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カテゴリ:異端者を作り出し疎外する社会( 22 )

洗脳とムラ社会

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洗脳もさ、最初は誰もが同意出来る、或いは賛同しやすい意見や主張を入り口として、そこから紐付けて何かの権威に従うよう促していくのが常套手段。
主権在民を特権層に渡しちゃいけないんだ。それが宗教的権威であれ、何かの学識豊かなエリートであれ、政治であれ、文化であれ。

ちょっと入り口いい事を言っていると、そこに権威やお仲間も付いてくると余計に、日本人はすぐコロッと騙されて、その後から見えてくる腐敗や矛盾を見逃して、加担までしてしまう。
だから、うわべの言葉でカッコつけたり気取ったりして、裏ではすぐに優劣意識を持ち出してきたり、毛色の違う相手をそれだけで意地悪く扱う人間だらけの世の中になる。
で、自分がどこかに所属していて、そこから一歩も出ない分には、周り中いい人だらけなのさ。

でも、そうやってどんどん外の人間に偏った見方と扱いをする人物が量産されてしまう。洗脳とムラ社会って話さ。
個性を殺した先に何があるか、ということなんだ。
個性をごり押しで殺した結果、皆が平等で幸福な調和が取れた社会が出現するか、と言ったら、そんなことが実現した例はない。結果的に、一握りの人間たちが自分たちの都合の良いように横暴な振る舞いをする世界に行き着くだけなんだ。
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by catalyticmonk | 2019-05-10 21:25 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

不自由な日本的精神

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個人の自由、ってものの意味が、未だに社会に浸透していないんだ。日本人は個人の自由について本気で考え直さなければいけないんだけど、毎回いろんな事を言ってはうやむやにして、決して改めようとしないんだよね。
個人の自由にまで干渉してきたのは自分達の方なのに、それを理詰めで言い返した側が角を立てる尖った人間、くらいの扱いにして、なんとか黙らせる空気に持って行こうとする。
その、日本人は素晴らしい、外国よりも良い所だ!サッカー好きで当然、イチローは天才!みたいな、自分達が予め期待する考え方があって、それに相手が従って当然、みたいなさ。

同調圧力に弱い、という話でもある。周りにいる人間の影響次第で簡単に変わってしまうのが、馬鹿の馬鹿たる所以。高学歴の奴でもそういうのがいるが、要するに人間的に馬鹿なんだ。
馬鹿の危うさはそこ。偶然の出会いに流されて、いくらでも変わっていってしまう儚さと脆さがある。
その危うさに抗うには、やはり内なる自立した知性と精神が必要。
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「ルールを決めればいいんです」ってさ、決めごと作るんじゃなくてモラルの問題なんだけどね。なんでも決めごとで解決するのは逆に全体の快適度も下げることになるから。

ゲームのルールみたいに、最初から一律で決まっているルールなら不公平じゃないからいいんだけど。その上で自分が乗るか・乗らないかの選択の余地もある。
でも、一部の人が他の人間の同意もなく自分達の都合がいいように「これはルールです」って、後からどんどん追加していき過ぎるのは、やっぱり横柄なんじゃないかな、と。半分詐欺みたいなもんだ。
誰かが数や力で高圧的にその人の基準を、あたかも世の真理みたいに正しく言って、従わせようとするのは好きじゃない。
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私がおりこうさんタイプに感じる違和感、いい事は言っているけど何かイライラする感じもそこだな。要するに「人に嫌われる勇気がない」んだ。その事が、結局は何らかの偽善や卑怯さを生む結果につながる、という人間心理の道理が感覚的に分かっている。
で、そこなんだよ。日本人にはない信頼感をドイツ人とかイギリス人、北欧の人とかだと持ちやすいのは。
彼らは、不良じゃない、かなり真面目そうなタイプでも人に嫌われる事を過度に恐れて嘘っぽい事を言う、という確率がぐっと下がって、なんかそこで価値観に開きがあっても信頼する意欲が高まるんだよな。
日本人だと同じ場面で、凄く耳障りのいい言葉は言うんだけど、何かモヤモヤして、表向き同じ意見のはずの相手まで、なんか信用するモチベーションが下がりがちになる。

インドでも西洋社会でも、私の言った事が何か分からなかったりすると、仮に誤解があっても日本人の十倍くらいストレートに「いったいそれはどういう意味だ?」と聞き返してくる。
日本人は、逆にストレートに言い過ぎるとその事自体で引いたり、また余計に悪意に捉えたりして、はっきりと意見を言っても、後でギクシャクしやすくて、ちっともスッキリ解決しない。

曖昧模糊としたまま、あまり角張った主張はしないで、やんわりとオブラートに包み合って互いに協調しているのが「いい人間関係の状態」と暗黙の了解でされている。
私も海外に出るまでは世の中はそういうもので、自分が不器用なだけだと思っていた。
海外のストレートに意見を言い合って、それで後腐れなく一回一回解決する爽快さを覚えた時、私の人生観や人間観は根底から変わった。

日本人は、日本の中でしか通用しない、物凄く特殊なコミュニケーション方法で社会が成立している。だが、日本の社会の外に出た事がない人は、そこにまるで気付かない。
なんか、映画マトリックスの世界のようだ。夢を現実として信じて暮らしているミステリアスな人達。

他の海外帰りの日本人ともよくそういう話をする。
レベルが違うね。ドイツ人なんて、日本人はこうなんだ、って説明すると、そんなのはドイツも全部一緒だ、と言って、実際に日本に来るとひっくり返って仰天するから。
おんなじような表現で言っていてもヨーロッパ人が見る公共性と個人主義の問題の加減と、日本人が言葉や字面だけで自分達の話に置き換えて解釈している観念論て、実際には中身の度合いが違う、という事が多く。
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私が事実について感想を述べるとストレートになり過ぎて、結構よく物議を醸すので、SNS上などではなるべく具体的に語らず抽象的に言うようにしている。
しかし、今度困った事に抽象的に言うと、それと被っているような気がする人が大勢現れて、「アレは私の事を言っているんじゃないか」と次から次へと登場するのが困りもの。
日本が、他人に直接意見を言わないで、空気を察し合う文化だから、疑心暗鬼が濃くなるんだな。

本当はストレートに言い合える社会の方がつまらない疑心暗鬼が少なくていいとは思っている。端的に言っちゃうと真意が伝わりにくくなったりする。
だったら、下手な事は何も言わなければいいじゃないか、というのが日本の今の社会で支配的な事なかれ主義の風潮なんだ。
みんな、どんどんそういうスパイラルで自分が本当に思っている言葉を口にし辛くなっていくし、言葉にしないものだから、余計に物事を突き詰めて考えなくなる。
根拠のない、ちょっとした掛け違いでくだらない対立が生じたりする。それも、陰湿な、言葉に出さない神経戦みたいな形で。

表向き、すぐその場では波風の立ちにくい文化だとは思う。
だけれど、ストレートに言わない故に疑心暗鬼が生まれてから騒ぎみたいないがみ合いが起きまくっているのが私の見た政治や運動の世界だったし、それで腫れ物に触るように臆病になって、みんな疑問があっても空気を読んで忖度する方を優先してしまって、自分達が最初に感じた違和感を突き詰めもしないものだから、今の政府の政治がどれだけ危ういか、冷静に考えればはっきり分かる事なのに、そこまで考えが行き着かない。
もう、自由になろうぜ。デタラメになるってんじゃなくて、精神的に自立して成熟する意味でね。
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by catalyticmonk | 2019-04-02 00:00 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

自己責任の呪縛

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なるほどな、私は大学行ってないから知らなかった。単位を落とす大学生は、遊んでばかりいる学生ではなく、友達がいなくて休んだ時にノートを見せてもらえない学生に多いのか。

でも、貧乏で、バイトに明け暮れていても友達作れないもんな。

世の中、平等じゃないや。


「もっと苦労しても努力して頑張っとる子もおる~」って、それがどうかしたんかいや。そんなの、人それぞれだしな、そんな風に言えばグレたり、鬱病になったりする子が減る訳でもないだろ。

そうやって、愚痴すら言えなくて、一人で抱え込んで切羽詰まったり、もういいや、って自棄になる人間を増やす世の中にしてどうすんだよ。

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by catalyticmonk | 2019-03-27 01:35 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

社会心理として捉えた場合の日本的衆愚

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あなたがもし、この社会にモヤモヤした閉塞感を感じ取っていて、しかもその解決策が既存の政治運動的な動きの中ではほとんど見当たらないのように思うところがあったなら、この文章を読んでみて欲しい。何か共感するものがあるかも知れない。
でも、政治的な提案はここにはない。日常感じている閉塞感の心理的な実際の姿さえもけむに巻かれて見通せなくなっているような現実への、ささやかな抵抗として、いくらかの暴露を試みているだけだ。

私達は様々な主義主張・思想信条の以前に、個人としてありのままに世界を眺める自由と尊厳を持っている、というのが近代民主主義社会の大前提であるはずだが、どうもそこの部分さえこの日本社会はいろんな理由付けをしては素直に認めてくれないような、非常に屈折した部分があると感じる。
だが、それでははじめの一歩が公明正大に始まらないではないか。そういった種類のフラストレーションを十分に言葉には出来ないで抱えている人は、実はとても多いようだ。

e0296801_22532223.jpg私は、この社会には保守とかリベラルとか、政治的なテーマ以前の大きな思考停止のパターンがあると思っている。それは一種の反知性主義であり、ポピュリズムの中でも特に悪質な衆愚が蔓延っている、とずっと痛感していて、それが故の政治の機能停止を招いている部分は小さくないと確信している。
それらの核となる人間心理学的な現実の姿とその要素は、政治的に個別の問題を見ていくよりは実はずっとシンプルだ。

まず歴然とした弊害は、いわゆる教条主義と呼ばれる要素。思い込みや決め付けが激しく、自分の基準と違う他者を厳格に裁き、非難・攻撃する、というものだ。こうした風潮は当然ながら不寛容で、息の詰まる社会の空気を生み出す。
次に、その教条主義的な態度を強化し、後押ししてしまっている一連の姿勢にも顕著な特徴がある。
高尚な理念を掲げる割には細部を個別の事例に合わせて冷静に見る事が出来ず、一度振り上げた拳を簡単に下げられない。一つのベクトルで暴走するヒステリックさと頑固・強情・傲慢。そうした姿勢だ。

後者には大きく見ていくつかの要因のパターンがあると感じる。

一つには集団主義。それ故の個の確立が未熟な社会風土。
周りの仲間と勢いに乗って一斉に同じ方向で騒ぐ文化に慣れていて、そのためによく考えていないという場合。これは熱心な宗教や政党の信者・信奉者によくありがち。
日本社会全体が、自分は普通なんだ、普通でいたい、と信じて願う、ある意味で「普通教」という大衆宗教の信者なのかも知れない。

二つ目は権威主義。社会にある一定の権威、自分の所属する地域共同体であったり、家族が長年社会から付与されてきた栄誉やステイタス、職場の伝統や尊敬する上司の考え、テレビや新聞、雑誌等の有名メディアの発する論調・情報を無批判に信じ込み過ぎている等、やはりそういった理由から自主的に冷静に目の前の事を個別に判断出来なくなっていたりする。

三つ目は、抑圧の多い社会環境における個々人の内面的な社会不安や、その反応としての被害妄想的な反応の増殖。このパターンの要因。
その人が孤独であったり、社会の底辺にいて常に大きな不満を抱えているなどすると、何らかの批判・攻撃対象を探す癖がつきやすくなる。また、全然関係のない話でもそれが自分や自分の仲間・同胞への攻撃や批判・差別なのではないか、と絶えず被害妄想気味になる。

三つ目は上述の社会的な歪みが全部のし掛かり濃縮された形の害毒となるので、一層深刻だ。
また、そうした人はそもそも道理よりも自身を守りたいという動機の方が強かったりするので、余計にたちが悪くなる。自身の主張が的外れであった場合、今度はそれを物事の性質の問題に広げて守備範囲を拡大し、泥沼かつ建設性のない議論、或いは単なるバッシングを続ける。

e0296801_22545167.jpgざっくり言えば、日本的な衆愚は「集団主義」「権威主義」「被害妄想」の三大要素を軸に構成されている印象が強いが、これらの三つの要素は濃密な相関性がある。

①個の確立が未熟な社会風土が群衆心理の暴走しやすい状況を作り、
②その付和雷同の風潮は当然権威主義に靡きやすい空気も生み、
③権威主義的な傲慢な振る舞いの蔓延は個々の民衆の不満を抑圧して、それが内在化した劣等感も助長するので、被害妄想的な反応の多い社会にもなる。

社会は政治的に社会全体の仕組みや制度を変えると、文化や大衆の意識がそれに従い一気に改革・前進され得る。しかし同時に、政治的なテーマ以前の衆愚、唱えている大義名分以前の黒い思惑があまりにも大きいと、公平な判断や様々な立場に配慮した政治運動も難しくなって、上に立つ立場の集団や個人のエゴに従って次の腐敗が始まる。

十分な知性と判断力、社会的公平性や福利を考える人物であっても、そのような観点と失望感から、現実の政治運動とは距離を置いている、という人を私は何人も知っている。
結局は具体的な行動が必要なのだが、彼らが疎んじている弊害の実際も知っているので、思いは複雑だ。

この文章を書いた動機は、政治的なメッセージと言うよりも、日本社会に顕著な社会心理としての衆愚について、私が日頃から引っ掛かっている部分を考察してみたくなって書いたものだ。
しかし、それでもやはり政治の停滞解消は、政治運動だけがトップダウン方式で成就出来るものでもなく、文化の質的向上も同時進行で求められていく必要性がある、というところは自ずと意識に浮かんでくる。
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by catalyticmonk | 2018-05-10 23:00 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

すれ違いざまにキモいと言う若者

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すれ違いざまに「キモっ」…知らない人に容姿を批判された人


ああ、今の若者達、やっぱり頻繁にこういう事をしていたんだ。なんか他の人に聞くと「そんな事言われないよ」なんて返答が多いものだから、「自分だけなのか?」と余計に不愉快だったのだけれども。
すれ違いざまに若者にキモいと言われる、って検索してみたら出てくる、出てくる。「キモい」とか「キショい」とか、聞いただけでイラッとする言葉を言って過ぎ去っていくよね。








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「言ってくるのは複数人で、こっちがひとりのときが多い。ひとりではなにもできないけど、群れの中にいると調子に乗ってしまうのでしょう」(20代女性)

「『なんか用?』と声をかけたら、『い、いや…』とびっくりして逃げていきました。そんなにヘタレなら、最初から言うなって話」(20代男性)

まさにそんな感じ。
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「高収入ほど知らない人から容姿を批判されている」というデータも示されているけれど、それはもちろん私は違う。でも、案外こてこての工事現場の帰り道の服装の人達はそんな目にあまり遭わないのも実体験として知っている。
物凄く姑息な基準でやっている、まさに卑怯者の弱い者いじめ精神という事だ。

私のように相手に直接怒れる人間ならまだいい。大人げない、とよく言われるが、相手を呼び止めて「おい、君ら、今なんて言った?」と確認するくらいだから。そうすると次から怖がられるから、少なくとも同じ事はしばらくなくなる。

結構この話は今の時代の核心部分だと思っている。
なんでもかんでも管理社会化が進んで、過度に他人をバッシングしたり、責任追及して、おおらかさの欠けた閉塞感漂う嫌な時代になってきている。今の時代にこの国で暮らす人々、特にその中でも若い世代ほどガチガチに規則や監視の目に曝されているからこそ、一番誰からも確証持って追及されにくい形の陰湿な嫌がらせ方法を進化させてしまうのだろう。
その流れの中に人権派や頭の固い古い左翼みたいな人などもほとんど飲まれてしまっている。センスのいい人なら、ちょっともう従来とは違うアプローチを考えないとな、という疑問や危惧を抱き出しているはずだ。

いろんな記事を読んだり、自身でも見聞きし、感じ取っている世の空気を総合すると、やはり事態の深刻さを痛感する。決して浅い次元の昔ながらのありふれた定番を繰り返しているだけでもない。
それを学校内で同級生にやったり、知らない相手でも若くてデリケートなうちに道端で言われているうちに、それが引き金になってノイローゼになったり、うつ病になったり、持たなくてもいいコンプレックスを抱えたりしてしまう若者が大勢いるみたいじゃないか。
それが一番許せない。昔の自分が悔しかったいじめられっ子時代の記憶も思い出してね。

私は小学校3年生くらいからは腕白な部類になっていったから、本当のいじめられっ子は保育園時代から小学校低学年にかけてまでだが、それもいじめられたから仕方なく腕白になったんだ。
その記憶があるから、弱い者いじめは絶対にしなかったし、している奴がいると本気で怒った。

「すれ違いざまに悪口を言う醜い人々」という現象自体は、やはり昔からある世の常のようだが、今はコンパクトにハイコンテクストな言葉で「キモッ!」とか「キショい」と言って、よりお手軽かつ頻繁にそれが出来るような風潮になってきてしまった、という事なのではないか。
「ねえ、あの人、ヤバくない?」と普通のおとなしい子が大して悪びれる様子もなく言えてしまう環境になってきた、というね。

前の記事(『現代日本の若者事情とハイコンテクスト文化』http://catalytic.exblog.jp/26637232/)でも書いたけれど、次のように言っていたその年代の女の子がいたね。「塾やら通信教育やらと、教育にお金がかかる時代になり、経済の層が固定化されやすくなってしまった。そんな背景もあってか、親の期待する範囲内で親に無理がかからない程度のレベルで自分の人生の道筋を決める子が尊いと言われる世代なので、反骨心が弱い代わりに燻らせているものも多く、こんな特徴が出てくるのかな」、と。
もちろんいろんな個性の若者がいるし、複数の要素が絡み合っているんだろうけど、世で言われている「個性なくなんとなく無難に生きていければ良いみたいな若者」「反骨心が弱い従順な若者」という部分では、特にそんな感じかも知れない。

ぶっちゃけ、他人に「キモい」と言った人間は決闘を申し込んだのと同様と認める法律を作ってもらって、片っ端からぶん殴りたいんだけど。なんで赤の他人にそんな挑発受けて我慢してなきゃならないの。おかしいでしょ、それ。
家族思いの子が多い反面、友達から言われて一番不快な言葉が「個性的」だとか、ある意味最も私が嫌いな方向に進化してもいると言うか、腐り切ってんなあ、と思う面もある。

日本だとお笑い芸人の松本人志がひとを揶揄い笑いものにする行為を「いじり」だ、と呼んで、いじめや嫌がらせに類する行為への社会的抵抗感のハードルを下げた、という影響もあると思う。
そもそも全世界規模で家族や共同体が市場原理によって解体されていった事により、道徳がますます希薄化しているから、もっと根の深い問題な気もする。
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by catalyticmonk | 2018-01-24 00:00 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(7)

異端者の風貌

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昔、元赤坂のナンバーワンホストだった男性と仲良くなった事がある。彼は傷害罪だの詐欺罪だので逮捕歴が多かった。だけれど、親しくなると全く真面目な悪どいところのない性格で、どうしてそんな人生だったのだろう、と不思議だった。
ただ、互いに似た者同士な何かの空気を感じていた。
彼は私より年上だったが、30代になってもパッと見ると10代の少年のように見えた。

聞くと、それで幼い頃からなめられて馬鹿にされ、喧嘩ばかりしていて不良少年となり、少年院にも行き、流れ者のような人生の中でホストやキャバクラのマネージャーをするようになったのだと言う。
「こんな、なめられやすい顔に生まれなかったら、また全然違う人生だったろうけどねえ」
そうやって呟いた彼の言葉を忘れられない。

e0296801_11385565.jpeg私は昔から自己愛は強いナルシストであったが、地味に目立たないようにいたいという願いも半分では持っている。目立つと、赤の他人が勝手に自分の世界を乱しに来るからだ。
先日も電車から降りる時に扉のそばにいた若い女性に通り掛けざまに「ワッ、キモい」と吐き捨てるように言われた。思い違いではない。私には頻繁にそういう事があるのだ。
繁華街で見知らぬ若造に絡まれる、なんて事も未だにあって、その話をSNSに書いたところ、ある人に「今時、繁華街で絡まれるなんてあるの?」と言われた。別に相手に罪はないので腹は立たなかったが、「普通の人はそんな事が滅多にないのか」と私の方が改めて軽い寂しさ混じりのショックを覚えた。

そんな髪の長い目立つ風貌をしているからじゃないのか、と言われる事もある。ところが、私が髪を短くしてスーツ姿なんかだったりすると、何故かもっと絡まれたり不愉快な出来事に遭遇する。これも本当だ。
だから、どうせなら自分のしたい姿格好でいよう、と反骨精神混じりに感じて、今のようなスタイルになった。

だいたい、人を見掛けだけで、知りもしない赤の他人に向かって「キモい」とはなんだ。
いやいや、そんな事を気にしていても始まらないよ、と簡単に言う人は、大概あまりそういう目に遭っていない。長年観察してきて確信しているんだが、そういう人こそ、私がしょっちゅう経験している事柄の十分の一くらいの話でカンカンになって怒り出したりする。
そして、その一個二個の出来事をいろんな話に使っていたりするので、彼の崇高な精神論が如何に経験に基づかない頭の中の思考実験であり、自己満足に過ぎないものを他人に押し付けている傲慢さだったか痛感する事となる。

あなたやあなたや、そして私自身の話を言っているんですよ!
人間はかくも愚かな存在、という深い謙虚な目線は、ソクラテスが「無知の知」を言った大昔から肝に命ずるべき真理だと思う。

で、いきなりポーズだけの謙虚さなんて無意味だという反骨精神で本当の話をすると、私は若い頃は美少年というのが定評だった。見掛けだけで親切と言うか好意的に接してくれる人達が一定数いた。
その反面で、やっぱり当時から風貌で小馬鹿にされたり侮辱される事が多かったし、もっと言うと子供時代は随分いじめられていたから、少林寺拳法や肉体労働で体を鍛えて、喧嘩して負けないようになろう、と必死だった。先述の元ホストの男性と、キャバクラや水商売関係には一切興味のない私が何故意気投合したか、ここまで話せばなんとなく想像してもらえるのではないだろうか。
彼はアウトローになったが、私はたまたま高校を出て放浪の旅に出るという脱社会化をして、犯罪社会に行かなかっただけだ。

つまり、それらの事実を総合して考えると、やはり私は気持ち悪くなんてないのだと思う。
恐らくは、異形のオーラを放っていて、勝手に目立つので、その「えっ」というような違和感が、見知らぬ相手に警戒心を抱かせ何かしらの敵意や嘲笑といった反応を喚起したり、その逆に個性的で興味や好感を持たれる対象になったり、揺れ動いてチグハグな反応を招くのだろう。

なんか、その人のキャラクターごとに呼び寄せやすい災難というのもあるみたいなんだけどね。
北九州市出身でロンドン帰りの、テキヤ時代に自分の相棒でもあった女の子なんて、道端を歩いていていきなり見知らぬ男に殴りかかられる事が何度もあった、と言っていて、本人も不思議がっていた。
あと、私が京都から広域暴力団を抜けて逃げてきた児童養護施設育ちの元ヤクザを匿っていた時も、彼と歩いていると、実際に彼は因縁なんて全くつけていないのに、普段私が遭遇しないような暴力的なトラブルが近付いてきて、世の中こういう何かが本当にあるんだな、と思った。

私には刺青は入っていないのだけれど、ヘナタトゥーという二週間くらいで自然に消えるインドの伝統的なタトゥーがあって、それのモデルを頼まれて何度か腕などに描いてもらった時があって、その時も電車などに乗ると隣にいつもは全く遭遇しないようなヤクザ者が近寄ってくる訳だ。
つまり、悪霊とか祟りとかいった次元の話でもなく、現実的な何かしらほんのちょっとの要素で大きく変わる部分が本当にある、ということなのだろう。世の中、面白いものだな、と痛感した。

それでもやっぱり何もしていない女性を襲う暴漢のおっさんや、道端を歩いているだけで絡んでくるチンピラに、ただ歩いている人間の方がそんなオーラを発しているから落ち度があった、とは言えないし、言ってはいけないと思う。
いじめられっ子は、一生いじめられっ子のままなんだ、と私に言った奴がいるが、いじめられる人間が悪い、いじめは人間社会からなくせないんだ、と言ってもいけない。いじめや、暴漢や、通り魔の痴漢や殺人鬼は、やっぱりどうにかして好き勝手出来ないようにしなきゃならない。

それは、みんなが見て見ぬふりをしない事だし、社会が弱い者や変わった人々をつまはじきにして追い詰めない、助け合いと寛容の両方の精神が文化・教育・社会制度の各面から補強されていく必要がある、という事だ。そうしていかなければ、私達自身が困っていく事なんだと思う。

国のトップにある政治家や官僚からして、悪いことでも集団で行えばチャラになっちゃうような世の中だ、と日本全体に大公報してしまっているからね。ましてや、大手のマスコミ、新聞・雑誌、芸能タレントまでそういう風潮を後押しするようなもっともらしい容認発言や応援メッセージ、黙認や太鼓持ちを現にしている。
そうした事でも社会全体の風潮って変わってきてしまう。

人を見た目で判断し、尚且つ異質なものは排除しよう、という了見の狭さが改まるのは、人間社会の人権意識が高まって、個人の尊厳や他者の多様性を許容出来る成熟した文化が育つ、遥か未来の事なんだろう。
だけれど、それを夢見て目指さなければ、近付いていく事もないのだろうとも思っている。
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by catalyticmonk | 2017-11-28 00:28 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(2)

ゴシップ嗜好と日本の民主主義

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私は週刊誌的なゴシップの取り上げ方や、そういうものにすぐ飛びついて騒ぐ態度、その習性が強い人物といったものが、昔からどうにも好きではありません。

最近のニュースであれば、埼玉県の小学校教師が小学4年生の児童生徒に対して、「今すぐ窓から飛び降りろ」「命が惜しいのか。早く飛び降りろ」などと3階の教室から飛び降りるよう何度も迫ったという報道があって騒動になっていましたが、他の同級生児童の保護者の証言によると、先生が「やれと言われたら何でもやるのか?飛び降りろと言われたらやるのか?やらないだろ、やったらいけない事をやれと言われてもやらないんだよ」と教えたという内容だったので、ずいぶん歪曲された報道だった、という話も出ているようです。

どちらの主張が正確か、また真実が双方の言い分からどれくらいの距離感なのか、間接的な情報しか知り得ない立場の我々には定かなところではありません。
ですから、今ここでは、特に事件の真相と報道された内容の真偽の検証に深入りする気はありません。あくまでもゴシップ好きな態度の危険性そのものについて、普段から感じている点を述べてみようと考えているだけです。

結局、事実がどうであったか、が一番大切なので、まず物事を決めつけないで慎重に物事に対応する必要があります。
拙速な思い込みがどれほど多くの偏見や差別を生み出し、立場の弱い人々や少数派を傷付け苦しめて、また無益かつ根拠のない争いと混乱を作り出してしまうものか、私は自身の人生経験的にも痛切に実感してきています。

何か最初から有利な立場の相手に「それっておかしいだろう」みたいに勇気を出して立ち向かっていくほど、こういう成り行きが多発する、おかしな社会だと思っています。ゴシップに踊らされやすい衆愚社会だ、と呼んでも過言ではありません。
分かりやすい定式に合わせて、話を歪めてしまうのです。そして、既知のイメージに沿っていれば事実確認より先に信用されてしまう。権威があったり数が多かったり社会の安定したレールに乗っている人達ばかりが優遇される、弱い者いじめみたいなデマの構造なのです。

社会の広い範囲で起きている出来事を伝えるマスメディアが、権力と癒着していたり、あまりに商業主義的です。
扇情的に関心を集めやすいゴシップ報道に流れやすいと非常に危険で、硬派なジャーナリズムが十分に根付いていく必要がありますが、日本ではそうなっていない訳です。

また、警察の組織体質も、一般人の視点から観察していても極めて思い込みの激しい傾向が顕著で、一番そうであってはいけない公権力の行使者が現状そうなのですから、庶民は大迷惑ですね。
一般人の側でも、人からそんな目で見られるような人物の方が悪い、といった自己責任論で納得してしまって、お上の失敗や不正を中途半端にしか追及しない変なことなかれ主義が根強いので、余計にブレーキに欠けています。
そうした日頃の鬱積への憂さ晴らしとして、すぐに特定の個人を一斉に群衆心理でバッシングするし、他人の不幸は蜜の味という卑劣さが大衆文化にもインプットされてしまっています。

そういうガス抜きとしてのゴシップ中毒性は、江戸時代の身分制度において、平民の下に賤民を置いてガス抜きをさせ、支配階級への不満を回避させていた時代から継続している風潮なのではないか、と疑っています。こうした傾向は、近代的な人権意識を制度・教育の面で取り入れて多少の進歩はあったにしろ、民度の構造としてはあまり成長しきっていない証左な気もします。
日本人が近代史においても容易く全体主義に傾きやすかった経過自体も、社会に蔓延するゴシップ嗜好と無関係ではなかったし、今現在もその点は多分に継続中の改善すべき憂慮要素なのだと考えています。
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by catalyticmonk | 2017-07-21 20:50 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

「ファム・ファタール」が表す社会的倒錯の実体と人権の後進性について

「ファム・ファタール」という言葉は、意味合い的には男を破滅させる魔性の女、というドラマティックなイメージを指していて、だから芸術絵画や小説の題材にもよくなるのだけれど、そこでまず想起される典型的な例はマタ・ハリだ。

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彼女は第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランスに捕らえられ、有罪判決を受けて処刑された。
だけれど、資料を読んでみると、要するに裕福な家の少女が没落して、踊り子やストリッパーをやっているうちに高級娼婦になって、敵味方に分かれていた多数のフランス軍将校やドイツ軍将校とベッドを共にしていた、という社会背景・時代背景が騒動の根幹にある。
だから、彼女が独仏どちらの陣営に対しても意味のある情報をもたらした証拠は一つもないのに、フランス政府にとって不利な戦況の中で軍事上の失敗をマタ・ハリの責に帰することは大変好都合だったので銃殺されてしまった、という世の非情そのものの物語だ。

生きていくのも精一杯で、男どもに弄ばれているうちに、厄介払いと責任のなすり付けで殺されてしまった悲運の女性を、魔性の女だ、と伝説化して有名にしただけなのだ。
こうした経緯は、マタ・ハリも実際にいくらかスパイ行為をしていたのだろうけれども、本質は非力な没落した境遇の女性にいろんな思惑の悪党どもが絡んでいき利用していた、という話であって、「男ども、とんでもいないな」という、シンプルかつ公平に捉える視点がまず当然必須だ。

これは、結構ファム・ファタールの本質も表していて、確かに性的な誘惑で男性を手玉に取る女性は世に存在する。
でも、それで彼女達が大金持ちになって社会的にも成功してめでたしめでたし、という話だとファム・ファタールの従来のイメージとは離れていくから、やはり彼女達自身が自滅していく、というテーマも表している。
つまり、そこには女性の性的な魅力を武器に使いながらも男性優位社会に押し潰されて破滅していく、社会が開明的でないからこそ生じる悲劇の一定のお決まりパターンが存在する。それを「ファム・ファタール」と呼んだ、という側面がある訳だ。

あと、大きいと感じる要素は、心理学的に言うところの人格障害の問題ではないだろうか。
他人を意識・無意識に振り回すという。
それは、男性であれ女性であれ、性別やジェンダーの別関係なく正当化出来る話でもなくて、たまたまそうした人物が女性だった、というだけの話だ。

そこに女性性がついてくると奔放な性生活というのも起きてきて、それもただの自由恋愛なら騙された男性も自業自得なんではないか、と思うけれど、人格障害はもっと深く病んだ自己愛の闇があって、関わる人を強力に掻き乱して不幸にする。むしろそういうタイプだと女性である事を隠れ蓑に使って、犯罪レベルの騒ぎに至る問題まで起こし得るのでシャレにならない。
でも、それにしたところで、その人物が「女性である事」自体に特別な罪深さがある訳ではない。
男尊女卑の世界だからこそ、そういう過激なサバイバルを一定の性質の人達が一層選択しやすくなる、という構造も間違いなくある。

性的威力を使うというのは、当人達自身も不幸になる事だ、という部分が絶えずついて回る。純粋に詐欺商法で他人を破滅させて自分だけ儲かった、といった話とはズレてくる確率が高くなるからだ。
そして、一旦女性が世間的に「悪女」と認識されると、まさに血も涙もない制裁を受けて、ボロ屑のように人生を蹂躙されて終わるという、野蛮で残酷な世の愚かしさの定番的な悪弊でもある。

社会に元から存在する差別や偏見と、個人の行動の重みが、どうにも整理されていない形で混同されて、フェアでない話になっているケースは未だに多いだろう。
「ファム・ファタール」という一連のイメージが社会的には何を表していたか考える行為は、根深い人間社会の歪みや非理性的なままの問題点を照らし出す一つの切り口だと感じる。
芸術作品や小説などで大量に扱われてきたテーマだから、考えるきっかけを得やすい、というのもある。

また、今でもそれは「ファム・ファタール」なんて言葉を持ち出すまでもなく世に満ち溢れていて、整理されないまま放置されてその辺に転がっている、社会関係混乱の一典型的パターンなのだろう。

ただ、念を押して言うなら、これは「女性の問題」ではない。
それは、女性性や男性性は傾向としてあるだろうが、もっと社会環境的なものとの複合で、混乱した認識が発生している、という意味で、これは女性の話と言うよりも、そういうイメージをドラマ化して捉える人間社会全体のテーマだと私は思っていて、本来は特に小難しい話ですらない。
未だに社会通念が大きく歪んでいるので、そこを公正に捉えるのに手間がかかる、というだけだ。

中世ヨーロッパや江戸時代に、「人間は平等だ、個人の自由と人権は尊重されるべきで、それは宗教も冒せない」と言ったら、間違いなく狂人扱いになるはずだ。
今、目の前にある社会の中で、倒錯している観念や現象を、真っ当に捉え直す作業なしには、民主主義も自由も平等もあり得なかった。その歩みを止めてはいけない。

by catalyticmonk | 2017-05-01 23:27 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

カルトとマイノリティー

ロシア最高裁判所は4月20日、キリスト教団体「エホバの証人(Jehovah's Witnesses)」の活動を禁止し、資産を押収する判決を下したそうです。最高裁は、ロシアは「エホバの証人の本部と傘下の地方組織」の閉鎖と「資産の没収」を決めたとしました。

「資産の没収」って、普通なら大規模な宗教弾圧そのものですが、まあ、カルトなのは事実だし、でもカルトなら弾圧してもいいのか、という問題でもあります。
実際にはどのような実態で、どれだけのパブリックへの悪影響があったか、については、目にした短いニュースの文面の中ではなかったのですが、やはりカルトなので制裁は仕方ない、という感想は日本でもあるようです。

そういう断定性に対してエホバの証人を擁護したい訳ではないのですが、私にとっては、そんなに簡単に白か黒かを断定的に言って済ましていい問題のように思えません。
カルトに巻き込まれた被害者だ、と感じる立場の人の気持ちも分かる反面、思想信条や信仰の自由に社会が公共の装いを纏ってどこまで干渉していいかは、やはり個別に慎重な姿勢で吟味する必要のある話だと思います。

前にも書いているのですが、私の幼い頃、実母はエホバの証人に一時期入信していました。近所にエホバのコミューンがあって、その影響と、実母自身が膠原病という免疫不全の病気だったためです。
私が覚えているのは、そのコミューンの古い日本家屋で、聖書の物語を紙芝居で教えられた事くらいで、周囲の大人を変な人達だと特に感じる事もありませんでした。優し気な人達しかいない印象でしたが、それは小さい子どもにとっての話ですから、全然定かではないでしょう。
ま、私が宗教と聞くと仏教ではなくて、まず神がいて、という発想を当然のものとして連想して、仏教の観念は総じてピンと来ないのは確かに影響があったかも知れないけれど、それ以上のものでもないのです。

ただ、私の母が勧誘した事で母以上に熱心な信者になった人物に私の幼なじみの女児である「かよちゃん」の母親である「かよママ」がいたのですが、その彼女がバイク事故を起こした際に、教団の輸血拒否の教義に従って大変だった、という話は当時も聞きました。
彼女は一命は取り留めたものの、やはり信仰の問題も手伝い夫婦の仲が難しくなって夫と離婚し、私が小学校に入る前に同い年のかよちゃんを連れて隣接する名古屋市に引っ越して行きました。

エホバの証人が一般社会の常識から逸脱していると扱われる場面が多い理由は、ある意味、特異で原理主義的でもある聖書解釈や進化論さえ否定する独自の世界観の影響が大きいのですが、その中の一つとして有名な輸血拒否も、それほど珍しい事例ではなく、頻繁に発生している、という現実だったのでしょう。
個々人の内面的な信仰の自由と見做すか、カルトであるとして、輸血拒否などの判断をする集団に圧力をかけるかは、実は境界線の曖昧な難しい問題でもあります。

母にそれほど決然とした宗教的覚悟があったとはまるで思えません。ちょっと東京などの都会の感覚では理解しにくいかも知れないのですが、なんか田舎社会の、とんでもなくゆるい宗教感覚だったのだと思います。
母がその時期に私の養育を大部分任せていたのは、地元の地主農家で、浄土宗である母の実家だったのですが、そこと母の間で、宗教的な事柄で対立している空気なんて一切ありませんでした。
母は私が小学校に入る前にエホバをあっさり止めているので、本当のところは分かりませんが、まず父も母も宗教道徳云々なんて真摯なモラルを持ち合わせている部類の人種では到底なかったのです。
父は、右翼的な折衷主義の宗教観の持ち主で、でも結局のところ選民思想と言ってもいいくらいに極端な先祖崇拝を自身のプライドに結びつけている感じでしたから、もっとなんだかよく分かりませんでした。

そういう精神性の茫洋とした人達の現世利益的な願望を吸い寄せやすい宗教というのはある気がします。コアな人達はかなり本気で信仰していたとしても、です。
例えば、チベット仏教のお坊さんとか、プロテスタントの学者の方とか、自身の信仰心と乖離しない精神で物凄く高度で緻密な思弁を繰り広げたりする方が大勢いらっしゃいますが、同時に日本の明治維新以降の新宗教系の家庭に育った人が、私から見て極端な主張や飛躍した発想に聞こえるニューエイジ思想・ヒッピー文化に傾倒する例もたくさん見てきていて、明らかに通常以上の比率なんですよね。
どちらが上か下かという話ではなくて、社会的に安定した地位を自身の所属する宗教共同体が占めていない場合、そうしたバックボーンが出発点にある人は多かれ少なかれ、独自な思索や発想を持つようになるパターンも多い気がします。
なんかぶっ壊れている人物が多い印象は否めないのですが。

現在の日本の新宗教の大教団の多くは1920年から1950年に成立し、それなりの共同体の規模と歴史がある訳ですが、独自の世界を持っているからこそ、そこの中の成員はマイノリティーとして育つ、という現実が、自ずとそういう結果に繋がっていくのでしょう。

元々安定していない家庭が特にカルト的なものにも抵抗薄く近づいていきやすいのも事実なんですね。
平凡という名の既定路線から一旦外れると、一定の家族の間ではとことんアブノーマルな要素が高密度で折り重なっていく、というね。
ある種、ユダヤ人もそんなものだと思うのです。だから、彼らは独創的な才能を持つ人材をその緊張感の中で高い頻度で輩出したし、反面、精神疾患の発症率が高い事でも知られています。
それは遺伝なんて優生学的な事象ではなく、社会学的・心理学的次元の要因が大きい話です。

カルトなら社会的制裁を加えていいのだとしたら、その線引きや程度はどこにあるのか。誰が決められるのか。
とても難しいテーマだと思ったからこそ、全体としては私の実体験や見聞きしてきた具体的な現実から感じたものを軸にして、いくらか書き出してみました。
答えは一人一人の方に考えてみて頂きたいところです。

by catalyticmonk | 2017-04-22 03:49 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)

忖度

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LINEとかってチャット式SNSは、グループページとかで活用するものなんでしょ、どちらかと言うと。
それがよく分からないし、プライバシーの範囲とかの設定も知らないままだから、どうも深入り出来ずにいる。

尻込みし続けている理由として、以前にゾッとする体験があったのも大きい。
ずっと前に、頼まれてある候補者のボランティアをしたら、そこがうちうちでLINEグループを作ってやり取りしていて、私はその存在を知りもしなかった。
それ自体は当事者で範囲を決める事だからいいんだけど、問題は他の面識なかった支援者から自己紹介して名乗るなりせせら笑われて、「ああ、あなたが河元さんね。LINEグループのチャットで話題に上るから知ってますよ」と言われた事。
そんな、陰で話題にして、こっちは顔も見た事もなかった初対面の相手から鼻で笑われる、ってどうなのよ。しかも、こっちは無償のボランティアを頼まれてやっていた身だよ。
最高に気分悪かったけど、何言われているか分からないんじゃどうしようもないもんね。

モヤモヤするのに表立って言い返せないというやり口が、最強に卑怯だ、どんだけサイコな世界なの、って思ったけど、他の人の話を小耳に挟んでいても、なんかそういう陰湿な吊るし上げっぽい事が多いんだよね。
そんなふうにならないように、みんなに気に入られるようにあなたが努力しなければならないんですよ、と日本人は幼い頃から家庭や学校で教えられて育つんだけどさ。それがまさに森友学園問題でも話題になった「忖度」だ。

でも、それでは人の顔色を窺いながらしか意見を言えなくなって主体性なんて持てないし、結局最初からある既定の規律ばかりが権威を持って、自浄作用も民主主義もない。様々な全体主義のバリエーションが並ぶだけでね。

よく考えてみて欲しい。相手に対して思いやりを持つのは人間社会の基本なのだけれど、日本社会の場合は、そこに「相手が気に入るような意見や言葉・態度を推定でしていかなければならないし、それを上手くやるように他人に要求する権利が社会道徳として成立している」といったニュアンスが含まれている。
それは「思いやり」ではなく別の形の押しつけがましさであり、他者への不寛容と利己主義・身内主義といった狭量な排他性ともつながってしまう。

これでは、日本が弱者や少数者への偏見・差別が一向に減らないのも当然の成り行きだと言える。多様性を認め合った寛容さや相互理解といったスムーズな共生は、まず互いに自由にものが言える風通しの良さがあってこそ成立・進展する。そこを抜かして表面的に協調性を他人に期待して、「和の精神」を尊んでいるんだ、などと言うのは詭弁そのものだし、日本人が封建社会の風土からきちんと脱却出来ない要因となっている思考様式の倒錯もまさにそこにある。
陰湿だから揉め事が絶えないし、水面下の緊張が高まる、という図式なのは明らか。
なのに、際限なくそういう行為を繰り返して、サル山のサルみたいに、数の力や根回しで勝ち残った奴が正義、それを上手く画策するのが人間としての技量と政治力、みたいな方向の論旨で本気で考えているふうさえある。

世間的にはすごく評判のいい人達でも、裏ではそういう事が絶えないみたいで、そりゃゲンナリするさ。表向き共有出来るテーマがあっても、その人達のデザイングッズを身につけたいか、と言ったらそこまで盛り上がれない、と当然なるだろうからね。

そこを正々堂々とやりましょう、と本気で唱えた宇都宮けんじさんみたいな人や、保守政治家だけど本気で日米同盟を通したアメリカの支配構造に対抗しようとした小沢一郎さんみたいな人は、選挙の度に面白いくらい器用にケチがつき、無実の罪でも疑惑だけで梯子を外され政治的な影響力を封殺されていく。

そんな事が容易に可能になっちゃうのも、「忖度」の精神文化土壌が日本に色濃いからだよね。
はっきり議論や確証をもって計っていくべきところで、暗黙の了解や言葉にしない雰囲気・印象の段階で態度を決めてしまう社会風土だから、印象操作を上手く出来る器用さと数や力が既にある権力・組織・強者ばかりに都合のいい世の中になる。
そんなの、もうたくさん、て思わない、みんな?

by catalyticmonk | 2017-04-12 00:59 | 異端者を作り出し疎外する社会 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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