ワイドショー的な文化
こういう話こそ、色眼鏡を抜きに考える訓練をした方がいい、とよく思う。
この人は詐欺行為を働いたからこそ、注目を浴びて、なおかつその姿形を悪意に満ちた冷笑の攻撃ポイントとされたのだろう。
確かにタイ人の交際相手に詐欺で集めたお金で豪邸を建てたとかいうところは、被害者からしても腹立たしい部分かも知れないし、交際男性に年齢を大幅に偽っていたというのも下世話な関心は呼ぶ。
だけれど、女性が「若作り」しようが、誰がどういうファッションの嗜好だろうが、それはあくまで自由だ。そこを犯した罪と混ぜて考えてはいけない。
そうやって罪にまぶして笑いものにする人達は、実は高齢の女性が若作りしていると馬鹿にしていい、という価値観を持っている。
犯罪者だから、普段は隠しているそうした考えを、大っぴらに出して笑いものにしましょう!とこのような記事は呼び掛けている形になるので、話題にもなる。でも、そうやって笑う事は、他人のファッションや姿形を自分の基準で嘲笑してもいい、という考え方を確実に助長する。
たとえ笑われた対象が、特定の犯罪者であったとしても、同じように50代60代の女性が、或いは男性やジェンダー観が少数者の人が、自分がしたいような格好をしたい、若しくは現にしている事に対して、そうしているだけで非難されたり嘲笑されるかも知れない、という重圧を抱く事になる。
今の時代、50歳の女性でも本当に無理なく若々しい魅力を持っていたりするし、年なりのオシャレがいいと思う人もいれば他の趣味や考えの人間もいて、それはすべて個人の自由だ。
なぜ、こうでなければ他人から笑われる、というプレッシャーや価値観の押しつけ、集団圧力といったものを、個人が他人や社会から受けなければならないのか。
ワイドショー的な文化と言うか、実際、そういったトーンで芸能人や政治家、有名人のゴシップでも、犯罪に付随したその人の私生活でも口汚く笑いものにされて、それが公共の放送から職場、生活環境に溢れているから、私はそれにいつも辟易している。下賤なワイドショー的な文化こそ、私達はもっと恥ずかしく思うべきなのではないか。
その意味では、日本の市民運動や野党の意識レベルも、大概は落第点で、未だに話にならないほど幼稚だと感じている。
とにかく、それが何か他の攻撃材料と抱き合わせになると、普段人権がどうこうと言っている市民運動系の人達や野党系の人々でも堂々とそういう不当な個人叩きを安易に始める。そこが根の深いところだと感じる。
正直、いくら緩やかに多様な価値観の人とつながる事が大切だと分かっていて、他で同じ目的意識を共有出来ている人々だったとしても、そこは共感出来ない。なぜなら、こうした種類の偏見は多様性の否定そのものだから、曖昧なまま流していていい性質の事柄でもないと私は感じるからだ。
■
[PR]
by catalyticmonk
| 2017-05-01 02:25
| 忘れ物
|
Comments(0)