当事者が普通だと思い込みやすいネグレクト
とにかく、虐待とかネグレクトの問題を言うなら、訳分からない頭のおかしいのでも親にはなれちゃうんだから、親や近親の保護者がいたら彼らの意向やリードが絶対優先、みたいな社会の空気が変わらないとどうにもならないよ。
それに虐待やネグレクトがある家庭環境に育った子どもは、自分にとってはそれが普通だから、上手くそれを周囲に伝えられない。
なんか自分が周囲の家族とは全然違うという点は理解しているんだけど、一般社会である相手側が、どういう感覚でどういう風な思い込みでいるか、ってのが根本的に知らないから分からないんだ。
社会の思い込みってのが虐待やネグレクトを見えにくくして、そういう存在が犯罪や病気、事故といった自他共に何も得しない不毛な成り行きにまで至り兼ねない。
俺の場合を思い返しても、中学校の頃、すでに学校で昼間みんなが弁当やパンを食べている時に空腹で体育館の裏や駐輪場でブラブラしていたからね。
家に帰っても食事はあったりなかったりで、酔っ払っている親父にいきなり殴られるし。周囲は俺の世話をお袋の実家がしていると思っていて、でも現実にはお袋の実家は叔母が婿養子を取って祖父母から家督が徐々に移行していて、あまり自分がいちゃいけないみたいな感じになっていて。
まともにご飯も食べさせてくれないのに、田舎だから周囲への体裁だけは重んじていて、そこでもまた変なんだ。だから高校行って、大学も行って当然、みたいな空気だったけど、こっちは夜寝ないでソニーの工場とかでも働いて、昼間学校で寝ているから友達もいなくて、大学どころじゃない。
80年代の愛知県海部郡蟹江町で中学卒業して即就職だったら、超タテ社会の職人になる、ってのしか目の前に選択肢がなくて、ヤンキーでも専門学校は行って、農家を継ぐ予定の奴でも高校、大学と行けるところまで行っている感じだった。
で、自分の場合は、高校に進学しなかったら、親父の実家が親族経営している土建屋に入れられる、と決まっていて、それが何より恐ろしかった。
小学生の頃に親父や父方の方の祖父がいる山奥の現場の飯場に泊まったりしたこともあったけど、もう、壮絶な世界だったよ。
飯場で寝泊まりしている作業員のおじさんが「坊ちゃん、小遣いあげるよ」とか言って正月だったのか、掻き集めた小銭をボロボロ落としながらくれようとするんだけど、女系家族の母方の実家で育っていた自分からすると暗くて重い殺伐とした空気の男の世界で、こんな所に無理矢理入れられて俺の人生終わるのは死んでも嫌だ、と思っていた。
それだな。取り敢えず高校受験をしたのは。
それも訳分からなくて、倍率30倍以上の私立に合格したのに、お金が掛かるし、遠いでしょ、っつって、名古屋市内じゃなくて、郡部の十四山村って言う麦畑のど真ん中に建っている公立高校に行かされた。
で、流石に虐待ネグレクトの実家から出て、一人でアパート借りて住んで、暴力親父はやっぱり高校出たら家の仕事を継がす、とか寝ぼけたことを言い続けているから、じゃあ、高校出たら海外に逃げてやろう、と考えバイトで貯金し出したんだ。
それで、高校卒業したら、留学でもなんでもなく、ツテも一切ないのに飛行機乗ってポンとロサンゼルスに飛んで、本当に働き出すんだけど。
とにかく、訳が分からない家庭で、外にも自分でなんて説明したらいいのか分からないままだった。それが虐待ネグレクトの家庭というものなんだ、と自覚したのはずっと後になってからだったね。
by catalyticmonk
| 2019-12-09 00:17
| ネグレクト
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