カテゴリ:人間の尊厳( 7 )

尊厳のための行動

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2016年3月29日、安保法制施行に反対する国会前抗議行動に私も参加しました。
個人的な話ですが、病中で連日結構な痛みと共に暮らしている最中なのに、国会前に着くなり痛みが長時間ピタッと止まってびっくりしました。やはり場の空気の強さだと思うのですね。国会前に集まってくる市民全体の熱意が高まっている証なのかなあ、とも感じました。

e0296801_18301364.jpg表現の自由の意味も覚束ない総理大臣。
民意も国家の最高法規である憲法も議会制民主主義そのものも無視して強行採決し、この日施行された安保法制、いや戦争法。
雇用破壊の進行を容認するような政策ばかりが蔓延り、少子高齢化が叫ばれているのに一般の人々が安心して結婚することも子供を育てることも難しくなるばかり。
国の未来を担う若者が平等に学ぶ機会も削られ続け、大企業やほんの一握りの富めるものがますます富み、代わりにほとんどの庶民が増え続ける税金と乏しくなる一方の社会保障に汲々と暮らしています。
社会全体の空気が殺伐としてきているのを、私たちは黙り続けている訳にはいかないはずです。そして、この国の自由と平和は崖っぷちです。
今年は選挙の年です。私たちが自分たちの意思を主権者として表せる年です。
選挙に行って、この今の流れを自分たちの手で変えましょう。

e0296801_19124690.jpg本来、国家など、人がより良く生きるための補助機関でしかなく、人民のために国家はあるのであって、国家のために人が生きるようであってはならないのに、それに真っ向から反するような自民党改憲草案。
彼らは国防云々以前にまず民主主義社会の根幹である一人一人の人間の尊厳を軽んじているように思えてなりません。

尊厳の大切さが分からない人間は、人から優越することでしか心の不安を打ち消せませんが、そのような人々にこの国の舵取りを任せ続けることは、私たちこの社会に生きるすべての人々の不幸です。
今は安倍首相や自民党を支持している人にとってさえ本当はそうなんだ、というのが私自身の個人的な感想です。

詰まるところ私たちは、自分自身の尊厳のために生き、行動するしかないのだと思います。
諦めない人たちの、怒りだけでない希望がそこにあります。
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by catalyticmonk | 2016-04-08 00:35 | 人間の尊厳 | Comments(0)

プライバシーと個人の尊厳、人生時間の重み

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副住職の妻のAV出演歴が発覚して、経営する幼稚園が大騒ぎーー離婚
https://www.bengo4.com/internet/n_4202/


「妻が20年前に出演したAVを理由に離婚できますか?」。弁護士ドットコムの法律相談コーナーにこのようなタイトルの質問が投稿された。

投稿者は、実家が営む寺院で副住職をしているという男性だ。英才教育を推進する人気幼稚園も運営している。男性は、数年前に住職である親の反対を押し切って、ホステスだった妻と結婚した。しかし、最近になって園児の親から、妻について「AV女優だ。月謝を返せ」といったクレームを受けたという。確認すると、妻が20年前に複数のAVに出演していることが判明。妻も出演したことを認めたのだそうだ。

保護者からは批判が寄せられ、父親の住職も憤慨。投稿者の男性自身も「宗教法人、学校法人としても一生この事を抱えていくのは無理」といい、離婚を考えているのだという。はたして、妻の過去のAV出演が発覚したことを理由にして、離婚することはできるのだろうか。寺林智栄弁護士に聞いた。

●AVとは言え、20年前の話まで告白する義務なし

「まず、妻のほうが応じてくれれば、それで離婚できます。問題は、妻が離婚に応じてくれず、裁判に発展した場合です。裁判で離婚ができるケースは法律上、限られています。今回の件は『婚姻を継続し難い重大な事由』という裁判上の離婚原因があるといえるかどうかが、問題となります。

妻のほうは、結婚前に、夫の仕事の特殊性を知っていました。幼稚園を経営する、お寺の副住職。品行方正さが求められる職業です。いっぽう、AV女優は性を売り物にする職業。その過去がばれたのであれば、夫婦間の信頼関係は破たんし、裁判上の離婚原因があるといえるようにも思えます」

ただ、妻がAV女優をやっていたのは、20年も前だ。そんな過去の事実まで、夫に言わなければならないだろうか。

「たしかに、最近のことなら話は別ですが、そこまで古い過去のことを告白する義務が妻に課されるとは、考えられません。また、そもそも夫は、妻がホステスという、いわば水商売をしていたことを知って結婚したわけです。『ホステスは問題なくて、20年前のAV女優はけしからん』と言うのも説得力に欠けます。

個人的には、裁判離婚の原因までがあるとは言えないと考えます。妻が協議に応じない場合、夫は離婚するのは難しいでしょう。もちろん慰謝料をとることもできません。

なお、仮に離婚が認められるとしても、子の親権の問題はまた別の話です。妻の子に対する監護養育のやり方が不適切だったと言えない限り、妻が親権を取得することは十分にあり得ます」

寺林弁護士はこのように話していた。
(弁護士ドットコムニュース)


結局は夫婦間のことだと思うので、そこは本来なら他人が口出しすべきでないと思いますが、こういうことを告げ口して非難する、というのは如何にも前時代的で人権的に嘆かわしい行為です。
自分と他人は、今目の前にある状況の中で関わっていても、そこから先は別個の人格・価値観・尊厳を持った個々人です。もうそこは基本中の基本ですから、個人の尊厳を認める近代民主主義国家ならば。

それこそ過去なんて他人のプライバシーで関係ないし、自分がAVを観て劣情を催そうとした結果、発見したのだから、それを自分の知っている人物が出演していたら品性がない、と騒ぐなんて、自身を棚に上げ過ぎで、道理に合いません。

その人こそプライバシー侵害、名誉毀損であって、共存共栄を目的・前提としている社会の原則を壊して他者に損害を与えているのですから、むしろ制裁を課されても仕方がない側。

あの、それに私も不器用ながらにも一応44年ばかりは生きてきて、人間が数十年単位では誰しもどれだけ紆余曲折があるものか、我が身を振り返っても、人様のことを垣間見た範囲だけでも、十分に承知しているのですね。
その成り行きはいろんな巡り合わせや成り行きの化学反応があって、まさに神のみぞ知る次元です。一人の人間が推し量ることが可能な長尺の時間軸じゃないんですよ。

今日、何万人もの詐欺に苦しむ人々を命懸けで救っている人権派弁護士でも、30年前には弟のおもちゃを取り上げて喧嘩していたかも知れない。今、困った自分に親身になって食べ物と住む場所を用意してくれた善良な恩人でも、15年ほどでボケてきて癇癪持ちとなり、スーパーマーケットで万引きして捕まっているかも知れない。人間は素晴らしいけれど、同時にその程度の脆くて不完全・不確かな生き物なんです。

リンク先記事文中の弁護士の言葉通り、AV出演であっても20年も前のことまで本人が告白しなければならない義務などありません。
そんなことまで誹謗中傷するなんて、その人は余程狭い世界の中で生きてきて、自力で人生を戦ってきていない腰抜けか、お前は自分を全智無謬の神だとでも思っているのか!と問いたいものです。


法的問題の先となると、どうしても私個人の道徳観で語らざるを得なくなりますが、制度的な拘束はなかったのですから、もし法的事柄以上に宗教家としての範を示すのなら、寺院の経営よりも、この奥さんを身を挺して庇ってこそ宗教家らしい、と私個人は感じます。
この夫男性は宗教家ではなく商売人である、ということなのでしょうが、それこそが宗教的な内実の形骸化をもたらすものなのでは。

日本の伝統仏教は江戸時代に檀家制度が取られたこともあって、ほとんどすべての宗派が妻帯可能です。そうした制度的な因習の大きいものを宗教的にどう捉えるか、というのは各自の宗教観によっても異なってくるでしょうが、取り敢えず現実としては、日本の仏教に社会の側が修道院のような禁欲性や条件を課す僧籍従事者と信徒の関係にはなっていないと思います。
つまり、20年も前のことを引き合いに出して「AV女優だ。月謝を返せ」などと要求することは、やはりその人に対する人権侵害です。過去にAV女優であったら僧籍の人間と結婚してはいけない、という制度的前提になっていないのですから、この妻の方が、自分の過去を告白していなかった、と責められる謂れはないはずです。

とにかくこの夫である僧侶がクリスチャンでもムスリムでもない、日本の仏教界の人間である、という現実がポイントだと思います。自分自身が制度的に許される範囲で妻帯者になったのですから、妻が制度的・法的に謂れのない非難中傷をされた時に、慈悲を説く宗教家の立場の人間が、自分で愛し選んだはずの妻を守らずして、他にどのように誰かを導けるほどの精神性を示せるのでしょう?
精神的指導者でなく形骸化した既得権益団体を維持することがしばらくの間可能になるだけです。つまり、義を通していない。そこは今の日本の宗教道徳のなさとも通底しているのかな、とも感じます。

全体的に事の顛末が倒錯しているし、そこにこの社会におけるコンセンサス構築の幼稚さ、了見の狭さ、理性の未発達性が感じられてなりません。


【追記】
(あるグループにこのブログ記事を投稿したところ、結構な論争に発展、一部では宗教論争風にもなってきたので、そこの部分の自身の見解を示すために書いた文章をこちらへも追記しておきます。)
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私としては夫婦間の厳密な関係性までは定かでない、と慎重に留保しておくのが公平な態度だと感じます。ただ、制度そのものの倫理性の矛盾とか法的正当性は、そこと分けて整理してコンセンサスが作られていかないと、もっと混乱が避けられなくなる話である、といった形の問題提起をしたつもりです。
つまり、個別の夫婦間の問題の解決は当事者でないのでさて置き、こうしたトラブルが起きる構造的な道徳観の脆弱性について違和感を感じる、と書いたのです。

宗教そのものを否定するような観点、といったものは、私個人はまったくありません。
むしろ社会が宗教道徳を超える倫理性を構築して成功している例は、現実的にも極めて少ないのです。旧ソ連や東欧などの共産圏の人たちが、人間的にはいい人であっても、日常生活のモラルで相対的に道徳的規範がゆるい、というのはよく知られていたことで、私もインドの文化学校その他で世界中の人たちと共同生活をした経験があるので、その点は実感としてもあります。かっぱらいとか触法行為に関するタブー意識が低いのですよ。

では、社会主義的な社会改革が全部ダメかと言えばそんなこともなくて、インドは連邦政府なので州政府毎に独自の政治体制を持っていたりするのですが、モデルケースと呼ばれているケーララ州政府は、長年共産党政権下で社会改革が進められてきました。
彼らのすごいところは、人々の信仰の自由は認めたままで、例えばヒンドゥー教のカースト制度の撤廃まで実現していたところです。それは社会運動としての民衆との信頼関係構築で成功したので可能だったのです。

ケーララは、特に世界の三大宗教が拮抗している土地柄でもあります。三大宗教と言うのは、キリスト教、イスラム教、そして仏教ではなくヒンドゥー教のことです。
これは恣意的に宗教の優劣をつけるのでなければ、人口比の順位でいけばこの三つとなる、という意味です。
ともあれ、ケーララで社会改革が進んだ要因の一つには、早くからキリスト教系のミッション学校が開明的な人道意識や男女平等の教育を広めていた下地もありましたし、宗教がそれぞれの社会共同体の基礎を成している社会に於いては、そうした各自のアイデンティティを否定せず、多様性を認め合った上で公益性のある社会改革では互いに協力し合う、という形態を取らなければ何も成し得なかったでしょう。その際どい舵取りを地域社会に於いて成功させたのが、親ソ連派のインド共産党から袂を別ったCPIMという政党を軸とした連立政権だった、そうした経緯があります。

いきなりケーララの社会改革を例に出しても日本では認知度が低いので、どれだけの功績があったかについては、私が以下の文章で書いているのでご参考までに。
http://catalytic.exblog.jp/18909464/

とにかく、私個人は宗教を完全否定することは価値観の多様性の破壊に他ならず、現実的な社会改革のコンセンサスを得ることも難しい、という観点でいます。
そして、社会的公益性に基づいた決定は、民衆との実践的な信頼関係が十分に築かれていれば、逆にその個別の宗教内でもカースト制度などのように不合理なものは撤廃可能なのです。人間は現実の結果によって変わっていくものだからです。
しかし、その前段階に於いて、排他的な独善性を強く打ち出すと決して上手くいかないし、中国の文化大革命やソ連のスターリン時代の大粛清、カンボジアのポルポト派の大虐殺のような、取り返しのつかない悲劇へと繋がっていくのだと思います。
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by catalyticmonk | 2016-01-25 01:06 | 人間の尊厳 | Comments(0)

私が「基本的人権」という言葉を知った時

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別に漫画家を目指した記憶はないのですが、小学生の時に読みましたね、この本。
「基本的人権だけは断じて茶化してはならない」
その一節ははっきり覚えています。急にそこのあたりだけ文章に他の箇所にない異質な厳しさが感じられて、戸惑ったからです。

当時小学生3年生か4年生だったと思うのですが、その頃、ホームルームの時間に担任の先生が私を教壇の前に呼んで同級生を背に黒板側を向いていろ、と命じられたことがあります。
先生は言いました。
「今年一年間の間に玲太朗にいじめられたことのある人、手を挙げて!」
自分の後ろで静かに大勢の子の服が擦れて手が挙がる音がしました。
担任教師のM教諭は、ほとんど全員が手を挙げたと告げました。

私は自分が何故そんなことを聞かれなければいけなかったか、見当がつきませんでした。小学校低学年まで酷いいじめられっ子で、それで負けじと対抗するようになっただけのつもりだった自分がいつ、そんな同級生をいじめたのかも記憶になくて、とても困惑しました。

ただ、管理教育全盛期に学校の、上から頭ごなしに押さえつけるやり方に悉く抵抗していました。
別にぐれていた気もなく、疑問に感じることだらけだったので、それを子供的な率直さで口にしていたら教師たちから袋叩きにされ、それが悔しいので意地になってもっと言い続ける、といった感じで、小学2年生の時には、町内の別の小学校にある特殊学級に入れるための心理テストまで受けさせられました。
私と一緒にそのテストを受けた同級生は、自分以外ほぼ全員転校していった気がします。

私の母の実家が町内の有力者の地主農家で、自分もそこに住んでいたので、そういった影響があったのかなかったのか、今では分かりません。
ですが、転校させられなかった代わりに、私は「特別席」と言って、教壇の前に列から自分の席だけ飛び出した席に一年間座らされて授業を受けました。
また、父がその事実を知ると、それを理由に家で散々殴られたのですが、私は自分が何故そんな扱いをされるのか分からなかったので、バカ正直な性分だった分、
「反省しました。二度とこんなことにならないように精進致します」
と父に要求された通りの言葉を言わされるまでには、結構な折檻を受けなければなりませんでした。
そんな私が筋金入りの反逆児に育つのは当然でしょう?(笑)

そんな折にたまたま読んだのが手塚治虫氏のこの「マンガの描き方」という本に書いてある「基本的人権だけは断じて茶化してはならない」という言葉でした。
「キホンテキジンケンてなんだろう?」と思いながらも、どうやらこれは自分が同級生をいじめたことにされて吊るし上げられている現実ではなく、きっと私や、特殊学級に送られた友人たちを庇うような根拠が書かれているに違いない、と、長い時間考え込んだ末、子供なりの拙い頭で結論しました。
でも、私も弱い者いじめは嫌いなので同感なんだ、きっと手塚治虫先生は自分の味方なんだ、と自己確認していたところまで印象に残っています。

家庭での虐待や社会からの差別、学校でのいじめなどを受けながら、「基本的人権」という言葉が指す光を待っている子供たち、貧困だったり生まれ持った障がいなどで虐げられている人が、今も大勢いるのだと思い、この本の記憶が蘇ったら胸がパンパンに熱くなりました。
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by catalyticmonk | 2015-12-31 12:18 | 人間の尊厳 | Comments(0)

「あしたのジョー」という神話

https://www.youtube.com/watch?v=USgeAEJ4t14

何故かずっと矢沢永吉さんの歌だと思っていましたが、おぼたけしさんでしたね。
ボクシングもアニメも特に好きではないのですが、捨て身の覚悟で決戦を挑むような気分になる時って、やっぱり誰しもたまに起きるじゃないですか。そういう時にあまりにぴったりだから、記憶の彼方から引っ張り出されちゃうんですよね。
ある意味、とってもやばい曲。

  男なら闘う時が来る
  誇りを守るために命を賭けて
  男なら旅立つ時が来る
  愛する者たちに別れを告げて

これが頭の中で鳴りながらタイマン勝負に出かけて行った経験のある男性は多いんじゃないですかね。ある意味、タナトスを呼び起こす曲なんでしょうね。
そもそも「あしたのジョー」という作品が、タナトスに彩られた作品であるとして精神分析で引き合いに出されることは多いですし。やはりこうした歌ができるのも「あしたのジョー」という異様なテンションの作品の存在のせいでしょうね。あれはほとんど神話です。

だから、こちらもさらに濃厚なタナトス(汗)。非常にまずいことに、結構好きだったりします。
https://www.youtube.com/watch?v=YXpiyJUK5kg

普段、私は日本の歌はあまり聴かないし、そもそも歌よりインスト派なのでカラオケにも行きません。なのに、CDを買って聴く趣味の音楽とは別に、勝手に脳にインプットされちゃっている歌っていくつかあります。
例えばインドで「ふるさと」はよく歌ったなあ。日本で好きだった覚えもないのに、向こうで歌うと妙に感情が入っちゃってね。だから私の歌う「ふるさと」はインド人やチベット人、ヨーロピアン、イスラエリーなどに好評でしたよ(笑)。
これもそういった種類の曲ですね。

でも、私は矢吹丈と正反対で、暴力は嫌いなんですね。そういう家庭環境と子供時代だったから。威張り散らして他人に横柄な態度を意味もなく取る人は大嫌いです。
結構、前は特に信頼している相手からだと多少の暴力はしばらく我慢してしまうようなところさえあって。育ちが悪過ぎて基準がズレていたんですね。「人と親しく付き合う時はそんなもんなんだ」と思い込んでいたところがあります。
でも人に話すと「そんなことまで我慢しているなんて何か後ろめたいことでもあるのか、正気か?」なんて言われたという。それでもいいから構ってくれるなら嬉しい、という感じだった気がします。

あしたのジョーみたいな人間は本当にいますしね。
江東区の倉庫で働いていた頃に職場の人たちがそんな雰囲気の人ばかりで、半分笑ってしまいました。
設定までリアルにジョーみたいなんですよ。ボクサー志望で、葛飾区在住、母親を幼い頃になくしており、傷害事件を何度か起こしていて、でも下町の人だからやたら熱血漢で人情にも厚い、みたいな。
あと、ロックバンドのXのメジャーデビュー前のベーシストだとかヘビーメタルのギタリストで髪の毛がすごい人が倉庫管理していたりして、昼休みに休憩室で注文した弁当なんか食べていると、まわりの会話は競馬の予想とかスポーツや格闘技の試合の話題ばかりで、全然自分の趣味じゃなかったです(笑)。

e0296801_15222888.jpgでも、そういうストリートファイター系の先輩のうちでも一番タナトスの香りを濃厚に放っているボクサー志望の先輩に、何故か異様に気に入られて、立石や浅草、小岩なんかでよく一緒に飲んでいました。
相手から妙に気に入られる時に、そういう危うい経歴や性質の人、結構暴力沙汰で何度も服役していたり、一見おとなしそうな女性なんだけど親しくなってみると暴れまくるような、そういう人にかなりの高確率で当たる、というのが私の若い頃の顕著なパターンでした。自分でそういう相手だと思って選んでいたわけでは少しもないので、不思議でしたがね。
きっと、私が逃げてきた生い立ち、暴力的な家庭環境の空気みたいなものが、影のように自分の人生についてきてしまっていたのでしょう。

ですが、やはり「あしたのジョー」的な神話が、人生の負の側面だけを表していたのであったなら、これほどまでに長年多くの人の心を魅了するイメージとはなり得なかったはずだとも思います。
ジョーの言葉はサブリミナルに多くの人の心を鷲掴みにするものがあって、その人の魂の深部を覚醒させるような要素が組み込まれているのです。

私だったら印象的なのは、東光特等少年院に護送される車の中で、ジョーが次のようにつぶやくシーンです。
「おれは生まれてこのかた、なにひとつとして人なみにあたえられたものはなかった…だが…自由だけはこのおれの腕力でなんとかもぎとって生きてきた」。

実のところ、私も自身の自由のための必死さを成長過程で体験しましたから(http://catalytic.exblog.jp/22837437/)、そこと回路がつながるとまっしぐらに闘争本能に火がついてしまう性向があります。抑圧に屈するくらいなら死んだ方がましだ、という種類のタナトスなら私も持っているわけです。
そういう極端は年齢とともに減ってきましたし、無闇に粗暴になっていいことはありませんがね。
でも、その人が奮い立つ時にはタナトスも心の中で重要な働きをしていたりするものですし、人の魂を「本気」にさせる力があります。
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by catalyticmonk | 2015-11-01 15:17 | 人間の尊厳 | Comments(0)

セクシズムと人間存在の商品化

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〈つい最近もSEALDsメンバーのスピーチを引用し的外れな批判をしたフェミニストがいたけれど、実際にこの小さな島国で女が一人、権利と平和、そして未来のためにと立ち上がると、日々このような言葉がどこからともなく届けられる。〉
〈「一番綺麗な時にこんなことさせてしまって悪いねえ。」
値踏みする目なんて決してしてはいなかったけれど、だらしなく伸ばされた語尾に私は充分すぎるざらつきを感じてしまった。あとは劣化が残るだけだといわんばかりに眩しそうにシャッターをおろしながら私を褒めちぎるその人のことを眺めながら、私の気分はまるで出荷待ちのブタか何かのようだった。〉

SEALDsの女性メンバーがそういったことを書いているのを目にして、暫し考え込みました。私も彼女の写真は撮っているけれど悪いふうに言われたこともないし、険悪な感じはしない。違いは何なのだろう。
そもそも差別問題への関心が強い自分でもあるので、何か言葉にしておこうと思います。

まず不快であると表明している人間がいたならそれが何か、同じ立場に立っている訳ではないから100%理解することなどできないとしても、それを想像してみることが大切です。
そう努めなければ私たちは、誰も悲しい思いをしたり、苦しめ虐げられないようにすることが重要なのに、自分の鬱憤晴らしの口実に他の誰かをいじめたり憎むような程度のことを延々と繰り返すでしょう。

女性嫌悪も男性嫌悪も、不毛な対立が無限連鎖の硬直化した議論を生み出し、水掛け論に終わりがちです。そこが彼女が言うところの「つい最近もSEALDsメンバーのスピーチを引用し的外れな批判をしたフェミニストがいた」という話にもつながってくる気がします。
特定の差別問題や社会問題のカテゴリーに特化する人々は、それによって自身のルサンチマンを晴らしたがるというか、逆差別的な行為もし兼ねない傾向があるので、私も気を付けたいところです。

一方を憎悪することで差別が解決する訳ではないし、性差別が別の差別や虐待、不公平の隠れ蓑になっても意味がないのですが、そのためにはまず現状にある日本人男性の濃厚な女性蔑視を公明正大に直視しないと話が始まりません。

他にも彼女はネット上でゲス過ぎて問題外の話題のされ方を散々しているようです。そういったコメントの魚拓が彼女の投稿記事の添付画像としても貼られていました。しかし、それをそのままシェアするのは痛々しくて忍びない。
ですが、「だらしなく伸ばされた語尾」というのは想像力のない男性にはイメージしにくいかも知れません。やはり男性は当事者としてそういう境遇になかなか立ちませんから即連想することは難しい気がします。
私なりにその情景を想像してみましたが、完璧に相手をモノ扱いで人間として軽視している感が伝わるから腹立たしいのだと思うのですね。
そういう発言をしてしまう男性心理というのは、セクシズム以前に不当に威張られたり小馬鹿にされたら誰でも嫌だ、という基本が女性蔑視によって余計に理解できないんだと思います。

自分が軽視されたり侮辱されたら誰でも嫌だ、そういう人間としての基本から話せば、まだしも余程の人格破綻者でない限りはある程度理解してくれる可能性もあるでしょう。
ですが、人権的な基本道徳が女性蔑視・軽視の社会的風潮によって麻痺して、そこの根元まで自覚できなくなっている男性が多いからますます闇が深くなるのです。

こういう男性優位社会の女性蔑視を看過させてしまう要素は、やはり「お金次第でなんとでもなる」という空気を蔓延させる経済至上主義社会も根本要因の一つだと思います。それが状況を悪化させているのは明らか。
人間、面と向かい合ったらそうそう相手を軽んじたりし続けられないものですが、「金次第でなんとでもできる」という大量消費社会の前提が、人間を自分と平等な等身大の存在から、モノ的な商品扱いの視点に変えてしまうのです。

私たちはそれぞれが違う存在です。だけれど一人一人が自身の尊厳を持った対等ないのちです。そうした存在が個々に寄り集まって社会ができていて、互いを支え合って暮らしているのです。
誰かが誰かをお金や権力、または社会的な圧力でモノのように扱っていったら、私たちが支え合って暮らしているこの世界は、どんどん息し辛く幸福を感じられない場所になっていってしまうでしょう。
誰もモノじゃない。人間が誰かを美しいとか好ましいと感じるのは自由だし、男性であれ女性であれ謙遜していないで自信を持って自己表現していけばいいのだけれど、相手は対等な尊厳を持った存在である、と忘れないことが、また互いの尊厳を踏みにじらないことが大切なのだと思います。
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by catalyticmonk | 2015-08-28 09:01 | 人間の尊厳 | Comments(0)

人間の尊厳と負から生まれる魂の光

http://bylines.news.yahoo.co.jp/jiburenge/20150302-00043393/


精神的外傷を背負うような生育過程を体験した人、
それ故に様々なトラウマを抱える人々を、
単に「精神的障害者」と見なす弱者切り捨ての発想が、
アカデミックな視点でも社会風潮的にも存在します。

そのことによって、トラウマを抱えた人々は
二重三重の苦痛に苛まれている場合が多いとも思います。
同じような経験をした者同士の集まり、というのは、
その観点から考えても重要だとすぐに分かりますね。

私は特異な生い立ち過ぎて、
自分の困難な時期に同じような経験を誰かと確認し合う
といったことは出来ませんでしたが、
逆に女性が受ける性虐待などといった
圧倒的な尊厳性の冒涜という不利を味わわずには済みました。

また、同じような体験を共有する相手がいなかった分、
自ら進んで色々とトラウマやトラブルを抱えている人々に
引き寄せられていって、
自分も器用でないので一緒になってもがく、
といったこともこれまでの人生の中で多かった気がします。

それを心理学では、
機能不全家族に育った「アダルトチルドレン」が
負のループを繰り返す、と表現したりします。
それは一面ではまさに的確な真実なのですが、
そうした世に存在する必然的な経過を、
単に病的なものと分類して
人権意識を蔑ろにする偏った傾向も
かなりそうした医学的権威主義には含まれていて、
そこは専門家の意見だと言ってもまだまだ精査され、
改善されるべきところでしょう。

また、世間に普及している人間観や人生論としては、
「似た者同士が傷を舐め合っている」
などと社会的相関性を無視して
一部の人を特殊な事物として疎外してしまう傾向も
決して小さくはないものです。

実体験としても、
ほとんどモロに当て付けがましく
そう言われた経験さえ度々あって、
私の「いつも弱い人や声の小さな立場の人たちの味方でありたい」
という信念は、
実際、そうした個人的体験から生まれてきています。

ですが、そうであったなら、
それは利己的で歪み病んだ、
価値のないネガティヴな発想や思想なのでしょうか?
私は決してそうは思わないのです。

お互いをいたわり合う気持ちは、
やはりそうした実体験から自然に生まれてきて
世に広がります。
それは社会を光り輝く恵まれたところからでなく、
見過ごされがちな仄暗い底辺から底上げして、
無知故についつい止まらぬ横暴を繰り返してしまう
品良く穏やかで残酷な人々の犯す誤った行ないと
社会的混乱の悪循環から、
自由で、平等で、
人が人を人として認め合える世界へと続く流れを生み出し、
ほんの一握りの本当に悪どい連中のために
品良く穏やかな人々と虐げられた者同士が不毛な争いをせずに
互いの存在を高め合って行ける世界へと、
一歩一歩導いていくはずです。

負から生まれる魂の光は実在し、
だからムダな人生などないということの中に、
人間の一人一人の尊厳の確かさも息づいています。
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by catalyticmonk | 2015-03-03 00:08 | 人間の尊厳 | Comments(0)

なぜ人が

なぜ人が国家や誰かの勝手な都合で
殺し殺されなければならないのか。
なぜ人がたまたま生まれ落ちた運命によって
同じ人間から差別されなければならないのか。
なぜ人が思い上がった人物のちっぽけな見栄やわがままのために
取るに足らない虫けらのように踏み躙られなければならないのか。
私はそれら全てにNOと言う。

皆、目の前に守らなければいけない暮らしや命があるから、
それを人質にされているうちに
自らの存在を支配されてしまうのだと思う。
それはもちろん生命の保全という意味で仕方ない側面もある。
でも、小狡さばかりで生きている浅ましい者たちには、
人はいつか自由と尊厳のために
あらゆる心配事と恐怖を捨て去る日が来ると分からない。

私が18の時に何のつてもなく渡米した際、
私を突き動かしていたものは間違いなくタナトスだった。
人は、自らの尊厳を守るためには、
ただ生き延びることだけに汲々とせずに、
タナトスと関係を結ばなければならない時がある。

死んだって構わない、という覚悟で自由と尊厳を求めていた。
虐待家庭で育った隷従と屈服、屈辱の少年時代から、
何としてでも脱出したかった。
それが本当に命よりも重かった。
家族も一人の友達もいない、言葉も分からない世界に
中部圏の片田舎から18歳の子供が
身一つで頼れる先もなく行く、というのはそういうことだった。

色々右往左往する43年間だったけれど、
それを守り通す生き方だけは変えなかった。
何も変わらない。
四半世紀経った今も同じ気持ちだ。
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by catalyticmonk | 2015-02-20 23:47 | 人間の尊厳 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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