繰り返さないために忘れてはならない戦争の記憶
韓国の映画コンテンツ専門大学院キム・ジュンギ教授が旧日本軍の蛮行を広く知らせるために制作した映像だそうだ。
CGだからこそ可能だった表現だろうが、あまりにも生々しく衝撃的。全編日本語で語られているので日本人にも分かりやすい。
私がインドの文化学校に留学していた時、ルームメイトはキーフンという韓国人だった。彼から聞いたのは、若い韓国人はみんな日本人を憎んでいる、と。それは学校教育で、日本軍や日本人が統治時代に如何に酷い行為をしたか教えるからだ、と直截に言っていた。
そうは言っても、見知らぬ私にルームシェアしようと声をかけてきたのは彼の方だったし、彼を通して短期旅行者の若い韓国人集団と仲良くなって、ヒマラヤ地方をトレッキングしたりしていたから、私の実感としては若い韓国人は相当日本人に親近感を持っていると思う。
いずれにしても、そんな彼らであっても、親しくなったからこそ端的に本心の一端を強調して伝えてきたのだと思う。私は一人で異文化の集団に紛れ込むという種類の体験を好むところがあった。そうやって、ある程度相手の懐に入らないと聞けない言葉や感情というものもある。
色々と文化や民族性は違っても、親しくなれば、誰も等身大の生身の人間でしかない。個人として接する時には生身の人間と生身の人間でしかない。
それが異なる集団と集団に分かれて対峙し合った時に、違う生き物や血の通っていないモノのように感じてしまう事が起きてくる。
私は、ズバリ言ってしまうが、日本人はチームワークや管理能力に優れていて人間の集団としてとても能力優秀だが、ある意味で一番「人でなし」な卑しい性質も抱えている人々だと思っている。
ドイツ人などにも言えるが、集団主義的な文化や社会風潮が強いからこそ、とても排他的で、時として非人間的な冷酷な行動を取ってしまいやすい集団なのだ。
ナチス・ドイツのアイヒマンも「私の最大の罪は命令に忠実であった事だ」と言っていたように、企業や官僚、政治家などが行なう大規模な不正や国家による大量虐殺は、集団に依拠し過ぎて自分個人の人間性が希薄になったところに発生する。
ドイツ人は、戦後、その事を社会単位や教育活動の現場で直視して、思慮深い政治性を進歩させた。
しかし、日本人はそういう事をしてきただろうか?
戦前の戦争を起こした特権階級の子孫がそのまま国政を牛耳る政界の中心に居座って、従軍慰安婦問題一つをとってもドイツのような誠実かつ内省的な反省を国家が積極的にしてきた事などない。
国家という最大規模の集団の意思によって為される戦争行為は、人間が同じ人間を人間として見られなくなる極限の麻痺を引き起こす。人を人でなくしてしまう究極的な悪なのだと思うし、だから、それをしてはいけないのだ。
by catalyticmonk
| 2017-07-26 00:42
| 反戦
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