カテゴリ:学校教育( 5 )

教育と抑圧、そして暴力の甘い誘惑について

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①復古しつつある抑圧教育の足音に

子供たちが泣きながら走る「スポ根幼児園」に入園希望者殺到
http://www.news-postseven.com/archives/20161022_455221.html


力によって無理矢理に屈服、服従させられる体験の全てが、私は「レイプ」的な体験なのだと思います。
魂を犯されるんです。

私はそれよりは、自分の望む願いを言葉に出して自己主張する自由と抑圧に対する反逆を、と言いたい。

私の見てきたこの世界。
家庭では虐待されていたし、小中学の時代の学校は管理教育全盛期の愛知県で、人権も個人の尊厳もあったものではなくてがんじがらめでした。そして世間は、拝金主義の弱肉強食社会で、学校で教えられていたモラルは、建前ほどにも実体がない、という現実を見せつけられながら人生を過ごしてきました。
そんな体験は珍しいものでもないと思うのですが、だから私は、当然、人間が生き延びていくためには、場合によっては実力行使もやむを得ない、と考えています。決して絶対的な平和主義者なんかではありません。
隷属するくらいなら、命を捨ててでも抵抗する意味だってある、少なくともそういう場合だってあるんだ、という過程一切を認めなかったら、封建社会から民主主義なんて生まれていたもんですか。
でも同時に思うのは、実力行使、暴力は、別の相手を理不尽に「レイプ」することに容易につながるし、人間は間違いを犯す、勘違いや判断ミスを犯す生き物だということです。

マフィアやヤクザの世界も、狭い範囲ではそれなりに弱者に寄り添った相互扶助的な側面もあるのだけれど、結局、反社会的な立ち位置で、「力」で対処していこうとするから、どんどん何が仁義で道義なんだかも分からない不毛な修羅の道にはまっていく。だからヤクザであり、マフィアなんですが。
一度でも自分の勘違いで決定的に傷付けられ、踏み躙られた相手の苦痛や遺恨、感情的な警戒心といったものは、もう簡単には消えません。
その反面、暴力は麻薬です。それを使った者を麻痺させ、中毒にする力があります。
また、それまで虐げられていた者にとっても、いっぺんに心の憂さを晴らしてくれるような即効性のある解放感を提供してくれます。喧嘩して殴って、腹立たしかった相手に勝つのって、その瞬間は最高にスカッとしちゃう体験な訳です。

だから、特に男の子は、その快感がなかなか忘れられません。元々女の子ほど口が達者じゃない、というのもあると思います。痛い目に遭えばいいだけなんですがね。
女性の方が平和的か、と問われたら、そうでもないと感じますが、物理的な暴力ほど取り返しがつかない連鎖を招きやすいという点で、やはり男性の生物学的な闘争本能はさらに深刻な問題を生み出してきたんでしょう。

だから必死な抵抗も、必要最低限で自重しなければ、実際に人類が何千年と血で血を洗い合ってなおも解決できなかったような、並大抵でない困難の前に、また個人がたった一人で向き合わなければならなくなるんです。
教育として本来必要なのは、順当かつシンプルに考えれば、そういう誰にとっても難しい綱渡りの慎重さの方じゃないのですかね。

こんな、人生に抑圧と服従を幼い時期から叩き込む教育は、周回遅れの発想で陳腐なんですよ。
暴力的な行為がもたらす快感と、独裁的・専制的な支配への希求は、実は心理的にどっぷりつながっています。それは秩序どころか、次の抑圧と、その結果としての心理的・身体的な虐待行為と暴力衝動を準備してしまうだけなんです。


②私が生徒として体験した管理教育の時代

管理教育の時代が、どれほど陳腐なものだったことか。
例えば今で言う発達障害児童などにも「必ず家庭に原因があり、そこに自分が何かをすれば解決するんだ」というのを変な思い込みというか、自分なりの方法論を押し付けて、ピント外れな一人相撲をしているような教育者が大勢いた気がします。
そういう人達ほど教育熱心な教師という評判だったりするのですが、結局上手くいかないとそのピント外れのまま過干渉して、児童を振り回してしまう、といった感じでした。そういう独りよがりな教師の行動が、体罰も含めて歯止めが利かなくなっているような状態が1970年代、1980年代の愛知県尾張地方の管理教育全盛期の小中学校の現実としてありました。

私は給食で出てくる冷凍エビが苦手でした。それで残すと酷い体罰を受けるので、ちょっと嫌だったくらいのものが本当にトラウマになるくらい長年嫌いになっていました。
小学3年生くらいだったと思いますが、ある時は給食の時間内に冷凍エビを食べられなかったのを担任のM教諭に見咎められて大変なことになってしまいます。
まず最初は、世界中の飢えた子供たちの不遇や戦中・戦後の食糧難の苦労話、お父さんお母さんがいて養っていただけることのありがたさとか延々とガミガミ説教されます。
それでも食べれないでいると、給食の時間が終わってから掃除の時間になっても私だけ廊下に正座させられて、短パンを穿いていたのですが、太腿を交互にビタンビタンと叩かれるのですね。それがまたがたいの良い大男のM先生が思い切り手を振りかざしてするものだから小学3年生くらいの子供の体には本域で痛いんですよ。
それで泣き出してまだ食べれないでいると、その冷凍エビの入っていた大きい食缶を持ってきて、かき出してまた冷凍エビを増量するんです。
そして最後は髪の毛をふん掴まれて顔ごとその冷凍エビだらけの食器の中に押し付けられてぐちゃぐちゃになって……。

きっと今だったら、とんでもない児童虐待教師として問題になるんじゃないですかね。
でも、そんな記憶すら氷山の一角で、本当にそういう先生ばかりだったんですね。この人は気さくで優しい先生だなあ、と思っていた人でも結局そういうゴリ押しな指導をすぐにする、というのがあって、やはり同調圧力も含めた当時の環境だったのだろうと考えています。
また、そのM先生は愛教大で児童心理学なども専攻していて、保護者の間でも名教師と名高い人物でした。M先生が弁舌爽やかな上に男前なのも手伝ってか、信奉者の保護者が大勢いて、ちょっと宗教みたいでしたね。


私は実力テストなどでは高い点数を取るのですが、教師たちには理屈っぽく反抗して、教師からもPTAからもとにかく評判が悪かった。
けれども、やたら読書力だけはある子供だったので、保護者会通信などがあると難しい漢字や言葉が並んでいるのですが、好奇心で読んでみるわけですね。あ、〇〇先生の名前だ、どんなことを言っているのだろう?とか思って。本当に嫌なガキです。
そして、衝撃的なギャップを感知したのです。そこに書かれている日頃自分が目にしている教員たちの、非の打ち所がないような理性的で、バランスの取れた分析力の数々と、理論構築のレベルの高さ、それらと現実とのギャップだけは子供の理解力ながらにビリビリと感じてしまい、仰天したわけです。

実際、そうした教育熱心な教師ほど、授業中にも小学生には難し過ぎるような小理屈をたくさんまくし立てていました。また、何かの催しで来賓の参列者が来る度に、生徒置き去りでそういう高尚なご高説を長々とするのですよ。
ああいう言葉の説得力に田舎の素朴な保護者や大人たちが、すっかり魅了されているような面もあっただろうと思います。管理教育の興隆に手を貸すところ大だったはずです。
ですから私がドイツのナチスの話なんかを心理学書で最初に読んで連想したのは「うちの学校に似ているなあ」という、笑えないブラックジョークのような感想でした。まあ、それは中学生あたりの話ですが。

生徒おいてけぼりで小難しい教育論をすぐ悦に入って長々話してしまう事実自体が、彼らの知的には優れていても人間的にはある種幼稚な自己満足優先的な姿勢を表していたと思うのです。公開の外に向けた言論表現の場ではああした聡明な見識を述べていた教育者の方々が、同時に私が生徒として見ている学校の現場では甚だしく偽善的だったということがありました。

そういう古い過去の規律と方式にしか依拠していないロクでもないものを、今さら有り難がるのだけは勘弁してもらいたいですね。

とにかく、やっぱり定式に当てはまらない事柄や状況ってたくさんありますからね。
それで自分がこうだ!と思っている方法論で上手くいかないと半ばヒステリーのような状態になって、そういう自分が熱心で努力していると思っているのです。
だけれど、肝心の子供が混乱して深く傷ついている現実には気付かないし、気付いたとしても「難しい子だね」くらいの扱いで済ましていると、そういうのは子供にはしっかり伝わります。それを「大人の横暴」と捉えられても仕方ありません。


③そしてやって来た校内暴力全盛期

それで私が中学校に上がると校内暴力の全盛期ですからね。
で、近所に住む大学生が教育実習で私の中学に来たので後で聞いたのですが、生徒とは絡まれても目を合わすな、学校へはバイクで来るな、いたずらされて壊されて事故になる可能性がある云々を会議で聞かされた、と言うのですよ。
実際、私の中学1年生の時の担任の音楽科の女性教師も、文字通り背後から何者かに襲撃されて入院しました。
また、私が番長グループから授業中に呼ばれ連れ出されても、授業をしていた教師が言ったのは「おい、河元、授業中だぞ」。連れ出してリンチにかけようとしている不良の存在は透明人間の如く触れずで、なんて卑屈で偽善的な態度なんだ、と呆れ返ったものです。
その時は偶さか私の投げやり度が番長グループに変な評価を受けて無事だったのですが、他にも無数にあった事件の一つ二つを書き出すとこうです。
音楽の時間に下を見たら、校庭で女子生徒が3人ほどの別の女子生徒にテニスコートの前でボコボコにされているのを目撃したことがあります。私は4階からそれを見ていたので、相当の数の教員もその光景に気付いていたはずですが、かなり長い時間それは続いていたにも関わらず誰も助けに行こうとしませんでした。
極めつけは中学3年になり卒業が近づくと、体育の授業中などにパンチパーマにサングラス、ジャージ姿の地元のヤクザが時折校庭に入ってきて、勧誘しに来るのです。そんな時、先生が現れたことなんて一度もありませんでした。マークされた何人かの不良生徒は逃げ回っていました。

私は小学校の時には管理教育の現場で教師の目の敵にされていましたから、ことの流れの連続性が理解し切れなくて、またそうやって自分が疑問に感じた出来事があると居ても立っても居られなくなる性分だったので、その中学時分に母校の小学校に何度か乗り込んでいったのです。地域の小中学校の教員はやはり相互に交流がある様子でしたしね。
いきなり職員室とかにズカズカ入って行くのですから、私の当時の気分としては文字通り「乗り込んで」行ったのですが(笑)、まあ、一応私の持ち味である馴れ馴れしさをフルに活かして親しげに中学校の実態を色々と話して、かつての「教育熱心」だった小学校時代の恩師(?)たちに聞いていったわけです。
そうしたところがまた、口を揃えてただ、その中学校の教員に同情してみたり、都合の悪いことをはぐらかすかのように全部軽く受け流そうとして、奇妙なくらいケラケラ笑うんですね。
なんだ、この程度の覚悟で、生徒にはあんなに偉そうな理屈を並べ立てていたのか、と彼らの底の浅さを痛感してしまいました。

とんでもない可愛くない子供だった奴が、地元の荒れた中学にそのまま行ったと思ったら、不意に乗り込んで来て、また何だかこちらを試すような訳の分からないことを唐突に問い質してくる、とにかく穏便に済ませたい、そんな感じだったのかも知れません。

それに、母校の小学校に、わざわざ昔の腹いせをしに行く不良も結構いたようなんです。まあ、不良の同級生から断片的に聞いた限りでは、力で威圧というか、それ以前に嫌がらせをしに行って小学校時代に厳しかった教師たちのオタオタする様子を見て楽しんでいたようです。
ただ、私は反骨精神は旺盛でしたが、力にものを言わす、という姿勢は父親がいい反面教師であってくれたために大嫌いで、どちからかというと哲学的な反逆児でしたから、自分は脅そうとして母校の小学校へ行ったつもりはなかったんです。

やっぱり中学校になって急に生徒と教師の力関係が逆転したわけでもなくて、まさに私が中学校に在学していた期間にあっという間に学校全体が何だか無秩序な空間に変貌していった気がします。中学1年生の時なんて小学校の頃と同じように厳しかったです。
最初のうちは、1学年全生徒を体育館に集めて、女子生徒はスカートの長さがどうとか、生徒手帳を持っているか、制服のボタンはきちんととまっているかとか身体検査して、その間に教室で学校に余計な物を持ってきていないか抜き打ち検査を行なって、違反した生徒は先生の前に並んで何十人も平手打ちとか、どこかに課外授業に行った時は理由は忘れましたが生徒同士で往復ビンタを強要されたりさえしました。大した理由じゃなかったと思います。あれで思春期の生徒が爆発しない方がおかしい。

校内暴力が管理教育の抑圧への反発、もっと直接的に言うと仕返しや腹いせで燃え広がったのは明らかでした。不良は、よく小学校の頃にあいつにいじめられた、こいつにこんな偉そうな真似をされた、と言いがかりをつけては他の生徒を呼び出してリンチにかけていましたしね。復讐、という動機が露骨に出てくる場面が多かったです。
で、それくらい生徒が一斉蜂起し出したら、あんなに理想を押し付けて威張りまくっていた大人たちが滑稽なほど卑屈になっている姿があって、それを荒れていないおとなしい生徒も見たわけですから、凄い世界でしたね。


④抑圧と支配による教化と建設的な公益の狭間に

少なくとも、あの時代に、学校教育でのああした体験から、人間の尊厳を守る大切さを肯定的に学べた生徒はまずいなかったと思うんです。大人や社会への信頼感を失ってただ無軌道に反社会的人間にならずとも、ただ目先だけ上手く立ち回って生存競争の中で世渡りし、生き延びていければいい、という心的傾向を身につけてしまった児童は多かったはずだと推測します。
それが実際にバブル期以降も10年くらい若者の顕著な傾向になっていましたしね。今はそこに長らく続く不景気と格差社会の進行、少子化などが加わって、また違ったニュアンスも出てきているようには思いますが。

本当に教育者や大人の独りよがり加減が管理教育時代の一つの大きな特色としてあったと思うのですが、それらは発展的に克服されてきたのでしょうか。私個人は教育者でないし、子供のいない40代男性なので、正確には分かりません。
ですが、人間としてこれだけは言える、というものもあります。素人が偉そうに、と思われてしまうかも知れませんが、誰もが当事者なのですから、一般論として言葉にする権利くらいはあると思います。

「必ずこうだ」「必ずああだ」という定式は、いくら一定の範囲内では正解に近くて成果が上がるような見識であったとしても、それが当てはまらない存在や状況が現れた時にごり押しすると、鋭利な刃物のように相手に深い心の傷を残すことにもなり兼ねないものです。
特に教育などのようにそのようなリスクがある場合は、やはり極力自信たっぷりな決めつけは安易にしない方がいいのも間違いない気がします。

人間の尊厳を守る大切さを意識しなければ、どれほど聡明で博学な見識の持ち主でも必ず慢心が出てしまいますが、相手が子供であっても大人の自分にも分からないことはあって、一人一人と対等な人間で、それぞれ違うんだ、という当たり前の事実に基づいたならば、子供に限らず、人間はただ社会に従属する姿勢ばかりを押し付けられているんだ、とは感じないので、人と人とが支え合っていく意義とその意欲のきっかけを持ちやすくなるのは自然な道理です。

要するに完璧には理解できなくとも、相手は相手の事情がある、という冷静なスタンスが重要なのだと思います。
それを自分が優先させたい道義や見解・価値観で押し切りたいエゴが強いと、相手に良かれ、と思って何かしているつもりでも、実はわざわざ「見下す」突き離し方までしている状態になってしまいます。
おまけにそこで「恩の押し売り」みたいなことをすると、その対象がまだ人間の中身が固まっていない相手であるほど、当事者は実感としてはおかしいなあ、と感じつつも精神的に抑圧され、ずっと悩み混乱することになる。

学校教育に於ける教師と生徒の関係や、大企業内での経営陣と末端の労働者、などといった圧倒的な力関係の差がある状況下ほど、弱い立場の側はそうした見解の齟齬を十分に訴えられず看過されて、傷ついたり、現実的な不利益を被りやすくなります。
能力主義で競争が激しい場にいる人間ほどパワーハラスメントぽく相手を軽んじる発言や突き離す態度を平気でするのですが、そういうものは互いの都合以上の越権行為だから他人を傷つけるし、不和や組織の機能不全の原因となるわけです。
逆に、そこまで求める権利などない他人同士であっても、相手に寄り添うように、部外者なりに相手の立場を想像して発言すると喜ばれるし、そこに連帯感の生産的な礎が築かれます。

これ、何かの障がいや問題を抱える側の当事者にだって言えるんですよね。
やってくれて当然だ、なんで助けてくれないの?という態度が度を過ぎると、それもやはり他者への越権行為なんですよ。
人と人が支え合う関係性を双方に建設的な公益性を持つものとしたならば、誰も人に命令したり支配者のように振る舞う権利はないのだけれど、だからこそ頼んでもいないことまで考えしてくれると嬉しいし、そこに信頼関係が生まれて、心が温かくなる、それだけの話なのです。
ですが、それこそが人間という社会的動物が相互に伝え合うべき最大のメッセージである気がします。
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by catalyticmonk | 2016-10-23 04:11 | 学校教育 | Comments(0)

校則

先日、自由の森学園の公開教育研究会に教育者でも保護者でもない私も参加させていただいたのですが、名前からして自由そうな自由の森学園の校則ってどうなっているんでしょうね。寮監をされていた知り合いの議員さんからいくらか聞く限り、とても自由なようですが。
あの日も最後は体育館で生徒合唱で定番の「ケサラ」が合唱され、
「平和と自由を求めて、生きていけばいいのサ〜」
と歌われたのですが、実は私はあの歌詞を聴くと内心異常反応してしてしまうのです。

私が学校、と聞いて即連想し、強い心理作用を感じる事柄に「校則」というテーマがあります。
別に私は研究者でもないので、そのこだわりがどんなものか言葉にするのは、結局自身の個人的体験を直接書いた方が早いし、まだそうした方が何かしらのテーマをそこから自由に感じ取っていただける可能性もある気がします。


私の通っていた高校には、自転車通学の人はヘルメット着用が義務付けられていて、教師に見つかると生徒手帳に違反スタンプが押され、3回溜まると退学処分という、非常に厳しい校則がありました。
ですが、濃尾平野の田園地帯の田舎道を何キロも自転車に乗っていくので誰も守らないのですね。だけれど教師がヘルメット着用をしていない生徒を通勤途中に自家用車で追い掛けるのに馬鹿みたいに熱中して跳ねてしまうという事件が起きた。
私はその時生徒会の書記長だったので、その校則反対運動の署名活動を開始しました。全校生徒の三分の一の署名が集まりました。

ところが私が高校1年生の3学期、ある雨の降る寒い冬の日に、突然全校生徒が体育館に集められました。壇上には3年生の生徒会長が立っていました。彼は言ったのです。
「今日、通学途中に僕のクラスの同級生の〇〇君が車に跳ねられて亡くなりました。彼は自転車通学の途中でしたが、ヘルメットを着用していませんでした。
僕ら生徒会はヘルメット着用義務付け校則の反対運動をしていましたが、それは間違っていました。ごめんなさいっ!〇〇君のお父さんやお母さん、ご家族にも僕らはとんでもないことをしてしまった。深く反省しています!
僕はもうこんな悲しい思いは二度としたくはありません!皆さん、どうかヘルメットを必ず被って登下校してください!」
生徒会長はそう壇上で泣きじゃくりながら叫びました。

あの日以降、もう誰もヘルメット着用の校則に反対しよう、なんて公然とは口にしなくなりました。それがまた私の唯一、積極的に学校生活に関わっていた時代の終わりでもありました。

実のところ、署名運動は私が中心となって企画した話で、事務的なことは私を生徒会立候補に推薦した風紀委員で当時のガールフレンドでありとっても頼りになる女子生徒が仕切ってくれていたのです。私はその日の生徒会長の行動を事前には何も聞かされていませんでした。
しかし、彼の真摯な訴えに抗えないほどには、私たちはまだ純粋でした。それでも、彼を学校側が計算づくで利用したことくらいはすぐに分かったし、それは悔しいのだけれど生徒会長が泣き叫んで謝罪した校則反対運動の実際のA級戦犯は私な訳です。

私は学校に通いながらも誰とも口を聞かないようになりました。授業中に教師に質問されてもだんまりを決め込んでいましたから、ある種の引きこもり状態ですね。
また、校歌を大声で歌うことでも有名人だったのですが、二度と歌わなくなりました。そんなふうだったので、ガールフレンドともなんだかよく分からないうちに自然消滅。

そんなある日、私の家庭は元々虐待ネグレクトの非常に問題のある家だったのですが、自宅で父親が昼間からお酒を飲んで酔っ払っていて、私がその前を黙って通り過ぎたようです。
後から聞いたところでは、父は私が反抗的な態度を取ったと受け取って、「躾けようと」したそうです。彼はいきなり私に背後から襲いかかりました。
元空手の海外指導員で、パンチ数発で人をのばせてしまうような人物です。私も彼のパンチ数発であっという間に失神して、その後はもう無抵抗の私をゴム毬のように階段から投げ落としたり、さらに引き摺っていって洗濯機の角や廊下の壁に叩きつけたり、本当の修羅場です。遠ざかる意識の中で、「ああ、自分は今ここで死ぬんだな」と思いました。

そして、私が腰椎2個を潰し内臓から出血して入院、さらに刑事事件化を恐れた母から箝口令を敷かれて学校側に苦しい言い訳をしていたら、何せこちらも本気で隠したい気もないので投げやりなやり取りをするうちに訳の分からない成り行きになって、なぜか無断欠席したことになって停学になり、反省文まで書かされる、という事態に。
それから家を出てアパートを借り、夜ソニーの工場で働きながら昼間学校で寝て、高校にはもういないも同然の存在になっていきました。

高校1年生の時はあんなに物議を醸し出すお騒がせ生徒で、ある意味では人気者でもあった自分が、最後3月1日の卒業式を終えると、連れ立って楽しげに卒業式後の祝賀会に向かっていく同級生たちを尻目に一人でぽつんと麦畑の中を自転車を漕いで帰っていく、という当然の状況に出食わしました。ですが、あの時の感じは、ただ寂しいとか虚しいとか、そんな簡単な想いですらなくて、何か万感迫るものがありました。
あの時思ったのは、これからきっと自分には彼らの他の誰もが体験できないような凄い人生が待っているに違いない、いや、絶対に自分の手でそうして見せるんだ、こんな小さな世界で解決できない矛盾に押し黙り続けることなく、企業ヤクザの実家の支配からも逃れて、自分だけの人生を切り開くんだ、そんな燃えるような想いでした。
1990年3月1日の愛知県濃尾平野の現実世界は、冬ながら快晴の日の昼間で、麦畑の中を風が通り過ぎる音と、自分が自転車のペダルを漕ぐ音だけがひっそりと響き渡っていました。あの光景を、私は今でも忘れられないんです。

そして、単身あてもなく渡米して外国人労働者の裏社会に入ったのをきっかけとして、その願い通りの奇想天外な人生が始まり、高校卒業式のちょうど1年後の3月1日には、インド亜大陸の南の先端であるカニャークマリという岬に立って海に沈む夕日を眺めていました。
高校を卒業した途端、ジェットコースターに乗っているような勢いで突進していったのですが、今思い出すと、すべてはあの生徒会の校則反対運動から始まっているんですよね。

誰かと意識を共有する場面での行動には一旦挫折したわけですが、自分の自由と独立のために気力を振り絞る動機を与えられたのです。あれは敗北の体験であると同時に、私の中で一つの大きな火を灯した事件でもありました。
また、海外放浪に出てしまって同世代や一般社会とのつながりを失い、学生運動とか労働組合活動などといったものには無縁で完璧なアウトサイダーの若者だった自分が、巡り巡って今は社会運動の末端に関わっているのも、実は一面ではあの頃の体験のリベンジであるのかも知れません。

もちろん、校則と一概に言ったところで意味合いや価値、課題は多様なのでしょうが、皆さんにとって、校則とは、自由とは、独立とは、どんなものなのでしょうね。
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by catalyticmonk | 2015-12-08 00:42 | 学校教育 | Comments(0)

自由の森学園公開教育研究会に参加して

自由の森学園の公開教育研究会、子供もいない部外者の身なので当初参加を迷う面もありましたが、結構複数の方が勧めてくださるので、居場所のない空気にならないかビクビクしながらも勇気を出して行ってみました。

校舎の受付場所に着いて即、在校生保護者の阿部ゆりさんと会い、公開授業の概要を親切丁寧に説明しつつ校内を案内してくださり、昼食時に食堂で列の並び方が分からず戸惑っていると国会前で会った在校生の男子生徒が教えてくれ、最後の体育館での合唱を聴いていた際には、やっぱりたまたま座った隣の席の初めて会う在校生保護者の方が私のことを知っていて、皆さんの好意に感謝しつつ、目立たずひっそり参加しようとしていたのに、全然ひっそりとならず(笑)。

学園祭とも違う教育の現場に卒業生でも保護者でもない自分が立ち入るのだから、とにかく場を乱してはいけないと考え、すでに知っている顔の生徒を見かけてもいつもの自分の素で馴れ馴れしく話してもまずいのではないかとさえ思い、なるべく控え目にしていたのですがね。
私が控え目にしようと思った時に限って、まるで地味に隠れていられない加減は、もはや漫画です。

教育の現場に来るとどう振る舞っていいか戸惑う理由は、自分が元は学校大嫌い生徒で、まともに機能している家庭で育っていない引け目など、色々複合的な理由もありました。
話はやや先走るのですが、その自分がどういうふうに自由の森学園の雰囲気を感じ取り、興味を持ったのかは、公開授業の後に行われたテーマ別分科会の「自由の森の授業について〜なんでサボるの?〜」に参加した際、そのテーマと大いに被るところがあったので、結構思うまま発言する機会が持てて、且つ結果的にそこに対応するところを、在校生や卒業生、教師、保護者の方々から伺える形になって大変興味深かったです。

公開授業は、最初、阿部さんのご案内もあって、中学3年生の美術科授業を参観。まず、生徒と教師の方の距離感の近さ、リラックス加減に驚きました。私の頃は管理教育の始まった愛知県で70年代80年代に義務教育を受けていて、生徒が教師をあだ名で呼んで対等な口調で会話する、というのがあり得ない世界でした。
授業風景の撮影は遠慮するつもりでしたが、知人保護者は撮っていますよと言うし、ビデオ撮影する方も入って来られたので担当教員の方に確認したところ、写真撮影しても構わない、と言われます。
でしたが、私は自分が絵を描いている最中に他人からジロジロ見られたら気が散るので、遠巻きに軽く撮って、そもそもそれ以上は同様の理由によりどう観察していていいかもすぐには判別つかなかったので移動、体育館2階で行われていた高校3年生の和太鼓の授業を拝見させていただきました。

和太鼓の授業は2クラス合同の授業であり、授業内容もイベント性がある、と言ってはなんですが、見ていて分かりやすいものでもあったのですが、私個人がイメージするところの通常の教室内における教師と生徒のやり取り、というものとリアルに比較し難いものも感じて、せっかく来たのだからそこが見てみたい気がして再び移動。しばらく校内を彷徨います。

そして、途中からながら高校2年生の日本語の授業を参観させていただいたのですが、これが面白いのです。
安部公房の謎めいた短編小説を題材に、生徒にその物語が伝えようとするところを問うていくのですが、その問い方自体がたった一個の正解を導き出す、或いは教師が生徒に「あるべき捉え方」であるかのようなものに強引に誘導する、といった授業の進め方ではまったくなくて、一人一人の生徒が考える発想の方に寄り添いながら、全体としての整理したものの見方の補助はする要領であるように私には感じられました。

生徒の振る舞いも実にのびのびしていて、ある男子生徒が「花を摘みに行く」と言って不意に出ていったかと思えば、また戻ってきて、和やかなもので、その同じ生徒がとても積極的に自分の意見を述べていたりします。クラス全体としても、みんながとても自然体に各々の意見をどんどん出す感じで、主体的に頭を使っている雰囲気が伝わってきました。
また、授業のテーマである小説の読み進め方も、それが行間を相手に読ますような類のものなのか、それとも隠喩などを駆使しながらも読者自身に能動的な想像力を喚起させるためのものなのか、まだまだ始まったばかりで、授業の続きが気になるような、知的好奇心を湧き起こさせる内容で、私にとっては新鮮この上ない授業でした。
この日本語教師の方は素晴らしいなあ、と素朴に感動したのですが、それは私自身の学生時代の落胆の裏返しでもあって。
こんな授業だったら、もっと学校授業に関心を持っただろうなあ、と思ったまま、昼食後の、すでに先走って書いたテーマ分科会へとつながっていきます。

なぜ数あるテーマ分科会のうちで「自由の森の授業について〜なんでサボるの?〜」に参加したかと言えば、一つには私の時代には不登校とか授業をサボる、といった行為が極めて珍しいことだったから、今の子はどういう感覚なのだろう?と素朴な疑問を持ったからです。
私も上からがんじがらめに抑えられる学校が大嫌いでしたが、それでも学校をサボる、ということはほとんど考えませんでした。
生徒の参加者の意見を聞いているうちにいくらか合点がいきました。要するに、彼らは授業をサボることによって解放感とか、堅苦しい教室空間にいる苦痛から逃れられる等の、そこにある種の楽さがあるから「サボる」ということのようでした。

これが私の時代なら、授業や学校そのものを「サボる」ことはまったく楽なことではなかったのです。体罰バリバリでしたし、教師や家庭、及び学校以外の社会からも非常に厳しい圧力がかかるので、「サボる」生徒はよほどの気合いの入った奴だけで、大概が凄い不良生徒でした。
しかも不良生徒でさえ、不登校よりは学校へ来て授業をサボりつつも学ランなどを着て、謂わば学校文化の枠内でヤンキー生活なり彼らなりの強いとか弱いとかのステイタスを満喫する、というふうでした。
しかし今でも公立高校では授業を気楽にサボるなどできないし、教師の方々は、やはり生徒に授業に出て欲しい、という前提で授業している、というお話でした。

そこで私が生徒の方々に質問しました。
「サボることができないと、自由の森学園らしい自由を味わえない、と皆さんは考えているのかどうかが聞いてみたいです」と。
すると中学時代にはサボりの常習者だったという高校1年生の男子生徒さんがこんなような内容を話してくれました。
「やっぱり授業に出ないことで、自分が分からない授業内容が増えるし、だから今は自分が損なことしたなあって思う。サボらないと自由じゃないって言うより、今は自由だから自分で授業に参加している、って気がして、だから余計に面白く感じる」

自分で選んで参加しているからこそ、主体的に授業に参加している実感が湧いて身が入る、という意味だと理解しました。
実際、人間は物凄く厳しくてがんじがらめでも、他に選択の余地がないと感じるとかなり集中してきちんと与えられた物事をこなします。だけれど、それは命令されてやることで、大概楽しくありません。
自分から興味を抱いて関わることは、集中は集中でももっと楽しいし、主体的に関わっているからこそ様々なアイデアが出てくる、そこが違うのだなあ、と聞いていて痛感しました。

先述通り、私の時は管理教育全盛期というのもあって子供は学校や周囲の大人社会から徹底的に押さえつけられていました。そんな中にあっても私は特に個性の強い子供だったようで、ちょうど今の自由の森学園の生徒さんが授業で言うように、自分の意見というものを言うものですから、もう袋叩き状態で(http://catalytic.exblog.jp/18698730/)。
だから、学校というものそのものを深く恨んでいて、自身の学生時代を甘美に語る人物に会うと胡散臭く感じてしまうほどでした。
ですが、そんな私が自由の森学園の生徒さんたちを見ると、はじめはちょっと都内の市民運動の場で散見した程度なのに、即これは何か違う!と感じたわけです。

私は教育に関して子供もいない門外漢なわけですが、それでも自分なりに社会運動などに関心を持ち参加するうちに、社会を最終的に変えるのは学校教育、社会教育含めた「教育」というところに不可避に行き着くのだろう、と感じるようになりました。差別問題に端を発して、人間の自由とか尊厳、といったものへの関心が強かったからだと思います。
ですが、自己矛盾というやつで、学校という組織機関への印象が拭い去り難く悪くて、だからこそ目から鱗が落ちるように自分が知るこれまでの範囲のものとは違う教育の香りを感じてみたかった。
自由や尊厳が担保にされた教育の形が、いくらかの可能性だけでもあったとしても、それが日本社会の中で存在するなら見てみたい、そう感じたのがたまたま自由の森学園関係者一帯から漂ってくる、一個一個はバラバラで、でもどこか独特のトーンでした。

現場の方々は成功も失敗も当然様々に感じられておられるでしょう。
ですが、私が希望を感じたのは、在校生や卒業生といった生徒のみならず、私の以前からの知り合いの元自森教員、卒業生保護者、或いはネットの動画で偶然見かけた合唱ののびやかで力強い印象等々、別に探しているのでもないのに、次々飛び込んでくる数々のきっかけの集積で、そうした偶然が度重なること自体、自由の森学園がよほど強力な文化を発している証拠のようにも感じています。

それでも別に私個人は卒業生でも保護者でも教育者でもないので、部外者として語る感想以上のものは持ち得ません。
ですからこうした公開教育研究会といったものに参加しても、私の視点はあくまで自由の森学園がどうか、よりも、こうした教育の可能性の良い影響が、この社会の中でモデルケースとなったり、有効活用されていって欲しい、という方向にあります。それにつながる何かを部外者の私でも学び取れないかなあ、と思いつつ、参観させていただいた日でした。
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by catalyticmonk | 2015-12-07 00:46 | 学校教育 | Comments(0)

人権と心理テスト

教員採用:心理テスト、受験生ら募る不信(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20141116k0000m040115000c.html

これは心理テストという名の素行調査ですね。
そうなってしまう、ないしそのように受け取られてしまう可能性のある、教員本来の能力とは関係がない質問を含んだ心理テストを、教員採用試験の中で使うことは明らかな人権侵害で、あってはならない行為だというだけの簡単な話です。
また、過去にはMMPI(ミネソタ多面人格目録)の公務員の採用試験での実施例が人権侵害にあたるとして2012年6月に衆院法務委員会で質疑があり、滝実法相(当時)が「認識が薄かった」と釈明する、といった出来事もあったようです。

これは、実際に管理教育全盛の頃の様々な行き過ぎた管理の実態を思い返しても、十分に素行調査として使うのではないか、と不審感を持たれて仕方ないものですし、心理テストを作る日本の精神医療業界全般のモラルや社会的リテラシーの低さともつながっている気がします。

そして、それを変えるには当然行政を変えなければなりませんし、行政を変える権限を持つ私達の代表を、選挙を通じて議会に送り込まなければなりません。
まともな政府でなければ社会構造の問題である人権問題を根底から変えていくことは困難です。金儲け主義に染まって人道意識が低かったり、エリート主義に凝り固まって社会の底辺の光のなかなか届かない位置にいる人々への配慮が足りない代表では、そこそこの収入を得て安定した暮らしをしている中間層の社会人の人々の人権だって守られなくなるのです。
まともな見識を持った代表を私達の手で政府や議会ヘ送りましょう。

蛇足な話になるかも知れませんが、私は管理教育が始まった愛知県で管理教育全盛の時代に小中学校へ通っていましたし、こういったテーマは一つ私の人生を大きく変えたエピソードを含んでいるので、他人事ではありません。
私の小中学校時代に何があったか、なぜ日本の精神医療業界にかなりの懸念を持っているかの経緯は、以下の記事に記してあります。

学校教育
http://catalytic.exblog.jp/18698730/
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by catalyticmonk | 2014-11-17 00:41 | 学校教育 | Comments(0)

学校教育

e0296801_15433425.jpg私は日本の管理教育が始まったとされる愛知県の出身で、30年ほど前の小中学生時分はひどいものでした。

私は元気な子供でした。
特別乱暴者ということはなかったのですが、なぜか最初から片田舎の地方の固定観念からはまったく自由でいて、独自の考え方、感じ方をする、主体性の強い子供でした。まあ、「アスペルガー症候群の疑いあり」と児童心理学を大学で専攻していた担任から指摘されていたので、実際それはそうだったのかも知れませんし、企業ヤクザの家柄に生まれたこともいろんな形で私の人格形成に影響を及ぼしてはいたでしょう。

その私がクラスの学級委員にも何度か選ばれたのですが、その度に担任から、
「いいか、お前達!学級委員てのはクラスをまとめる責任あるリーダーを選ぶものなんだ!それに相応しい人物を選ばなきゃいけない、ふざけ半分に選ぶものじゃないんだ!
それを河元みたいな奴に投票するなんてなんなんだっ!
これをお前達はふざけてないと言えるのか!
ふざけていなかったと思う者は手を挙げて!ほら見ろ、誰も手を挙げないじゃないか!
先生はお前達がふざけてないとキチンと主張するなら河元でも良かったんだぞ?だけど、お前達がふざけてるんだから投票やり直し!」
などと言われたことを昨日のことのように思い出します。
子供ながらに本当に悔しかったんでしょうね。

結局学級委員に二、三回選ばれましたが、毎回私が選出されると担任が怒って却下されました。
別に学級委員なんか特にやりたくなかったのですが、疑いだけで生徒に体罰を加えたり、それが事実無根とあとから判明してもまともに謝罪もしなかったり、実にひどいものでした。

ある日、私も普段遊んでいた生徒が何人か学校に来なくなりました。それで理由を周りに尋ねると、自分達の小学校には特殊学級がないので、特殊学級のある町内の他の小学校に送られた、ということでした。
中学になると町内の複数の小学校から一つの中学校に進学するので、私は小学校時代の悪友達を再び目にすることになりました。
彼らはすっかり変わり果てていて、狂人然とした有様で、薬物の処方でもされていた影響なのかあからさまにひどい痴呆状態でした。
しかし、私は四、五年前の彼らのほうがもっと子供ながらにも人間的に普通で、友達としての感情のやり取りも出来ていたのをはっきり覚えていたし、個人的に付き合いがあった旧友に関して限って言えば知能程度も知的障害のような感じではありませんでした。

彼らは学校や社会に人間的に抹殺されたのだ、と本当に雷に打たれたような、胸にどす黒く熱い何かがこみ上げてくるような衝撃で直感しました。
ただ、ほんのちょっと教師や学校側の手に余る子だったというだけだったのが、「頭のイカレた子供を入れておく場所」のような社会的枠組みの中に押し込められて普通の子供社会から隔離され、ひょっとしたら前時代的な精神治療、電気ショック療法だかおとなしくさせるためだけに精神安定剤を過度に投与するなどしているうちに、成長盛りの児童を廃人にしてしまったのだ、と私は今でも強く思います。

中学生の私はまさに怒りに打ち震えましたね。
そして、自分は将来心理学者になってこういう問題を研究して旧友の無念を晴らしてやろう、と一人胸に誓いました。
その夢は当時思春期の思索を心理学や哲学の書物に注いでいた自分の子供染みた発想でしたし、私は高校卒業後単身渡米し不法就労や放浪をするなど、ものの見事にドロップアウトし出したので実現しなかったのですが、それでも私の人生を大きく方向付けた出来事の一つだったとは感じます。

昨今の教育界事情をニュースで知るたび、「なぜ自分の頃のあれは問題にされなかったんだろう?」と常々思います。

ただ、私の時代はそれでも不登校の子供などほとんどいなかったし、あんなに教師からひどい扱いを受けた私でも学校に行かないなんて考えもしませんでしたから、時代とともに問題の争点というか表れ方も違ってきているのかも知れません。
しかし、未だに私は学校とか教師と聞くと、中には立派な教育者もたくさんいるのだろうとは思っても、どうしても一抹の苦い不信感がこみ上げてくるのを抑えられません。

都立高校の教師をされている知人の方などから色々と伝え聞いても(『学校も教師もなんだ!』と暴言を吐く未熟な私に対し忍耐強く付き合って、一緒にお酒を飲んでくださるような人格者の聖職者もいるということです。反省しています、ハイ)、未だにきちんとした人権教育は為されていないように思えてしまいます。
ただ社会に服従させる訓練ばかりをするのでなく、まず人権教育をしっかり行わないと、いじめ問題も、職場などでのパワハラも、社会に蔓延する様々な差別や偏見も、全体としてはなかなか改善されていかないでしょう。ですから、こうした戦後教育の現場を教え子の立場で体験した当事者の一人としても人権教育の徹底を切に願って止みません。
e0296801_1546975.jpg

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by catalyticmonk | 2014-03-12 02:56 | 学校教育 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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