寄る辺のない命
「いや、僕はついに力を手に入れたんだ」
「僕を必要としなかった世界に復讐するんだ」
「やっと僕は透明じゃなくなるんだ」
「出口なんてどこにもないんだ……誰も救えやしない。
だからさ、壊すしかないんだ……箱を。人を。世界を」
神戸連続児童殺傷事件の犯人だった当時中学生の通称「酒鬼薔薇聖斗」は、自身を指して「透明な存在」と呼んだ。
「透明な存在」とは、「与えられるべき愛を喪失した人間」が陥る絶望状態のようなものかも知れない。
それは生まれながらの本能として、未成熟な状態でこの世に生まれ出て、多くの同胞の保護と家族の養育を必要としている社会的動物である人間にとっては避けられない問題でもある。
精神分析学の一つの正統派解釈としては、人々の人生は、対立する「タナトス(死・破壊)」と「エロス(愛・保護・創造)」のメタファーに満ちており、それに突き動かれている、とされている。
人間が社会を構成して、数々の齟齬がありながらも、部分的にでも平和を作りあげているのは、エロス起因であり、そして、世界の悲しみや悲惨を生み出すものは、一方のタナトス起因である、というのが彼らの大筋での主張だ。
テロリズムとそれに対する不服従の対抗のように、エロスとタナトスは現実世界に発現した際には表面上対立する関係になる。しかし、実際の人間の中ではそれらは渾然一体とした形で深く混ざり合っている。
人間は母体より産み落とされた時から、決してひとりで生きていくことはできない。
赤ん坊は母親の保護と母乳がなくては死んでしまう。
だから、人間は乳幼児の時期から、すでに「寄る辺なさ」の不安にさいなまれている。
そして子どもがようやく「お父さん」と「お母さん」という二人の大人が自分を守り保護してくれる存在であることに気付き始める頃には、子どもは「寄る辺なさ」から自分を守ってくれる存在としての「お父さん」を象徴的に認識していく。
ただ、虐待ネグレクトの家庭で育った自分には、この成長プロセスがなかった。
虐待する父親に当然猛烈な怨念を抱いて育った。たとえそれが幼稚園や小中学校で大人に教えられるモラルの基礎、「お父さん、お母さんの言うことをよく聞き守る、従順な子どもでありなさい」という価値観を真っ向から否定し、その罰として社会との絆を失い孤立するのであっても。
自分自身が周りの世界の理不尽に対して屈服してしまうと、もう精神的に生きる道がなかった。そこには「寄る辺のなさ」どころではない暴風雨が絶えず吹き付けていた。
社会にある権威を徹底的に疑い憎む、という少年時代の帰結として、英語もロクにできないのに、高校を出て即海外に飛び出て故郷を捨てる、という爆発的な飛躍行動につながった。
ただ、それでも自分にはある種の楽観主義と生命信仰があった。
幼児期に母親が聖書原理主義のカルト宗教に入信していた環境や、そこのコミューンの子で、俺にとって人生初めての友達であり、恋人であり、自分を守ってくれる存在だった幼馴染「かよちゃん」がいたことなどが大きかったのかも知れない。
与えられない家族からの愛情の穴を埋めるかのように、言葉にし難い霊的な世界、見守ってくれる力の存在感が、不思議な高揚を伴って度々意識されていた。
それの理由付けを、生い立ちのトラウマに伴う脳が生み出した補償行為、幻覚、と定義されても別に構わない。
どのみち、それがなければ生きていく意志を保てなかったはずだから、自分には「見えて当然」だった気もするから。
しかし、それが命そのものへの畏敬の念や希望となり、ヤケになることはあっても最終的にはいつも決して諦めない自分の性格を支えてきたのだから、いい。
人間はいつだって不安で、その不安から逃れたいがために、何かとてつもなく強くて自分を守ってくれるものを必要としている。
その「とてつもなく強く自分を守ってくれるもの」が普通の人、世にいる多く人々にとっては両親であり、家父長制的な神への信仰であり、社会的権威や秩序への信頼なのだろう。
しかし残念ながら、人間の現実生活の中には頼れる両親の如く見えるものはたくさん存在していても、本当の意味で絶対的な力によって自分たちを守り、こちらの期待に応えてくれるものは存在しない。
「寄る辺なさ」に押し潰されないよう生きていくためには、自分自身、自分たち自身の自立した意志で、「未来」を見つけていこうとする眼差しが必要だ。
未来の可能性、それへの期待に心を向けること、今ないものに、不安そのものに心を押し潰されることなく、これから自分たちが手にしていくであろうものに期待することが、「寄る辺なさ」に打ちひしがれないための生き方だ。
その気持ちが、未来そのものを変えていく。
by catalyticmonk
| 2020-09-30 00:16
| 忘れ物
|
Comments(2)
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by
しかちゃん
at 2020-10-08 07:04
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しばらくぶりに気になってお邪魔しました。相変わらず透明感のあふれる画像に酒鬼薔薇聖斗の記事が不釣合いだと思うけど 河元玲太朗 さんの感性と知識にはいつも驚かされています。俺には貴方が純粋で無垢な心の持ち主である事も容易に想像がつきます。純粋であればあるほど生き辛い世ではありますが何時までも失わないで下さい。病気の具合はどうですか?一刻も早く治る事を祈っています。俺にはそれぐらいしか出来ませんが 河元玲太朗さんの の命が尽きない事をただただ祈らせていただきます。
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catalyticmonk at 2020-10-16 17:29
がん闘病中の諸々も記事に書いたので、そういう印象が強いのかも知れませんが、今の時代は、がんも治る病気になってきています。
私は、まあ、再発したり、検査したり、と言ったことはありますが、普段は大概元気ですよ。ご心配いただき、ありがとうございます。
私は、まあ、再発したり、検査したり、と言ったことはありますが、普段は大概元気ですよ。ご心配いただき、ありがとうございます。