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古びない古典と思想の自発的更新性の大切さ
社会人類学の名著、ジェームズ・フレイザーの「金枝篇」は知的興奮をくすぐられ様々な着想及び妄想の元になり得る名作なのだけれど、原著を読んでいると、そのあまりに前近代的なレイシズムが散見する部分にムカムカして来て読み切る気を失くしてしまった経験が。
最近のとある歴史学の本でもそうです。ゾクゾクするくらい面白い歴史学的見地に夢中になったものの、下巻で著者が原発推進論者であり、コマーシャルなテレビ文化好きのイギリス人と分かってから、個人的にはいっぺんに冷めてしまいました。
知的中立性のためには著者の思想傾向よりも内容を取捨選択して取り入れていくことが肝要で、それが基本なわけですが、土台となっている「精神性」に共感出来ないと、思想書としては何度も読み返したくなる愛読書にはなりにくいのも事実です。
その点、マルクスはまさに逆。ソ連型の民主集中の硬直した管理国家のイメージとセットにされて、主に冷戦時代に西側諸国だった地域で共産主義思想アレルギーのようなものが形作られ、マルクスの思想にもそうした先入観がまとわりつくようになってしまったわけだけれど、そうした印象はマルクスの著作を直接読めば読むほど消えていきます。
時代的な制約に基づくいくつもの明らかな誤りと思える部分も、彼が真に人間存在の「自由」と「公平性」を追求していた思想家であったという歴然とした事実の前には気にならなくなります。
仏典でもブッダ本人の生の言葉も多く記録されていると推定される原始仏典は非常にシンプルな表現で書かれていて、個人的な感想としてはブッダは古代社会に登場したリベラルな無神論の自然哲学者だったのだな、と感じます。
唯識論なんて大乗仏教哲学も、あれは要するに自然科学的な下地が十分には開発されていない時代に、それでも瞑想などによる特殊な生理学的意識探究の臨床経験も含めて人間心理を追求した結果として、かなり精緻に解読された深層心理学ですよ。
そうした思想や実践体系が把握していた意識の範囲は、部分的には現代の心理学が解明しているところよりも遥かに先を行っている、というのがインドで大乗仏教哲学、サーンキヤ哲学等の勉強と並行して古代仏教で実践されていたのと同様の瞑想法を修養した私の実感です。
あれは完全に生理学的な「技術」であって、神秘的な観念論とは無縁の技法でした。こんなものを直感や体験知だけで編み出した古代の人々はバケモノだ、と思ったものです。古代インドの知の体系は、極めて良質な「古典」だったようです。
近代科学思想は弁証法や統計学的な裏付けの上に進んでいくので、そこが曖昧な抽象性・迷信性を減じ、公平且つ客観的な視点を探究していく上での強みなわけですが、同時に、人間の意識を扱う分野では物質主義に見方が偏ることから、未だ非常に不自由な側面があると感じます。
私は宗教的な人間ではありませんし、「解脱」なんて観念も一つの宗教的な寓話だと思っています。人格的には不器用な小人物に過ぎません。それでも瞑想技法が「即物的な」効力を持つものであったからこそ、とんでもない深層心理の世界を体験し、人間の意識の深さと不可思議さを実感したのです。
まあ、それで私の中の何が変わったかと言ったら、個人的に抱えていた人間存在への実存的疑問や葛藤がかなり氷解したという点と、世界観や視野が広がり、自身の中にいくらか依拠出来る確信が芽生えた、という程度なのですがね(そもそもそこが私にとっては大事だったのですが)。
自信がついた、と書きたいところですが、現実の私は未だに自分が病気で死ぬのも怖いし、迷うところの多い凡人です。
でも困ったことには、ほとんどの人がそんなところのはずなのに、瞑想とかして特殊な意識体験をすると急に自分が悟ったかのように勘違いして、自身の心を偽ってまでそういうふうに振る舞おうとし出す人がたくさんいるんです。それを私はインドにいる三年間に無数に目撃しました。
ですから、ああした伝統がどういった類いの人間的弱点と幻想によって劣化するのかも、私にはそれなりに見当がつく気がしました(笑)。
優れた古代の自然科学的な叡智も、知の巨人の生み出した偉大な思想も、現実の社会制度や風俗の中に紛れ、本質とは異なる幻想が拘泥されていくと、時間とともにどんどん歪められていってしまうもののようです。
ですから人間は、その時その場次第で絶えず自分達の時代に新たなものを創出していかざるを得ないのです。また何かに「翻訳された」思想を自発的に当たり直して中身を自分の内側で更新していかなければならないのだとも思います。
取捨選択しつつも、その人の思想が持つ「精神」から何かを汲み取り続けれるもの、様々な要素を時代とともに割り引いても尚且つそうした何かが多大に残り、人々に霊感を与える輝き放ち続けるものが、真に良質な古典となり得るのでしょうね。
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by catalyticmonk
| 2014-10-13 20:49
| 思想の自発的更新性
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