらか書いてみようと思います。

私は家庭の事情もあって高校の途中から卒業後に渡米しようと決め、家を出て深夜バイトをし、昼間学校で寝ていました。その頃からそのまま四半世紀、同世代の若者文化と隔絶して生きています。
なので、同世代の大衆文化や世代的な感覚をほぼまるっきり持ち合わせていません。
世代が離れるほど人間は相手を自分とは文化の違う者として認識しますから、なんでもありになってきて私には付き合いやすいのですが、同時に、世代が違えば自身の持っている大衆文化を相手に共有してもらおうともあまりしません。
ですから結局、私のように同世代との意識共有が薄い人間は、よほど話題になった新語をかなり遅れて知る、という構図にもなりやすいわけです。

やはり中身の濃い文化や言葉は、数多くの個性が、さほど互いに隔絶もしない程度の距離で濃密に接触している中でこそ生まれてくるのであって、個人の独創性など実は微々たるものなのだと思います。
若者同士の意気投合した元気な掛け合いは、見ていると「ああ、こういう勢いのある感じなら、次々に新しい言葉やアイデアも出てくるものだろうなあ」と感じて、正直ないものねだりの人間の欲で、やや羨望混じりの気持ちで眺めてしまわないでもありません。

こちらの方でも互いに僅差の似た者同士だという前提で会話している同世代の感性を理解するのは容易ではありません。そもそも私自身の生い立ちも、生まれ持った個性自体も、マジョリティーには属していなかったのだと自覚しています。
しかし、その少し外側から眺めているような立ち位置が、あまり賢くもない自分に多様な視点を提供してくれている、と感じている面もあります。
文化は人間に活動の基礎を与えつつ、発想や価値観の拘束も運んでくるものだからです。

で、「馬鹿すぎる、他人の話が聞けない、聞かれたことに答えない&ごまかす」という意味の新語「アベすぎる」。
聞かれたことに答えない人は昔からどこにでもいましたが、私の子供の頃の大人たちは安倍首相のように投げやりなのではなくて、もっと丁重にはぐらかしていたような気もします。そこらへんもこの「アベすぎる」の用法のポイントに含まれていそうですね。
ただ、暗黙の了解としてあるような種類の同世代の大衆文化には少なからぬ脅威も感じてきた私としては、そんな突き放した物言いは、やや全国のアベさんがかわいそうな気もするのですが。
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by catalyticmonk | 2016-01-15 00:44 | 意思疎通 | Comments(0)

コミュニケーション

よくある程度親しくなった相手に自分がアスペルガーであることを告白すると、
「え~、全然普通じゃん。何も変じゃないよ」
などと言われます。
それは好意的な意味で言ってくださっているのでしょうから有難いのですが、実際、私はほんの一言二言話すだけでも大変な労力が要ります。

私の感じ方をそのまま言っても相手に伝わらなかったり誤解される率が極めて高いので、毎日細心の注意を払って言葉を選ばなければならないからです。
それは誰もそうだよ、と言われる方も多いのですが、それが非常に困難でエネルギーを要するのがアスペルガー症候群、アスピーの人たちの顕著な特徴なのです。

その負担から、二次的な障害、神経症やうつ病、学習障害等といった心の病気や障害を負う人も多く、それとセットで見てアスペルガーそのものを重い障害のように捉える先入観が広がってもいるのですが、実はアスペルガーそのものは個人の生来的な性質・個性であって、障害ではない、というのが近年の定説です。
だから、アスペルガーそのものは治療を要しないし、そのことで別のストレスや問題を抱えた人々に医学的見地から本人の特質を教えて、その対応策を提案していく、というだけのことのようです。

私が文章を書く習慣が身に付いたのも、絶えず毎日言葉に苦労しているからです。どう相手に伝わるように表現を工夫したらいいか、感覚は先天的なものがあって変わらないので、一個一個の物事を熟慮し、深く掘り下げていって初めて相手と自分の受け取り方の間に存在する一定の構造が見えてくるので、毎回その作業をやっている訳です。

だから、私はあまりたくさんお酒が飲めないのですが、お酒の席の会話が好きです。自分が思ったことを感覚的に言っても相手も構えていなくて最初から聞く姿勢の空気になっていることが多いので、普段より他人との会話が成立しやすいからです。

また、私にはもう一個面倒な点があって、それは虐待・ネグレクトの家庭で育っていて、普通の家族の愛情を知らない、という点で、明らかに欠けた感覚があるのもコミュニケーション上の大きな障壁です。
家庭的な温かい雰囲気を切望しているのに、いざ現実となると共有出来る感覚が相手との間になさ過ぎて、どう対応したらいいか分からないのでそうした人間関係の場に踏み込めないまま通り過ぎていく、といった感じです。
自分から心を閉ざしているように誤解されたりもします。ですが、上手く振る舞えないだけで、全くそんなことはないので、印象や先入観で相手への態度を感情的に決めてしまうタイプの人々とは、いつも決まって親しくなれません。

なんか愚痴をこぼしているだけに聞こえるかも知れませんが、私はこういう自分の性質から大きな恩恵も受けています。
まず第一には、じっくり物事を考える習慣を身に付ける動機を、人生の早い時期に持てたこと。
第二に、感覚的には色々と鈍感なのだけれども、順風満帆ではなかった人生経験が、私に人の気持ちを時間をかけてでも理解したい、また虐げられている人がいたらその人の味方になりたい、という性向を付与してくれたこと。
三つ目は、人の思いやりや優しさのありがたさを実感し、それをかみ締めて感動することが出来るという幸運を手にしたこと。
どれも、私のような性質の人間が最初から恵まれていたのなら、決して手にすることが出来なかった得難い恩恵です。
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by catalyticmonk | 2015-06-13 15:41 | 意思疎通 | Comments(0)

意見を聞かない人

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これが「意見を聞かない人」の精神構造だ
http://toyokeizai.net/articles/-/66420


<他人の意見を聞かない、自分の都合ばかり押し通す人が増えているという。その精神構造について、『他人の意見を聞かない人』を書いた京都大学非常勤講師の片田珠美氏に聞いた。
──安倍晋三首相の真骨頂なのですか。

あの方は他人の意見を聞かない典型だ。
象徴的なのは、昨年12月の衆議院選挙開票の特別番組での言動だ。質問にいきなりイヤホンを外した。自分の言いたいことだけを言っているように見受けた。聞きたくないという意思表示にほかならない。
沖縄県の知事にもなかなか会わない。会わないのは、その人の意見を聞かないことを態度で示すメッセージだ。自分に対して批判的な意見は聞かないし、聞きたくないのだと思う。>

<ファシズムになっていく過程には、「差異の恐怖」を味わわせることがあるという。ほかの人と違うことをしたら、あるいは権力を持っている者に批判的なことを口にしたら、何かひどい目に遭うのではないか、そういう恐怖感を抱かせる。>


まさに現在の日本社会のことそのものですね。

しかし他人事ではありません。私も次の箇所では思い当たる節があり、読んでいてドキッとしました。


e0296801_12155268.jpg<──しかも、人の意見を聞かない人は増えているのですね。

増えている理由は三つ。
一つには社会がぎすぎすし、自分が大事という自己愛志向になりがちなこと。
二つ目は自己保身に走らざるをえない。ソニーや電通までが早期退職を募り、会社ではいす取りゲームが強まっている。ミスを認めたら、それこそ追い落とされかねないから、自分が悪いと認められないし、他人の意見を聞けない。
三つ目は実は自信のない人が増えている。自信のない人ほど強がる、虚勢を張る。他人の意見を聞いたら、自分が操作されて支配されてしまうのではないか、という不安があって聞かなくなる。>


要するに、例えば反骨精神旺盛で、理不尽なことが許せない、としている人間の行為の中にも、利己的な自己保身と欺瞞は満ち満ちている、ということでしょうね。

私も虐待家庭で育ち、いじめられっ子だったので、黙っていたら自分が酷い目に遭う、だから黙っていられない、そんな心理が強く働く傾向にあるようで、そういった部分では非常に自己愛的です。
ただ、逆につまらない自尊心や虚勢を張るために弱い立場の人をさらに追い詰めるような人間の残酷さ、というものも痛感しているので、まさに自己愛を発端として、広い意味で自分の同胞である弱者や少数者、その場で誤解を受けてしまっている人の気持ち、といったものも他人事とは思えない面もあります。
それが立ち止まって理性的に考える動機と、悪質な場合には庇いたくなる心理も生まれて、自分の中の一定のブレーキにはなっているようです。

そうした性質の核心についても触れられています。


<人の言うことを聞かないのは一種の受動的攻撃だ。上司に言い返せないでいると、鬱憤がたまる。それをどこかで吐き出さないと、自分の身が持たない。そこで置き換えというメカニズムが起きる。その人は攻撃の矛先の向きを変える。弱い者に向けていく。自分の部下が何を言っても聞かずとかの形で連鎖していく。駅員に暴言を吐いたり暴力を振るったり、店員が土下座して謝るまでおまえが悪いと言い続けるのも、連鎖の一端だろう。>

<集団化して意見を聞かず、ある種、いじめの手段のようになる。学校もそうだが、職場においても意見を全然聞かないなどで、その人物を追い詰めていきかねない。>

<──聞かない人より、聞けない人のほうが問題なのですか。

聞けない人は本当の病気だ。聞けない人にこそ妄想があったり、強迫観念があったり、強い自己愛がある。私は精神科医の経験が30年近くある。とかく重度の犯罪を起こした人でもカウンセリングを受ければ治る、更生するといわれるが、それはほとんどないといえる。三つ子の魂百まで。性格はほとんど変わらない。病識のない人は本当に難しい。

──病識?

精神科で「自分が病気であるという自覚」の意味でよく使う。病識がない人の治療がなぜ難しいか。自分から医者には行かないし、治療を受け入れられないから、薬を出しても飲まない。病識を持ってもらわないとカウンセリングはできない。>


「人の意見を聞かないからパワハラが起きる。他人と協力するのでなく、他人を支配しようとする。この違いは大きい。この社会自体が病気になり始めている。傾聴のトレーニングを体験しなくては傾聴しているか傾聴していないか自分では分からない」
そう仰られる方もいました。その通りだと思います。

傾聴のトレーニング、というのは、人間に興味を持つ機会をその人が持てるかどうか、といった部分が大きいですね。
お金持ちのぼんぼんやお嬢さん育ちで、貧乏人の粗野さを一面的にしか理解出来ない人でも、そういう人々と接触して人間同士として対等に触れ合う機会があると激変したりします。

e0296801_1253250.jpgぶっちゃけ男性は全般的に女性よりも相手の話を傾聴する能力が低いですよね。脳構造の違いもあって生理学的にもそうした相違は歴然としている訳ですが、会話中の当為即答なセンスなどでは敵わなくとも、興味を持てば掘り下げて関心を持つことは出来ます。
教育とコミュニケーションスキル、私自身もそのどちらも上等なものではありません。どうにもその場の会話では相手の真意を計り兼ねる愚鈍さがあって、後から気になったことを一人で長々と考えてようやく少しだけ理解が進む、といった遅さです。
ですが、そうやって成長してしまった大人であっても、主体的に関心を持つことで変わっていくことが出来る、とも思います。

他人のことを完璧に理解出来る人間などいません。
教育やその人個人の体験、またそうした機会を設けること、そうしたことによって、能力の優劣でなく、それぞれの人なりに人間に関心を持つ、というところにこそ要があると感じます。

ですが、少なくとも「病識」のない国家元首など要らない気がします。
みんなの意見を取りまとめるような人物が私たち国民の代理人にならなければ、民主主義は正常に機能していきません。
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by catalyticmonk | 2015-04-22 11:21 | 意思疎通 | Comments(0)

信頼と語り合うことの意義

ゆったりと出来る場所や余裕の有無、日々の健康状態、時間はどれだけあるのか、人はそれぞれの限られた条件の中で選択をして行きます。
つまりそれは自由意思選択であると同時に、その人の人生の目の前に何が転がっているかという運命の部分だとも思います。そして、そこの各人の事情までは、外からは見えなかったりするものかも知れませんね。

見えない事情が人の相互理解に見えない壁を作り、悪意なき一言が誰かを深く傷つけることでしょう。
でも、見えなければ話し合えばいいのですよね。空気を乱さず、当たらず障らずでは、弱者やマイノリティーの想いは拾っていけない。

私は最近、ある不用意な表現で全く意図しないような反応がある方から返って来て、やや驚いたことがありました。
そのことを通じた短い言葉のやり取りで、その方が実は非常に私に似た感覚を持っている部分があるんだ、と気付きました。そして、そのことでいっぺんに親近感を覚え、信頼出来るようになりました。

そのように人間と人間の信頼は、透明性無くしては成立しません。
別に自分のプライバシーをなくさなくてもいいと思います。
ですが、あの人はああだ、こうだ、と決めつけるくらいなら、話し合えばいいのです。大概、表面上からは思ってもみないような相手が自分と気が合うのだと発見するものです。

表面上も誰にでも愛想が良くて、オールマイティーに近い人徳のある方もおられますが、それも誰しもが無理してそうならなくてもいい。オールマイティーに見える方は、やはり大変なご苦労をされている面も多いと思ったりもします。
また、浅く広く行くか、深く掘り下げて行くか、でスタイルも変わって来るので、単純比較するものでもないと感じるのですね。
人間同士の共同の信頼関係は行動を通じても築かれますが、人の心の中身は複雑で、その思考は言語によって作られています。
信頼は語り合うことで生まれる、やはり基本はそこだと思います。

いやあ、そんなことはない。人間は経験だ、表情だ、セックスの相性だ、遺伝子が近いと共感しやすい、いろんなことを言われる方がいますし、そういった無数の理由があるのも間違いないのでしょう。
ただ言葉は、人間の感覚を飛躍させる力があるんですよ。今ここにある感覚だけでは乗り越え難い思いを、違う方向にスイッチの切り替えをする働きがある。
それが如何にも人間らしいなあ、と私は思うのです。
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by catalyticmonk | 2015-02-02 20:01 | 意思疎通 | Comments(0)

ギャンブルと発達障害

私は何故かギャンブルに一切興味がありません。
どうもアスペルガー症候群であるために、「競争」という高度に他者との比較を前提とした勝利に喜びを感じられない性質があるようです。

え、「競争」に関心が湧かないのなら、選挙で応援した候補が勝ったら嬉しくないかって?
それは嬉しいですね。
自分が望みを託した希望が実現に近付く可能性が増えるのですから。私は発達障害としては軽度なのでしょう。
ただし、周囲の音の情報が自動的に全部脳内に入ってきてしまう、とか、音のスキャン機能がないのでうるさい場所で他人の言葉をなかなか追えない、だからその分、音情報として入れた記憶力だけはやたらいいとか、大人になってからもアスペルガーとしての特徴を保持しているのは間違いないようです。

小学生の頃に児童心理学を専攻していたという担任教諭から指摘され、大人になってから心理テストを受けてもその傾向がやや認められるのと、成長期にそうであった可能性が高い、という診断結果でした。
まあ、世間に二十数人に一人くらいの割合でいるものだそうですから、それほど変わったことではありません。生まれ持った脳の性質に特徴があって、それがマイノリティーだから、それに合わせて規格されていない社会の中では若干困る場合がある、というだけのことだと思います。

ですから一般的にアスペルガーで問題になるのは、その結果引き起こされる二次障害です。社会適応で不利を被る様々なストレスから、うつ病や神経症、学習障害、コミュニケーション障害等々といった別の問題を抱える人間が多いようです。
また、集中力を分散させて扱うことが出来ず、浅く広く注意喚起しながら生活上の自己管理をする能力も低いことから、大きな疾病を早くから抱えやすく、相対的には平均寿命はその社会の通常より短い傾向にある、というデータもあるようです。身体の健康とイコールで結びついているわけではないので、あくまで一般傾向ということのようですが。

私の場合はアスペルガーの特徴によって幼少期にいじめられっ子であったこととネグレクト・虐待の家庭環境で育った点が、逆に是が非でも障壁を克服しよう、と「自分自身に対して」奮起する強力な動機付けとなっていたようです。
概して人生に挑戦的で、失敗や挫折が多い割に無邪気な希望を失わずにいられて、気楽に生きて来られたわけではないけれど、巡り合わせや土壇場での悪運の強さにも顕著に恵まれていたので、かなりラッキーな半生だったと思います。

「ギャンブルも自分の望みが叶うから嬉しいんだ」、と仰る方もおられるかもしれませんが、そういう意味では社会活動で何か前進する、といった成果の方が鈍感な私でも「他の仲間が喜んでいるから自分も嬉しい」という感情を共有しやすいのかも知れません。また、虐待やいじめ、極貧生活といった体験は、鈍感な私が他人の痛みを理解し心豊かに生涯を過ごせるように、天が贈ってくれた素晴らしいプレゼントなのだ、とアニミズム的に捉えています。

山歩きとか水泳とかダンスとか、体を動かすことそのものに喜びを感じれる運動は結構好きな方です。しかし、スポーツも球技とか集団競技だと全く面白みが感知出来ません。
トランプゲームもさっぱり何が楽しいのか分からない。そんな私でも「自分が考えや心情を共有している誰かが喜ぶ姿」は嬉しいわけです。

下の写真は、私が投票呼びかけのために作った奇妙なバナーです(笑)。
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by catalyticmonk | 2015-01-02 17:06 | 意思疎通 | Comments(0)

ブログとSNS、市民運動の現場、それぞれの差異

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実のところ、私はSNSでの拡散力が高くありません。私のコミュニケーション能力の弱さもあって横の広がりが薄いからです。
逆にブログは書けば一日数百人単位の閲覧者がいるので、情報伝達力だけはもう少しあると思います。
だったら全部ブログの記事にしていけばいいかと言うと、そうでもありません。その数百人の読者がコメント等を返してくることがほとんどないからです。
つまり、社会運動的な意義を考えた場合には、TwitterやFacebookでたった数人のリアクションでもあった方が直接何かにつながっていく要素が高いということです。
そして、一つ一つのアクションは現在進行形で進んでいくので、それを生活の傍ら追っていると、それらをすべてブログ記事化するほどの余裕がなかなか残りません。

ですから、マイナーなブロガーだった私が、さらに自分の不得手なSNS(様々な観点から私の性質に明らかに不向きなんです、SNSの性質は)で低い伝達力を承知で記事を書く機会が増えていったのは、運動の現場で感じた実際の影響力に自然に準じていった結果で、私個人の労力を費やしたものへの宣伝効率からしたら真逆の行為に、使える時間と労力を注いでいる現実はあります。
ですが311以降から様々なデモや集会など市民運動の場に参加し、山のように記事を書き、閲覧者数も着実に増えていきましたが、ブログ記事主体にしている間は、私が自身の役割をそうしたところに特化していたことも手伝って、横のつながりがまったく広がりませんでした。

時間や経済力、生活上の事情もあるでしょうが、色々なブログの存在を見ていると、おそらく私と同じような状態で、市民運動、社会問題に関心を持っていて、自分でもそれなりにたまに参加しているつもりだけれども、今一広がらず、自分の生活の場では孤立しているような方々はまだまだたくさんおられるのではないでしょうか?
別にそれがいけない訳でも、無理しなければならない理屈でもないのですが、今は一人でも多くの人々のより実践的な行動が必要とされている転換期に来ていると思います。
サイレント・マジョリティーの見えざる影響力、といったことはよく話題にされてきましたが、社会運動に関心が高い層の中にも、本人が知らないうちに狭いフィールドの中だけで悶々としているような人々は結構存在するんじゃないか、というのが私自身の経験から感ずるところです。

「なので、みなさん、どんどんつながっていきましょう!」と威勢よく言えるほど未だ私も広がっていないのですが、自戒を込めてこういうことを書いてみたわけです。
もし、私と同じような方がおられたら、自分の生活が許す範囲で地域の集会でもデモでも、都心の講演会でも足を運んでみてください。
私もよく時間がない、余裕がない、と自分で思っていたのですが、今から考えると実際は参加出来ることでも、ただシュプレヒコールを上げに行っても横のつながりが薄過ぎてなんだかすぐにはピンとこなくて、優先順位を後回しにしていたような部分も結構あったんです。
本来的な自分の性質からしたら向いていないことに関わっているという自覚もあるのですが、そんな私でさえ実際には思っているよりは出来ることがあったということです。
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by catalyticmonk | 2014-11-01 20:17 | 意思疎通 | Comments(0)

血の純潔と無国籍化

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私はそんな、帰国子女でも何でもないのです。
ただ、生まれて初めてまったく知らない土地で自分の力だけで部屋を借り、仕事を見つけ、覚束ないながらに知らない言語を覚えて、最初に大人の男女関係を経験したりしたのが全部海外だったので、そうした自立の第一歩の時に受けたすり込みは大きかったようです。
なんだ、西洋かぶれかよ、と言われたら、いや、どちらかと言うとインドの影響の方が大きいから、アジア社会の源流には乗っている、とか言い返しています(笑)。
でも何か自分からアピールすることがコミュニケーションの最初の第一歩である社会、そういった世界から受けた影響が自分の標準になっているのだと思います。

例えば私はちょくちょく自撮り写真もSNSなどにアップしますが、それはもちろん自己肯定もありますし、何かの広報目的があった場合に自分の顔にしておくのが一番無難だから、という事情の場合もある他、通常運行で行っているコミュニケーション手段の一つだったりもします。
顔写真てその日の状態とか時間経過とか気分や健康状態など、高密度に情報が詰まっているものなので、特定の人に言葉より当たり障りのないメッセージを送るのにも使えるのですよね。
メールやSNSでなら相手に他人には分からないようにシークレットメッセージを送るにも最適です。西洋文化では結構普通に出てくるアイデアだと思います。似たような話は彼らから直接何度も聞いていますから。

自撮り写真に限らず、まず素朴に、なんで日本人の多くがこうも自分で自分を積極的に演出することに否定的なのかが、感情のリアリティーとしてはさっぱり理解出来ません。
「いやいや私など…」と言っていたら、ああ、この人は自分に自信がないんだ、そういう人には何も任せられないな、と判断される社会の方が多いと思うんですね。

e0296801_15155809.jpg確かに「俺が俺が」「私が私が」と自分の意見ばかりを通そうとしていたら対話になりませんが、相手と分かり合って互いの違いを許容しながら共存していくためには、まず自分の意見や感じ方をそれぞれの人が率直に出していけるようにすべきなのに、日本社会は協調性を重んじるあまり、その最初の段階から過剰に相手の一挙手一投足を監視抑圧するような部分があると思います。
だからこそ日本人のチームプレイは世界最強の部類に入り、これだけ緻密な製品を世界中に送り出し、経済大国となった側面も大きいと思うのですが、やはりそれは個人個人の単位で見た場合、世界トップレベルの自殺率の高さにも見られるように、日本人自身にとっても行き過ぎた負担のある部分だと感じます。

e0296801_15234402.jpgそれでもすぐには変わらないのは、日本が元々世界的にも社会構造や文化的に極めて均一性の高い社会で、大陸の国家のように多様な民族・言語・宗教・文化等の異なる集団や個人が地続きで行ったり来たりし、同じ地域で並存し時に混ざり合い、といったことを日常的に繰り返している世界と大きく違うからだと思います。
相手との距離を確認し合って妥協点を模索する作業よりも、似たり寄ったりの相手であることを前提として場の空気を読んで忖度させる、という方式に歴史的・文化的・日常意識的に慣れ切っているんですね。
同国内に並存して暮らす他宗教、他言語、他民族が多いインドで同じことを社会規模で行ったら大殺戮・大戦争になること間違いなしですが、日本が曲がりなりにもそうならずに済んでいるのは何も日本人が特別優れて冷静な民族だったからではありません。埋めなければいけない溝が比較的少なかった、また少数派の人々を絶えず封殺出来るほどに均質性の高い社会構造だったということに過ぎません。
しかし実際、日本人はそれで随分自ら不利益を被っているとも感じます。政治的に大多数の人が権力者の言いなりになってきたという点、民衆主導による社会改革が起きるに至らずに今日まで来てしまっている、という点だけで言っても。

e0296801_15405361.jpg私個人は「そういうものなんだな」という客観的な事実認識があるだけで、先述の人格形成の経過も手伝ってそこから先にすんなり共感出来るほどの感覚はなかなか出てきません。
それで以前、インドでも親しくしていたドイツ人の友人が日本へ来てしばらく英語教師をしていたので、彼に「自分の中身がもう日本人じゃなくなってきているのを感じる」、とポツリと話したら、突然普段おとなしいその友人からは想像もつかないくらい滔々と熱弁を振るわれたことがあります。
それがまた私が一人で聞くにはもったいないくらい素晴らしい内容でしたから、記憶している彼の主張の要旨と発言の雰囲気をいくらか再現してみようと思います。

「そんなの俺だって同じさ!レイタロウ、よく聞きなよ。
俺もドイツを出て13年間、ずっとタイとかインドとか日本といったアジア地域にいて通販業や英会話の教師で細々と食いつないで暮らしてきて、ドイツ語の微妙なニュアンスもかなり忘れている。
普段話す言葉といったらほとんどが英語だしさ。せいぜい、それに片言のヒンディー語やタイ語、日本語さ(注:実際のこの時の会話も英語とヒンディー語と日本語のミックス)。
ドイツにずっと暮らしている人間の文化的な言語センスや言い回しはどんどん変わっていくから、特に同世代のドイツ人と会話する時が厄介だ。
彼らは自分と年代の近い俺が細かな部分まで文化的なセンスを共有していることを無意識のうちに前提としがちだから、コミュニケーションの齟齬が増えるんだ。そうした出来事はどれも些細なことなんだけどさ、実際些細なことが人間関係の上では全然些細じゃないんだよ、レイタロウ。

e0296801_15292637.jpgだからお前も中身が日本人でなくなって別人種になった訳でもない。ただ、世界中の人間と対等なフィールドでコミュニケーション出来るレベルに自分を開発していった結果、中身が無国籍な人間になったというだけなんだ。
でも、どのみち世界はこれからどんどん狭くなって、遅かれ早かれみんながそうなって行かざるを得ない。
地域や民族・人種毎の多様性や文化の独自性を守っていくべきだ、という考えはもちろん俺も正しいと思うんだけど、それを行っていく交渉のテーブルに対等に着いて、それぞれが自身の文化や立場を守っていくためには、まさにコミュニケーションスキルを外の世界に向けて開かれたものにして行かざるを得ないんだ。

俺たちの子供はもしかしたらドイツ人と日本人のハーフだったり、日本人とロシア人のハーフになるかも知れない。
だけれど、それは俺たちの日本人やドイツ人の血の入った新しい世代が作られていくということで、彼らは彼らの未来を自分達で生み出していけばいいし、逆に混じったらその血が消えてなくなる訳じゃなくて、ドイツ人や日本人の文化、アイデンティティー、家族の来歴といったものをそのまま受け継いだ新しい存在が現れるということだけなんだ。
ゲルマン民族の純潔を守ろうとナチスが考えて道を誤ったように、ドイツ人がドイツ人の血だけを、日本人が日本人の血の純潔だけを守ろうと個人や未来の世代に強要することがあってはならないんだ。俺たちが平和な世界を、核兵器やバイオテロで人類が破滅しないような未来を選択しようとするならね!
だから自分はもうドイツ人じゃない、日本人じゃない、ということではなくて、新しい時代の流れに適応する準備が出来たドイツ人、日本人なんだって認識した方が精神衛生上もいいと思うんだ。分かるかい?」

もう、この彼のハイテンションなスピーチを聞いた時には私もすっかり気分が高揚してしまって、二人で一晩酔い潰れるまで飲んでいた気がします。
私は別段人種差別主義者でも白人女性フェチでもないので、どうしてもドイツ人やフランス人、ロシア人などと自分の血を受け継いだ子孫を残したい、なんて野望は持っていません。
ですが、この時に彼から聞いた、彼自身の等身大の素直な気持ちも入った人種や異文化の交流に関する知見は、とても私の気持ちをほぐして希望を与えてくれたと思います。
こういう話を日本語で書いてどう受け取られるかはよく分からないのですが、私自身はとても聡明な意見に感じて、自分は自分のままでいいんだ、と改めて励まされたように感じたから嬉しかったですね。また、こうやって今でも覚えているくらい納得させられた話でもありました。
e0296801_15123196.jpg

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by catalyticmonk | 2014-10-31 00:53 | 意思疎通 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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