人間関係が希薄化する現代社会とSNS

いったい、どの時点で切るんだろう?と思って見ていると、あり得ないくらい我慢している場合が多くて、ああ、日本人てこんなに横の付き合いを重んじるんだなあ、と忍耐強さを痛感。 でも、その反動でか、付き合いやつながりの浅い相手には、「えっ!この人がそんなことするの?!」って裏の現実も実際多くて、やっぱりもっとざっくばらんにできる社会風潮になった方が効率いいのになあ、とずっと思っている。〉
上記のようにFacebook上で、SNSでのブロックに関して自分が感じている事柄を率直に短く書いて投稿したところ、その話が私が具体的に意識した対象を遥かに超えて、幅広く適用されるモデルらしくて、いろんな反響があって驚いた。
もちろん自分が直接体験した外側にも同種の出来事が複数存在している、という印象もあった上で書いてみたものの、それが私が想像した以上に広範に存在する様子で、ネット時代の新現象の一つなんだな、と感じた。
不特定多数の人が、自分個人が知っている状況と何かを結びつけて連想しやすい性質がインターネットの、特にSNSなどにはあるし、日常的な人間関係の基礎設定に、SNSなどのIT文化が大きく食い込んできているので、リアルとはまた違った特殊な事情が急激に増えているのだろう。
ただ一概にリアルの方がいいとかインターネットが悪いとも短絡的には言えない気がする。
人と人の横のつながりが薄くなって、経済競争中心の社会だからこそ人々の相互不信や疑心暗鬼も強化されがちなのだけれど、都市部などの人口密集地では、リアルでこそ、個々の錯綜とした状況が明らかにならず、小狡い人間が暗躍している面がある。
今の時代は、人格障害者や犯罪的な人間が、不特定多数の集団を相手に他人を操りやすい状況が増えてしまっているけれど、逆に人心の操作は、咄嗟のリアクションでその人の人柄がすぐに透けて見えてきてしまうように、一対一の対話などの緊密なコミュニケーションでほど上手くいかないものだ。
どんなに地位や学識があって、万人が賛同しやすいような綺麗事を表向き語る人物であっても、個人的に接してみるとその人の内実というものはすぐに伝わってくる。
なので、SNSをサイコパスや人格障害者が扱う際は、個人間のやり取りを避ける特徴が表れるし、相対的には確信犯的にSNSでの発信を自分でしない率が高い、という報告が最新の心理学研究の幾つかでも為されている。
また、時間もなく、環境的・肉体的・経済的な制限があって孤立・分断されがちな個人が、インターネットの時代になったからこそ幅広い人たちとつながって、世界観や見識も広がっている、という気もする。
単純に、貧乏労働者で、情報も少ない地方に仕事で行って暮らしていたインターネット黎明期の時代の過去の自分を思い出しただけでも、それは明白なんだよね。当時、文化的な情報や、誰かとの直接的な意見交流の機会も少なくて、職場でも上司のパワハラに苦労していたから、どれほど八方塞がりな閉塞感を暮らしに感じていたか分からない。
リアルでのフラットな交流の場や風潮が社会構造的に増えて強化されていく、という方向こそが真の解決策であって、端的にインターネットだから陰湿なんだ、リアルだったら健全なんだ、と言えるような時代ではない、というのはあると感じる。
そうなると結局、社会構造を変える文化や教育、政治的な行動、という話に当然なっていくんだな。

■
[PR]
by catalyticmonk
| 2016-08-16 00:24
|
Comments(1)