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自己肯定感

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e0296801_22323862.jpg職場の諍い、家庭不和、痴話喧嘩。理由は色々だろうけど、そういう場面で暴言を吐いて威圧しまくる相手って、時として人生に登場する。
こっちは違う、と思っていても、暴言吐かれるのって、精神的に壊れてくるからね。毎日近い距離にいる相手に色々言われると、やっぱりその場ではなんて言い返したらいいのか分からない場面も出てくるし、気力体力が奪われる。
だから、基本は離れた方がいいんだけどさ、そういう場合。でも、仕事の都合や経済事情とかも色々あるし、簡単じゃないんだよね。

人間て、自分で自分を強く信じる事も出来るけど、やっぱり社会的動物だから、自己肯定感は周りから認められる事で強くなる。
親切にしてもらった、感謝の言葉を言われた、親しげに笑いかけてもらえた、そんな事が日々の生きている喜びや充実感に変わっていく。

だから、あんまり義務感にがんじがらめになり過ぎてもダメだね。
親しい人間関係や自己肯定感は、植物にとっての水や空気、光みたいなもので、それが足りていないとどんどん枯渇して、人間として正常に機能しなくなるのさ。

自分にとって身近な存在、毎日会っている家族や職場の人々から、邪険に扱われたり暴言を吐かれたりしていると、自己肯定感がどうしても下がって、不幸な気持ちになる。
そこで無理に俺は俺だから、って気負っても、それで強情で人あたりのキツい人間になってしまったりする。
キツいとさ、自分も気を張っているからリラックス出来なくてストレス溜まるし、人から愛されなくなるからね、やっぱり自他共に不幸なんだ。

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俺は、親父からは虐待されてたし、病気の母親はノイローゼ気味でネグレクト、自分の実家に幼い俺の世話を投げていたから、もう自己肯定感が低くてね。
親に愛された事がないんだ。で、幼稚園や小学校低学年くらいまではいじめられっ子だったし。
でも、それで自分で自分を愛さないと生きていけないし発狂してしまう、ってレベルだったから自己愛が逆に強くなったし、目に見えないものの存在感、神の愛ってものを感じるようになった。どこの宗教にも入ってないけど、ずっと神の存在は信じている。

そういう人生のスタートラインだったから、やっぱり似た者同士で問題のある家庭育ちの奴と知り合う事が多かったよ。
自己肯定感が低いから、相手がどんな人間か慎重に吟味する事なく、構ってさえしてくれれば喜んじゃいやすくて、それで随分とマズイ人間と付き合ってしまった経験も多い気がする。

俺と同じようなパターンで、若いうちは人間関係に揉まれる機能不全家庭出身の人間は多いだろうね。
でも、それを乗り越えれば経験から人間というものを見つめる視点もそれぞれに育ってくるし、慎重にもなるから、別に価値のない人生なんてない。
ただ、ヤケを起こして途中で潰れちまわない事さ。

e0296801_22350723.jpg痛みも含めて、自分自身の人生なんだよ。
そうやって痛みを知っているから選択出来る事、言える言葉や感情があって、それは同時に自分の人生の財産なんだ。
それでいいじゃないか。全く何もなかった別人のように生きなくてもいい。

それが自分の人生を、心の底から肯定して、魂の深みに立って生きる道なんだとも思っているよ。

俺は、人間が自分一人で完結する存在だなんて思っていない。人間は社会的動物で、他の魂との関係を必要とする存在だから、決して人口知能のように計算だけで生きているんじゃない。
でも、そこに、魂の尊厳とか崇高さが宿っていると信じているんだ。
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# by catalyticmonk | 2019-05-19 22:39 | 忘れ物 | Comments(0)

他者との融合的関わり方と付和雷同

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精神科医の堀有伸氏の言っていた話は、まさに私が日本人の精神に度々引っかかる根幹をズバリ言い表してくれている。

全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行のためには、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識のあり方が確立されることが不可欠。

なぜ日本人にとっての自我の確立は難しく、周囲との融合的な関わり方ばかりが維持・継続されてしまうのか。

それは日本社会に生きる上で、近しい人々とのズルズルベッタリした関係を断ち切って自己主張をすることは理解されがたく、それとは反対に、融合的な関わりに留まることで周囲からの報酬を何らかの形で与えられる可能性が高かったから。
前者は激しく価値下げされるが、後者は理想化される。(引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64495?fbclid=IwAR1I2IRvovpISaAA15FZDQ9cuH4zKuMOQg6o3f-LZyhXnW6hEOGu3Zj8Ygw

本当にここのところがネックであり続けているんだよね。
近しい人に対しては、あまりはっきりとした意見を言ってはいけない、それを言うと顰蹙を買う空気感があって、「それもいいよね、それもありだね」となんだかよく分からない曖昧な意見にしてしまう。
これが、まさに「他者との融合的な関わり方」であり、一貫した個人としての責任を担っていないから、なんとなく、その時々の周囲の雰囲気に流されて、民主主義的に自立した人格が形成されていかない。

実際、私は付和雷同を姑息で卑怯な精神的態度だと感じるので、どうしてもそれが出来ない。
だからすぐに孤立するし、日本で非常に生きにくいんだが、自分が心の底から信じられないものにうわべだけ合わせるような生き方は、魂を穢す。そして、それが民主主義的な開かれた社会のあり方にも向かって行かないとなれば、個人的にも社会的にも、良いと思える道を歩いて行くしかない。

ただし、日本人の多くが、現に民主主義的な社会より、他者との融合的関わり方の微睡みの中に生きれる全体主義的な社会を望んでいる部分は小さくないと思う。
それでも忘れてはならない点は、全体主義的な微睡みの魅力は、諸々の事柄に無自覚、無意識的で、現実的な不都合や不公平、理不尽に十分目が開けていないからこそ求心力を持つ。
だから、多くの人がそこに意識を向けるきっかけが、可能な限りたくさんあった方がいいのだろう。
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# by catalyticmonk | 2019-05-19 22:10 | 相互抑圧 | Comments(0)

精神世界の理想化と妥当なリスペクト

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私がアンチ・スピ系だと言う、あながち間違いでもないけれど(笑)、厳密には誤解である認識が広まっているので、ちょっとたまにはスピリチュアルな事も呟いておく。

スピリチュアル系と一般的にされる層とその文化は、安易に過去の時代にあったそれぞれの地域の精神文化的な伝統を神聖視する風潮が強い。
けれども、それぞれの社会が歴史を遡れば総じて民主主義的な見地からすれば狭量で未開な部分が多々あったのも明らかだ。だから、良い伝統は良いと認めるにしても、例えば一時期のブームのように「古代マヤ人は神聖な人々で高次元に移行してこの世界から消えた」とか、そういう極端な美化や飛躍した理想化を私は好まない。

そのように理想化されたものは、理想によって目の前の現実に起きている不都合を揉み消そうとする事態が度々発生する。そういう現実を、私は幼い頃は母の信仰していたエホバの証人によって、また大人になってからはインドで見たヒッピー達や瞑想センターの実態などによって、心に強く刻み付けられてきた。
瞑想センターでは、発生した伝染病について警鐘を鳴らそうとした私の言葉が、「いや、施設内は十分に衛生的で、仮に伝染病になった人がいるにせよ、その人の内在するカルマが浄化の過程で浮かび上がってくるというのはそういう事だ」という謎理論で却下されてしまった。
やはり、理性で判断出来ない人のやる行為は危なっかしいのだ。

日本だと、太平洋戦争後に日本の統治をやりやすくするためにGHQがたまたま残した天皇制が、それと共に過去の封建社会的な価値観を十分に総括せずに現在まで継続させている。
なので、またスピ系の人々の変テコな理想化が発揮されて、戦前に軍部に支持されていた霊言おじさんの言葉がそのまま賞賛されていたり、きちんと清算されていない観は強い。
また、論理的整合性を以ってして物事は判断していかないと、既に広まっている社会風潮に含まれている偏見を乗り越える事は難しい。特に日本の伝統文化だと、個人の尊厳について十分に考えられてきていない弱点がある。

ただ、それでも、私は自分が実際に目にしたり体験したものは信じる。
だから、インドの聖地や寺院でびっくりするような体験もしたし、日本の神社でも同様の事があったので、ただ頭だけで考えて例えば「神道は国家神道や右翼的な思想と濃厚に結び付いてきたから堕落した宗教・信仰伝統で、一切認めない」なんて事も言わない。

あくまで、一個一個の事例を、理性的に判断しようとしているだけだし、自分自身にとっては主観的に体験する部分もそれはそれで受け入れている。ただ、理性的判断と両立し得ない狂信は、厳密に避けている。

個人的には、人間だけが宗教的なものを感じている、とは思わないんだ。インドで見てきた現実からすると、牛や犬、鳥やリスが、人間の目では見えていない何かに反応している、という事がよくあったし、動物が森の片隅にある古い祠を好ましい場所と感じているらしい様子を見た事もある。

だから、宗教組織や宗教思想は、人間が頭で考え出したものだから、多分に幻想いっぱいだけれど、生きている命が、まあ、恐らくは生きていない命も含めて、魂の理みたいなものを感じている次元てのは、きっと人間なんて単位に留まらず存在しているんだと思っている。
で、私はたまたま人間だから、それを神を信じている、と表現しているだけだ。

人間の欲望にとって都合のいいように作られた幻想の神、それは主に金なんだろうな。
みんな、幻想の神であるカネを信奉しているから、カネで回る世の中が成立しているし、それを軸に成功を計り、一喜一憂して、それがないと飯も食えないから生きたり死んだりしているのさ。
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# by catalyticmonk | 2019-05-18 22:23 | 忘れ物 | Comments(0)

性善説かどうかについて

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性善説かどうかについて、友達と話していたんだけど。
基本は、人間のいいところもあるし、そこを通して一定付き合っていけるけど、誰しも自分にとっての良いところと悪いところがある、という見方かな、個人的には。

一対一だと好まないけど、第三者はさむと、なんか緩和する、なんて場合もある。相手次第ではね。
相性の問題はあるから、一対一だと性質が違い過ぎてどうにも大変、て人はいるね。
ただ、自分としての付き合いやすさ、付き合いにくさと、人間としての評価は、また分けて見ているかな。
とにかく、人間は相性もあるし、自分にとっては問題なくても他の人にとっては問題あるとか、そんな簡単に自分の物差しで良し悪し決めつけられない、と思っている。習慣だって趣味だって生まれつきの体の習性だって違うんだから。
だって、俺自身も凄く変わった人で、だから誤解されて、これ理不尽だなあ、って散々思ってきたからさ、そういうところで慎重かつ寛容でありたいのさ。

相手と自分が楽しく過ごせると言うのと、言葉や意見として考えが合うか、それが正しいかどうかは、またそれぞれ少し違う気がするけどね。
やっぱりスッキリするのは誰かと飲んだとか、外で楽しい事があった、とか、そういうリアルな実感で。
でも、それとは別に、もっときちんと言葉に整理して相手に伝えなきゃ、って感じているものがある。それは、やっぱりこの国の社会や文化って単位のものに感じている疑問や問題意識なんだと思う。個人の目の前の人間関係や満足度だけで見ていても完結しないものは、やっぱりあるんだよ。

e0296801_14523654.jpegただ実際に誰かと会って一緒にイベントに行って盛り上がってそれでたくさん笑ったとか、酒を飲んで楽しかったとか、相手の細かい考えなんて知らなくても祭りに行ったら気さくに話し掛けてくれたおじさんや可愛い子供がいたとか、そういうのでは幸福を感じているよ。
細かい事は言わないで、その場はその場で楽しむのを優先する、という点では、自分は物凄く性善説的な人だな。
感情的な次元では可愛い犬や子供が自分に甘えてくれるだけで、もう自分の中の「好き」の気持ちで言えばマックスになっちゃうくらい単純な人だからさ。だから、誰か何かを好きになる、って、実はそんなに難しい話じゃないと思っている。

だけど、それだけで相手の全てを判断しない。凄くそこで楽しかったとしても、それでその人が別の相手には理不尽ないじめをしていたり、自分が社会的に違うなあ、と思っている判断をしている時に、「いやいや、あの人と俺の仲だから」とか「あの人はいい人だから」なんて次元で同調したらおかしいからさ。
あくまで自分は自分、人は人。

結構、いろんな事を言っては上手く自分達に従わせようとする力が大きい社会だからね、日本は。そこの中で自分の揺らがないものを確立していくのって、かなり大変だよね。
俺の場合は最初から物凄くはぐれ者で、面倒でも何が起きているのか向き合っていくしかなかったから、こういう感覚に至っているけど、人間は楽で済むならそっちの方がいいと大概は思うものだから。
だから、そういう次元で、凄く考えが自分と違う相手だからと言って、急に人間のクズ、みたいにも思わないのさ。
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# by catalyticmonk | 2019-05-15 00:21 | 忘れ物 | Comments(0)

ポップな百鬼夜行

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別に私は原宿竹下通りにあるものなんて、個別にはまるで自分の趣味と合わない。
私にとって必要なものが売っている訳でもなく、子供や若者向けなクレープだの綿飴だのと言ったものがやたら多く売られているが、全く甘党でない。
また、ファッショナブルな街か、と言われたら、オシャレでないとは言わないが、外国人観光客やおのぼりさんが多くて、ダサダサな人も多いし、何かミーハーで浮ついた街だとも思う。言わせてもらえば、府中などの方がよっぽど魅力ある被写体がゴロゴロいる。

ただ、まあ、その浮ついた感じ、水モノのような地に足のついていない独特の開放感は面白いと感じている。
カラフルで、いつもお祭りめいた明るい雰囲気も嫌いでない。逆に、陰鬱で寂れていて生活臭はたっぷり、みたいな場所は息が詰まる。
なので直接の趣味には合わないが、雰囲気や環境は、案外心地いい、と言ったところ。
ポップな百鬼夜行を見に行くつもりで、たまに通る。そういう距離感。
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# by catalyticmonk | 2019-05-11 11:13 | ファッション | Comments(0)

洗脳とムラ社会

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洗脳もさ、最初は誰もが同意出来る、或いは賛同しやすい意見や主張を入り口として、そこから紐付けて何かの権威に従うよう促していくのが常套手段。
主権在民を特権層に渡しちゃいけないんだ。それが宗教的権威であれ、何かの学識豊かなエリートであれ、政治であれ、文化であれ。

ちょっと入り口いい事を言っていると、そこに権威やお仲間も付いてくると余計に、日本人はすぐコロッと騙されて、その後から見えてくる腐敗や矛盾を見逃して、加担までしてしまう。
だから、うわべの言葉でカッコつけたり気取ったりして、裏ではすぐに優劣意識を持ち出してきたり、毛色の違う相手をそれだけで意地悪く扱う人間だらけの世の中になる。
で、自分がどこかに所属していて、そこから一歩も出ない分には、周り中いい人だらけなのさ。

でも、そうやってどんどん外の人間に偏った見方と扱いをする人物が量産されてしまう。洗脳とムラ社会って話さ。
個性を殺した先に何があるか、ということなんだ。
個性をごり押しで殺した結果、皆が平等で幸福な調和が取れた社会が出現するか、と言ったら、そんなことが実現した例はない。結果的に、一握りの人間たちが自分たちの都合の良いように横暴な振る舞いをする世界に行き着くだけなんだ。
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# by catalyticmonk | 2019-05-10 21:25 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

宗教と帰属願望

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群れるのが好きで宗教団体に入っている人は多いように感じる。
例えば創価学会信者とか、日本に多いので勧誘されて長い話を聞かされた経験もある。学会員は凄く熱心な人もいるし、それも含めて熱狂出来る集団があるから、という空気は感じる。

精神世界系のオタクみたいな人もいる。
オタク的なマニアックさで本もたくさん読んでいるのだけど、話を聞いていると、どこか本気じゃない。なんか議論も身内でワイワイとやっている事自体に喜びを感じている様子で、真剣に悩んでいたり答えを探していたらそういう軽い感じの訳がない、みたいな人を結構多く見てきた。

私の場合は、自分でどこかの宗教団体に入った事はないし、それを望んだ試しもないが、まあ、それに類した人々は大勢目にしてきた方だと思う。
職場にインドのカルト集団として有名なバグワン・シュリ・ラジニーシの信者がいて、インド繋がりでよく飲みに誘われていた事があったり、そこから年上の占い師のお姉様集団に気に入られて親しくしていた時期があったり(今思い出すと、諸々ぶっ飛んだ体験だった気がする)、インドで瞑想センターに行ったらやはり宗教オタクみたいな人がいて、瞑想コースの後でも全然通俗な感じなのに精神的な事柄や瞑想に興味のあるふりをして、真面目な他のセンター生徒をカモにしているような人間などもいて、なんか喜劇を生で見せつけられている気分だった。
私がヒッピー系の人の多くに感じるのも、そういうサークルノリのミーハーな軽さ。

私がそうしたものには極めて冷めていて、現実的な人間模様を観察する方向に傾いていったのは、自然の流れだ。
父が元ヒッピーだったけれど人間的には相当アウトな人物で、幼少期に母親が某聖書原理主義のカルト信者だった事などに始まり、そうしたものに幻想を持ちにくい生い立ちがあったのも関係していたと思う。
逆に、だからこそ一般人よりも、そうした人々の近くに行っても自分が洗脳されるんじゃないか、みたいな不安は感じない人間だったので、必然的にそういう出会いも増えていったのだと思う。

ただし、私個人は宗教団体とは関係なく、神は信じている。そこに一切の打算はないが、現実社会にある組織のしがらみと無関係だからこそ、純粋な気持ちを保てている気はする。
人にどうこう言われても知った事じゃない的な次元に、私にとって感じる神はいる。
政治は言葉によって見方や考え方の幅を広げ、その人に新しい見解を促す事も出来る。だけれども宗教的な感覚は、結局言葉では伝わらない、その人自身の直接的な体験によってしか伝わらない。

インドは宗教的な文化が日常生活と密接に結び付いているので、その言葉にし難い諸々を感じる機会は少なくなかったが、特に期待や変な先入観を持っていない人間の方が、目の前で起きている現実にピンと来る場合も多いようだった。
言葉で知識や情報を与えて本質とは無関係な次元で変な幻想を抱かせると、それが足枷になって素直な人なら一瞬で感知出来る事が、その人自身色々模索してもちっとも感じ取れない。なんかそういった事柄があるんだな、というのをインドで度々感じた。

精神世界関係は、本質と関係ないオタクな人達が大勢いるな、という印象が私には強い。現代社会が、政治よりさらに精神的な事柄から遠い日常なのでそうなるのだろう。
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# by catalyticmonk | 2019-05-03 14:35 | 忘れ物 | Comments(0)

自立心のない集団は崇拝する相手を求める

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世の中の秩序が、既存の権威によって成立しているからそれに従い敬うのが当然だ、という日本人に刷り込まれた奴隷根性。
これ、ちょっとくらい政府には反発している人々でさえ大枠では一緒の人が多数派。それでは腐敗していく一方だし、だから今一本気でどこにも乗れない。奴隷は嫌だから。
何かの既存の権威を有難がって、政治家や学者や有名人をチヤホヤするのは本質的に私の性分ではないし、そういうのを求めてもいない。

政治宣伝や選挙にためだ、と限定的な理由でそれをやっても本気ではなかったんだが、この社会で選挙をやっている人々の多くは、それで熱狂して陶酔しているうちに本気になっている。
私個人は人間なんて、みんな同じだ、と思っているから、誰かを本心から崇めたてるというのがどうしても出来ない。それで、大概は自分と違う人達だなあ、と段々なっていった面はある。

つまり、与党であれ、野党であれ、宗教団体なら尚の事、ずっとそこで熱心に活動している人の多くは、結構群れるのが好きな人達だ。
別に集団で群れて盛り上がる分には、社会的動物である人間として普通であって、何もおかしくはない。
しかし結局は、自分自身ではない、何か宗教的陶酔、集団で群れる事への憧れ、大きな権威の傘の下に入っていたい依頼心、そういうのが理性的判断や自立した意思より先に来てしまうと、絶対に腐敗する。
その集団を存続させる事自体が目的になるから、色々とまずい事が起きてもそれを隠蔽しよう、という方向に傾く。

日本人にはその手の集団への依存心が根強くて、それが一握りの権力者をより横暴にさせてしまう結果に繋がっている。自立心のない個人が集まった集団は、必然的に崇拝する相手を求める。
だから天皇制なのだろうし、天皇制があるからそうなのだとも思う。
保守的な国内宗教右派と政治が結び付いた日本会議が政府を席巻している状況なのは、もはや日本のこうした部分が行き着くところに行き着いた現実。
少なくともそういう催眠術みたいなものからは、早く目を覚ました方がいい、と私は感じる。

結局、この令和祝賀ムードも、そういう権威を依り代にして一体感を感じられる日本人の好きな盛り上がりやすいテーマだから、これだけ盛り上がっている。でも、それはその先に続く全体主義と表裏一体の現象なんで、私は乗れない。
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# by catalyticmonk | 2019-05-03 14:10 | 忘れ物 | Comments(0)

信じる事の熱狂と不安

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経済格差も環境破壊も酷いから、現代の文明社会が丸ごと罪みたいなもんさ。
幼少期に家族がエホバの信者だった者として言うなら、そういう視点に基づいたペシミズムでエホバの証人信者達は世界を眺めていて、だから神の裁きを待って人間社会の政治には携わらない、という発想だった。
それもなんだかなあ、という疑問が出発点に多少あるのが、私を宗教や政治の原理主義から遠ざける一因にはなっている。

親父もヘルスエンジェルスみたいな方向のヒッピーで、自分が生まれた頃にはヨーロッパの路上で銀細工のアクセサリーを売りながらヘロインとかやっていたような奴だったし(元々は全日本空手協会の空手指導員として渡欧していた)、お袋は病弱でいつも寝込んでいてネグレクト、それで救いを求めてエホバの証人、みたいな感じの家庭環境だったから、端から世の中の価値観なんて全く信じていない訳さ。

e0296801_15015013.jpgでも、幼稚園とか小学校に行くと、普通の日本人の家庭で育った子供達と、普通の価値観の大人達が、全然一度も親から教わらなかったような事柄をあれこれ強制してくるでしょ。管理教育の全盛期の愛知県だった点も大きい。それでほとほと困り果てていたね。
最初いじめられっ子で、負けていられないからわんぱくにもなって、でも、心の内側では、そんな普通の家庭で育った連中とは共感も相談も出来ないレベルの葛藤を持ち続けていた。

で、長らく人生の中で宗教や人間の魂ってなんなんだ、という強い不安と葛藤があって、だから30歳を過ぎて会社を辞めてから留学という体裁でインドにも移住する形で行ってみた。
インドの瞑想センターなんか行って、一定期間集中して特定の身体技法を実践すると、本当に凄い感覚を体験するのさ。あれは、大脳生理学的に、人間がそうなる方法を、古来から人間が見つけてきた証拠なんだけど。

でも、普通の人はああいうのを体験すると、知的な懐疑精神が体験の大きさの前で屈してしまって、その時に目の前にある既存の宗教や信仰にバーッと染まりやすくなるんだな。そんな人間の側面もインドで見てきた現実だったりする。
でも、体験はあくまで体験であって、それで突然自分が全知全能の神の如き完全無欠な存在や素晴らしい人格になるのでもない。しかしまた、大概の人間はこの誘惑に勝てない。
だから、何かを妄信する事で、それをそのまま自分の考えや悟りであるかのように自身を偽ろうとし始める現象が多発する。

そうした時に、私は幼児期からの刷り込みとして最大なものが、本能的な次元に近い部分でなお一歩引いて眺める、現実的な相対主義だったので、そういう内面の真実から目を逸らすような自己欺瞞には陥らずに済んだんだ、と自分では思っている。

もし、自分自身が死にたくなるくらいに追い詰められていて社会にうんざりしているのなら、逃げられたら逃げた方がいい。
結局、生きてこそで、そこは人間も他の生き物も立場は一緒だからだ。その中でどれだけ傲慢になり過ぎず、分を弁えるか、そのくらいしか出来ないんだよ。

それでも、自分自身の人生は大切にした方がいい。それが傲慢に狂ってしまわないための道理でもあると思う。人間、何かを信じ過ぎると狂ってしまうのさ。

ただ例えば、信じる事で潜在意識から病気が治る人もいて、信じる事に価値や力が生まれるのも確かだ。
私がここで言おうとした狂信と、その境い目は、なかなか言葉にはし難いので、それを感覚的に朧げにでも浮き彫りにしようと試みながら書いたつもり。理性や合理性と狂信の境い目は絶対的なラインがないので、検証は難しい事柄だとは感じる。
多くの人が自発的に関心を持って見つめ直せる社会的風潮や文化、といったものが大切な気がする。
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# by catalyticmonk | 2019-04-09 23:53 | 忘れ物 | Comments(0)

美形を妬むな

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もう年取って過去形になったから、はっきり言うけどな、下手に綺麗な顔してると、男でも女でも、何かといじめられるんだぞ。だから、ちっとも羨ましくない。
妬まれて、何でもないような事で嫌な目に遭う。

例えば、一人でどっかのレストランに入ってだな、料理が出てくるまでなんとなく手持ち無沙汰だったから何気なく頬杖ついたりしていていると、横から、あろう事か、店の店員から「おー、ボク、一人でさびちーねー」なんて聞こえよがしに言われて揶揄われるんだ。
ただのくだらない妬みなんだなあ、ってのは、そういう話を普通の人に話しても、そんな経験した事もない、気のせいなんじゃないの、とか言われて、割と美人めの女性に話すとあるよね、あるよね、と返答が返ってくるという感じ。
男だと、そういう時に「テメー、このやろー」って反撃しないとますます舐められるからさ、それで喧嘩したらしたで、周りから粗暴な人間と見なされるし、大変なんだよ。

私の女性友人はそれに同意して、こう言っていた。
「なんかさー、すぐに、色目使ってるとかさ?男好きとか言われるのよね。男性と話してると。
私の性格を知ってる男性は、私はオンナというよりオトコだよくらいの付き合いなんだけどね。
すぐに、妬まれたりする。
それと、一人で居酒屋やカフェバーでお酒なんて飲んだ日には、寂しげとか決め付けられる。寂しくなんかなくて来ていても。
正直、面倒。年齢が上がって、少し、生きやすい」
「そうなんだよね、年齢が上がって、勝手に少し生きやすくなった。でも、これ、他の人は普通だったんだなあ、って改めて思うよね。全然、デフォルトの状態が違うじゃん、て」
「そうそう。他の人に言うと、何言ってんの?状態になるじゃん?」
「それが余計に悔しかったなあ〜」
「分かってもらえない悔しさ」
「悔しいだけじゃなくて実際に困るんだよね。例えばストーカーに遭って困ってる、という状況でも、話すと勘違いか自慢話扱いで、いいじゃん、誰でも受け入れろ、お前にピッタリだくらいの事を男の世界だとまた言うんだな」
「そうそう。モテるね〜とか言われるよ?女の世界でも、自慢?とか言われることはある」

家庭教師の中年男性。「よくわかる。高一のイケメン男子を教えたんだけど、理由もなく先生に嫌われていた。繊細で優しい奴なのに。
妬みは最もしてはいけない事だけど、最も抑えるのが難しい」

別の中年女性。彼女も昔、雑誌のモデルをしたりしたほどの美人だったよう。「確かにね。因縁つけられたりね。それで、美男も美女もさしてモテないよね。学年のアイドル的な存在はそこそこの、ブスとの境界にある可愛い子みたいな人。うんと美人だと遠くから眺められるだけ」

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だあからさ、妬むなよ、ハンサムや美女もそれがために苦労もしているんだよ。
凄い美人なのに、絡まれ過ぎて、自分から率先してヤンキー化して荒んだ交遊関係の世界に行ってしまい、クズ男に粗末な扱いされているアイドル以上に実は美女の子、っているし。
昔、そういう子と付き合っていたけど、中高生以降の歴史を聞くと本当に悲惨な話だったなあ。

あと、赤坂のホストクラブでナンバーワンホストだった人と友達だった事があるんだけど、別に私が水商売していた訳じゃない。彼がムショ帰りで現場仕事に来て仲良くなったんだけど、彼はやはり凄い年より若く見える童顔の美形で、それがために群馬の田舎でいじめられて、喧嘩ばかりしてきたと言っていた。

それでボクシングも習ってホストもやって、当然タチの悪いのともいっぱい会うから、やっぱり喧嘩して、それで傷害事件を起こしちゃあ何度も刑務所へ入ってきたという。
実際、二十代の頃に数年間交流があった人だったけど、性格は至って真面目で粗暴な所なんて全然ない、面倒見のいい5歳くらい年上の人だった。
美男子の上に性格が真面目でズルくない、って部分が、そういう苦労の一因になったんだろうな。後はそれで水商売の世界に入ったから、という流れも大きかったんだろう。
私はキャバクラとか水商売の類いが全く興味なくて、住む世界もその人と随分違ったけど、ただ性格自体の気が合って、よく一緒に飲み歩く、という付き合いだった。
あんな理性的な人でも、最初は苦労したんだな、と考えさせられた。

女の子は、もっと酷いよ。綺麗な子が同級生に妬まれて、同性の罠で男子生徒に強姦されたとかさ、もう目も当てられない話を聞いた事もある。
みんな、普通はそんな話はしないだろ。だから、チヤホヤされて得する、とか、いい所ばかり目について、またそういう奴を苦しめる一因になりがちなんだ。
人の妬みって怖いからさ、何であれ。
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# by catalyticmonk | 2019-04-04 22:35 | 嫉妬 | Comments(0)

不自由な日本的精神

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個人の自由、ってものの意味が、未だに社会に浸透していないんだ。日本人は個人の自由について本気で考え直さなければいけないんだけど、毎回いろんな事を言ってはうやむやにして、決して改めようとしないんだよね。
個人の自由にまで干渉してきたのは自分達の方なのに、それを理詰めで言い返した側が角を立てる尖った人間、くらいの扱いにして、なんとか黙らせる空気に持って行こうとする。
その、日本人は素晴らしい、外国よりも良い所だ!サッカー好きで当然、イチローは天才!みたいな、自分達が予め期待する考え方があって、それに相手が従って当然、みたいなさ。

同調圧力に弱い、という話でもある。周りにいる人間の影響次第で簡単に変わってしまうのが、馬鹿の馬鹿たる所以。高学歴の奴でもそういうのがいるが、要するに人間的に馬鹿なんだ。
馬鹿の危うさはそこ。偶然の出会いに流されて、いくらでも変わっていってしまう儚さと脆さがある。
その危うさに抗うには、やはり内なる自立した知性と精神が必要。
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「ルールを決めればいいんです」ってさ、決めごと作るんじゃなくてモラルの問題なんだけどね。なんでも決めごとで解決するのは逆に全体の快適度も下げることになるから。

ゲームのルールみたいに、最初から一律で決まっているルールなら不公平じゃないからいいんだけど。その上で自分が乗るか・乗らないかの選択の余地もある。
でも、一部の人が他の人間の同意もなく自分達の都合がいいように「これはルールです」って、後からどんどん追加していき過ぎるのは、やっぱり横柄なんじゃないかな、と。半分詐欺みたいなもんだ。
誰かが数や力で高圧的にその人の基準を、あたかも世の真理みたいに正しく言って、従わせようとするのは好きじゃない。
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私がおりこうさんタイプに感じる違和感、いい事は言っているけど何かイライラする感じもそこだな。要するに「人に嫌われる勇気がない」んだ。その事が、結局は何らかの偽善や卑怯さを生む結果につながる、という人間心理の道理が感覚的に分かっている。
で、そこなんだよ。日本人にはない信頼感をドイツ人とかイギリス人、北欧の人とかだと持ちやすいのは。
彼らは、不良じゃない、かなり真面目そうなタイプでも人に嫌われる事を過度に恐れて嘘っぽい事を言う、という確率がぐっと下がって、なんかそこで価値観に開きがあっても信頼する意欲が高まるんだよな。
日本人だと同じ場面で、凄く耳障りのいい言葉は言うんだけど、何かモヤモヤして、表向き同じ意見のはずの相手まで、なんか信用するモチベーションが下がりがちになる。

インドでも西洋社会でも、私の言った事が何か分からなかったりすると、仮に誤解があっても日本人の十倍くらいストレートに「いったいそれはどういう意味だ?」と聞き返してくる。
日本人は、逆にストレートに言い過ぎるとその事自体で引いたり、また余計に悪意に捉えたりして、はっきりと意見を言っても、後でギクシャクしやすくて、ちっともスッキリ解決しない。

曖昧模糊としたまま、あまり角張った主張はしないで、やんわりとオブラートに包み合って互いに協調しているのが「いい人間関係の状態」と暗黙の了解でされている。
私も海外に出るまでは世の中はそういうもので、自分が不器用なだけだと思っていた。
海外のストレートに意見を言い合って、それで後腐れなく一回一回解決する爽快さを覚えた時、私の人生観や人間観は根底から変わった。

日本人は、日本の中でしか通用しない、物凄く特殊なコミュニケーション方法で社会が成立している。だが、日本の社会の外に出た事がない人は、そこにまるで気付かない。
なんか、映画マトリックスの世界のようだ。夢を現実として信じて暮らしているミステリアスな人達。

他の海外帰りの日本人ともよくそういう話をする。
レベルが違うね。ドイツ人なんて、日本人はこうなんだ、って説明すると、そんなのはドイツも全部一緒だ、と言って、実際に日本に来るとひっくり返って仰天するから。
おんなじような表現で言っていてもヨーロッパ人が見る公共性と個人主義の問題の加減と、日本人が言葉や字面だけで自分達の話に置き換えて解釈している観念論て、実際には中身の度合いが違う、という事が多く。
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私が事実について感想を述べるとストレートになり過ぎて、結構よく物議を醸すので、SNS上などではなるべく具体的に語らず抽象的に言うようにしている。
しかし、今度困った事に抽象的に言うと、それと被っているような気がする人が大勢現れて、「アレは私の事を言っているんじゃないか」と次から次へと登場するのが困りもの。
日本が、他人に直接意見を言わないで、空気を察し合う文化だから、疑心暗鬼が濃くなるんだな。

本当はストレートに言い合える社会の方がつまらない疑心暗鬼が少なくていいとは思っている。端的に言っちゃうと真意が伝わりにくくなったりする。
だったら、下手な事は何も言わなければいいじゃないか、というのが日本の今の社会で支配的な事なかれ主義の風潮なんだ。
みんな、どんどんそういうスパイラルで自分が本当に思っている言葉を口にし辛くなっていくし、言葉にしないものだから、余計に物事を突き詰めて考えなくなる。
根拠のない、ちょっとした掛け違いでくだらない対立が生じたりする。それも、陰湿な、言葉に出さない神経戦みたいな形で。

表向き、すぐその場では波風の立ちにくい文化だとは思う。
だけれど、ストレートに言わない故に疑心暗鬼が生まれてから騒ぎみたいないがみ合いが起きまくっているのが私の見た政治や運動の世界だったし、それで腫れ物に触るように臆病になって、みんな疑問があっても空気を読んで忖度する方を優先してしまって、自分達が最初に感じた違和感を突き詰めもしないものだから、今の政府の政治がどれだけ危ういか、冷静に考えればはっきり分かる事なのに、そこまで考えが行き着かない。
もう、自由になろうぜ。デタラメになるってんじゃなくて、精神的に自立して成熟する意味でね。
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# by catalyticmonk | 2019-04-02 00:00 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

自己責任の呪縛

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なるほどな、私は大学行ってないから知らなかった。単位を落とす大学生は、遊んでばかりいる学生ではなく、友達がいなくて休んだ時にノートを見せてもらえない学生に多いのか。

でも、貧乏で、バイトに明け暮れていても友達作れないもんな。

世の中、平等じゃないや。


「もっと苦労しても努力して頑張っとる子もおる~」って、それがどうかしたんかいや。そんなの、人それぞれだしな、そんな風に言えばグレたり、鬱病になったりする子が減る訳でもないだろ。

そうやって、愚痴すら言えなくて、一人で抱え込んで切羽詰まったり、もういいや、って自棄になる人間を増やす世の中にしてどうすんだよ。

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# by catalyticmonk | 2019-03-27 01:35 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

つまらない相手のために一人で踏ん張り過ぎるより

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嫌がらせを受けた時に図太くなれるかどうかは、相手の集団内でのポジションも大きく関係するね。人間は孤立すると辛くなるから。

そんなもの一切関係ない、って振り切れちゃった奴が結構人間がぶっ壊れたワルになったり、そこまで行かなくともきつい性格になって、それはそれでまた新たに毒を世にばら撒くから、それもどうかと思うし。


だから、辛かったらあんまり踏ん張り過ぎちゃダメだし、もしそこで踏ん張るなら、やっぱり自分の仲間が必要だと思う。


いろんな人を見てきても感じるんだけど、早くがんになったり大病をする人間て、大概一人で孤立したまま長い期間無理をしてきているんだよ。

だから、少なくとも無理をする事を人に勧めるべきではない。辛かったら逃げてもいいし、自分がより本領を発揮出来る場所は、誰にでもそれぞれどこかにあるんだって。


一人の人間が頑張れば、一の気力が二か三くらいにはなるかも知れないけど、それは個人の一個の体じゃ長くは続かないし、一人の人間の意志が十や百になるのは、やはり協力してくれる、共鳴してくれる仲間がいてこそなんだな。


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# by catalyticmonk | 2019-03-27 01:18 | 忘れ物 | Comments(0)

今、嫌がらせ行為に遭っている人へ


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適当な事を言っちゃあ、相手をガッカリさせるのが好きな嫌な奴っているよね。

世知辛い、競争社会だから、余計にそんな人間が増えてくるんだと思う。

自分はそういう問題はあまりないけど、まあ、今でも訳の分からないところで、お門違いな嫌がらせをしてくる奴にはちょくちょく遭遇する。だからこそ自分の住む世界は選んでいるよね。


昔はそういうので散々辟易してきたから、その手の話を人から聞くと思うところが色々ある。いわゆるいじめ行為に遭っている子や、職場でパワハラに遭遇している人の話を聞く度に、とても落ち着かない気分になる。

ありがちな話だから、そういう事で苦しんでいる多くの人に向けて言っておきたいと思う。



そう、事なかれ主義の世の中なので、意地悪な奴やそういう嫌がらせ行為は存在しなくて、何も問題などないかのように言われがちだけど、そういう人間は残念ながら実在するんだ。


それこそゴロゴロいるし、普通の、常識も良心もある人々や、立派な言葉をたくさん語って人からも尊敬されるような人物でさえ、ある瞬間には本当にくだらない次元の衝動で理不尽な嫌がらせをするものなんだ。そこはしっかり理解しておいた方がいい。

単純に、世の中はいい人と悪い人しかいない、と思い込んでいる人は、ほぼ確実に、いつかのタイミングでは理不尽ないじめ行為に加担する事になるし、その人自身が騙された、と感じる時も来るだろうから。


そして、嫌がらせをしてくる相手が、案外みんなから一定の信頼評価を受けていたりする場合が珍しくもないので、むしろコミュニケーションスキルは高い可能性もある。

だからこそ、そういう相手に思わぬところで嫌がらせを受けた時、或いははっきり敵対された時、誰しも少なからずダメージを受ける。


あなたがそういう状態に陥りがちであるなら、確かにあなたは真面目で不器用な人間かも知れないけれど、最初に間違った事をしていないでそういう状態になったなら、自分自身を強く信じてあげて欲しい。

ヤケになっちまうと、人はヤケになった後の姿でしかあなたを見ない。それはその人を余計に苦しめるからさ。


だけれども他人に相談すると、そんな奴は相手にしなければいい、あなたの心の持ちようだ、と言われ、言った当人がその人に告げ口する始末だったり、なんと言うか、そういう人間が力を持ちやすいような、変な目に見えない絡まった複雑な連鎖が世の中には実際にあるんだよね。

それが大きな社会全体の風潮とか文化意識の問題だ、と理解するのには長い時間が掛かる時もある。


そこを我慢したり、ただ直線的に自分の気の持ちようだ、と長い期間思い続けているうちに、うつ病になったり、ノイローゼになったり、或いはまたその人自身が自分の心を守ろうとして、他人にキツく当たる人になってしまう場合もある。

こいつはなんでこんな屈折した真似をするんだろう、と思って、でもいいところはあるから仲良くして、酒なんか一緒に飲んでそいつのしてきた体験を色々聞いていくうちに、ああ、なるほどなあ、と合点のいく事も何度かあった。


だから、周囲がなんと言おうと、本人が相手の理不尽さやおかしな部分を直視出来て、その上で上手く回避しようとする、また家族や友人など、自分の直近の人がそれを事実だと認めた上で協力してくれる事は、とてもとても大切な事なんだ。


でも、俺は別にお悩み相談室じゃないからね。人の世話を焼くほど器用じゃないし、身の丈なりに自分が好きで関わった相手の事しか考えないけどさ、それでも、だからこそ分かる部分はあって、現実にそういう事があるなあ、って感じる面は多々あるね。

それだけでも伝えておきたかった。



# by catalyticmonk | 2019-03-27 01:01 | 忘れ物 | Comments(0)

人の値打ちを量る物差し

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別にこんな世の中の基準で、一喜一憂したり張り合ったって、仕方ないんだぜ。

オトコは若いか金持ってるかしないと終わり、女は若くなくても母親であれば値打ちがある、みたいな価値基準が社会の大前提であるけどさ、それ自体がどれだけ陳腐か。


要するに直接的・社会地位的な「力」と性的な生産性・魅力だけが、人間の値打ちを量る普遍的物差しになっているのさ。

都会のど真ん中でもそんな程度の価値観だから、田舎から上京してきたばかりの奴を見下す視線も根拠がない。


でもみんな、そんな事で大きな顔したり、いたたまれない気持ちになったりして、生きているんだ。

くだらないよ。そんなものが誇りや劣等感を持つ基準にならなくていいのさ。


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# by catalyticmonk | 2019-02-16 01:02 | 忘れ物 | Comments(0)

服従させるための精神論の罠

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一生懸命過ぎると肩が凝り、柔軟性がなくなる。いい加減はちょうど良い加減だ。

武田信玄は「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」と言ったが、そういう根性論は自分で思っていればいい。
そう主張して他人に無理強いさせていたのでは、ブラック企業のパワハラ上司と変わらない。

そうやって誰かが唱えただけで電流が走ったみたいに金縛り状態になって、同調圧力に屈してしまう日本人を数多く見てきたが、私の価値観は完全にその価値体系の外側なので、奇妙に見えて仕方ない。
知恵を出すなら、誰かを上手く操るための詭弁ではなく、他人に無理強いさせない知恵が上等だと思っている。

愚痴る前に黙って逃げる算段をするのが賢明だが、逃げる訳にはいかないなら、一人で溜め込む必要はない。策がなくて困っていると周囲に正直に相談するのもまた知恵。

根性論や自己責任論でガチガチになっている日本人の頭。ずっと封建的な社会で、人々を権力者が従順に飼い慣らすための洗脳を長年続けてきたからだ。
頭は柔らかくなった方が、暮らしやすい世の中になると思う。
日本社会は、服従させるための精神論の罠に満ちた巨大な幻想発生装置だ。

面と向かって話しているうちに自分が言葉に窮してきて、ネクタイをキュッと締め直して、それとなく相手を威嚇して緊張させるとかいった心理ゲームの小技を、ある程度の規模以上の企業重役なんかは色々持っている。人間が凝縮しているんだな。
ところが、私はその意図には気付いても、本当にそういう価値観の外側なので、全く緊張しない。逆にクスッと鼻で笑ってしまう。

日本社会が巨大な幻想発生装置だという現実は、一度でも海外に出てしばらく暮らしてみれば、理屈抜きに明瞭に分かる。
ところが、日本からほとんど出た事のない一般人に、どんなに様々な言葉でこの事実を説明してみても、滅多に理解されない。社会環境から強力な洗脳を受けている証拠だ。
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# by catalyticmonk | 2018-12-15 23:02 | 忘れ物 | Comments(0)

服従させるための精神論の罠

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一生懸命過ぎると肩が凝り、柔軟性がなくなる。いい加減はちょうど良い加減だ。

武田信玄は「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」と言ったが、そういう根性論は自分で思っていればいい。
そう主張して他人に無理強いさせていたのでは、ブラック企業のパワハラ上司と変わらない。

そうやって誰かが唱えただけで電流が走ったみたいに金縛り状態になって、同調圧力に屈してしまう日本人を数多く見てきたが、私の価値観は完全にその価値体系の外側なので、奇妙に見えて仕方ない。
知恵を出すなら、誰かを上手く操るための詭弁ではなく、他人に無理強いさせない知恵が上等だと思っている。

愚痴る前に黙って逃げる算段をするのが賢明だが、逃げる訳にはいかないなら、一人で溜め込む必要はない。策がなくて困っていると周囲に正直に相談するのもまた知恵。

根性論や自己責任論でガチガチになっている日本人の頭。ずっと封建的な社会で、人々を権力者が従順に飼い慣らすための洗脳を長年続けてきたからだ。
頭は柔らかくなった方が、暮らしやすい世の中になると思う。
日本社会は、服従させるための精神論の罠に満ちた巨大な幻想発生装置だ。

面と向かって話しているうちに自分が言葉に窮してきて、ネクタイをキュッと締め直して、それとなく相手を威嚇して緊張させるとかいった心理ゲームの小技を、ある程度の規模以上の企業重役なんかは色々持っている。人間が凝縮しているんだな。
ところが、私はその意図には気付いても、本当にそういう価値観の外側なので、全く緊張しない。逆にクスッと鼻で笑ってしまう。

日本社会が巨大な幻想発生装置だという現実は、一度でも海外に出てしばらく暮らしてみれば、理屈抜きに明瞭に分かる。
ところが、日本からほとんど出た事のない一般人に、どんなに様々な言葉でこの事実を説明してみても、滅多に理解されない。社会環境から強力な洗脳を受けている証拠だ。
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# by catalyticmonk | 2018-12-15 23:02 | 忘れ物 | Comments(0)

超管理社会と人間性の屈折

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今どきの日本の若者が、恋愛に対して非常に草食系だ、という話をしていたのだけれど。

ザックリ言うと、昔は好きな女の子の部屋に夜中に忍び込んで、ってみんなやっていた訳だけど、それだと確かに女性が断り切れずに無理矢理、ってトラブルも後を絶たないから厳罰化されてきた訳だ。
女性を守る、という観点からは正論だし、そうだからこそ、じゃあ、どうなるか、って今の若い男の子を見ていると、みんな凄いオクテ。相思相愛の男女間の交流まで滞っている面もあるらしく、こんなに受け身じゃ、そりゃあどうしようもないだろう、とも感じるし。
オクテか、凄い女性をドライにものみたいに見ているか、両極端になってきちゃっているような。

そういう都市文明に社会が飲み込まれている加減がさらに一層進んだ社会風潮を痛感する。
いったい、どこに健全な人間関係の答えがあるのか。

今の中年以上の世代は、昔、自分達がバブリーな日本の経済繁栄期に青春を送ってきて、羽目を外し、馬鹿な事をやったなあ、と後悔したり反省する気持ちも大きいようだ。
ただ、反省が多いから、と言うのはある意味当然で、本来反省して少しずつ学ぶような種類の人間関係を、きょうびの若者は最初から一度も失敗するな、と厳しく締め付けられて育っているような面がある。極端な管理下に置かれて育てば草食動物化するのも分からないでもない。
だから、そこから逸脱すると、中間の落とし所がなくなって一気に無軌道になるから、何かが大きく間違っているのも確かなんだな。

その責任は、国内のいわゆるリベラル層や人権意識を謳った市民派の、柔軟性を欠いた教条主義的な道徳論にかなりの責任があると私は思っている。
保守もリベラルも、子供の成長をのびのびと見守って手助けする、みたいな柔軟な視点が、日本社会では薄いままなのだと感じる。頭が固いんだよ。
だから、私は保守でもリベラルでもない。

だから、日本人はそういう固定観念の束縛から解放されるべくインドに行け、と主張する旅人系の人もよくいる。
私はインドは好きだし、住んでもいたけれど、人に勧めるのは、ちょっと微妙だ。だって、向こうの社会にある程度慣れてしまうと、帰国してから大変になる現実を知っている。環境にギャップがあり過ぎて、個人で程よく適応するハードルが高くなるんだ。

インドも広くていろんな社会問題や要素があって、一口にはなんとも言えないしね。
ただ、命の輝きと言うか、そういう人間が生きている生命力のもっと根源に近づいて物事を感じる体験は出来て、それが人の人生観を変える。
インドにしばらく行って日本へ戻ってくると、ブームとかステイタスとか、何を狭い社会の幻想の中でいびつな考えに染まってるの、って見え方になるからね。
向こうの方が、一個の命として自然な生活があるだけで、実は特殊なようで特殊じゃない。

日本でもアメリカでも、かなり特殊な文化的な色眼鏡が濃厚についた上での社会で、みんなそこから自分の人生を眺めているから、なかなか生き物としてのフラットで自然体な実感の部分に足をつけられない気の毒さみたいなものが見え隠れする。

インドも民主主義社会としては未成熟だし、伝統社会の障壁も大きいけれど、アメリカや日本みたいに強大な管理社会に生命が管理され過ぎていない、青空の下にすぐに裸一貫で突き抜けて行けるような、生命にとっての自由度が残されている。そこが大きな違いだと思う。

ま、人類の文明は基本都市文明なので、その在り方が問題だと思うけどね。都市と物資供給源である地域が主従の関係であるような搾取構造の歪みが大きい。
都市も地方も、互いが共存共栄のリボゾームの関係にある、という認識に正しく立った視点の文明でないと歪む、という事なのだと捉えている。
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# by catalyticmonk | 2018-12-10 23:32 | 忘れ物 | Comments(0)

人はそれぞれの背景ごとに違うし、絶対的な優劣などない。

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自分が楽しめる要素よりムカつく要素が多ければ、環境を変える思案のし時だ。
物凄く大変そうな事でも乗り越えられる時と、大したハードルじゃなさそうなのに病んでしまう分水嶺はそういうところにある、と私は考えている。
その人の中にお金とか仲間とか教養とか、どれだけのタメがあるかで、耐えられる内容もそれぞれ重み厚みが変わってくる。

人間は、日常的な事だとなんでも慣れて、大した事に感じなくなる。
だけれど、それが日々ストレス値の方が喜びより絶対的に大きいと、気付いた時には癌になっていたり、心を病んでいたり、やばい真似をする人格の人間になってしまっていたりする。

日本人はとかく事なかれ主義が強いので、この傾向に拍車を掛けがち。だからうつ病も増える。
あの人はこんな大変な苦労も根性でやり遂げた、お前が新しい仕事を覚える苦労なんて大した事ない、そうやって相手の辛い思いを飲み込ませるが、これこそ一番のストレスの元。

そりゃあ、慣れていればいろんな事がどんどん出来て、不慣れなら単純な事でも器用にこなすのが大変なのは当たり前さ。
その苦労を乗り越えてこその成長だ、というのは事実だけれども、そこに人それぞれの背景ごとの個人差がある事を忘れてはいけない。

育ちが良くて勉強もスポーツも出来て、って奴もいるだろう。あれは、そうなるだけのタメがその人にあったから、自分の能力を伸ばす機会が十分にあっただけだ。
両親や家族に愛され、家庭の経済事情は豊かで、だから自信を持って色々な事を習得出来た人間と、無教養で貧乏で忙しくて、ものもまともにゆっくり考えている時間がない人物では話はまるで同じじゃあないんだ。

家族にも不幸があって、自分が成人する前から兄弟の母親代わりで、今度自身が病気になったらまともに看病してくれる人もいない、それでも暮らしのために無理して働きに来ている者に、仕事でついうっかりミスをしたからと言って、その恵まれた有能なボンボンと比べて、お前は根性が足りない、努力が足りない、人間の器とはこういうものだ、と得意げに説教するのでは罪だ。

その逆もまた真実でね。頑張れる動機が十分にある者にとっては、毎日いろんなトラブルがあっても、それも込みでその生活をなんとか続けていこう、と自然と思えるし、小さなストレスを一個一個潰して消していけば完璧な訳でもない。
ただ、一個のトラブルが衝撃的過ぎる温室育ちみたいな人間には、やっぱり泣き出しちゃうくらい負担な場合もあるみたいだ。
そこら辺は慣れて鈍感になっている側がもっと気を付けなきゃダメなんだな、と反省もする。時々、そこも立ち止まってよく考えないとね。

俺が一番正しいんだ、じゃ、やっぱり人迷惑なんだよ。
いろんな感じ方や背景の人がいるんだから、そこで百点満点の対応がいつも出来る人なんていない。自分も失敗する、間違える事がある、と分かった上で謙虚に考えていかないと上手くないんだな。

人はそれぞれの背景ごとに違うし、絶対的な優劣などない。
誰かをこき下ろして脅して無理強いするのではなくて、それぞれの人が自信を持って明るく楽しく生きられるために、互いを認め合って幸せを大きくしていけるよう、如何に工夫していくかという現実的な課題が、日々の中にあるだけだ。
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# by catalyticmonk | 2018-12-06 00:37 | 忘れ物 | Comments(0)

ヤンキー VS オタク

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団塊ジュニア世代はヤンキーとオタク文化という若者の二極化が進む前の世代だ。
私が中高生の時代は、モロにヤンキーっぽい奴らがおニャン子クラブとかのファンだったり、うる星やつらとかいったアニメが好きだったりした。

だが、私自身はそんなオタク文化とヤンキー文化の下地となったボーダレスな大衆文化からさえ距離があった。
そんなものには目もくれずに哲学書や心理学専門書を読み漁る超異端児だった上に、高校卒業後は渡米して、さらに放浪生活を始めたので、ヤンキー文化とオタク文化の両方に大衆文化が二極化している日本の傾向に強い違和感がある。

従順なお利口さんタイプか不良かと言われれば諸々相当な不良だったし、知的か勉強嫌いかと問われれば知的・文化的な事柄への関心は非常に強かった。
みんな、私を未だにオタクサイドかヤンキーサイドに分類して解釈したがる。最近だとヤンキーサイドに分類されがちで、窮屈で仕方ない。

だから、そんな二極化がデフォルトの人間分類になっている日本の大衆文化とはどうしても気持ち的な距離感が開いて、おかしなものだな、と始終感じている。
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# by catalyticmonk | 2018-11-27 23:51 | ヤンキー文化とオタク文化 | Comments(0)

流通とアライアンス

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まあ、距離の取り方って、結構重要なんだよね。日本人て、組織への滅私奉公が当然、みたいな思い込みがあるから。
それだと、だいたいは共感している方向性のものでも、「うーん、一員扱いされるとマズいなあ」とか「厳密に言うとここは違う」という部分をゆるく取扱えなくなって、縁組み出来なくなる。

e0296801_23362213.jpg仕事の関係なら問題がなくなる、という場合が多いのも、そこがアライアンスである程度割り切った距離感になっている場合。
「仕事だから何でもかんでも責任を押し付けられる」みたいな、古い日本型の組織形態だと、その割に競争主義や能率・効率が求められるねじれが出て来てしまう社会基盤の中での話になってくるから、また負担が大きくなって、個々の成員も組織自体も守りに入って閉鎖的になりがち。

逆に、そこにある協力関係がゆるいものだと、明らかに自分の主義主張や趣味趣向と違うものでも、ちょっとお試しで絡んでみるか、とやりやすくなって、そこからプラスαのものが生み出されやすくなる。

私は日本社会そのものを外国人観光客感覚の部外者目線で眺めているところがあって、それだとあまり共感出来ていない日本の文化に、改めて広く浅く面白味が再発見出来る、というのがあった。

自分の生まれ育ってきた経緯から社会を内側から見ていくと、もう軽やかに楽しめなくなるくらいの重い歴史やしがらみを、個人個人が抱える場合もある訳じゃない。
でも、自分自身のそういう重りを捨てて軽やかになるためにも、目線や関わり方を変える、というのはいいんだよね。

人間関係や仕事関係、社会の状態もみな、多様性があって風通しがよく、流通が自由闊達かつスムーズで弾力性のある状態が一番建設的で好ましいのだと思う。
文明や文化も、そこに異質な物資や人材が流通し、スムーズにターミナル機能を果たしている場所で繁栄する。流通とアライアンスの状態、度合いが肝心なんだな。
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# by catalyticmonk | 2018-11-27 23:41 | 希望社会 | Comments(0)

生き辛さと政治行動

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ある全共闘世代の人で精神科医になった人曰く、昔から運動界隈には専門家の目で見たら何らかの精神疾患、発達障害の人間がうようよ集まって来ていて、とんでもない状態だったそうだ。
何かしら不遇だったり生き辛さを感じている人がまず関心を持つからだろうな。

私の目で見ても、今でもそうだと思う。
原理的に最初に弱者や少数者が集まってくるから、当然と言えば当然、仕方ないと言えば仕方ないが、最初から物凄く偏っていると分かり切っている人物の相手をするのは時間の無駄に感じる面もある。

そういう人ばかり集まって喧々諤々やるから揉めてばかりで、外の一般世界にも受け入れられにくく、そことレアな思想集団や狭い範囲での地下文化が結合した結果として、いわゆるカタカナの「サヨク」とか「パヨク」みたいなイメージが外の世界に対して生まれてくるのだろう。
「政治に関心を持つ=偏った人間になる」みたいな思い込みが一般社会に広がってるから、政治嫌いが増えているのに、運動内のトラブルの多さは「運動潰しになる」と言って「見ざる聞かざる言わざる」。だからますます特殊なムラ社会となって世間と乖離する。

e0296801_07262239.jpgいくらなんでも政府が垂れ流すプロパガンダや露骨な不正隠し、日本のマスコミがおかしいぞ、というところには気付いている人々はすでに多い。
しかし、そこから先に進まないのは、政治的な行動や市民運動をしている人達への印象の悪さ、抵抗感なのだ。別に何もあんな変な人達と一緒に何かしたくない、これが普通の一般大衆の感覚なのだ。
おかしい、と思うところまで来てる先......もっとおかしい人達に近寄りたくない、という。

生き辛さを感じている人間にも行き場があるに越した事はないんだけどな。別にもっと自由度の高い社会だったら、そういう行き場も増えるだろうし、政治的な発言や社会運動の場がぐずぐずにもならないんだろう。

政治行動はデモや市民運動の現場に関わる事だけが行動ではない。
本来一人一人が自分自身の考えを持ち判断行動していけばいいだけであって、多くの人が集まっていても、そこが自分の日常生活の気力や健康を損なうくらい不毛な世界であるなら、何もそこにばかりしがみつかずに、自分のやりたいようにやればいい。それが民主主義本来のあり方だ。

e0296801_07263702.jpgすでに存在している政党や政治団体、市民運動の運動体は、自分達の側に仲間を増やしたいので、そこの外側には個人の政治行動などないかのように吹聴するが、それもちょっと行き過ぎた押し売り訪問販売手法的な部分があって、余計に一般人の政治アレルギーを増幅させてしまっている面があると感じる。

格差社会が広がり貧困層が増えても、まだまだ日本は豊かな国で、そこそこ安定して暮らしている人達の方が何かしら困窮している状態の人の数より多いので、その人達が今のまま少数派の人々の訴えに真剣に耳を傾けるか、と言ったら難しい。
福島原発事故後の避難者、本土から不公平な基地負担を押し付けられている沖縄、貧困層、十分な社会的サポートを受けられない傷病者、当事者はとっくの昔に問題をひしひしと感じている訳だが、逆にそれでも日本は世界の中でも豊かな経済大国で、格差社会化がそこに加わる事によって、気付いている人とそうでない人の実感の差も大きく広がっている段階なのだろう。

社会全体の人々が、もうこのままではどうにもならない、と行き詰まって、大きな衝撃を受けるような事が起き出して、ようやく今の状況が変わるはずだ。
多分、そこの流れは大筋間違いないだろう。

だから、昔の人はそこで革命を起こしたのだが、今はそういう社会環境でもなく、何より民意が育っていない。その「民意」を良心的に育てていく事が、今の時代に出来る最善の行為な気がする。
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# by catalyticmonk | 2018-11-08 00:32 | マイノリティー | Comments(3)

話にうわの空になるオトコ

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どうして男性は時々うわの空になるのか。話を聴いているようで聴いていない。女性ではあり得ない、という感想を述べている女性の方がいて、今さらながらに男女の性質差を痛感。

いや、実際話の密度と内容についていけないんだよね。女性の話は密度が濃過ぎる時があって、ちょっと待ってよ、となるのだけど、「ちょっと待って」なんて言おうものなら、もっと色々言われる。
だから、うわの空で半分聴き流して、要点だけでも聴いておくしかない。うわの空でも聴こうとしている男性は比較的優しい、とさえ言える。
個人差はあるが、これが世の男性が女性に日常的に感じているおおよその実感である点は間違いないと思われる。

女性の脳はコミュニケーションに特化されていて、男性より脳梁も太く、リアルタイムで入ってくる情報を右脳と左脳両方を駆使して瞬時に処理出来る。

ところが男性の脳はそうなっていない。男性は女性に比べて会話時に、一度に大量の情報を処理することが苦手な事がよく知られている。
類人猿の時代から何百万年も狩りをして進化して来たから、目的別に特化した脳の使い方が出来るようになっているそうで、その分、コミュニケーション能力では女性に劣る。逆に、男性の脳梁は細くて長いため、一つの情報を深掘りする事に向いている。
だから、個人差は出るが、通常男性の話は長くてもそれなりに話の意図や目的がはっきりしているものが多くて、女性的な密度の濃いチャットとはまた性質が異なる。

これが女性から見ると、男性が話の途中でうわの空になる、不真面目だ、と不満に思われる事につながるし、子供の頃から口喧嘩になると女性に負けるので、女家族が多かったり、姉妹のいる男性に独特の一歩抑えたトーンを生み出す傾向にもつながる。

話が聴けない、という事はないと思う。
ただ、女性が男性に「なんできちんと聴いていないんだ」と、男性に同様の能力があるのを前提にして期待していると、そこでも必然的に齟齬は生まれやすくなる、といったところではないだろうか。
そこの理解には、やはり文化的な男女観も大きく影響する。
器質的な相違点もフラットに受け止められるかどうか、という問題と、男女同権がどの程度普及しているか、という問題が複雑に入り組んでいるので、そこを整理して理解していくのは時間のかかる事ではあるのだろう。

個人的には、どちらかがひたすら譲歩するよりは、程よい距離と互いの多様性を認め合うような方向が望ましいように感じている。
コミュニケーションは個人間の相性もあれば、その人の能力的な限界、向き・不向きもあるので、そうしたコミュニケーションの限界を補うのが文化や社会風潮、教育で作られる意識だと思う。
コミュニケーションは上手く図れればそれに越したことはないが、それだけでは解決し切れないし、かえってそこだけで頑張ろうとすると息苦しくなって、人間関係を放棄したり鬱病になったりする人すら増えるような、別の弊害が生まれてくる、というのが私の視点だ。

だから、ここではゆっくりにでも女性の話を聴こうとする姿勢も含めて、歩み寄り、という話を中軸に据えて書いている。
お互いが違うんだ、という事を、その違うというありのままに認め合う中でこそ、ゆとりある心の交流が可能となるんだろうなあ、というのが、こういう事柄を特に意識せざるを得なかった私の人生なりの解釈・実感だ。

ちなみに、あくまで男女の性質差などなくて、精神的な部分では対等だ、と力説するフェミニズム原理主義者の方もいるが、どう考えても私の体験知としてそれは存在するので、いくら論駁されても困る。
複雑な家庭環境があったので子供時代の半分の所属先という感じだったが、曽祖父の代まで遡らないと男子のいなかった「超」女系家族である母方の実家で主に育った私にとって、男女の越え難く歴然とした性質差は、人生の大きなテーマですらあって、私が女性に親しみを感じやすいのと同時に、いわゆる女性社会に苦々しい抵抗感を抱いている原点がそこにある。

人権的な見地からしたら男女は平等だ、という認識なら私は人一倍強い。だからこそ現実的な性質傾向を無視したら、それもまた差別だと思う。
個人個人の多様性の自由と、集合単位・集団単位での多様性の実態傾向を認める視点が、ごちゃ混ぜになっていたら、それは科学的でないし、論理的に整理されているとも言い難い。

一部のフェミニズム原理主義者らのエキセントリックさは、男性社会がこれまで女性の権利や地位を長年にわたり徹底的に抑圧差別してきた結果でもあるが、そもそも男女間の軋轢はお互いの性質差をよく理解していない点も大きく関わっている。

男性にとって処理し切れない女性の口達者さと口撃の圧力があった時に、男性側が身体的な体力差を使い、直接的な暴力や腕力を背景とした威圧によって女性を支配していった歴史的な過程は想像に難くない。
そこの理不尽さは、男女双方の明るい未来、建設的な社会構築のために理知的に乗り越えられなければならない。

しかし、だからこそ、そもそもの出発点である男女間の性質の違いも、相互に理解して認め合っていく事が重要だ。
少しずつ譲り合って受け入れた上で、程よい距離を見出していかない限り、解決に向かっていかない。
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# by catalyticmonk | 2018-11-07 23:40 | ジェンダー | Comments(0)

付きまといといじめ心理

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付きまとってくる人というのはいる。
いい人だと思われると付きまとわれやすくなる、という傾向はザックリあると思う。話を聞いてくれる、と思われたり。
で、付きまとう方にデリカシーがないと、こっちはブロックするしかないんだ。こちらのプライベートな時間と精神空間を侵食し、無理矢理自分の方を振り向かせようとする強引さ、それは形を変えた支配だ。

ただ、孤独な人のプライドを傷付けると激しく逆恨みされて危ういので、やんわりと、しかもなるべく早い段階で距離を置い方がいい。
私は不器用なので、昔からそのタイミングを見失って対応が遅れがちだ。いざとなったら弱腰ではないのがせめてもの救い。
いろんな側面がある問題だから、端的には言えない感じなんだが、このテーマで人間劇のドタバタが起きるケースは実に多い。当然、恋愛感情のいざこざも絡んでくるし、いじめ心理ともつながりが深い。

相対的に、男性が女性に付きまとうパターンが多いが、女性も年齢が高くなるとそういう人がかなり出てくる。まあ、ストーカーとかマウンティングなんて言葉がそうした状況を指している場合は多い。
ただ、こっちは普通に受け応えしているだけなのに過剰に警戒してきて、それが失礼だな、と感じるのような人も実に多い。
両方知っているから、ケースによるのだけれども、この二つがごっちゃ混ぜになっている場合もまた少なくないから、難しい問題だ。

子供だと、身近な友達に嫌われているようだから一生懸命その子なりに仲良くしようと無邪気に努力しているだけかも知れないし、本当に鈍感で無神経なのかも知れない。
その子の親が仲良くするよう、好かれるよう努力しなさい、とアドバイスしているのかも知れない。それを信じて、凄く嫌われている相手に無理に頑張って、ますます付きまとう、みたいな拗れ方もある。
まあ、親の助言とは限らないで、単に彼ら自身がそれをいい事だと信じているだけなのかも知れない。

e0296801_13512762.jpg大人になっても、純朴な人だと似たような行動を取る場合もある。いや、私自身は大人の人間のそういう振る舞いしか見た記憶がない。だが、いろんな人の話を聞いていると、子供時代のそういう延長線上の行動だったりするとも聞く。
そんな、個人的な「頑張りたい気持ち」に、付き合わされる側の気力や時間を奪う権利はないのだから、やはりそういうのは傍迷惑なんだが、程度にもよる。

過剰に何かを避けようとする人は、動機はその人なりの理由があるにしても目立つ、というのがあって、そういう子供や人物が相手の加虐性を刺激して、余計にいじめられる、という現象も珍しくない。
確かに、やたら自意識過剰で、こっちが考えてもいないような次元で先回りして用心しまくってくるような相手だと私でも逆に気疲れすると言うか、失礼だな、と感じる時はある。

いじめはいじめられる側も悪い、という理屈は間違っていると思うが、結構誰かに意地悪したい、揶揄いたい、そういうのが面白い事だ、と感じる人は世の中に多いので、防衛策として堂々と振る舞う、というのもある程度必要になってくる場面はある。
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# by catalyticmonk | 2018-10-15 23:50 | 意思疎通 | Comments(0)

議論と寛容

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例えばさ、排外主義的な主張の政治団体や宗教を信じていて、格差社会を推し進めたり、LGBTやシングルマザー、障害者、外国人、犯罪者の子供とかいった人達が生きていくのに困るような、決して人に優しいとは言えない強者の論理の社会風潮や政策をどんどん推進してしまうような人でも、個人的には娘に優しいいいパパで、飲む機会があって話すと気さくで、自分と趣味も合って、とっても付き合いやすい好感度の高い人だとかって、そういう事は現実にたくさんあるんだよ。

でも、だからその人を受け止めて仲良くやっていくために、自分が大切だと思っている意見も言わない、そっちの方が協調性があって大人な態度なんだ、っていう捉え方の混乱を、日本人の多くはずっとしている。

マイノリティーが全部一緒だとは全く思わないよ。当然ね。
でも、「マイノリティーの側の立場を意識するあまり相手を受け止められないと、それも思いやりのある態度ではない」という、優し過ぎる解釈を日本人てする傾向があるのね。

相手を受け止められない、と言うか、相手が他人の生存の権利や感性の自由を土足で踏みにじったり、しかもそれに対して無自覚で権威主義的でもある時は、「いい人だから」って次元で受け入れていたら差別や文化的偏見がなくならないんだ。
そういう次元のところをね、この社会に暮らす人々はもう少し落ち着いて見つめ直した方がいい。

言う事は言って、でも自分とは意見が違うからって、その人を人間的に悪魔みたいに思わない事、これが本当の寛容性だし、強い立場の人ばかりがどんどん得をして弱い立場の人達がさらに困っていかないための、もっと深い視点に立った優しさや公平性だと思うんだ。

誰しも自分が共感出来る範囲の人達のためなら、そこで簡単に表面的な空気や印象に流されないで踏ん張るんだと思う。
私にとって重要な部分、表現や感性の自由を軽んじる態度や勘違いには、曖昧に言葉を濁さないで言うべきところを言う、というのと同じようにね。

人それぞれ、自分にとって身近な問題に粘っていかないと、同じビルの建物にあんまり賛同しない意見の政党議員の事務所があっても近所付き合いくらいするだろうし、人間的に緩く仲良くやっていきたい部分は誰しもあるから、何もかも事なかれ主義になって逆に弱肉強食の世界だけが変わらずに進んでいってしまう。

そこなんだよね。私はいつもこういう考え方の話をする時に、自分とその人の関係だ、と思って言ってない。
その人との関係は、まさに空気とかが重んじられる事柄だから、それよりも筋を通して話すと、って部分の話なんだ。
日本人はその個人間の関係と、主義主張を出し合って議論をするディベートをきちんと区別出来ない、そもそもディベート自体も上手に出来ない、って日本を知る西洋人の知人から繰り返し聞いてきている。

だから、周りのムードに合わせて調和する事が正義なんだ、って思い込み過ぎていて、自分の意見と他人の意見を正々堂々と述べ合いながら、議論して合議していく、という民主主義の最初の一歩になかなか辿り着けない。
議論と寛容の狭間にある混乱が、日本社会という一個の強力な幻覚発生装置に浸かっていると見えにくくなるポイントだ。
その沼から抜けて自由になろう。
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# by catalyticmonk | 2018-10-01 00:24 | 忘れ物 | Comments(0)

トラウマを乗り越えることについて③:各段階の救済アプローチ

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でも、世の中、男女差別とか、虐待とか色々あるが、そういうかなり頻繁にある問題の要素の一個が地に足の着いた形でしっかり世に理解されていないと、どんな社会問題のテーマも実際の真偽が定かでなくなる。
結構、そういうことって多い気がしている。
今の社会の常識に安住していても始まらないのだ。
そのままでは、まるで古代ローマ人が昔、女性は感情の生き物だから、妻は叩けば叩くほどしつけられる、なんて言語道断な女性観を持っていたのと同じ、世の5%の人はLGBTとして生まれてくるのに、80年代まで精神障害扱いだったのと同じ。
必要な理解が十分にないことによる「野蛮」な混乱が起こり続けてしまう。

とにかく、人間の無知は一個一個紐解いて明らかにしていくしかない。
例えば自分の祖母の時代だったら、愛知県濃尾平野の農村部での大正時代や昭和初期の話という事になるだろうが、双子が生まれたら鬼子だ、と呼んで、片方の子の鼻を産婆が摘まんで殺していたそうだ。
実際には口減らしだったのだろうが、そういう行為にも漠然とした迷信や思い込みで深く考えないで済ますようにしてきた。
別にボーダーだけの問題ではない、当然。でも、目につくところから、着実にそういうことを減らしていかなければ、人間の無知による差別や抑圧、誰かへの虐待、ということもなくならない。

私は、やはり虐待家庭で生まれたから、そうした家族問題が自分の人生のテーマだ。
逆に、私の実体験からはピンとこない種類の虐待も存在するのを、4人もの子育てをされているベテランお母さんから聞いたりもしている。あまり、虐待に思われない形でこれ以上ない虐待は、「萎えさせる」でしょう、と。
親の子供に対する過干渉で、あれこれ「良かれと思って」手を回し、アドバイス、時に叱咤激励して、人生の舵を乗っとること。
母子がサシで暮らしてたら、ほとんどこうなる、とその方は言われた。そこら辺は私には正直実際どうなのか分からない次元の話だ。

昔の人は、妻を叩きまくって鬱にして従順な風にしたり、間引きをして食いぶちを減らしたり、まあなんと野蛮なことか!と大概の現代人なら認識すると思うが、今だって形を変えた野蛮なことは起こっているのだ。
学校教育だって、ある種類の学習入力の仕方をする子どもにばかり有利な教育システムだと思う。
成績が悪い、運動が出来ない、友達の輪に入れないなど、今なら、LD、知的障害、などの言葉が生まれたが、以前は、いつも叱られ、いじめられ、蔑まれる身分だった。性的少数者も同じく。

もっといろんな教え方で、指導できるようになれば、たくさんの人が希望を持てるようになるのは当然の道理だろう。
また、いろんな方々の家族史を伺っていると感じるのは、人間は人生に戦争が絡むと、どの家族史も流転の人生となって、発達障害と一般人の差異どころではなくなるのだろうな、という強い印象。団塊ジュニア世代である私が、周囲の人の混乱した家族史の出発点に太平洋戦争が絡んでいる点を薄っすらとでも確認出来る、ギリギリ最後の世代かも知れない。
もちろん、後年、平和な時代になって来てからは、それぞれの自分の家族がどんな精神構造の在り方であるか、というのは重要なテーマになってくると思うのだが、何より避けなければいけないのは戦争だ、といろんな方々の家族史を伺っていても感じる。
そうした意味でも、社会構造そのものに目を向けていくのは、ミクロ、マクロ様々な段階で、やはり大切なことだと思う。

それと、自分の子供の頃の不幸自慢は精神衛生上も悪いし、愚痴っているだけにも聞こえやすいので、理解出来る内容でこうした様々な実話を聞いておくと、社会的に対応する場合により熱を冷まして冷静に眺める余地が生まれる。
自分自身の現実からガチガチに縛られたところから、もう少し角度を変えて見れるようにもなってくるのだ。

しかしまたトラウマからの救済という次元では、やはり個人の内面の在り方になってくるとも思う。当事者も自分の過去をネタとして使うと、もうそれが済んだ過去の出来事で今は全然表立って問題になっていないことでも、またそれが心の現実として再現されてしまう部分がある。


社会問題を扱う時には、具体的な実話が説得力を持つが、他人の話であってもその扱いや距離の取り方みたいなものは難しいと思われる。
辛い思いがある場所には、濃い情念も渦巻くから、そうした感情の勢いというのは人を大きく吞み込みやすいものだ。
自分自身が、情念の外側に出れるような軽やかさをどこかで身につけないと堂々巡りにもなり兼ねない。
それは差別や人権問題、貧困問題を扱っている団体自体が、ともすれば毒々しくなりやすい理由とも関係していると感じている。

私も過去として持っているものは濃い口なので(笑)、その分、実は案外、修羅場や嫌な感情からポンと飛躍する能力もそれなりに身につけている部分もある。
私は虐待ネグレクトの家庭が人生の出発点だった。誰かと大喧嘩したり、何か重大なトラブルが継続している最中であっても、そんな修羅場の多い人生なら合間合間に精一杯気分転換したり楽しみたくなるものだ。
関係のない場面まで重い気分を引きずるよりも、一旦はギアチェンジ。その加減が結構激しいので、他の人には理解不能な部分もあるらしい。

一般の人は、苦しい時には苦しい、楽しい時には楽しい、と気分が全体的に変化していく頻度がもっと高いようなのだが、私の場合はいろんな喜怒哀楽を並行で抱えつつ、ちょっとずつ消化していかないと、怒りや悲しみの感情だけでも、馬鹿騒ぎだけでも身がもたない、というような感覚が子供の頃から支配的だった。心が脆い分、ストレスに対してもっと自分をどこか外側から観察している部分を確保しておきたい、という気持ちが強かったんだと思う。
健康管理に関してもそうだ。持病に苦しんで悶絶している同じ日の数時間後には楽しく笑って、体が許せば美味しいものをバクバク食べる図々しさ、これが私なりに身につけたサバイバルのコツだった。


だけれど、ベースが結局重いし、また、真剣に扱わなければいけないテーマも多い。
でも、そういうのを理性の上では合理的に対応しているつもりでも、深層心理としてはなかなか真に五感と情念の外側に逃れ難いものだ。
どこかで深く思いがとらわれていて、ぐーっと凝縮するような感情が内にあると、心を病まなくても早くにガンになったり、健康を壊しやすくもなる。そういうのも絶対あると思っている。

全共闘世代の活動家など、経過を聞いていると後にガンになるなど重い病気になって亡くなっている人が異様に多い。彼らの思想信条の是非はさておき、やはり追い詰められて過酷な人生だったのだと想像する。
だが、自分の思いに偽っていて安穏に快楽だけ貪ろうとしても、人間はすっきり生きれない。そういう綱渡りが人生なのだろう。

それこそ巡り合わせや運次第でも左右される、誰しも完璧にはこなし切れない、だけれどみんながそうしたバランスの中で生きている、そういうことなんだと折にふれて自覚して、自己の軌道修正をすることも大切だと感じる。
で、結局何が心と体を蝕むトラウマから人間を解放するのか、と言ったら、一つには穏やかな暮らしをしたり、恋をしたり美味しいものを食べるなどして、嫌なことを忘れて自分の人生を楽しむことだろう。

しかし、それでさえ拭い去れないものこそが本当のトラウマだったりもする。
そうした場合には、やはり邪心を捨てて何かに一生懸命になることが大切だと思う。五感や記憶、感情によって深く心の奥底に刻み込まれたしこりの外側に出る行為、どれだけ軽やかに飛躍できるかが重要になってくる。
山登りやスポーツを通してもスカッと出来るかも知れない。でも、それは徹底してやらなければならない。祈りのようなものでなければならない。
祈り、という感覚は、本来、現世利益的な願望のためにする加持祈祷の類いではなくて、そういう人間をしがらみやしこりの外側へ意識を飛躍させる精神性全般を指した、人間にとって普遍的なある感覚を示しているのだと私は感じる。

# by catalyticmonk | 2018-09-30 23:08 | 忘れ物 | Comments(0)

トラウマを乗り越えることについて②:機能不全家族と人格障害

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ここで一旦「ボーダー」、境界性人格障害として知られている概念について説明してみようと思う。
現代社会では、各場面において頻繁に関連してくる要素であるのに、未だに十分に認識が社会知識として共有され切れていない問題だと思うからだ。結構、そういうのは、普通に知らない人に話すと「悪口」みたいに捉えられかねないから、知っている人でも口にしないでしまっていることが多いよう。
だからこそ注意が必要なのだ、現実にはたくさんあるはずなので、そういう人たちと関わることによって自殺したりうつ病になる人さえいる。
共有知として必要とされることの一つなんだと思う。ボーダー自体は思想信条・環境・場所の別に関係なく、どこにでもいる。

心を病んでいる相手だと、理屈じゃなくて感情ばかりだったり、それが変に人を操る才能を発揮させたり、というのもある。それがままボーダーや他の人格障害の人たちだったりする。
ボーダーの経験は、手のひらを返された身になってみないと分からないところがある。
それまで、こんな人がいるのか?!と思うほど魅力的かつ、自分に力を与えてくれたりするのですっかり巻き込まれて、手のひらを返された人が、周りの人に助けを求めたとしても、信じてもらえないことがあったり、非難されている自分が悪かったのかも?なんてお人好しにも思ってしまう。

元々大昔から人間にある症状だったらしいが、発展途上国の方が少なく、文明社会ほど増える傾向にある、と言われている。
先進国になる程ボーダーの発生率が増えるという統計データがあって、統合失調症や普通の発達障害とも違う要素があるようだ。社会環境因に左右されやすいのだろう。

人格障害でもボーダーは女性の方が多く、男性はホルモンの関係もあって自己愛性パーソナリティ障害として発現しやすいそうだ。
ただ、半分は社会環境因子だろう。男は威張ったりわがままになって発散、みたいな。自己愛の男性は女性をさぞかし泣かしていると思われる。
先述の通り、ボーダーの人は、女子に多く見られて、また必ずしも一生続く症状ではなく、年齢とともに治っていく傾向にあるので、年代別に見ると、日本人女性の20代の9%がそうだとされる統計もある。

匿名の話としてしか書きようがないのだが、私の知人教師曰くボーダーの関わったと思われる事件として、男の若い先生がボーダーの女生徒の餌食になった出来事があったと言う。
私の直接の知人教師は女性の方なのだが、その方自身もボーダーと思われる若しくはそういう診断を受けた生徒にかなり振り回された体験を持っておられるようだった。

大体、ちょっと優しい先生が餌食になると言う。
はじめから、親しげに近づいてきて、「先生みたいな人、はじめて!ステキ!ステキ!」とか、始まる、と。
世界で二人だけ!みたいな接近の仕方をされ、女子生徒の家庭が不和だったので、金八先生よろしくうちにおいてやったそうだ。
そうしたら、何か、その子のイメージから外れたことがあったらしく、警察ならまだよかったのだが、某写真週刊誌に女子生徒は垂れ込んでしまった。
で、顔を隠し撮りされ、即記事になり、大問題に。

警察に連れていかれるも、証拠が一切ナイ。実際、なんの関係もなかったそう。
なのに、テレビ週刊紙は大騒ぎで、卑猥なことをした教師として、知れ渡ってしまったというのが、教師同士の仲間である知人女性教師の弁ではあった。
学校で、女子生徒のボーダーが男の先生を手のひら返しすると、友達に悪い噂を流されたり、被害妄想を周りの先生に吹き込まれたりと、可哀相なことになってしまう現場を多々目撃してきたと言う。マスコミにたれ込んだ彼女のようなスゴい例もあるけれど、過去の学校では、中小規模のトラブルがかなりあった、と。
「最初、可愛げに振る舞うので、グッと来ちゃうんですね。でも、そういう子こそ、危険なんですね」
私は成人のボーダーしか知らないが、高校生だったらそうなるのだろうな、と思わないでもない話だった。

女性差別や児童虐待の問題も大きい社会なので、逆にこうした別の要素が隠れてしまって、様々な混乱が生じている面はあると思われる。表面だけのセンセーショナルさだけで注目してしまうと、そういうことで周囲を操る才能に長けているのがまさにボーダーだ。
状況はよく分かる。ちょっとお人よしの人が引っかかる。女性同士の友人関係でも一緒。

あと、境界性人格障害の専門書は何冊も読んだが、ボーダーの女性は、独特な魅力があるそうだ。庇護を求めようとする気持ちが人間をそういう方向に発達させるのか。
「そう!そうなんです!本能的と言うか、生まれつきと言うか、魅力に吸い込まれちゃうのね。私を見てー!っていうオーラを出してくる!」と知人教師。
だから、生々しい話になって恐縮だが、ボーダーの女性に依存のターゲットにされた男性は結構すぐに深い関係になってしまう。
そういうのが機能不全家族の再生産ともつながっているらしく、アダルトチルドレンはボーダーに注目されて、不幸な家庭環境の再現をしやすいらしい。
子供時代にアダルトチルドレンだった人はボーダーにとってすごく気持ちを汲んでくれるし、ボーダーの側でも自分がどうして欲しいか、リクエストの出し方も上手くて、巻き込まれてしまう。ずっとそれが続けばいいのだが。
寄生虫と、吸い付かれた虫の家族になりやすい。

要求される無理難題をクリアし続ける愛情溢れる人物がいればいいが、個人的には、ある種の麻薬めいた魅力を放つ女性にはどれだけおだてられても近付かない、それしか分からない。
なんと言うか、目のあわせかたが普通と違う印象がある。じっと見つめてくる。
で、またそういう女性に限って結構注目を浴びる場所にいる。

ああ、みんな、大丈夫かなあ、と眺めていると、案の定大丈夫じゃない。事前に忠告しようにも人心を掴む才能のある人たちだから、下手に言っても理解されるどころか、自分が逆恨みされるくらいの可能性も高いだろう。
だから、黙って見ているしかない場合が多くて、かなり歯がゆい。
一度、孤独感に陥ったボーダーの人は、何を言っても、してあげても、裏に裏に取る。それは見捨てられ不安の強い境界性人格障害の大きな特徴の一つだ。

「子どもが不安になるのは、父親より、母親がポイントになるんじゃないかなあ。
安定して、愛を送ってくれる母か、それに代わる人がいれば、子どもはとりあえず安心して育つように思います。
仕事上の経験に照らしても、お母さんが子どもに愛情を注ぎ、かつ、客観的に見られる方なら、わりとひねくれない感じですね。
逆に、母親がちょっと、の場合は子どもの方が親を見切って独立の道を進めたら大丈夫ですが、孤独感を強く感じがちかな」

やはり、経済競争最優先の社会では、そのままでは人間の横のつながりが希薄になり、核家族化も進むから、ボーダーが先進国ほど増加する傾向を示しているのも、現代文明の問題点と非常にリンクしていると考える。

でも、あの人はボーダーかなあ、と薄々気付く人は同性の女性でも多いそうだ。
とにかくそういうのはボーダーの被害を身を以て体験した人でないと簡単には理解できない事柄なので悪口のように聞こえがちで、なかなか人に言えないし、明らかに病院でボーダーの診断を受けた女性でも、その前からの様子見ていると結構人気者だったりする。
だから、余計に言えないし、関わっただけ自分が危うくなる訳だ。

たまに正論と証拠でがっちり対抗すれば巻き返せたりもするが、ボーダーの餌食は次から次へと出るし、みんな、過ぎたことはすぐ忘れるから簡単ではない。
一度や二度巻き返すより、常時人を魔法にかける能力、まあ、人を操る、という時点で支配みたいに人の尊厳を踏みにじる行為だからやはり根本的に良くないと思うのだが、とにかくそういう悪い方法でも常時人を操る才能を発揮し続けている人間の暴走を、現実世界の中で止めるのは至難の業だ。
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# by catalyticmonk | 2018-09-29 00:12 | 忘れ物 | Comments(0)

トラウマを乗り越えることついて①:学校社会での貧困の連鎖

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知人の高校教師から話を伺っていたりすると、今の格差社会はますます安定してきているな、と思う。まさしく貧困の連鎖と階級社会の進行が教育の現場でも感じられるよう。
東京の私立に通える圏内では、よく知られた通り、裕福なうちの子達はお受験してどんどん公立から抜けてしまうという状況がある。
参考書を買ってきて、とかいった類の話でも、進学校なら何冊も買える家庭が主だが、偏差値の低い高校は生徒から苦情が出たり、ということがごく普通にあるようだ。
修学旅行に経済的に行けない子も毎年いるとのこと。

リアルに食べ物がない子は、お弁当がサバ缶と白ご飯だったり、1リットルの甘い飲み物だったりすると言う。
「男子で無頓着なこともあるのですけど」と仰っていたが、実際、私の中高生の時の食事もそんなものだったから、話を聞いていて意外な感じはしなかった。
私の時は、学校でパンを買うのだけれど、お金があまりないから育ち盛りの子供には全然足りなくて、教室でお弁当箱を広げて机を合わせて囲み合いながら談笑する他の生徒に言葉にできないほどの嫉妬を覚えつつ、一人で自転車置き場やプールの脇などへ行って時間をやり過ごしたものだ。

退学した一人は、親が教科書代以外は一切、高校関係のお金は出さない方針だったそうで、学力も低いのに、1年からがっつりアルバイトを入れたらお金に目が眩んで、単位を落として退学した、しかし、こういう子は毎年のようにいる、などという話を聞いていても他人事の気分ではなかった。
私も卒業はしたけれど、お金がなくてどうしようもないから、プレス工場やソニーの仕分けバイトなどをずっとして、終いには夜勤でフルに働いて学校で昼間寝る、という生活になっていたからだ。

理想としては偏差値と経済は関係ないと思いたいけれども、受験のために塾通いの必要があったり、今は関係あるように作られてしまっている感じがあって、中学校の先生が露骨に塾に通ってお金を使ってください、と親に話す現実がある、という説明だった。

学力が低い女子高の先生が、入学式の日に、「君たちは、40人で入学したのだから、ちゃんと40人で卒業しなさいよ。減ったり増えたりしないこと!」と、話したそうで、これがまた、冗談じゃ済まされないのだと。

現実として、裕福でない家庭の子に早くに妊娠して学校を中退するケースが増える傾向にはあるそう。
「高校で妊娠してしまう子の親もまた、10代の親だったことが多くて、ばあちゃん若いのは良いことだけど、子どもの素行にしっかりとした見方を示せない事が目立ちます」
そう知人教師は言った。

数年前も、子どもが産まれるからと周りが止めるのも聞かずに退学して、出産、ほどなくして離婚。
それでも子供と共に実家に身を寄せられたら良かったのだけれども、そうはいかなかった様子だったと。
「ちょっとボーダーなんでしょうね。母も娘も。あ、母もシングルマザーです」

# by catalyticmonk | 2018-09-28 22:39 | 忘れ物 | Comments(0)

異なる正義のあなたと私が共に生き延びるために

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結局さ、一見温厚でも意見が食い違って口論になると、感情的に根に持つタイプが日本人には多い。
そうするとよほど自分の意見を言わないタイプでもない限り、どんどん対立していくから、それで日本は政治や宗教観みたいな主義主張の対話が日常でタブーになっていて、思考停止になるんだよ。
それでも話にならないので、言うことを言い合って、根に持たない姿勢って重要かな、と。

個人的にも数年間市民運動に関わってみて、なんで日本人が政治嫌いになるのか、よく分かったな。
分かったけど、政治嫌いなままでも一握りの特権層や権力者にやりたい放題されてしまう訳で、やはり緩くまとまらないとどうしようもない。

e0296801_15411238.jpgこの国で生まれ育った人達は、なんとなく空気を読んで、みんなが同じような方向を協調して目指すのが正しいんだ、って考え方を子供の頃から刷り込まれているんだよね。
でも、人間は自分の主義主張や信条に応じて他者を善人・悪人に振り分けるから排他的・独善的・横暴になりがちで、もうちょっと緩い別の視点が必要だと私は思っている。

人それぞれにこれが大切だ、と思う価値観がある訳で、それが多様性だ。無神論の人もいればクリスチャンやムスリムもいる。
だけれど、一人一人の尊厳や個人の自由があって、その上で生きている。
ムスリムだから、無神論者だから殺されてしまう世界ではダメだし、国旗掲揚して国歌を歌わなければ生活の糧である仕事や学校教育の場から追放されてしまう社会でも命や生活の基本が保障されている状態とは言い難い。

だいたいが一人の人間、一つの集団が唱える正義の中身も、実は時と場合によってどんどん移り変わっていて、そんなに即たった一つの正解を出さなければいけないような性質の事柄でもない部分が大きい気がするのだが、それでも同時に各々が、系統だった行動指針を持って動かないと立ち行かないのが人間社会だったりもする。

あなたと私の考えや生き方は違って、お互いに本当はこうするのがベストだ、と思うところは本心では一緒ではない。
でも、それを今すぐ強引に一緒にしようとすると、人間の考えはその人の立場や歩んで来た人生毎に大きく違うから、現実問題が不合理な潰し合いにしかならないんだな。

違いを認め合った上で、お互いの自由や尊厳、暮らしを蔑ろにする横暴に対しては一致団結していきましょう、という真口の広い合議の大枠が民主主義なんだと思っている。
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# by catalyticmonk | 2018-09-25 00:26 | 希望社会 | Comments(0)

協調性に満ちた吊し上げ社会


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この世の中で何が社会的動物たる人間の最も卑劣な行為だと思うだろうか?

私が考えるに、それは誰かを集団でシカトしたり、地域や特定のコミュニティーの中で村八分にすること、吊し上げること、つまりはそういった差別や迫害の一切合切だ。


で、残念なことに、日本人は特にそういう真似をする人々だ。

良い人も大勢いるが、極々普通の人達がそういうことをする。社会全体がそういう文化風土に長年浸かって来ていて、だからこそストレス社会だし、自殺率も高い。

物質的には豊かだが、文化度と言うか、自主的な判断力や権利の意識が弱い。


でも、何故そうした事が起きてしまうか、と言えば、まさに多様性を認めないところ、協調性の美徳の名の下に、不寛容な集団主義社会を続けてきたからに他ならない。

大多数の人間と均質性の高い人間を優遇し、何かしら変わった出自や個性、経歴の人間を不寛容に爪弾きにしてきた。またそうやって目に見えない圧力をかけ続けることで、立場の弱い人間、数の少ない人々を冷遇し、かつ従わせ続けてきた。


そして同じ事を、権力者でも富裕層でもない社会のあらゆる階層が、庶民に至るまで、あちこちの人間関係でも繰り返している。

私に言わせれば権力者以上に、そういった文化の総体の方が日本に蔓延る真の巨悪だと思っている。


安倍内閣の閣僚や自民党議員が度々口にするように、現代日本人は自由とか個性とか権利とか、目に見えないものばかり欲しがるから贅沢なのだろうか?

それはそんな余興みたいな軽々しい次元の話では決してない!!!!

そこの部分で大きく不自由している人達にとっては、必要最低限のものが足りていない状態なのだ。


みんなが到達しようもない個性なき均質な人間性の世界を目指そうとすれば、力の弱い者、数の弱い者が弾かれ、理不尽な仕打ちに遭い続ける。

そして、完全に平均的で平凡な人などいないのだから、誰もが自分の個性を多かれ少なかれ抑圧し、歪んだ方向に、恐らくはいじめ的な陰湿な鬱憤晴らしの方向に人間性が向かっていってしまうだろう。


そんな心貧しい社会でいいはずがない。

目指すべきは、寛容な、多様性豊かな未来であるはずだと私は確信している。


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# by catalyticmonk | 2018-08-28 00:50 | 希望社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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