カテゴリ:インド生活( 13 )

ムルガン様

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今回の記事は、2013年秋に見た自分の夢とその数年前の現実の記憶が交錯するという、内容を追う上でやや紛らわしい構成になっている。
もちろんそれは私の能のなさによるが、こうした形でしか私は自分の中に根付いているインド世界から受けた影響の実際を、心理状態に即したものとして書き表すことが出来ないように感じている。
なので、今回の主題はそうした性質のものであることを予め断らせていただき、己れの至らなさを懺悔したいと思う。


夢。
e0296801_251326.jpg私はまたインドにいる。私は庇のついた屋台のような建物でインド人家族と歓談している。目の前には川が見えて、周囲は何処となく古い町並みに感じる。
私はたまたまの流れで簡単な読心術を家族の前で披露する。ヤマカンか状況を読んでか、自分でも判然としない感じで、しかしかなり具体的かつ正確にズバリ相手の行動や考えが読めてしまう、ということが私にはたまにある。
その家族の、そう若くもない知的障害者らしき娘が、片言のヒンディー語と英語で私に話し掛けて来る。

最初、ヒンディーの拙い私は娘とのやり取りがスムーズにいかなかったのだが、それでも段々意思疎通が可能になって来た。どうも彼女は私が先ほど家族の前で読心術を披露してから何か思うところがあってこちらを注視していたらしかった。そのことがあやふやな会話を通じてなんとなく伝わって来る。
そして彼女はシヴァがどうのこうのとしばらく不明瞭にごにょごにょ言った後で、唐突にムルガンダ、と言い出す。

もし、彼女が言おうとしたのが「ムルガンダ・クティ寺院」のことならば、それは仏陀が悟りを開いた後、最初の雨季を過ごしたとされる場所に建てられた、サールナートにある寺院のことだ。夢の中のその川がある古い町が仮にバラナシであればサールナートとは距離的にも近いし、おまけに私は仏教徒の多い日本人。彼女が話の引き合いに出しても不思議ではない。
しかし、私は咄嗟にムルガン神とスカンダをごちゃ混ぜにして言っているのだろう、と推測した。ムルガン神とスカンダは同一視されているからだ。そしてムルガン様はシヴァ神の息子。彼女の事前の発言とも符合する。

e0296801_01300242.jpgスカンダはヒンドゥー教の軍神で、戦争以外はあまり考えていない上、女性すら近付けず、自分の神殿に女性が入ることすら拒む。カウマーリまたはデーヴァセナという妻・パートナーがいる場合もある。
ムルガンとは「神聖な子供」という意味で、元々はドラヴィダ系民衆が信仰する土着的な山の神だった。現在も南インドのタミルナードゥ州などで盛んに信仰されている。無類の強さを誇る山の児童神だ。
何の変哲もない子供の姿をしているため、油断してやられてしまう悪魔も多い、というのがこの神様の基本設定。ムルガンは孔雀を連れていることが多く、そのためスカンダと同一視される。

「ムルガン?」
私が彼女にそう確認すると、彼女は我が意を得たり、といった感じで同意してうなづく。そして急に滑舌が明瞭になってきて驚くべき発言をし出す。
「お前は今、ムルガンと共に旅をしている。そして、それを彼は楽しんでいる。お前は今『ダブル』だ。」
衝撃的だった。夢を見ている私は一人でガーンとなっているわけだ。
実は私は、12年ほど前からそのムルガン神という南インド土着の神様に纏わる様々なエピソードを体験して来ていた。


タミルの山にはムルガン神の立派な寺院があり、民間の宗教画にはよく山の上に立つムルガンの姿が描かれる。
12年前、スリランカ南部のウナワトゥナという沿岸の町を訪問した際に、突如夢枕にムルガン神に立たれるということがあった。彼は一言も言葉を発しないのだが、私の夢の中のいろんな場面に何の脈絡もない感じで闖入してきては佇んでいる。
その感じがなんとも名状し難い面白みと魅力、インパクトがあったので、以来、急激にその児童神に親近感を覚え出し、アイドルのポスターを買い漁るファンの如く行く先々で彼の神様ステッカーやポスターを集め出すように。
尚且つなぜか私自身が、道行く南インドの現地人に「ムルガン、ムルガン」と騒がれるという珍妙な出来事が度々続いた。
それで自己暗示にかかるほど自分が単純な性質であるとも思っていなかったのだが、どういうわけだか時々自分にムルガン神が乗り移ってきたような変な感覚に襲われることまで起こってきてやや当惑。道行く人になぜ私のことをムルガンと呼ぶのか直接理由を尋ねてみたこともあるのだが、どうも一昔前に普及していたムルガンのポスターの風貌と私がそっくりであるというのが主たる原因のようだった。
それで徐々に好奇心を抑えられなくなってきて、気が付けばとうとう南インド各地のムルガン寺院を巡礼し始めるまでに。

e0296801_01452496.jpgそこまでの行動に至ったのも数々の偶発的な出来事に促された結果であって、どうにも奇妙な具合だった。
例えばマドゥライの軽食屋でたまたま知り合った現地人から頼んでもいないのにムルガン寺院のある聖地までの行き方を懇切丁寧に教えられて、最初はいきなり初対面の相手に聞いた情報だし、互いの会話自体も片言の英語しか話せない現地人と、タミル語の話せない図々しい来訪者である私との間でなされたあやふやなものだったのでリスクを鑑み尻込みしていたのだが、相手があまりに邪心のない素朴そうな感じで、ニコニコ微笑みながら神の御告げの如く決然と勧めてくるので、何か強く心を動かされるものがあって思い切って行ってみると、そこでまた次の場所へ行く情報が向こうからやって来る、といった調子。

「え~、ウソでしょう?!」と目を丸くしてしまうような出来事の連続だった。
まあ、ただ、こういうのはインドにいくらか行ったことのある人ならば、誰しも多かれ少なかれ身に覚えのある種類の経験だとも思う。いろんな出来事が絶えず重層的につながっている日常、とでも言えば良いのだろうか。

ムルガン神信仰の総本山であるパラ二を訪問した際にもトントン拍子の展開だった。
感じるところがあって描いた自筆の絵を奉納しに行ったのだが、そのことを寺院の神官達に伝えたところ、どういうわけだか即ちょっとした騒ぎになって、なんと得体の知れない外国人である私が何時間と並んでいる他の参拝者の大行列を尻目に、御神体のある本殿まで直行で通されて参拝させてもらえるという厚遇を受けることに!そこは山丸ごと一つの大寺院の深奥であって、当然現地の一般参拝客でも入れない。

根がチキンな私は、石造りの荘厳な神殿の仄暗い奥へと連れて行かれる途中、内心、一瞬本気で走って逃げ出してしまおうかと考えたほどだ。今から振り返ると、何か得体の知れない事態に巻き込まれつつあることへの本能的恐怖だったのだと思う。
__でも、ダメだ。もう今さらどうしようもない。そんな冒涜行為が許されるはずもない。誰に対して?異国の神様に?この場所にいる周囲の人達に?自分自身のプライドに?
はっきりとは分からなかったのだが、とりあえずそれらすべてに該当してしまう気がした。覚悟を決めて臨むしかないようだった。しかし心臓の高鳴りは止むことがない。
そしてそんな私の期待を裏切らないかのように、あろうことか本殿の御神体の前にはロウソクの炎に照らし出された神憑りの神官がバキバキの眼つきでいて、その人物がまた物凄いのだ。
タミル語を解さない私には何を言われているのか明確に分からなかったのだが、それでもトランス状態の神官の抑揚のあるボディーランゲージと分かりやすいセンテンスの連呼はまさに言語の壁を乗り越える力があって、あれこそシャーマニックとでも呼べばいいのだろうか、神秘を肌で感じる体験だった。
ムルガン神がスリランカで私の夢枕に立ったことや、私がムルガンと呼ばれババジー(賢者・聖者)扱いされたこと、ヒマラヤでとある女神に会ってきたこと、私のそれまでの人生のあらましなどを彼がかなり具体的に次々言い当てているのがはっきり確認出来た上に、そもそもその祝祭的で猛烈な祝福の仕方は、もう理解どうのこうのを必要とする次元ですらなかったのだ!

も、もう降参です。煮るなり焼くなり好きにしてください!私は御神体の前にひれ伏した。
そして、頭上からザバザバと夥しい量の聖水を浴び、豪勢な花の首飾りを掛けられた私が本殿から表へ出ると、予定調和的な流れだが、スーパースターが登場したかのような凄い注目の的に。現地の人達から次々記念撮影をせがまれることになり、一列に並んで参拝客の団体様ご一行と写真を撮ったりして、なんだかよく分からなかった。

これはあなたが信じようが信じまいが全部実話である。


e0296801_146965.jpg夢の続きに戻る。
私がその知的障害者の女性を、途中からある種の神憑り的な人物として見做し出したのは、ここまでの過去の実体験の経緯説明によって理解してもらえると思う。パラ二で会った神官のような種類の人間の言葉として、私は彼女の発言を傾聴し出す。
ひょっとしたら「ムルガンダ」という言葉にも複合的な意味合いがあるのかも知れない。トランス状態や譫妄状態の人間が言葉を扱う時には、瞬時にそういう掛け言葉のようなひらめきを含んだ重層的な内容の会話をぽんぽん繰り広げてくる、ということがままあるからだ。
彼女は続けて言う。
「お前はやがて『ゲットー』に行くことになる。それをムルガン様も理解されている。」

ゲットーだって??
ゲットーと言えば元来はユダヤ教徒を強制隔離した一定の居住区をいうが、これを一般化して少数者集団が密集して居住する地区について用いられることもある。
アメリカで言えばスラム街(貧民街)というより、暴力や犯罪がはびこる危険地帯、といった意味合いの方が強い。現在のアメリカ人の平均寿命は大体79歳くらいとされているが、ゲットーの平均寿命は35歳程度だという話もある。
何にせよ不安に駆られる話ではある。だから彼女にその私が将来行くゲットーはどんな所なのかと聞いた。すると唐突に片言の日本語で返答が返ってきた。
「サッムイ〜(寒い)場所。」
そう言って彼女はふふふふふと笑った。

e0296801_1425438.jpg日本は私にとって十分北の国に感じる。況してや、その夢を見た季節はこれから落葉の季節になる頃だった。南インドに住まわれるムルガン様ならさぞや寒い土地と感じられることだろう。そもそも人類の祖先は元々熱帯地方のジャングルの中にいた猿なのだ。
ただ、自分が四季のある日本の環境に生まれ合わせたことを特別不運だったとも思ってはいない。人類は疫病や競合動物の多さから頭打ちだった故郷アフリカを出てユーラシア大陸へと進出する過程で新たなニッチ(生態的地位)を獲得して飛躍的に発展した存在なのだ。だからいくら南国趣味の私であっても、人類が今日世界中に住み広がっている現象自体を変なことだなどと言うほど野暮ではない。
さりとて今、私は自分にとっては結構「寒い場所」の大都会の片隅で、比較的この国のマイノリティの側に立って暮らしている、というのは紛れもない現実で、そこの部分を拡大解釈して言うならば確かに「ゲットーのような環境」にすでにいる、と言えなくもないし、「それをムルガン様も理解されている」というのなら、何か励まされないでもない。

なるほど、そうか。
何かいたずらっ子みたいな茶目っ気さえ感じる言い回しではないか。やはり夢に登場した彼女もあの児童神に仕える者だったのか、なんてアニミズム的思考で考えてみたりした。
しかし、私が帰国後に恋人との入籍・離婚・がん闘病と、なかなか壮絶な人生体験をしたのもまた事実である。

私が勝手にこうした夢を見たのであっても、児童神ムルガンに関わる出来事はインドでも毎回なぜか今回の夢と同じような、ユーモラスでトリックスター的なトーンで起きてきたのも事実で、だからこそ今でも時折このような形で夢を見るのかも知れない。
インド的なものが自身の人生の中に徐々に浸透してくると、個人差はあれど皆いくらか似通った文化的・精神的同化作用の体験をするとも思う。

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by catalyticmonk | 2018-06-12 02:08 | インド生活 | Comments(2)

アブナイ世界の裏事情を少し

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インド北部にあるヒンドゥー教の聖地バラナシに、日本人バックパッカーの伝説的な安宿「久美子の家」がある。約40年前にインドに渡ったガンゴパダヤイ久美子さんが経営している。
最近は、日本人旅行者の減少で中国や韓国の青年も主要客だそうだ。
しかし、宿の人気者だった夫のシャンティさんは2017年の1月16日に死去していた。

日本人のバックパッカーの聖地だったかも知れないけど、私は27年前の1991年に行った時、シャンティさんに面接されて宿泊拒否されたんだよな。
シャンティさんに日本語でこう言われた。「あなた、ガンジャ(大麻)吸って何年になりますか?」

私はドラッグをやらない旅行者だった。だけれど、その前に初めてのインド旅行でマラリアに罹り、バラナシで一ヶ月死線を彷徨っていたのだった。
その若干19歳ながら幽鬼のように瘦せ衰え憔悴した私が、日本人宿の噂を耳にし、少しでも楽な環境で静養出来るように、と宿泊を試みたのがその時だった。

e0296801_11594994.jpgだから、私にとっては随分無慈悲で残酷な誤解だったのだが、もう時間が経ったからすべて話していいだろう。
インドを訪れる旅行者、特に貧乏旅行者は、その大半が大麻などの麻薬に手を出す。バラナシなどの聖地では合法で、政府公営のガンジャショップ(大麻販売店)があるくらいだったから違法でもなく、仕方ないと言えば仕方ない。
お祭りの日には警官が道端で大麻入りのヨーグルトジュースを飲んでいるような土地だったのだ。日本人がお祭りの日や正月などに神社の境内でお神酒を飲んでいるのとまったく変わらない性質の事柄だ。

しかし、合法・非合法の境目は微妙で、インドの中央政府的には公営店以外で一般大衆が外国人旅行者などに密売しているのを取り締まりたかった。
そこに外国人旅行者、分けても海外旅行慣れしていなくて不器用な若い日本人旅行者が集まる久美子ハウスは、宿泊した人から何度も聞いたが、中ではシャンティさんや久美子さん公認で堂々と大麻を吸っていたし、密売人との交渉・トラブル諸々で地元マフィアが支配するバラナシで他のインド人から目の敵にされ、何度も警察ががさ入れに入り、久美子さんも拘留されて、精神を病んでいたりしたそうだ。

だから、私がたまたま訪れた頃には、ちょっと嗜む程度ではない、危ない薬物中毒患者みたいな旅行者は面接で振り分けて宿泊拒否していたらしい。
繰り返すが、私は全くやらない人間で、重い伝染病に罹って異国の地で闘病して衰弱していたところ、その姿が怪しいジャンキーに見えてしまったという話だ。病人をそんな視点で解釈する事自体、如何にバラナシがそういうものに溢れているかの証左なのだったが。

しかし、おかげで私は若い時分に海外を放浪する中でいち早く母国日本人集団と離れ、他の地元の人々やインドなどを旅する西洋人旅行者の集団の中に飛び込む事が出来た。
なにしろ、特に疫病に罹って病気をして弱っている間に母国の人々のいない緊急事態に陥ったのだから、生き残ろうとする動物の本能が最大限に発揮された。特別な語学勉強など何もしていない無学な私が無国籍風な人種に飛躍する大きなきっかけになったのが、あの19歳の時のインド・バラナシでの闘病期間だった。

そんな訳で、私は実のところインド絡みで自国民の有名人の裏話をたくさん知っている。
ただ、暴露する気は一切ない。それは、インドの歴史を知ったからだ。

インドでは古来宗教的にお酒がタブー視されていた。自然に自生している大麻や阿片などを民間で嗜好品として嗜んだり、宗教儀式に取り入れる、という事は長い歴史の中でされてきた。
しかし、西洋人がインドを侵略し支配するようになると、徐々に彼らの価値基準を強制するようになった。日本人がお酒を飲むように、嗜好品として民間で大麻を嗜む環境があったのが、力の強い異国の支配勢力の価値観によって制約を受けるようになり、代わりにタブー視されてきたアルコールが入ってくるようになった。

しかし、民間信仰の次元にまで浸透している様々な習慣は、インドの民衆すべてを西洋の一神教に改宗でもさせない限り完全には変更出来ない。
それで長い間、西洋の大国が国際政治をリードする中で玉虫色に黙認されてきた、という実態がある。

e0296801_12015503.jpg体と精神を蝕む、という観点からしたら、お酒も同じようなものだ。ただ、それぞれの文化の習慣と歴史が違ったというだけ。しかも、その中で、西洋の列強に侵略されたインドが、自国の文化を妥協するような形まで強いられてきた。
しかし、現在では「経済効果」の面で国際的に大手を振って商売に出来るアルコール産業と、色々な圧力を受ける文化とでは、受けられる社会的庇護も桁違いなので、インド中央政府の開発至上主義の方針と共に駆逐されているらしい。

そうした経緯を踏まえると、インドの環境の中でそうしたものに近付いた同国人を非難するのもおかしな事のように感じる。日本の基準をインドの中にまで持ち込んで「いい・悪い」と騒ぐのは、如何にも横暴な理屈だからだ。

ざっくり言えば、嗜好品はコーヒーでもお酒でも大麻でも阿片でも、すべて身体を少しずつ麻痺させて陶酔感を得ようとするものであり、その観点から言えば健康上は全部良くない。これが真実だ。
ただ、それでも人間は何かしらの息抜きをそれぞれの生活の中に取り込もうとする。それが行き過ぎるのはやはり何事も良くない、そういう話だ。

ただ、こういう事を堂々と言える人は少ない。事情を知っている人の大半が、自分達でも大麻などを嗜む人達だから、日本で言えないのだ。
私は全くやらない人間なので、敢えて微妙な現実でも語れる、というだけだ。嘘だと思うのなら私の毛髪を検査すればいい。私の髪の毛は長いので、何年も遡っていつ頃風邪薬を飲んで、手術時の麻酔薬を入れたかなどが詳細に分かるだろう。

取り敢えず記事のタイトルを「アブナイ世界の裏事情を少し」なんてつけてみたが、本当を言えば「アブナイ世界」が私達の慣れ親しんでいる世界の外側にある訳ではない。
実際、聞くと見るのじゃ大違い、という話の通りで、その場所に行って実情を知ると想像していた事と全然違った、という現実は多くて、世界が本当の意味で平等で公平になるには、今自分が知っている現実や習慣など取るに足らない程断片的なものなのだ、という認識が大切なのだと思う。
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by catalyticmonk | 2018-06-12 00:57 | インド生活 | Comments(0)

派手な方達の余生というもの

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インドの瞑想センターとか元植民地の萎びたリゾート地って、なんか凄い人生の果ての人がちょくちょくいる。一緒にいる連中が普通じゃないからさ、ホラでもないと分かる。

向こう、モンスーンで豪雨のヒマラヤ山中の村で、ヨーロピアンのマフィアと一緒に映画『マトリックス』とか観ていたよ。ま、朴訥としたアジア的な村にはかなり場違いな、要塞みたいな建物だったけど。
雨が降ってちゃ山の中は遠くに気軽に行けないからさ、そういう事情があるから、結構あり得ないような人物と懇意になったりするんだよね、山の中の暮らしって。

e0296801_00375373.jpgインドに来て一年目には、チベット文化学校に留学生で来た自分の周りは真面目な人種ばかりで、彼らは見るからに別世界の住人だった。ところが、二年目、三年目には長期滞在外国人社会の横のつながりがどんどん膨らんでいくから、気が付いたら長年の友みたいな扱いで。
それって自分にハクが付いたとかじゃなくて、それだけ彼らが孤独で狭い世界で生きていたからだと考えている。

ヒマラヤは冬には雪で閉ざされて、学校施設も、主だった商業施設も閉鎖されてしまう。だから、長期滞在組は冬には南インドに大挙して移動するんだな。それで、インド中で、山でもデリーでも南インドでも年単位で顔を合わせているとさ、それだけでもう絶大な信頼を得るんだよ、長期在留外国人同士って。
もう、どんな部類の人間かは関係なくなるね。ただ、人間対人間同士の付き合いになる。
スロベニア人の仙人みたいなヨガマスターが、南インドではロシアンマフィアと一緒に会食していたりする。シュールな生活だった。好む好まない以前に、そういう事に無頓着にならないと、やっていられない世界だったんだ。

でも、その時思ったのは、今、自分はとんでもない体験をしているけど、これは「リアル・ワールド」じゃないんだ、ってこと。
リタイアした後の世界で凄い人間に会っていてもさ。表側の世界があった上で存在する裏側の特殊な異境で、ここで展開する出会いや人間劇は全部ある種表の世界の「おまけ」なんだ、って。

若い頃には放浪生活も送っていたから、旅人の人生にも面白さと、それを共有する社会の薄さに対する物寂しさの両方がつきものだってよく知っているけど、アウトローやアウトサイダーのリタイア後の人生もそれに似ているんだ、って思った。

かつてニューエイジ文化で一世を風靡したオピニオンリーダーの、ブームが去った後の余生とか、韓国人作家の隠遁生活とか、そんなのも身近につるんでいたから生々しく見たけど、別にそんな体験は一切口外出来ない。だから、いくら貴重な体験でも意味がないと言えば意味がない。

実際、自分が日本でコミュニケート・ライターもしていた、と言ったら、コミュニケート・ライターの意味がよく分からなかったみたいで、一人のイタリアン・マフィアのボスからは危険視されて、奥さんが日本人のギリシャ人が一生懸命弁護してくれて助かったものの、彼は最後までこちらを警戒している風だった。

e0296801_00441884.jpgだから、今でも具体的な話はほとんど口外しないんだ。将来的に書く気もない。
前に、帰国してからSNSを始めたら海外からハッキングされまくった時期があって、今でもなんかモヤモヤはしている。当時はつながっている友人は海外の友達ばかりだったけれど、今は逆に海外の相手とSNSではあまりつながらないようにしているのはそういう事情だ。
普通に真面目ないい人達もたくさんいたけれど、まあ、怪しい世界の連中の方が数多くて、別にこちらはアウトローの人生に憧れている訳でもなかったから。

自分が大きな流れの中の断片的な存在でしかなくて、それに翻弄され飲み込まれていて主体的には十分に抵抗出来ない、と感じると、どんなゴージャスな体験も、お金や地位も、砂を噛むみたいに味気なくなってしまうものなんだ。
そこでも自分自身の人生を主体的に自己実現出来ているのなら、どこのどんな場所だっていいと思うんだけどね。

でも、派手めな人生を送ってきた人々の、現役引退後の暮らしぶり、って、どうにも悲哀に満ち満ちていて、とにかく本人が今いる場所を本気で地に足をつけていい場所と思っているか、納得して流動的に動いているという自覚があるかしないと辛くなるのだと思う。

クソみたいな国でも今自分の生まれた国に戻ってきているのって、人間関係や経済問題の成り行きとか健康問題も大きかったけど、そういうのも理由の一つにあるな。
自分自身を生きる、これが重要なことさ。
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by catalyticmonk | 2018-02-21 00:14 | インド生活 | Comments(0)

タイソンの思い出

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「子供って純粋だ!5歳の息子の横に泥酔したヤクザが座った。その時の息子の思いがけない対応とは・・・」
http://ruisenhoukai.com/2305


上記リンクの話のように、玲ちゃんもこのヤクザだったら号泣するだろうなあ。
って、共感するのはそっちか(笑)。
いや、でもこういう純粋なものに癒される気持ちも分かるし、泥酔して子供に絡んだりはしないけど、こんなことを思い出しました。

インドでなんとなく寂しい気分の時に、道端で放し飼いにされている犬に会ったんですね。
まずその前提になる状況設定から説明すると、インドは人間と犬や猫や牛や猿といった動物があまり分け隔てなく暮らしている、日本や欧米先進国では考えにくい環境があります。野良牛もいっぱいいて、ゴミじゃないものを荒らそうとするとか、何か悪さをすると追い出すんだけど、基本、その辺を勝手に歩いていても誰も追い払わないんです。
車道で野牛が数頭で寝転がっていても車やバイクの方がそれを避けて行く。そんなお国柄なので、餌付けされている犬でも、よほどの街中でもない限りは普通にそこら辺を自由に闊歩しているわけです。

e0296801_1911358.jpgで、そのメス犬なのにタイソンと名付けられたおとなのゴールデンレトルリバーが、尻尾を振りながら私に付いて来る、ということがあったのです。ずっと付いてきたまま家の前でも帰らず、ダメだ、帰りな、と言ってもかなり押しの強い感じで部屋まで入ってきてしまう、この辺の、愛嬌たっぷりだけれど問答無用の感じが、まさに「タイソン」という名前の由来だったのかも知れません。

それで当たり前のように部屋に居座った挙句(私もインド基準になっているので、力づくで押し帰す、という発想はまったくありません)、今度は座った姿勢で何度も右前脚を私の方に差し出します。
奇妙なことにその動作が、どう見ても人間が誰かに握手を求めているような動作にしか見えないんです。それをタイソンが根気よく何度も繰り返すので、私も内心自分の錯覚じゃないかと疑いつつも、彼女の前脚と握手したんです。
そうしたら、またタイソンはニコニコしながら私の顔を穴が開くくらいじーーーーっと見つめて、それからふいに満足げな顔をしながら一人(一匹)でまたさっさと部屋を出ていきました。

彼女は餌をねだるとかそういうことはなかったのです。
夜、私が地元の飲み屋街と呼ぶにはあまりにこじんまりとした、巨大な椰子の木の木立の中に漁村の飲み屋が数軒並ぶだけのドリンキングスポットの軒先で夕涼みしながら飲んでいると(南インドでは漁民はかなり既成社会の外側に位置していることが多くて、あまり飲酒の習慣がないインドでも漁村には地元民向けの酒場があったりしました)、またタイソンが他の野良犬の群れの中から私のところへ寄って来て、私の足元に座って長時間いることが度々ありました。
それもまた、たまに私の膝の上に乗りかかって見つめてきたり、諸々ダイレクトなスキンシップが多くて、そこからまるで母親のような慈愛が言葉の壁を越えて直接伝わってきて、不思議な体験でした。
犬の寿命ですから「母親」と言っても当時30代だった私の半分も生きているはずもなかったのですが、とにかくそんな体験はタイソン以外の動物とも度々あって、本当に純粋な愛情や優しさというのは、年齢や言葉の壁、種族の違いさえ超えて伝わり得るものなんだ、という実感が私にはあります。

無鉄砲が服を着て歩いているような私は、ヒマラヤ山中やタイやインドネシアのジャングルの中でも道に迷って遭難しかけた時が何度かあるのですが、そういう時に地元の犬がどこからともなく現れて、道案内してくれたことがあります。彼らの悠々とした態度と、その道案内が信頼できるものに違いない、という直感から、毎回ちっとも怖くなかったものです。


(注)添付写真で私と一緒に写っている犬はタイソンではありません。基本的にインド中で犬と仲良くしていたので。
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by catalyticmonk | 2015-10-06 00:08 | インド生活 | Comments(0)

ダラムサラの星空

2004年、日本では春先の頃、私はインドのダラムサラの宿坊の屋上に上がって夜空の星を眺めていた。毎晩毎晩、何時間も眺めていた。
眼下に広がるヒマラヤ山脈の麓から広大なインド亜大陸の地平線へ延びている雄大な平野部の山谷と町々の夜の灯りの幻想性に加えて、人工衛星や流れ星の一つ一つが鮮明に見える宝石のような星々を、一人でいくらでも満喫出来た。
他の人々も時折は上がってきた。
宿坊に宿泊に来た巡礼客のチベット人や、同じチベット文化学校に通っているルームメイトの韓国人、チベット人の師匠に付いてタンカ絵師の修行をしている日本人女性、宿坊の食堂を経営するチベット人夫婦なども上がって、同じようにしばらく星々を眺めていった。私ほど飽きずに一人で長時間星を眺めている人はいなかったけれど。

ダラムサラはよく停電した。
ただでさえ半分山の中で、周辺環境はと言えばこうだ。下のインド人の街であるロワー・ダラムサラからダライラマ法王の棲む尾根の上の町、アッパー・ダラムサラまで、山林の中を延びている一本の車道の周囲の斜面に亡命チベット人の集落や学校施設等が点在していて、ホタルなどが飛び交う場所が、特に月明りの暗い夜には停電時真っ暗闇になる。
他にすることがほとんどなくなるし、ひときわ夜空の星がクリアに見えるので、みんな真っ暗闇の中を蝋燭か懐中電灯を片手に屋上に上がってきた。

ダラムサラは、ロワー・ダラムサラからアッパー・ダラムサラ/マクロード・ガンジ、さらに上の遊牧民が定住した村落のエリアに至るまで、一つの区分の街でもかなり標高に高低差があって、1400メートルから2400メートル超くらい。
ダライラマ宮殿のあるマクロード・ガンジでちょうど森林限界の2000メートルくらいだったので、その先に上がると徐々に森がなくなって、牧草地帯にぼこぼこした岩が突き出ていて、沢や滝があり、家畜の山羊や牛、定住した元遊牧民の畑や集落がある、といった感じだった。

私が当時最初にいたのはチベット亡命政府の各種官庁のあるガンチェン・キション周辺だったので、標高1800メートルくらいだっただろうか。
そこの文化学校に留学しに来て、周辺で借りれる部屋を探していたところ、同じように4月から文化学校に入るために部屋を探していた韓国人の元僧侶の若者が「じゃあ、一緒に探そう、二人の方が部屋も見つけやすいだろう」と路上で唐突に話しかけてきた。
会って5分でそんなことを言い出すものだから驚きはしたものの、部屋が見つかるまでアッパー・ダラムサラに旅行に来た若い韓国人旅行者の集団と引き合わせてくれて、彼らと同じ宿のドミトリーで3週間ほど共同生活。彼らとタイ人僧侶、私でトレッキングに行くなどして親しくなったので、そのままなし崩し的に共に部屋探しすることになった。

ドミトリーで一緒だった韓国人の若者たちはせいぜい1ヶ月前後のバックパッカーだったし、私は当時まだ32歳ながらかなり悲壮な決意でインドに留学しに来ていたので浮ついた考えは持たないよう努めていたけれど、二つ隣のベッドの韓国人女性にいきなり仁王立ちで立ちはだかれて、右掌を上に広げて差し出されながら、"I want your heart."と言われたのは今では懐かしい思い出だ。

宿坊の部屋を見つけれたのは、これまた偶然の成り行き。
ガンチェン・キション近くの峠道で山野を目を細めながら眺めて恍惚とした表情でいる現地生活している風の日本人顔の若い女性がいた。こんなところに日本人の若い女性がいるはずないな、と思いつつも私が話しかけてみるとやはり日本人で、タンカ絵師の修行をしているとのことだった。
こちらの事情を話すと、それなら私の棲んでいる宿坊を紹介してあげるわ、と言って、あっさり決まったのだった。隣はチベット仏教の小さなお寺で、そこのお坊さんに家賃を払い借りた。

北インドは5月くらいが一番暑くて、6月・7月は徐々に雨季に入って行く。なので、この毎夜星空を眺めて夕涼みしていた時分は5~6月であったはずだ。昼間は蒸し暑いけれども、山間部なので当然夜は涼しい。シャツ1枚だったと思うけれど、天気の悪い日にはフリースのジャケットを羽織った。

韓国人のルームメイトのキーフンは元僧侶だった。ちょうど30歳くらいだったかな。けれども韓国の仏教界の堕落に落胆して真の仏教を求めてダラムサラまで来たということだった。真面目な堅物だったけれど、人間臭いユーモラスな一面もあった。

またかの地はダライラマ法王のお膝元ということもあって、チベット仏教のみならず国際的な仏教界の学術センターだった。
先述の一緒にトレッキングしたタイ人の僧侶以外にも、インドネシア、ベトナムやラオス、モンゴル、カザフスタンやロシアのシベリア地方の遊牧民族の仏教徒や数多くのチベット仏教シンパの西洋人など、世界中からそれらの機関で勉学するため、また仏教修行する目的でやって来ていて、私はとりあえずの留学理由としてライトに文化学校を選んだので、結構不思議な気分だった。
人間の深層心理というものに強い関心があったので、是非瞑想というものを学んでみたい、という漠然とした目的の足掛かりにするために、東京にある日本チベット文化研究所に紹介状を書いてもらって留学しに来たのだった。

トレッキング以降仲良くなったタイ人僧侶3名はマクロード・ガンジに滞在していた。
数キロ先の私たちが住むガンチェン・キション近くの宿坊にも一人で山道を歩いて遊びに来てくれるなど、特に親しくなった中年僧侶は、主にダラムサラに滞在しながらパーリ語の古代仏教経典の調査・研究をしていた。落ち着いた物腰ながらなんとも独特なユーモラスさがあって、とても気さくな人物だった。
だけれど、かなり高い地位の方だったようで、タイ王室の王子がお供を連れてやって来たりしていて、それでもまた彼が飄々ととぼけた雰囲気で対応しているのが実に面白かった。私も誘われてごく普通に会食したり周辺を一緒に散策したけれども、恭しく付き従うお供の男性がいるのがどうにも奇妙な感覚だった。

私のように緩い目的でやって来ていた留学生は他にもちらほらいた。
華僑系の家族で石鹸会社を自身で経営しているという、やはり30代のインドネシア人女性とも学校の前の道端で知り合い、彼女も部屋を探しているというので今度は私が宿坊を紹介することに。ところが彼女がまたなんか雰囲気がまるで違っていた。部屋からはCDだかラジオだかから明るいポップスの調べとアロマな香りが流れてきて、チベット人の巡礼客や学僧なども泊まりに来る宿坊に南国の人らしく異空間を作り出していた。
韓国人のルームメイトと部屋に招かれて行ってみると室内が布や花などで色鮮やかかつ爽やかに飾り付けられており、そこの中だけ完全に南国状態。ヒマラヤ山麓の亡命チベット人集落の真っただ中に、たった一人で大した自己文化再生能力だ、と驚いた。
で、いつの間にか学校にもあまり来ないようになったな、と思ったら、ある日上のマクロード・ガンジの路上にアクセサリー売りのイケメンの若いチベット人男性の横にニコニコしながら座っている。数週間で学校を辞め、マクロード・ガンジに知り合いが出来たからとかなんとか言って宿坊を出て行った。
私のルームメイトは真顔で私にこう聞いた。「彼女は、一体全体何のためにここに来たんだと思う?」

私もその言葉に笑ったけれど、キーフンは真摯な求道者だった。仏教徒以外の宗教や共産主義者は悪魔のように言うので、リベラルな価値観の私からすると随分と了見が狭いように感じてしまって徐々に意見が合わなくなり、また、「ここにあるのはツーリズムだけで、本物の仏教がないから」と言って、ブータンの横のインド側にある、やはりチベット仏教寺院の多いダージリンへと旅立っていった。

他にもイスラム教徒だけれどもチベット医学を学ぶためにやって来たという、顔は日本人の下町のおじさんなのに目の色の青いカザフスタン人や、ロシア領内に住むブリヤート人のモンゴル仏教徒の女性などといった、ロシア語が話せるアジア人顔のグループ、というのもいて、これがまた私にはやたら親近感・好感を感じる何かがあった。
これより後に私はロシア人女性と交際することになるのだけれど、あちらの方面の人と私には何かと相性の合うところがある。

でも、やはりあの頃の私はかなり切ない気持ちでもあった。世捨て人のような気分で留学に来ていたからだ。
宿坊の屋上で何時間も星を一人で眺めながらも、「自分もあの星粒になりたい」なんて意味不明なことを32歳の男が本気で考えていた。瞑想を学んで人間的な苦悩から逃れたい、というような願望もあった。

そうした私の思いを察してか、ある晩には屋上に同じように星を眺めに上がってきた宿坊の食堂のチベット人のお母さんから、「キポ?」と聞かれた。
「キポ」とはチベット語で幸せの意味。私は最後まで大してチベット語を覚えなかったのだけれど、母性たっぷりの女性に「幸せ?」と聞かれたわけだ。
正直、まるで幸せじゃなかったし、でも、そう感じている自分も消したい、というひそかな願望を持っていたから、そう問われて言葉に詰まってしまった。
彼女は中国のチベット侵略によってインドに亡命してきたチベット人だ。祖国に帰れなくなった人だ。旦那さんと小さな子供たちと暮らしているにせよ、彼女の苦労に比べたら私の経験してきたことなんてなんだって言うんだ。
彼女は、私の横に腰かけて、一緒に星を眺めながらチベットの夜空はもっとクリーンでもっと凄い星の輝きで、それを見つめて瞑想しただけで解脱することも可能なほどなんだ、と話してくれた。

私が「自分は解脱して仏になるんだ」なんて考えでいなかったことは確かだけれど、とにかく答えのない苦しみから解放されたい、とは願っていたと思う。
そこまで思い詰めていた理由をどこから話したらいいものか。虐待ネグレクトの家庭で育った幼児期からずっと続いている特殊な個人的物語すべてが理由だったとも言えるし、簡単には言えない。
一応、そこに至るまでの流れは以前にもブログに書いた。下記のリンクから順にいくつかの記述を追っていけるようにはなっている。
http://catalytic.exblog.jp/22837416/

でも、今は答えを求めているわけじゃない。
今日は私は何も語っていない。だらだらと自分の話を書き連ねただけで、どうせなら過去の情景描写もいくらかして、何かを語っているふりをしてみただけだ。
でも、生きていて必ずしもすべての目的が分かったり、予定調和的にすっきり解決される答えがあるわけでもない。
それでもすべてが自分の人生だ。なんとか愛し肯定したい。
結論もない人生のありのままを、少しでも愛せるように書く行為があってもいいはずだと思う。
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by catalyticmonk | 2015-09-27 09:03 | インド生活 | Comments(0)

インドの言語事情と日本

インドの言語事情はかなり複雑で、特に現地を知らない一般の日本人の方に理解してもらうのは毎回簡単ではありません。
皆さん、インド語とかインド教というものがあると思っておられる方がかなりの数いて。尋ねられるので理解出来るところまで細かく説明しようとしても、話の途中でなんだかよく分からない、といった表情をして流されてしまうことも多いですね。
自分が子供の頃の記憶を思い返してみても先入観としては、フランスならフランス語、ドイツならドイツ語、タイならタイ語、といったふうに、基本、国ごとに使用言語がきれいに分かれているように思い込みがちなのが、この国の人間の感覚なようです。
例えば言語表現としても英語ならば、「彼女は五種類の言語が話せる」という時に“She can speak five languages.”なんて表現するのが通常で、5カ国語以下ならbilingual(2カ国語を話せる人)、trilingual(3カ国語を話せる人)quadrilingual(4カ国語を話せる人)となるところを、日本語だと「彼女は5カ国語を話せるんだ」と言ったりします。「何『カ国』語話せるのか」、と国の数と使用可能な言語数を同一視するわけです。
大陸国家のように陸続きで他国と接しているわけでなく、公用言語として認められているのは日本語一個であるという環境要因が絶大であることは言うまでもありません。

日本とインドは違う設定が多過ぎて、そういうことは言い出したらキリがないのですが、言語の問題は、日本人がインドについて端的に想像する上で、一つちょうどいいサンプルになるかも知れません。また、逆にそれを通して日本という国の性質を見直す新たな視点のきっかけになる面もあると思います。
少なくとも私にとってはそうでしたし、それが小回りが効かなくていつも視野の狭い不器用な私にとっての、貴重な考察の源であることも間違いないので、それを通して私が感じた何某かを書き出してみようと思います。


また大風呂敷を広げてしまって、どこから手を付けよう、という感じですが、まず現実の話として、憲法で定められたインドの「連邦政府レベルの公用語」はヒンディー語で、インド国内で1億8000万人が母語として使用しており(全世界では約5億人で、世界で3番目に多くの人に話されている言語)、母語でないまでもこの言語を話すインドの人口は総人口のおよそ30%とも40%とも言われています。
なのですが。ですが、例えば国家元首が英語を母語にしていてヒンディー語はあまり話さないというケースすら過去にはあって。
英語が凖公用語で、人口の11%が英語を第一、第二、または第三言語として使用していますから、それもそんなに奇妙なことじゃないんですね。
非識字者の割合が人口の半分以上であると言われている一方で、そこら中の人達が幾つもの言語を扱えるのが普通、という環境があります。

連邦制を独立以来続けているインドでは、ほとんどの場合、社会・言語的な区分に応じて州の境界線が引かれています。各州の州政府は、州内の地方行政と教育に関してそれぞれ自身の裁量で「州公用語」を決めれます。なので、インドの公用語イコールでヒンディー語かというと、かなり実態と違うわけです。
地域ごと、宗教や社会的共同体ごとでも異なって来ますが、母語話者数で言えば、ベンガル語が6700万人(国内外総数:2億2000万人)、タミル語が6600万人(国内外:7400万人)、テルグ語が7000万人(国内外同数データ)、マーラティー語が6500万人(国内外:6800万人)、パンジャーブ語が2600万人(国内外:6100万人)、ウルドゥー語が4600万人(国内外:6100万人)、グジャラート語が国内4300万人(国内外:4600万人)、他にも3000万人以上母語話者数がいる言語だけを列挙してもマラヤーラム語の3600万人、カンナダ語の3500万人、オリヤー語の3200万人があります。
またタミル語・テルグ語・マラヤーラム語・カンナダ語他を含むドラヴィダ語族全体は2億人を超える話者数なので、インド・ヨーロッパ語族であるヒンディー語やベンガル語などと比しても数の上でも負けない一大勢力であり、ヒンディーが真の意味で公用語になり切れない大きな要因の一つにもなっています。公式統計ではインド全土で850言語が日常の社会生活で使用されているそうです。
この途方もない規模の言語併存状態の結果、日常使用言語の違うインド人同士の会話は、主にヒンディー語か英語であって、外国人は英語さえ話せれば結構インド中問題なく行き来出来ます。

地域単位で主要言語が分かれているかと言うと、これもそうでもなくて、例えばかつてインドがイギリスの植民地であった関係もあって、比較的社会的地位の高い家系や都市部の富裕層の人達に英語を母語とする人間もいるようですし、また、同じ地域内でイスラム教徒はウルドゥー語を話し、ヒンドゥー教徒はベンガル語やヒンディー語などを話す、といった具合に宗教共同体ごとに日常会話の言語が異なっていたりします。
本当に言語事情はインド社会の多層性を実によく表していると思います。


翻って考えてみるに、インドと日本では国土の広さも人口の規模も違います。インドはインド亜大陸一つ丸々の巨大国家であり、宗教や文化、歴史の多様性も違います。人間社会が築いて来た歴史の深み、といった点でも桁が異なっている気がします。古代文明の時代から脈々と続いて来た大衆社会が、一度も途切れることなく、現代世界のIT開発の最先端まで担っているのです。
一見貧しく質素なインドの農村も、戦後に作られたニュータウンでもなければ、せいぜいが江戸時代前後くらいまでしか来歴を遡れない日本の大部分の村や町とも違い、古代から続く文化・伝統を保持していたりします。また、人口の八割が信仰するヒンドゥー教と呼ばれるものは、実のところ仏陀やキリストのように開祖がいるわけでもない、何万年も前から続いて来た土着信仰やアーリア人などの侵入民族が持ち込んだ宗教を大らかに統合した総体の呼称であって、つまり彼らにとって宗教は特定の人間が始めたようなものではなくて、文字通り神世の昔からそこにあるものなのです。
古代ギリシャやローマの神々が神話の中だけの記憶になっても、インドの空気というものは未だに悠久の時間の中にあり、それが破壊されることなく現代文明に接続しているのです。

では、日本人は、漢字の文化も中国から受け入れたものだし、仏教もインド伝来で、見劣りする民族なのでしょうか?
もちろん、そんなことはないと断言出来ます。やはり、日本人はその感性の大部分を剥き出しの自然からダイレクトに取り入れてきていて活力に満ち溢れており、しかもそれが非常に繊細で器用で高い管理能力と組織力を誇るという点において、まさに特筆すべき有能さを持つ民族だと思います。
しかし、私のようないい加減で不器用な人間には少々困るくらい有能なのであって(笑)、また日本が認められている公用語が一個であるような、あまりインドのような多層性を持っていない島国国家であることも様々な了見の狭さにつながっているようです。
みんなが似通った価値観を共有し、高度な組織管理能力と協調性を求めるあまり、そこから大きく外れることは論理的な整合性抜きにまず空気として圧殺してしまおうとするような高い同調圧力がこの国には存在しています。
自殺率の高さにも表れているように日本人自身にとってもかなりストレス値の高い社会ではあるのは確かなようです。外の世界と適度に混ざり合って、もうちょっといい加減な国になってくれたらいいなあ、などと私は感じます。

どうせ、少子高齢化社会になって日本社会そのものが縮小して行くことは現実のこととして避けられないのですから、日本文化の独自性を保持しつつも、いいバランスで外の文化・社会と融合して行って欲しいものです。
これからも拡大成長して行く中国と張り合ったって仕方ないのだし、今はまだ日本人はインドのことをあまり認識していませんが、12億人のインド社会がさらに世界中に影響を与えて席巻して行くことも確実なわけです。
これからの時代は、日本人の器用さ、有能さを、世界中と仲良くする知恵に使ってもらいたい、と願っています。そして、そうして行くことが日本人自身にとっても救いになるはずだ、と私は確信しています。

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by catalyticmonk | 2014-04-29 22:12 | インド生活 | Comments(0)

ケーララ

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インド国内でキリスト教徒が割あい多くて飲酒や肉食にも比較的寛容な場所といったら、ゴア州以外ではケーララ州もかなりそうした傾向にあります。もっともヒンドゥー教徒やムスリムも多いので、ゴアほど寛容なわけではないのですが。ケーララではヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教が友好的に混在している、と表現するのが適切でしょう。

伝承ではインドのキリスト教会の成立は、十二使徒の一人使徒トマスがインドに布教して以来とされています。なので、早くからトマス派の布教が始まったケーララやタミル・ナードゥ辺りは、実はカトリック教国ポルトガルによるゴアへの宣教よりキリスト教文化が地域社会に浸透した歴史は遥かに古いのです。
加えて先述のようにイスラム教徒も多いし、ローマ帝国時代から香辛料貿易が盛んでしたから、南インドはベジタリアン中心のインドにあって肉料理も豊富だし、そんなことに留まらないほど文化的基盤も多様です。
特に自然条件に恵まれているケーララには、3000年以上も前からヨーロッパ、中東、中国などから貿易商が香辛料を求めて訪れるなど交易が盛んで、「海のシルクロード」の要港地でもありました。また、教会やヒンドゥー寺院の装飾及び町並み、バックウォーターなどの自然景色に至るまで、純然たるインドらしさを存分に発揮しつつも、なんとなく地中海的な明るさ、開放感さえ漂っている特異な土地柄です。
農民や労働者の顔の生き生きとした輝きを感じれるのもインド随一な気がします。インドでは普通、貧困層の人々の顔には生活の苦渋がにじみ出ているものだからです。

e0296801_13335288.jpgケーララ州はインドの中で「特別な州」と言われ、教育や保健など社会開発分野で突出した成果を上げています。同州の識字率はほぼ100%に達し、先進国レベルの健康管理システムを備えていて、幼児死亡率も先進国並に届き、平均寿命もインド全体の平均と比べて10年ほど長く、男性71.4歳、女性76.3歳です。殺人率も同国内で最も低い州です。
教育分野において、州政府は学校建設、義務教育の無償化、女子教育の促進などを早くから行いました。
ケーララの人々は「ケーララにはカースト制は存在しない」、「みんな平等である」とよく言い、ケーララは特別であるという誇らしげな様子がうかがえます。


ケーララ州政府は1957年に世界初の普通選挙を通じた共産党州政権が発足して以来、共産党が与党になることも多く、インドの中でもリベラルな政治性を持ちます(インド自体が現在は市場経済を導入しているにもかかわらず、『社会主義の国』と今も憲法で謳っているのですが)。
ケーララは西ベンガルと並んで、CPIM(インド共産党マルクス主義派)の牙城の一つとして知られてもいます。ただ、チャンドラ・ボースら名だたる独立の英雄を生んだ西ベンガルの共産党と違い、ケーララのCPIMは個人の強いリーダーシップが確立されるのを回避する傾向にあるようです。
州の有権者の多くは、ケーララのアイディンティティーがCPIMと密接に結びついていることを認めつつも、CPIMが長期政権を維持することは許しませんでした。実際、ここ20年ほどのケーララの政治は、インド中央政府の伝統与党であるインド国民会議派を中心とした中道左派連合であるUDF(連合民主戦線)とCPIMを中心としたLDF(左派民主戦線)による二大政党制の様相を示しています。


ケーララは19世紀の初めごろまでインドの中でもカーストによる差別が強かったそうなのですが、独立以前から、低階層の人びとによる活発な社会改革運動が行われ、主な支持層が中間層である共産党政権によって、カースト制の廃止、土地改革、教育改革、社会サービスの充実などが断行されていきました。
早くから対外との交易が盛んで、閉鎖的ではない風土があった点も大きいのでしょう。藩王国の時代から教育が促進され、西洋から入って来たミッショナリーも男女等しく教育を普及しました。また、母系制をとる家族が多くいたケーララでは、家族の中で女性が重要な位置を占めていたことも女子教育を促進させました。
共産党政権も平等を目指した政策を進め、識字率の上昇とともに、さらに平等性や民主主義への意識が高まりました。州予算の40パーセントを、パンチャヤットと呼ばれる村落議会にゆだねる、という政策の効果も大きかったようです。
この結果、学校や病院といった社会インフラが極めて発達しており、高い識字率と就学率を記録するという現在のケーララ社会が出来上がったと言ってよいのです。

e0296801_22145314.jpgもう一つ、村落開発の現場レベルで高い識字率を支えてきたのが、1962年に設立されたKSSP(Kerala Sastra Sahithya Parishad / Kerala Science Literature Association)の存在です。
左派の科学者や科学ジャーナリストを中心に設立されたこの団体の主要な役割は、科学の普及であり、現在では4万人の会員と200の支部を持ち、マラヤーラム語で3種類の雑誌と800を超える書籍を出版しており、それがケーララ最大の民衆運動の一つとなっています。
また、全インド民衆科学運動(All Iindia People's Science Network)という識字運動ネットワークがありますが、KSSPはこの中核を担う団体として知られています。
基本的には「前衛知識人」に主導された運動でしたが、教条主義的な進歩主義とは無縁であり、70年代にはタミル・ナードゥ州との州境であるSilence Valley(静寂の谷)に計画された巨大ダム計画への反対運動に関わったことから、運動の中心をオルタナティヴ開発に移していきました。
またここでも特別著名な知識人指導者というのが見られないというのも脱中心化の国ケーララの特徴であると言えます。E.M.S.ナンブーディリパッドやP.M.パラメシュワランといった人物が海外でも知られていますが、彼らの思想とリーダーシップがインドの他の地域での社会運動の社会運動のリーダーのようにKSSPの活動の根幹を支えているというわけではないようです。

ケーララの成功の原因として、全世界の共産主義者を支配した思想に逆らって、民衆を信頼し「民主脱集中」を推し進めた共産党、左派的な理想を信じつつも柔軟かつ民主的に方針や戦略を変化させる「前衛」知識人/科学者の団体KSSP、これらに信頼を寄せつつも選挙に際しては厳しく挑み、自らが手綱を握っている状態を維持してきた、バランス感覚ある有権者の存在があげられると言われています。


また、くだらないことも書かせていただくと、リベラル過ぎて思想的にも文化的にもやや突飛な発想が生まれる面もあるようで。
例えば、性のモラルに厳しいはずのインドで、あんなに街中にエロ雑誌が置いてある場所も珍しいです。無論、買って読んでみましたが、日本のその手の雑誌と比べようもないくらいソフトな内容で、こんなものを一生懸命ここのオヤジどもは買っているのか?!と思うと、むしろどこか微笑ましかったですね。1991年の湾岸戦争時にはサダム・フセイン大統領を応援する人々により、サダム・ビーチという変わったところがつくられました。
そういう多様な価値観が生まれることは実に良いことです。感服します。
その上、ご飯がおいしくて、熱帯地方の輝く自然に溢れているのですから、私がケーララが大好きなのは無理もないと分かってもらえるでしょう。私は南インド料理全般が大好きですし、カルナータカもタミル・ナードゥも大好きな場所なのですが、何かと可愛らしくユーモラスなケーララのカラーが格別甘美なものに感じて、とても気に入っています。
e0296801_1332328.jpg一般的に、インドの警官は、民衆に権威をふりかざしていたり、旅行者に難癖をつけては賄賂を要求したり、非常に信用ならないことも多いのですが、ケーララのおまわりさんは見るからにひとの良さそうな人がやっていたりして(タミル・ナードゥの田舎など南インド全般もかなりそうですが)、外国人にも本当に親切にしてくれるので、北インドなどでインドの警察不信に陥った後だとあまりのギャップに面食らうくらいです。
例えばある時、町中で当時交際中の女性とはぐれていたのですが、一人の警官が食堂でとりあえず食事をしていた私の目の前まで突然ひょっこりやってきて、にっこり微笑みながら何を言うのかと思ったら、こうです。
「君の友達がテンプルの門の前で待っているよ!」
そんなことを誰に頼まれもしていないのにわざわざ教えに来てくれたりするのです!心洗われます。

シャイな人も北インドよりずっと多い気がしますが、一般人にも気のいい人が多いです。もちろん、祭りの日の雑踏に紛れて私のガールフレンドに痴漢を働いたり、強欲な商売の仕方をする輩も中にはいましたが、全体としてはやはり純粋で素直な人達が多い、といった印象が強かったです。険しい顔つきの人間が多い北インドに比べるとニコニコした表情の人が実に多いし、一見むつっとした表情をしている相手でも話しかけてみると愛嬌のある気取らない人柄だと分かったりします。
民族そのものが南インドはドラヴィダ人であって北インドと異なるので、そうした民族性の違いも大なり小なりあるのかも知れません。しかし、それがすべてだとも思えません。

e0296801_2284318.jpg同じドラヴィダ人でもお隣の州のタミル・ナードゥ州は貧富の差も激しく、気候風土もケーララよりずっと厳しいんです。そして、南インドの中だけに留まらない、インド全域への影響力を持った様々な宗教・伝統文化の故地でもあります。そのためか人の雰囲気もさらに多様で、総体的な印象としてはかなりハード、重厚な趣きがあります。カルナータカ州もアーンドラ・プラデーシュ州も同じドラヴィダ人ですが、やはりそれぞれ違います。
そもそも同じドラヴィダ語族でもそれぞれ言語が違います。ケーララ州はマラヤーラム語、タミル・ナードゥ州ではタミル語、カルナータカ州ではカンナダ語、 以上は南部ドラヴィダ語派で、アーンドラ・プラデーシュ州は南部ドラヴィダ語派でない中南部ドラヴィダ語派のテルグ語、そして一応すべての州で英語も公用語とされています。また、南部ドラヴィダ語派の言語が使用されているタミル・ナードゥ、ケーララ、カルナータカ辺りが、一番純正なドラヴィダ色が濃いエリアであるようにも思います。

南インド以外でも実はインド中が先住民族のドラヴィダ人とアーリア人その他の混血なのですが、因みにこのドラヴィダ人というのは最近の遺伝学で明らかになってきたところでは、褐色の肌色であってもDNAの観点からは古モンゴロイドに分類されるそうです。
日本人も、近年の研究で従来考えられてきたより古モンゴロイドである縄文人の血を現代まで色濃く受け継いでいると判明してきました。つまり、意外にもドラヴィダ人と日本人は遺伝学的には結構近い関係にあるということのようです。ただし、日本人は弥生時代以降に渡来した新モンゴロイドと古モンゴロイドの混血だし、対してドラヴィダ人はかなり古いモンゴロイドの一派であると考えられます。
それでも私の感覚からしても確かに、ドラヴィダ系の人々の表情の中に日本人と類似したニュアンスを読み取れるように感じる時がままありました。ドラヴィダ人がかなり古いモンゴロイドの一派であるというなら、日本人が南インドへ行くというのは、ある種知らず知らずのうちに遠い昔の祖先のルーツの片鱗に触れるような体験をすることになるのかも知れない......などと思わず司馬遼太郎的な壮大なはったりまでかましてしまって収拾がつかなくなりましたが、そんな意味でも親しみやすい南インド、そしてその中でも愛嬌たっぷりな人達の土地・ケーララなのです。


e0296801_20463031.jpg私が「共産党が」、「共産党州政権が」、と何度も書いたので、なかにはカタブツの唯物論者ばかりが多い土地柄のようにケーララを想像してしまう人もいるかも知れませんが、それは決定的に現実と違うので断っておこうと思います。
彼の地はアーユルヴェーダの発祥の地であって、インド占星術も盛んです。また、私は特にヒンドゥー教の寺院巡りをよくしていました。それは最初かなり興味本位な行動だったにもかかわらず、そこで感じた空気、そうした中で体験した出来事のいくつかは私の宗教に対する考え方をすっかり変えてしまいました。
それがどのような性質のことであったかを簡潔に書くならば、たったこれだけのことです。この世の中に奇跡としか思えないような物事が実際に存在する、ということをそれまでの自分の人生で最も疑いようもなく実感し、以来そうしたものを敬う気持ちを本気で持つようになった、という点に尽きます。
ですが、そうした個人的体験の具体内容についてここで書く気はまったくありません。私自身、体験しなければ分からなかったことですし、大体が体験してみなければ説明しようもない性質のことばかりだからです。
ただ、ケーララではそうした神秘的な出来事・不可思議な体験が驚くほど身近に存在する、という事実だけは明言しておいていいと思います。あくまで唯物史観に基づいて解釈したい方であれば、私が主観的に心理現象としてそう感知する出来事があった、と解釈していただいても結構です。宗教的な環境の場で周囲の空気に呑まれて錯覚を起こした、ということでも構いません。自分自身、そのあたりはどうでもいいからです(笑)。
私はそういった認識を持つまでもすでに二年間ほどインドにいて様々な経験をしていたので、そうした人間が感知し得るもののうちの不可思議な側面をまったく否定していたわけではなかったのですが、最終的に一番はっきりと私の執念深い懐疑精神を粉砕した場所はケーララでした。
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by catalyticmonk | 2014-04-14 02:56 | インド生活 | Comments(0)

水を得た魚

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インド亜大陸周辺国の人達というのは、物事の捉え方が非常に感覚的です。
高尚か低俗かは各人のライフスタイルごとにまちまちですが、とにかく物事を直感的かつ観念的にコンパクトに切り取って表現する習性が深く身に付いているようです。
日本人のように言質の責任の程度や周囲との協調性を考えて極力明瞭な表現を避けて、オブラートにくるんだ曖昧な表現を多用しつつ、地道な事務的情報の積み重ねで生真面目に対話していくことが常識ある大人の言行と認められるような国からインドのような場所へ行くと、私などは毎回まずそこを新鮮かつ刺激的に感じます。

e0296801_11275873.jpg例えば、超自然現象の有無についてが話題になれば、
"Seeing is believing."
と言ってみたりします。見ることは信じることにつながる、つまり自分の目で直接見て体験したのであれば議論の余地なく信じるし、そうでないのなら仮定で知らないものをあるとかないとか言っていても定かではない、というほどの意味合いです。
またある時はジゴロみたいな亡命チベット人の若者がこちらが聞いてもいないのに外国人女性を籠絡するコツを講釈し出し、そして彼らの真髄の一端を語るには、
"Many many talking is no good."
だそうで、なんだか分かるような分からないような話で苦笑してしまいました。話し過ぎないほうが手の内を読まれない、とでも言いたいのでしょうか。無論、こちらは品がいいとは言いがたいのですが、コンパクトでキャッチーな視点の切り出し方が向こうの人間らしくて吹き出してしまいました。
別段、こういう話の発想自体は世界中であると思いますが、とにかくこんな感じのノリの会話ややり取りが日常生活に溢れているのです。近場の国でもインド亜大陸からは少し離れた場所、例えばタイくらいに行くと、タイ人は朗らかでいつも面白げな人がとても多い感じですが、それでも目の前の物事をこういったある種の直観的な哲学センスでシャープに切り取る性質はぐっと目立たなくなる気がします。

私自身の性質的にもこういうアプローチのほうがフィットする面がどうもあるようで、この感覚に一旦慣れてしまうと何年経っても日本風に戻せません。元々、私は日本の独特の流儀と自分の生まれ持った素の間に埋めがたいギャップというか、馴染まない何かを感じていたし、特に若い頃は非常にそこに苦しんでもいたので、その部分では、水を得た魚の状態だったのです。直るわけがないという。

インドには、南インドの一部地域を除けば全般的に激しい貧富の差があるので、底辺の人々のサバイバルは過酷です。なので、彼らからしたら、そうした社会環境を鑑みれば非常に仕方のない面があるのですが、十分な教育や品性を身に付けれず育ち粗野さが目立つ人々も少なくなく、生活に追われケチなインチキやぼったくり商売をしようとする輩も多く、またそうした人々の強烈さが半端なかったりします。
それに対して私個人は辟易しつつも最初からなぜか淡々と『こんなもんだ。』と思っていました。
多分、自分の生まれた国であまりに感覚的な不自由さを感じて育ったので、逆に自分がすぐには理解出来なかったり馴染めないような新奇な事柄でも、ある程度はなんでも受け入れる心の準備と耐性・諦観が自然と身に付いていたのだと思います。

ですが、もちろん私のような受けとめ方をする人間は経済先進国からの訪問者の中では少数派でしょう。特に、日本のような高度管理国家からいきなり向こうに旅行で行くと「ここはなんて恐ろしい土地なんだ!」と拒否反応を示す人間も多いんです、実際。
それでも、インド周辺国中に漂う長い歴史が放つ、古代にまで通底しているだろう濃密な空気をしばらく吸ってみると、誰しも次第に違う側面が見えてくるようです。どんなに一つ一つは日常に埋没してしまうような些細なことであっても、やはりこれはこの地域の伝統文化や歴史を体現しているに他ならないのであって、数学のゼロを観念を発明したり、因果応報とか無常観などといった様々な東洋思想を生み出してきた歴史の厚みが、文化として俗世間に至るまで浸透している現実の姿なのだろうなあ、とじわじわ感じさせられるようになります。
少し冷静に考えれば当たり前の話なのですが、何も聖者のような人間だけがインドの歴史を体現しているわけではない、ということのようです(笑)。
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by catalyticmonk | 2014-03-10 23:56 | インド生活 | Comments(0)

ダラムサラの亡命チベット人社会

e0296801_16175983.jpg依然、中国の占領と弾圧の政策は、チベットの国家としての独立、文化、宗教性、自然環境の破壊を引き起こし、人々は基本的な人権まで奪われています。
こうした悲劇の背景には中華思想を纏った社会主義、社会帝国主義とでも呼ぶべき、漢民族を頂点とすべく行われる統制という名の侵略行為の実態があります。
選民思想とは悪辣なものです。 しかし、それだからといって短絡的に中国人そのものを悪く思っても仕方がありません。 悪いのは中国の国家体制なのであって、言うまでもなく中国人は無数の善意の人々を内包しているのですから。
共産主義というものは理想としては歴史的に、封建制度からであれ全体主義からであれ資本家からであれ、不当に搾取する権力から民衆を解放する目的のために生まれたはずです。しかし特定の主義主張が社会を独裁的に管理し、自由が失われてしまったところには必ずこうした横暴と悲劇が発生します。

そして、この問題に関連して私の個人的体験から思ったことも書こうと思います。


e0296801_22472962.jpg私は2004年、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府直轄の文化学校に通っていたことがあるのですが、 その頃、町中を普通に歩いていたら、目の前のチベット人青年が道端で突然発狂して泣き喚いて暴れだすことがありました。周りのチベタンに聞いたら彼は強制収容所で虐待されていたのだと言います。
不思議な光景でした。 彼は周囲の商店の軒先にあるものなどを手当たり次第に投げて大声で何事かを叫び、道路に膝を付いて号泣するのです。それを周りのチベット人も誰一人として咎めず、心配そうな表情を浮かべながらひたすらなだめようとする......。

生きて仲間のいるインドのダラムサラまで逃げて来られても、自分達の文化と生活の場を脅かされ、人間としての自由と尊厳を奪われ、あるいは家族を恥辱の中で虫けら同然に殺され、自身も心身に深い傷を負った亡命者には、当然のことながらメンタルに深刻な後遺症を持つ者も多いということでした。
また、ダライラマ法王ご自身があるインタビューの中で嘆いておられたのですが、そうしたことから次第に近年チベットからインドに亡命してきた者の中に、伝統的なチベット社会では見られなかったような著しいモラルハザードが見受けられ、いったい現在の祖国チベットが長年の虐げられた結果としてどれだけ精神的にも文化的にも荒廃しているのか、法王にすら想像がつかないのだそうです。
今もこのような問題があまり本質的に解決されることなく継続しているようです。私が見た亡命者の彼のような犠牲者が今この一瞬にも新たに作り出されているのかも知れません。
悲しいことですが、まず第一歩として現実を知る必要があります。その上で国際的に中国政府に抗議していかなければなりません。世界一の人口と劇的な経済成長を続ける大国の中国に。それはもちろん容易なことではないでしょう。

e0296801_228783.jpg正直、個人的なダラムサラでの体験をありのままに書くと、彼らチベット人の標準は素朴な分、外のものへの先入観も強く、山の村人か一昔前の日本人のようでもあったので、 ダラムサラの亡命チベット人社会の中に、リベラルな思想の私はなじめませんでした。
大体、どんなひどい目にあったからとはいえ、他国であるインドに亡命してきておいて、「インド人は悪辣だ」とか、ヒンドゥー教徒を愚かな考えの人々と見なすような発言を堂々とする人間が多い現実に驚いてしまったのです。私は基本的にインド人もヒンドゥー教も大好きなのです。
また、自分たちチベット仏教徒をすべて平和を愛する人道主義者であるかのように訪れた異国からの来訪者にアピールしておいて、その理想社会への案内役を買って出たような体裁を装いながら、 異国でのエキゾティシズムに目をくらまされた日本人や西洋人の女性を極めて悪質な形で食いものにする、そういうジゴロのような若い不良チベット人たちがいるのも実際に目にしました。

しかし今考えてみると、同時に、あそこにいた彼らチベット人は皆亡命者の立場だったわけで、過酷な虐待を受けた者や不遇かつ不安定な環境に生まれたその子息らの一部が、人間がきつくなったり風紀が乱れたりするというのも、ある程度は防ぎようのない自然な現象でもあったのでしょう。また、「チベット仏教に憧れる」外国人は大勢ダラムサラにいて、彼らの大部分はチベット人とうまくやっていましたから、私の個人的資質の問題であったことも否定しません(笑)。
これは特にその「チベット仏教に憧れる」外国人側の一部との話なのですが、私からすると、公平な検討や論理的な議論もせずにただチベット人社会側に肩入れし同化しようとする、チベット仏教に憧れているだけの外国人がダラムサラには非常に多い気がしたのです。私が先に述べた一部チベット人に見られたジゴロ的商法や素朴な偏見など、明らかに狭量な態度や詐欺師的行為と映る部分に対して疑問を呈すると、彼らは提起した内容自体を直接吟味しないままにすべて私個人のエゴとかカルマのせいという宗教的観念論に転化することが度々あって、すっかり幻滅してしまいました。
私は自分自身の性質ややり方に問題がないなどと主張する気はまったくありません。人間、自分が過ちを犯すことなどないと思い込んでいることほど愚かな態度もない、と普段から思っています。ただ、私の人格否定をしたところで解決されない錯誤が別にあるのも確信していたので、そのような人格攻撃を受けても納得しなかっただけです。この辺の事情はその後に私が非チベット仏教系の瞑想センターで体験したこととも非常に被ります。

それでも私は懺悔しなければなりません。
実際、私が目にしたチベット難民の世界の負の部分は、一つの社会が崩壊の危機に瀕しているという途方もないスケールの現実を考えると、非常に控えめな荒廃であったはずです。
一部のチベット人から感じた、あまりにもねっとりと濃縮された情念のようなものも、彼らの苦悩と辛酸の経験の深さが、私などには察する余地もないほどの何かであることを示していたような気が今になるとします。もしかすると、ふいにそうした自分とは次元の違う圧倒的な何かを経てきた人々の情念を目前にしてしまった当時の私は、そこまで客観的に観察する気持ちの余裕がなかったのかも知れません。
そのことを当時の自分が十分に検討せず看過してしまったこと自体、外の世界の過酷な実態を知らないが故の、浅はかな傲慢さであったと今は恥じています。

e0296801_16132015.jpgそして声を大にして伝えなければならないのは、そのような過酷な運命を経てきたにもかかわらず、基本的には彼らチベット人は、他人にとても親切で穏和で、おおらかであると同時に非常に礼儀に篤い人々であった点です!
その稀有な精神の強靭さは、どれだけ強調しても強調し過ぎたということはないでしょう。

彼らが受けたような苦難の後で、自分がそのような人間性を保てるのか、平和な時代の日本で育った私には自信がありません。

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by catalyticmonk | 2014-02-15 01:38 | インド生活 | Comments(0)

オレンジ・バー

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e0296801_22233548.jpg本場の南インド料理を楽しむなら、やはりケーララ州かタミル・ナードゥ州、カルナータカ州辺りだろうと個人的には思っている。アンドラ・プラデーシュ州も美味しいが、少しベンガルっぽい北の味も感じる。またゴア州も少し南インド料理の一般から違う。でも、インドの中で飲み生活が一番充実している場所と言ったらやはり他でもない、ゴアだ。
ゴアのフィッシュ・カレーや地元のバジ屋(野菜カレーの食堂)も大好きなのだが、旧ポルトガル領という土地柄で古くからのキリスト教文化圏ということも手伝って、ゴア州は南インドの中でも特殊な飲食文化の地域だと思う。
現在では他地域から流入したヒンドゥー教徒住民も多いものの、やはり伝統的にはヒンドゥー文化圏でないし、外国人の長期滞在者が持ち込む外貨収入も地域経済に及ぼす影響力大なので、アルコールに対してはインド随一なくらい寛容だ。そう、ヒンドゥー教やイスラム教主体の地域社会でなく、キリスト教主体だということは、「酒が普通に飲める」ということも意味する。
ちゃんと冷やされたビールが気の利いたスパイス料理のつまみとともにそこら中で飲めるということは、インド滞在の長い酒飲みには非常にありがたい。
e0296801_13293995.jpgただし、ココナッツやカシューナッツで作られる地酒は要注意である。アルコール度数67度とかメチャクチャ強い代物なのに非常に風味があって美味しく、飲みやすいので、二日酔いになりやすい。私も瓶ビールを二本くらい空けた後にカジューフェニーという酒をたった二杯飲んだだけで翌日は撃沈されていた記憶がある。
まあ、今回はそんなゴアの地元の酒場にまつわる体験を書いてみようと思う。カジューフェニーで撃沈された、とあるバーでの思い出を。


2006年に雨季のゴアの漁村チャポラで、地元民のバーの裏の部屋を間借りしていたことがある。バーの名はオレンジ・バーといった。
バーのオーナーはジョンというゴア人のクリスチャンで、若い頃には中東ドバイのアブダビに行って長年出稼ぎ労働者として暮らしていたという経歴の初老男性だった。初老と言っても、ジョンも、ジョンの奥さんのイダも、二人とも丸々と太っていて非常に快活で、主に地元の漁師の酔いどれ客達を相手に夫婦で元気にバーを切り盛りしていた。彼らはとても気のいい人達だった。そして、年老いて少しぼけてきたジョンのお母さんもバーの裏の自分の部屋の隣にいた。
e0296801_22262539.jpgあの、薄暗くも外の光が絶えず斜めから差し込み、土の薫りがして、井戸までついているオレンジ・バーの裏空間は、私には子供の頃に育った母の実家を想い起こさせる雰囲気があって、とても好ましく感じられたのを強く記憶している。バーのキッチンから私の寝泊りしていた部屋まで続く空間が、農家を営んでいた私の母の実家の母屋の横に隣接した、半地下の薄暗い土間付きの納屋の雰囲気にそっくりだったのだ。故郷の納屋は小学生時分、雨降りの日の私の遊び場にもなっていたので、南インドにやって来たモンスーンによる豪雨で一歩も外に出れないような日には、バーの裏側の印象が余計子供時代の記憶と被ってくるのだった。
そして、そんな豪雨の日に何をしていたかといえば、もちろんオレンジ・バーで飲んでいた。と言っても、バーの表の店内は英語も話せない地元客が多いので、外国人の私がそこに混じって飲んでいると他の客がゆっくり飲んでいかなくなる、というジョンの意見で、私はいつもキッチンの中でビールケースの上に腰掛けたりして飲んでいた。
ジョンやイダに酒や肴を注文すればいつでも部屋まで持ってきてくれたのだが、その場その場で次のものを頼みたいし、部屋の中でじっと飲んでいるばかりでは私もつまらない。
e0296801_011113.jpge0296801_21545041.jpgキッチンの中からは、店奥の四角く凹んだカウンター・スペースまで来て立ち飲みする一番の泥酔コース客とジョン夫婦のやり取りを観察することが出来た。彼らが何を会話しているのか、私はゴアの州言語であるコンカニ語がまったく理解出来ないので分からなかったが、なぜだかその光景はいつも見ているだけでぷっと吹き出してしまうくらい、とてもユーモラスな何かがあった!犬好きの自分にとってキッチンまでよく来る店の飼い犬で老齢のメス犬、アスキーと遊んでいるのも楽しかった。
店のつまみのフィッシュフライやチップスも口が卑しい私をして飽きが来ないほど実に美味かった。おまけに激安の値段だった点も併せて、ローカルなお店の良さ満載なのがオレンジ・バーだった。
ジョン達のほうも、「あんたがこういう雰囲気の良さを理解出来る『アジア』の青年だと気付いて驚いたよ」、とか言って私を気に入ってくれた様子で、段々家族のように扱ってくれるようになった。

また、家族扱いされ過ぎて少し困ったような、半分にやけてしまうような出来事もあった。
ジョンの娘はマリアといい、同じクリスチャン家系の青年ブライアンという誠実な人柄の男性と結婚していて、ジョン夫妻の孫も儲けていたのだが、私の部屋代の支払い先はブライアンになっていたので、ある日他の用件もあって近所のブライアンの家に行った。すると赤ん坊を抱いたネグリジェ姿のマリアが登場して、笑みを噛み殺しつつも目をキラキラ輝かせて私にあることを質問してくるのだ。
e0296801_13264282.jpg「カワモト!あなた、私のママのイダに"No wife, no life"(かみさんがいないと暮らしもない)なんて言ってたって本当?...あーら、やっぱり本当なの!それをママから聞いた時、私達家族一同大爆笑したわよ!」
そう言って彼女はその場にいたブライアンの両親とともにどっと笑い出した。

実際、その少し前に私の妻が先に日本へ帰国していたので、最初は久々の一人暮らしになんとなく生活のリズムが狂っていたのだ。私は内心では少し途方に暮れるような気分にもなったが、「でもさ、それって真実だろ?違う?」とその場では素っ気なく切り返した。
マリアの夫のブライアンだけは元々真面目な性格のせいか、同じ男として同情してくれているからなのか、最後までクスリとも笑わず気まずそうな顔をしてオロオロしていたから、私は反って気になった。困った奴め、と思いながらも、そんな気遣い屋のブライアンも私は嫌いじゃなかった。

私が"No wife, no life"なんてわざわざイダに言った理由は、若干の経緯説明を必要とする。
妻が先に帰国した頃、イダが部屋まで注文したフィッシュフライかなんかを届けに来てくれた際の話だ。前の晩に夜更かしした私がモンスーンの嵐の日の昼下がりの部屋の中からぬぼ~っと気だるそうな顔を出すと、突然イダがしばらく黙り込んでしまうということがあった。そして、呆れたような、我が子を憐れむ母親のような、なんとも言えない表情をして私をしみじみ眺めて回してからこう言ったのである。e0296801_22304012.jpg「あんた、大丈夫かい?」
自分ではそんなに驚かれるほど特別落ち込んでいたつもりもなかったので、急にそんな反応をされて困ったのは私の方だった。
その時、咄嗟にイダに自分の屈託のないところを見せようと思ってとぼけた表情で手を広げながら言った私のセリフが、例の"No wife, no life"だったわけだ。「かみさんいなけりゃ暮らしもない」という標語みたいな言葉だったが、こういうのがインド人の笑いのつぼにはまるようである。

e0296801_11314383.jpgバーの裏の間貸しスペースの方も始終スリリングなエピソードに事欠かず、退屈知らずだった。
夜になると近所の盛り場で大虎になるアル中のイギリス人のおじさんがいたのだが、彼が昼間は借りてきた猫みたくおとなしくなって部屋の中でも死んだように静かなために、実は私の隣部屋であるというホラーな事実にだいぶ後になってから気付いた。彼はシラフの時に会うと本当に物静かな紳士なのである。
また、10代のインド人少女たちが近くのボクシング・ジムに通うためにバーの裏の5部屋ほどあった間貸しスペースの一つの部屋に4人で住み込み出したのはいいが、その子達が粗野過ぎて、シャワールームとかトイレの便座といった家の設備が次々破損して大問題になる、なんてこともあったし、ボンベイから来た、これまたクリスチャンの若いインド人旅行者の女の子が恋愛上のトラブルから何者かに部屋の外から錠をかけられ監禁される、というなんだか分からない事件も起きた。そんな調子で毎日が珍騒動の連続だった。

e0296801_11343613.jpg村自体は、アラビア海に面した静かな漁港と、ポルトガル領時代から残る石造りの砦跡がある小高い丘に、椰子の木立に囲まれ、その中に隠れるようにしてある集落や背後の森、といった絶妙に萎びたロケーションにあった。
だが、ヒッピー時代から外国人の長期滞在者も多く、場末の飲み屋街が村の中央にあったので、とにかく如何にもそうした場末らしい、刺激的な日常だったのだ。
が、そんなドタバタした騒ぎを含めても基本的には絶えずジョン一家との温かい人間交流に恵まれて、楽しく飲んでいられたのがオレンジ・バーでの日々だったように思う。
また、オレンジ・バーでビールを飲みながらフィッシュフライが食べたいなあ、と時々思う。
e0296801_11524822.jpg

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by catalyticmonk | 2012-09-21 00:24 | インド生活 | Comments(0)


溢れ出る部分を勝手にやっています。異端者のあなた、多分私はあなたの味方か仲間です。 河元玲太朗


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